孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アフガニスタンとイラク 「9.11」後の「テロとの戦い」が生んだ現在の混乱

2016-09-14 21:57:33 | アフガン・パキスタン

【9月13日 朝日】

テロを止めるはずだった戦いが、テロの連鎖を生んでいる
昨日ブログでは、「9.11」がアメリカ国内に残しているサウジアラビア政府の関与に関する疑惑に関する話題として、「9.11法案」を取り上げました。

今日は、アメリカが「9.11」を受けて突き進んだ「テロとの戦い」の結果としての、アフガニスタンとイラクの現状に関する話です。

「9.11」が2001年に起き、“テロの容疑者としてアルカーイダ関係者を引き渡すように要求した。しかしターリバーン政権はこれを拒否したため、アメリカと有志連合諸国は国際連合安全保障理事会決議1368による自衛権の発動として攻撃を開始し、北部同盟も進撃を開始した”【ウィキペディア】という流れで、タリバン政権の崩壊、その後のタリバンの復活・攻勢を経て現状に至っています。

オバマ大統領は、何とかこのアフガニスタンの泥沼から抜け出そうとしていますが、タリバンの攻勢が収まらないことから撤退スケジュールが後退していることは周知のところです。

最近もタリバンのテロ・攻勢が連日報じられています。

****アフガン国防省前で連続爆発、24人死亡****
アフガニスタンの首都カブールで5日夕、国防省前で2度にわたって爆発があった。アフガン保健省によると、国防省職員ら少なくとも24人が死亡、90人以上がけがをしたという。反政府勢力タリバーンが犯行声明を出した。
 
地元メディアなどによると、国防省前で1度目の爆発があり、警官らが駆けつけたところで2度目の爆発が起きたという。自爆テロとみられる。現場は当時、帰宅中の同省職員や通行人で混雑していた。カブールでは治安当局の建物や車両を狙ったテロが相次いでいる。【9月6日 朝日】
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****<アフガン>国際NGO事務所を襲撃 1人死亡、6人負傷****
アフガニスタンの首都カブールで5日夜、3人の武装集団が国際NGO(非政府組織)「ケア・インターナショナル」の事務所を襲撃し、治安部隊と銃撃戦になった。内務省によると、少なくとも1人が死亡、6人が負傷した。
治安部隊は約11時間後、武装集団全員を殺害した。

カブールでは5日、国防省付近で自爆テロがあったばかりで、治安の悪化が深刻化している。
犯行声明は出ていないが、外国人を敵視する旧支配勢力タリバンなどの武装勢力が関与している可能性がある。【9月7日 毎日】
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****南部の州都、陥落寸前=タリバン猛攻で市街地戦場に―アフガン****
アフガニタン南部ウルズガン州で8日、反政府勢力タリバンが州都タリンコートに猛攻を加え、市内で激しい銃撃戦が展開された。地元警察によると、複数の検問所が突破され、州知事の官舎から1キロほどの地点までタリバンが迫った。
 
州政府によれば、タリバンによる攻撃はここ3日間ほど散発的に続いていたが、8日朝になって本格化。タリバンの戦闘員多数が市北部の防衛線を突破し、市街地になだれ込んだ。州知事ら政府高官は郊外にある空港まで撤収し、中央政府に援軍と空爆による支援を要請した。【9月8日 時事】
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テロも深刻ですが、最後の“州都が陥落寸前”ということになると、現在のアフガニスタン政府の今後も危ぶまれる話にもなります。米軍撤退どころの話ではありません。その後どうなったのか・・・については、情報がありません。

“今年5月末の時点で軍・警察の力が及ぶのは国土の66%(駐留米軍調べ)。残りはタリバーンなど武装勢力側にある。”とも。

なお、ウルズガン州タリンコートというのは、6月30日ブログ“アフガニスタン 警察幹部に深刻な「少年遊び(バチャ・バジ)」 タリバンの「ハニートラップ」”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160630で取り上げた場所です。

「少年遊び(バチャ・バジ)」などにうつつを抜かしているから・・・などと言うつもりもありませんが、タリバンの攻勢を許しているアフガニスタン治安部隊の士気の低さ・綱紀の緩みを象徴するような話ではあるでしょう。

****タリバーン、再び伸長 アフガンでテロ増 学校にも武装集団 9・11から15年****
2001年9月11日の米同時多発テロを機に、米軍主導でアフガニスタンのタリバーン政権への攻撃が始まって15年。

タリバーンは政権を追われたが、反政府勢力として戦闘を続け、支配地域を再び広げつつある。自爆攻撃や襲撃の件数は今年上半期だけで約1万件。テロを止めるはずだった戦いが、テロの連鎖を生んでいる。
 
地面には黒焦げの車爆弾の残骸が散らばり、周囲の塀は幅25メートルにわたってなぎ倒されていた。アフガニスタンの首都カブールにある大学。8月24日、ここを武装集団が襲い、学生ら16人が死亡した。

15年続く「対テロ戦争」の足元では、反政府勢力のテロが教育の場にも及んでいる。テロの犠牲者の多くは戦いとは無縁の市民で、これまでに3万人以上が命を奪われた。
 
同大学は米国が支援し、外国籍の教員が多い同国最高峰の教育機関。「親米路線」を象徴する施設だ。武装した男らは監視が手薄な校舎の裏側に回り、ゲートで警備員(35)を射殺。構内に侵入するために外壁を車爆弾で爆破した。
 
構内に入った男らは銃を乱射し始めた。校舎には数百人がいた。2階にいた学生らは教室のドアを机で塞いだが、手投げ弾で破られた。室内にいた学生は頭を撃ち抜かれ、多くが窓から飛び降りて足を折った。(中略)

襲撃したのは誰なのか。実行犯の一人は犯行時、「大勢殺した。これで天国に行ける」と喜びを口にしたという。南部カンダハルのなまり。タリバーンの本拠地だ。
 
実行犯が現場に残した携帯電話の履歴からは別の組織の影も浮かんだ。交信先は隣国パキスタンの国境地帯。一帯を地盤とする過激派の報道官は、朝日新聞通信員に「引き続き大学や女性が学ぶ教育施設を狙う」と警告し、タリバーンとのつながりも示唆した。

 ■治安・政情、不安続く
米同時多発テロから15年を迎えた11日、オバマ米大統領はワシントン郊外の国防総省で演説し、11年に首謀者の国際テロ組織「アルカイダ」のビンラディン容疑者を殺害したことを「裁きを下した」とし、対テロ戦の成果を誇った。01年からのアフガンのタリバーン政権への攻撃も、同容疑者をかくまっているというのが理由だった。
 
一方、アフガンだけでなく各地で、アルカイダから派生した過激派組織「イスラム国」(IS)の脅威が増している。オバマ氏はテロの脅威が依然としてあるとしつつ、「アルカイダやISが米国のように偉大で強い国を負かすことは絶対にできない」とし、「我々は恐怖に屈しない。自由を守り続ける」と語った。

 ■自爆テロで勢い
だが、アフガンは混迷を深めるばかりだ。クラッパー米国家情報長官は今年2月、米上院への報告で「治安悪化が続くアフガンで戦闘が一層激しくなっている」と強調した。
 
原因の一つは治安機能の弱さにある。14年末に国際部隊の大半が撤退し、にわか仕立ての約32万人のアフガン軍・警察が残された。

維持費は国家予算の約6割。財政難で軍用靴の調達だけでも2年かかった。前線に武器や食糧が届かず、待遇で勝るタリバーン側への寝返りや装備の横流しが指摘されている。
 
タリバーンは攻勢を強めている。01年に政権を追われた後、05年ごろから自爆テロを戦術に採り入れ、徐々に勢いを取り戻した。昨年9月には北部の要衝クンドゥズを一時制圧し、今年は全34州のうち半数近くに戦線を広げている。
 
今年5月末の時点で軍・警察の力が及ぶのは国土の66%(駐留米軍調べ)。残りはタリバーンなど武装勢力側にある。

今月初旬にはタリバーン支配地域で最高指導者名の「お触れ書き」が配られたという。「多くの地区を取り戻した今がイスラム法の統治を推し進める時」「外国の侵略者のもとで働く者は覚悟せよ」

 ■和平交渉も決裂
和平の見通しも暗い。10年に始まった交渉は、タリバーン内の意見対立などで幾度も決裂。今年1月にはアフガンとパキスタン、米中の関係4カ国の枠組みで交渉再開を模索したが、タリバーン側が拒絶した。直後の5月、米軍がタリバーンの最高指導者マンスール幹部を空爆で殺害し、決裂は決定的となった。
 
アフガン国防省などによると、15年間の武装勢力側の死傷者は推定約6万人。外国軍やアフガン部隊側はそれを約1万4千人上回る。出口戦略を描けない米政権は昨年、公約の完全撤退を断念。今夏、約8400人の駐留延長を決めた。
 
政情不安も足かせとなっている。14年に発足した最大民族パシュトゥン系のガニ大統領と、タジク人を中心とする旧北部同盟系のアブドラ行政長官の二頭体制は、利害対立で全閣僚の指名に2年弱を要した。政治の停滞が続けば、かつて内戦状態にあった部族間の緊張が再び高まりかねない状況だ。【9月13日 朝日】
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【「サダムはいなくなった。でも今は代わりに1千人のサダムがいる」】
一方、イラク。
2001年の「9.11」の後、アフガニスタン・タリバン政権駆逐の勢いで「テロとの戦い」に突き進むブッシュ政権は2003年2月、イラクに大量破壊兵器があるとの「証拠」を国連で示し、同年3月にはイラク戦争を開戦、4月にはフセイン政権は崩壊しました。

オバマ政権は、2011年12月にはイラク駐留米軍の完全撤退を実現しましたが、その後の「イスラム国(IS)」の台頭に関して、イラク撤退を急ぎすぎたのではないか・・・との指摘もあります。

周知のように米軍撤退後、ISが野火のように勢力を広げ、いまだその支配を終わらせることができず、イラク社会の混乱を招いています。

****イラク首都で車2台爆発、10人死亡 28人負傷****
イラクの首都バグダッドで9日深夜、ショッピングモールの前で車2台が爆発し、少なくとも10人が死亡、28人が負傷した。警察と医療関係者が明らかにした。

警察当局によると、1件は駐車していた車が爆発。もう1件は爆発物を積んだ車を運転する自爆犯が起こしたという。
 
昨年オープンしたばかりのこのショッピングモールは、イスラム教の祭日「犠牲祭(イード・アル・アドハ)」直前の週末で遅くまで店を開けていた。内務省報道官によれば、ショッピングモール内で死者は出ていない。【9月10日 AFP】
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こうした混乱で、市民からはフセイン独裁政権時代の方がよかった・・・との声が出ています。

****フセイン時代、懐古の声 イラク、テロ・汚職に市民失望****
イラクで旧フセイン政権時代を懐かしむ声が広がっている。テロの危険や宗派の分断が広がり、国際的な支援は行き届かない。

米ブッシュ政権が、2001年9月11日の同時多発テロ後の「テロとの戦い」で始めたイラク戦争から13年。市民は希望を失いつつある。
 
バグダッド中心部のバイク修理店主、カドゥム・ジャブリさん(60)は近くのフィルドス広場を通るたびに13年前を思い出す。「なぜあんなことをしたのか。後悔してもしきれない」
 
2003年4月。ジャブリさんは、米軍が到達したと聞いて熱狂する群衆の先頭にいた。広場のサダム・フセイン像を支える土台にハンマーをたたきつけた。
 
イラク戦争は、24年間続いたフセイン政権を倒した。誰かが星条旗を掲げるのをみて、フセイン政権の恐怖が終わると喜んだ。
 
しかし、期待は失望に変わった。テロや武力衝突が続き、街はすさんだ。経済が一向に良くならないのは、政治家の汚職のせいだと感じる。「サダムはいなくなった。でも今は代わりに1千人のサダムがいる」(中略)
 
(07年2月、自宅が空爆で破壊され、13年9月には、同名の指名手配テロリストと間違われて逮捕され、1年半刑務所に入れられたバグダッド市内で肉の路上販売をしているアメル・ジャサム・ハマドさんは)「サダム時代は独裁だったが、夜でも家族と自由に出歩けた。今の政府には何も期待しない。ただ平穏に、安全に暮らしたい」

フセイン政権崩壊後は、少数派のイスラム教スンニ派を中心とするバース党の独裁体制に代わり、多数派のシーア派が選挙で権力を握った。

だが、恩恵を受けるはずのシーア派住民の間にも今、フセイン政権時代を懐かしむ声が広がる。薬剤師の男性(22)は「サダム時代にはルールさえ守れば安全だった。でも今はルールすらない」と話す。

 ■IS伸長、治安悪化
市民生活に米国がもたらしたはずの民主主義を実感する余裕はない。最大の要因は不安定な治安状況だ。
 
14年6月、過激派組織「イスラム国」(IS)が国内第2の都市モスルを制圧。シーア派に偏重した当時のマリキ政権に反発したスンニ派部族や、フセイン政権を支えた元バース党幹部らが過激派と連携し、勢力を拡大したとみられる。
 
米英の非政府組織(NGO)、イラク・ボディーカウントによると、国内の民間人死者数は14年以降、再び月1千人を超えるようになった。

政府軍はラマディやファルージャなどの都市をISから奪還したが、ISが関与を主張するバグダッド中心部などでの自爆テロは激しさを増している。

原油価格の下落も重なって政府は予算不足で、電力供給や水道など公共サービスも滞りがちだ。市民の暮らしは厳しく、政治家への不信感が高まっている。【9月13日 朝日】
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イラク政府は、ファルージャ奪還に続いてモスル奪還を目指していますが、イラクに根深い“宗派対立”が危ぶまれてもいます。

****民兵が暴走、政府苦悩****
イラク政府は6月26日、ファルージャをISから解放したと宣言した。ISは仕掛け爆弾などを使って抵抗したが、幹部の多くが死亡したり他の拠点に移ったりして、終盤は指揮系統が機能していなかったとみられる。脱出した住民の一人は「IS戦闘員は我々を止めようともしなかった」と証言した。
 
米政府によると、ISの支配地域は、イラク国内で最盛時の半分程度に縮小している。
イラク政府が次に目指すのは、国内最大のIS拠点であるモスルの年内解放だ。(中略)

ただ、イラク政府の苦悩は、「IS後」の統治や治安の回復が見通せないことだ。ファルージャなどでの対IS作戦では、軍と連携したシーア派民兵がスンニ派の住民を虐待したとの報告があり、モスルでの作戦に民兵が参加しないよう求める声は根強い。
 
バグダッドでは7月、比較的安全とされていた中心部のショッピングセンターを狙った爆弾テロがあり、300人以上が死亡。9月に入ってもその近くで爆発が続くなど、ISによるとみられるテロが頻発している。

住民には宗派間の疑心暗鬼が広がっており、ISの拠点がなくなっても治安の回復に結びつかない恐れもある。【9月8日 朝日】
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米国はタリバンを政権から追い払えば民主主義が定着すると考えていたが・・・
かつて旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の訴訟裁判官を務めた多谷千香子法政大教授は、アフガニスタン・中東の混乱の原因について、アメリカの「無知」とパキスタンの「二重基準」をあげています。

****アフガン・中東の大混乱、米国の無知とパキスタンの二重基準が招いた****
2016年9月8日、中東アフガン情勢に詳しい多谷千香子法政大教授が日本記者クラブで講演し、近著『アフガン・対テロ戦争の研究 ― タリバンはなぜ復活したのか』(岩波書店)に基づいて、最近のアフガニスタンやアラブ社会の大混乱について語った。

9.11テロ(米同時テロ)の復讐戦として始まった米国のアフガンでの対テロ戦争は、「パキスタンのダブルスタンダード(2重基準)」と部族が割拠するアフガンの特殊事情を知らない「米国の無知」によって、大混乱を招いたと指摘。

タリバンを離脱したイスラム過激派がIS(イスラム国)との関係を強めている可能性があり、アフガンの内戦が本格化すれば、シリア、イラクの内戦と融合する懸念もあると明かした。発言要旨は次の通り。

(中略)米国によるアフガン・対テロ戦争でタリバン政権が崩壊したが、パキスタンに協力を求めたことで状況が複雑化した。宿敵であるインド・ヒンズー勢力の伸長を警戒するパキスタンは、米国にはイスラム過激派弾圧を約束する一方で、実際はタリバン・イスラム勢力の支援を続けてきた。こうしたパキスタンのダブルスタンダードが「アフガン・対テロ戦争」の背後にあり、混乱に拍車をかけた。

米国はタリバンを政権から追い払えば民主主義が定着すると考えていたが、これは複雑な諸部族が割拠するアフガンの事情を考慮しない無知によるもので、事態は逆に悪化した。

現状は、国内基盤が弱いガニ大統領の下でアフガン中央政府の権限はぜい弱だ。一方でタリバンは中央政府の腐敗や駐留米軍に反発する住民たちの支援を得て、次第に勢力を拡大している。

当初、タリバンのリーダー、オマルは9.11に反対し、オサマ・ビンラーディンをアメリカに引き渡そうとしていたが、アメリカは読み損なった。アル・カイダの大物に標的を絞る作戦に特化していれば、タリバン政権やフセイン政権が存続して社会は安定し、IS(イスラム国)が誕生することもなかったのではないか。(後略)【9月14日 Record China】
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フセイン政権はともかく、タリバン政権の安定存続が望ましいことかには疑問もありますが、少なくとも独裁政権を武力で崩壊させることは容易でも、その後の「青写真」がなければ、いたずらに混乱と市民犠牲を招くだけで、アメリカの力をもってしても「民主国家」建設はかなわない・・・ということは、アフガニスタン・イラク両国の事例が示しています。
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