孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フランス  ナチス占領時代のパリ市民の写真展に激しい反発

2008-04-26 17:20:04 | 世相

(ナチス占領下のパリの日常を写したフランス人写真家アンドレ・ズッカの写真
“flickr”より By gunthert
http://www.flickr.com/photos/gunthert/2437319234/)

フランスの写真展覧会の話。
2ちゃんねるなんかでもボロクソに言われていますが、確かに“ひっかかるもの”を感じる記事ではあります。

****「ナチス占領下の陽気なパリ市民」写真展に非難の嵐*****
カフェでのんびりくつろぐ人々、映画館に群がる人々、競馬を楽しむ人々――ナチス占領時代のこうしたパリ市民の姿を撮影した写真展にパリ市民が激しく反発、中止を求める声も上がっている。
「Parisians under the Occupation(占領下のパリ市民)」と題されたこの写真展は、現在パリ市歴史図書館で開催中。会場には、ナチスのプロパガンダ誌「Signal」のカメラマンとして働いていたフランス人写真家アンドレ・ズッカ(Andre Zucca)氏が撮影した未発表の作品約270点が展示されている。これらは、ナチスによる4年間の占領時代を写した唯一のカラー写真の重要なコレクションとされるものだ。
だが、この展覧会に並ぶ、水玉模様のドレスでパリの大通りを散歩する女性やルクセンブルク庭園で遊ぶ子どもたちなどの写真に対し、激しい非難が巻き起こっている。1940-44年のナチス占領下で数千人ものユダヤ人が強制移送されたことや、数え切れないほど多くのパリ市民が苦難に耐えたことを、これらの写真は表現してはいないというのだ。以下省略。【4月24日 AFP】
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2381946/2857976
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1940年6月のナチス・ドイツのパリ無血入城のあと、フランスのアルザス・ロレーヌはドイツ併合、パリを含む北部はドイツ占領、南部はイタリア占領、そしてヴィシーを首都として本来国土の3分の1ほどの“主権国家”、いわゆる“ヴィシー政権”が成立します。

フランスの一部の人達にとっては、ナチス占領下のこの時代は苦難の日々であり、心ならずも抑圧された日々であり、人々は怒りを胸に、“自由”を求めてレジスタンス運動を戦っていた・・・という思いなのでしょう。
陽気に散歩する姿、競馬を楽しむ姿はそのような過去を冒涜するようにも思えるのかも。

もちろん、ド・ゴール将軍はロンドンに亡命政府“自由フランス”を樹立しますし、国内でもレジンスタンスの闘士が活動していたのでしょう。
ただ、おそらく国民の多くは厭戦気分が強く、結果的にナチス・ドイツの支配を受け入れたのも事実でしょう。
多くの国民にとっては、ナチスの何たるかよりは、日々の暮らしが重要であり、ナチスに協力する人々も存在したし、“反ユダヤ主義”的な行為も受け入れられたのでは。

別に、それはフランスに限った話でもなんでもなく、フランスの価値を貶めるものでもなく、日本でも同じようなものです。
戦後、民主主義を謳歌した人々の多くが、戦前においては軍国主義・国家主義・人権抑圧をそれほど抵抗なく受け入れていたのではないでしょうか。

確かに、あとになって振り返れば、“どうしてあの時代は・・・”と忸怩たる思いもあるかもしれませんが、自分を含めて多くの人々は大きな時代の流れに抗して生きるほど強くないし、周囲の物事に影響を受けやすい存在ですし、何より日々の生活が一番の関心です。

そのことを正視して、そういう風に危うい存在であることを認めて、なぜそのような途を選ぶ結果になったのかを考え、将来に向けて同じような過ちを繰り返すことがないように教訓とすることが重要であり、自分の心の中にある“あってほしい姿”にそぐわない現実を否定しても仕方ないように思えます。

自分達の過去をあるがままに見つめることは、どの国民にとっても容易なことではないようです。
フランス、ナチスと言うと、同じ日にこんな記事もありました。

****「ガザ封鎖はナチス収容所と同じ」、リビア大使発言に仏など退席 安保理****
中東問題を協議していた国連安全保障理事会で23日、リビア代表がイスラエルのパレスチナ自治区ガザ地区封鎖をナチス・ドイツの強制収容所にたとえたことから、フランスなど西欧諸国の代表が退席する事態となった。外交筋が明らかにした。
外交筋によると、リビアの国連大使の「強制収容所」発言を受け、リペール仏国連大使がまず席を立ち、その後に西欧諸国の国連大使らが続いたという。
シリアのジャファリ国連大使は協議終了後、記者団に対し「不幸なことに(第2次大戦の)ジェノサイド被害を訴えている国が、パレスチナの人びとに対し同じようなことを行っている」と述べた。また中東問題、特に「イスラエルによるパレスチナ迫害」の解決に「安保理をきちんと介入させることがわれわれの課題だ」と付け加えた。
安保理では数か月にわたってイスラエルのガザ地区封鎖の停止を求める声明を数回にわたって採択しようとしたが、失敗に終わっている。【4月24日 AFP】
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具体的にリビア大使がどのような表現をしたのかが触れられていませんので、よくわからない記事です。
ホロコーストは他に比較するものがないユダヤ民族のみの災難だとするイスラエルや、加害者であるドイツが「強制収容所」という言葉にナーバスになるのはわかりますが、どうしてフランスやその他の西欧諸国がそこまで反応するのかよく理解できません。

ガザ地区が「強制収容所」状態なのか、イスラエルのガザ封鎖がジェノサイド行為なのか・・・そこは立場によって評価の分かれるところでしょう。
ただ、ガザ地区住民の生活が困窮していることは疑いのない事実ですし、一方の立場からすれば「強制収容所」発言のような表現が出てくるのは充分に想定できるところです。
(実際、ガザ封鎖を批判するコメントには、この類の表現を目にします。)

リビア大使の発言内容がわかりませんので、これ以上コメントしても仕方ないですが、ナチスや強制収容所というものは西欧の人々には想像以上にトラウマになっているようにも見えます。
(それだけの影響をもたらしてしかるべきものであるのは事実ですが。)
ただ、フランスもダライ・ラマをパリ名誉市民にするなんて中国の神経を逆撫でするようなことを実行するのですから、他人の発言にももう少し寛容であってもいいのでは・・・と感じた次第です。

もっとも、“席を立つ”というのは、敢えて激しく言い争わないという“洗練された外交マナー”なのかも。

コメント
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