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(ナイジェリア・ラゴス クリスマス・パーティーの様子のようです。 スラムやストリート・チルドレンなどとは無縁な世界ですが、どちらも現実です。 “flickr”より By ABELagos http://www.flickr.com/photos/abelagos/7940774286/)
【ナイジェリアはアフリカ最大のシャンパン消費国】
西アフリカのナイジェリアのイメージは、石油産出国・地域大国ではあるが、資源の存在ゆえに利権をめぐって政治は腐敗し、ボコ・ハラムに代表される過激派のテロが横行している国・・・・といったところです。
そうしたイメージはあながち間違いではありませんが、一方で、中間層の絶対数が増加していることで消費が拡大し、外国企業にとっては魅力的な市場となっているそうです。
****ナイジェリア 人口&内需拡大でおいしい市場に****
ナイジェリアの魅力は激増する人口と中間層 資源依存の脱却と経済多角化が次の課題だ
誘拐、爆弾テロ、底なしの腐敗と不正……。これだけマイナスの要素がそろえば、誰だってそんな国には関わりたくないと思うのが当然だ。なのにナイジェリアは外資からの人気が高く、今やアフリカ大陸で一番の投資先になりつつある。
ナイジェリア経済は、世界でもまれに見る速度で拡大を続けている。人口は激増し、それにつれて内需も増えている。人口は約1億6200万人とアフリカ最大。50年までに4億人を突破するとの予測もある。
貧困ライン以下の生活を送る国民は04年に6870万人、10年には1億1250万人まで増えた。それでも国全体として見れば巨大な、おいしい市場だ。
人口が激増し、中間所得層が成長するこの国に特に魅力を感じているのは、消費財関係の企業だ。商業の中心である大都市ラゴスや首都アブジャはもちろん、各地の小都市にもショッピングセンターや大型スーパーが増えている。南アフリカの大手小売りチェーン「ショップライト」などは、新たに約700店舗を開く計画だ。
国民の約70%は貧困層だが、残りの30%だけでも南アの人口に匹敵する。
アフリカ開発銀行のデータによれば、ナイジェリアでは人口の23%が中間所得層だ。調査会社ルネサンスーキャピタルによれば、その収入は年間6000~7000ドル程度だが、多くは中等以上の教育を受けており、専門的な技能を持つ労働者として雇用されるか、自ら起業している。彼らの可処分所得が増えれば家電製品や自家用車、スーパーマーケットの需要は増える。
人々は贅沢品を好むようにもなっている。パリで発行されている「若きアフリカー誌によれば、ナイジェリアはアフリカ最大のシャンパン消費国。10年にはより裕福な南アより50%も多い59万3000本を飲みつくした。アブジャのファストフード店ではフライドチキンと一緒に高級シャンパンも売られている。
暑いから喉が渇くのか、ナイジェリア人はとにかく飲む。ギネスビールの販売量も世界2位だ。ギネスを販売する多国籍食品・飲料企業ディアジオは、この国への最大の投資企業の1つ。
ビール生産の拡大を目指して今年11月までに3億7200万ドルの投資を完了する予定だ。
ブラックベリー、サムスンなどのグローバル企業も進出している。07年に3800万人だった携帯電話ユーザーも、今ではその3倍近く。イベント・調査会社のインフォーマーテレコムズ&メディアによると、アフリカの携帯電話契約者7億5000万人のうち14%がナイジェリア人で、うち400万人以上はスマートフォンを所有している。
通信がダウンしたときのために、携帯を複数所有する人もいる。
とはいえ、ナイジェリア経済は岐路に立っている。資源産業に依存し過ぎて、ほかの産業が育たない「資源の呪い」だ。しかも世界銀行によれば、石油で得られる利益の80%は人口の1%の富裕層が独占している。
石油への依存は農業と軽工業の軽視につながり、国家統制的なモノカルチャー経済に傾いてしまった。かつてはカカオ、落花生、ゴムの輸出国だったが、今は年間110億ドル相当の食料を輸入している。
危うい石油輸出国の地位
この国が生き延びるには経済の多角化が不可欠で、とりわけ農業部門の近代化が必要だろう。
まだ自耕自給的な農家が多く、耕作可能な土地の半分も活用されていない。それでもナイジェリアは中国に次ぐ世界第2位の柑橘類の生産国だ。化粧品の原料となるシアナッツも、うまく事業化すれば年間20億ドル規模の市場に育つ可能性がある。
一方、外国企業は新たな脅威にも対処しなければならない。
イスラム教徒が多数を占める北部地域で2年ほど前から勢力を伸ばしているイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」の存在だ。ボコ・ハラムは昨年だけで約800人を殺害したといわれる。
外国人も狙われ、昨年12月にはカドゥナの再生可能エネルギー関連事業で働いていたフランス人エンジニアが誘拐された。今年2月には、建設現場から7人の外国人が誘拐された。
フランスの石油・ガス会社トタルは最近、駐在員をアブジヤから南部のポートハーコートに移動させた(石油産出地を抱える南部各州でも、誘拐事件や石油泥棒は頻発しているが)。
それでも外国資本は、未踏峰を目指すアルピニストのようにナイジェリアを目指す。「そこに市場があるから」だ。【3月12日号 Newsweek日本版】
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【経済発展から取り残された市民は、ごみ捨て場に住んでいた】
確かに絶対数が増加する中間所得層に支えられた消費市場は拡大していますが、やはり“石油で得られる利益の80%は人口の1%の富裕層が独占”する結果、“国民の約70%は貧困層”というマイナス面に目がいってしまいます。
****ナイジェリア:「ゴミ箱」が家 進む開発、広がるスラム****
ゴミ捨て場に軒を並べるバラック小屋。その間を子どもたちが歩く。豊富な石油資源を背景に経済成長を続けるアフリカの大国・ナイジェリア。最大都市の旧都ラゴスでも大規模な都市開発があちこちで進む。だが、周縁には多くのスラムが広がり、今も膨らみ続けている。
中でも最も劣悪な環境に置かれたスラムは「ゴミ箱」を意味するダストビンという名が付いていた。日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさん(57)が11日午後(日本時間同日夜)、この地を訪れた。「貧富の差」を縮める手はどこに。
ナイジェリア:「仕事あれば故郷に」 旧都に100スラム
「ダストビン」(ごみ箱)と呼ばれるスラムがある旧都ラゴス南部のジュグンレ地区。経済発展から取り残された市民は、ごみ捨て場に住んでいた。
都市の名前の由来にもなったラグーン(潟湖)から西に約7キロ。足元はごみで埋め尽くされ、むせるような暑さの中で異臭が鼻をつく。そんな場所に粗末なトタン屋根のバラック小屋が連なる。食料品などを並べて「商店」として営業する小屋もある。
妻と4人の子どもと暮らすモハメッド・フセインさん(37)は17年前に同国中西部ナイジャー州から移り住んだ。日雇いの運転手で月収は1万6000ナイラ(約1万円)程度。「好きでここで暮らしているわけじゃない。故郷に仕事があれば帰りたいよ」と嘆く。
アフリカ最大の産油国であるナイジェリアは、石油輸出国機構(OPEC)加盟国の中でも7位の産油量を誇る。国家歳入の7割を石油関連産業に依存しており、貿易では輸出総額の9割を石油産業が占めている。
油井発見から約半世紀。石油依存が進んで一大産業だった農業は縮小し、職を求める人々は富と金が集まる都市に流入し続けた。だが、都市部の雇用機会は限定的。安定した収入を得られない低所得者層は劣悪な環境に集中した。ダストビンはその典型だが、ラゴスには同様のスラムが100以上あるという。ちょうど今、衛生状態が悪化する雨期に入ろうとしている。
11日午後(日本時間同日夜)、日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさん(57)はこの地区を巡り、「こういった環境は乳幼児の死亡率を上げる一因。人々がここから脱出できるような支援が必要だ」と訴えた。【4月12日 毎日】
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【「毎日たくさんの子どもたちがやってきて、住みつく。手助けしようにも追いつかない」】
経済・社会のひずみは、社会的にもっとも弱い層、子供に大きな犠牲を強いています。
****ナイジェリア:路上生活の子10万人 成長で広がる格差****
◇暴力、犯罪の温床にも
すし詰めになった乗り合いバスや長距離バスがひっきりなしに入ってきては、人々をはき出す。その人の波を縫うように、飲み水を売り歩いたり、頭に大きな荷物を乗せて運ぶ駄賃稼ぎの子どもたちがいた。中には5〜6歳にしか見えない子もいる。
アフリカ最大の人口2000万人に達したとの説もあるナイジェリアの旧都ラゴス。この街に暮らすストリートチルドレンは10万人を超えたと言われる。
豊富な石油資源を背景に経済成長を続けるナイジェリア。首都の地位を譲った後も商業の中心であるラゴスには人口流入が続く。中でも最大のバスターミナルがあるオショディ地区は、玄関口として多くの人が集まる。
地区の男性自治会長、パスト・オグンラナさん(67)は両手を振り上げながら説明した。「毎日たくさんの子どもたちがやってきて、住みつく。手助けしようにも追いつかない」
そんなストリートチルドレンには、仲間たちだけのルールがあった。
◇
地元NGO「チャイルドライフライン(CLL)」が運営する郊外の少年保護教育施設。エマニュエル・サリー君(12)も、オショディで約1カ月路上生活した後、ここで暮らすようになった。
路上生活中は年長のリーダーの指示で、バス乗降客らの荷物運びを稼ぎ口にした。受け取れるのは1日50〜100ナイラ(約30〜60円)。だが、全額リーダーに渡す。代わりに食事のビスケットを受け取る。それがルールだった。
母と兄弟3人で東部の州から叔母を頼って来たが、学校に行かせてもらえず、家を出た。
路上では、顔や頭を毎日のように殴られたという。「誰に?」「なぜ家を出たの?」。質問を重ねると、大きな瞳が潤んだ。
施設の職員が代わりに語った。「子供たちは多くを語らないが、親に追い出されたり、自分で稼ぐよう命じられたケースも多い」
◇
CLLは市中心部でも一時保護施設を運営し、毎月、少年少女が400人以上連れてこられる。男性プログラムマネジャーのマチルコ・ボイさん(36)は「路上生活が長引くほど集団から引きはがすのは難しくなる。そのため早期保護が不可欠だ」と語る。【5月13日 毎日】
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【政府軍によるボコ・ハラム鎮圧作戦も苛烈になっている】
腐敗、貧困と並んでナイジェリアの負のイメージを構成するのが“テロ”
イスラム過激派「ボコ・ハラム」に対して、政府軍側も熾烈な鎮圧作戦を行っているようです。
*****ナイジェリア:政府軍と武装組織交戦 市民も多数犠牲に****
AP通信によると、西アフリカ・ナイジェリア北東部バガで19日、政府軍とイスラム過激派「ボコ・ハラム」とみられる武装組織が交戦、21日までに少なくとも185人が死亡した。一般市民も巻き込まれ、犠牲になったとみられる。
バガはチャド、カメルーンとの国境地帯に位置し、チャド湖に面した漁業の町。AP通信が報じた軍高官の話によると、ボコ・ハラムが立てこもったモスク(イスラム礼拝所)を軍が包囲、ボコ・ハラム側は機関銃やロケット砲で応戦した。
ボコ・ハラムはナイジェリア北部を中心に、キリスト教会や政府機関へのテロ攻撃を続ける過激派で、フランス軍が軍事介入して掃討作戦を続けるマリのイスラム過激派との連携も指摘される。ナイジェリアでは2009年以降、ボコ・ハラムの攻撃による犠牲者が1000人を超えている。
一方、政府軍によるボコ・ハラム鎮圧作戦も苛烈になっている。ボコ・ハラムの本拠地である北東部マイドゥグリでは昨秋、政府軍による多数の民間人射殺が報じられており、巻き添えになった可能性もある。【4月22日 毎日】
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これまでもいくどか取り上げたボコ・ハラムのテロ活動は、クリスマスに教会に集まるキリスト教徒を狙ったテロなど、卑劣で腹立たしいものがあります。
ただ、そうしたテロ活動が根深く存在する背景には、単に宗教的な狂信というだけでなく、スラムでの生活やストリートチルドレンを国民に強いる政治・経済・社会のひずみ・問題も存在しているように思われます。