(12月2日、ジャカルタで、コーランを侮辱したとしてバスキ・ジャカルタ特別州知事の身柄拘束を求めるイスラム教徒の集会(ロイター)【12月3日 産経】)
【「反イスラム」発言の華人知事を在宅起訴】
国民の多くがイスラム教徒であるインドネシアは、イスラム教を国教とするイスラム教国ではなく、キリスト教や仏教など他の宗教も認める世俗国家の立場をとっています、
ただ、国民の約88%という圧倒的多数を占めるイスラム教徒の力は社会のあらゆる分野で大きいのが現実です。
そして近年、次第に社会全体にイスラムを重視する傾向、非イスラム的なものへの宗教的不寛容が拡大する傾向が見られることは、これまでも再三取り上げてきました。
最近では、11月13日ブログ“インドネシア 華人ジャカルタ知事の発言にイスラム強硬派が大規模抗議デモ 宗教的価値観の差”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20161113で、ジョコ大統領の盟友でもある、来年2月の再選を目指す首都ジャカルタ特別州の華人知事の“コーラン、イスラム教徒を侮辱した”とされる発言で、大規模抗議デモが起きるなど、ジョコ大統領も巻き込んだ騒動となっていることを紹介しました。
なお、この華人知事(バスキ・チャハヤ・プルナマ知事)の発言については、以下のように報じられています。
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プルナマ知事は中華系キリスト教徒。
来年2月の知事選に関し、今年9月、キリスト教徒を仲間にしてはならないとするコーラン(イスラム教の聖典)の一節を挙げ、「私に投票して地獄に落ちると思うなら、する必要はない」と発言。
知事はその後謝罪したものの、イスラムを冒涜(ぼうとく)したとして強硬派団体がデモを呼び掛けていた。【11月4日 時事】
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プルナマ知事は警察の事情聴取を受け、ジョコ大統領の指示で早期に結論を出すこととされ、検察当局の扱いが注目されていましたが、検察当局は12月1日、プルナマ知事を刑法上の宗教冒瀆(ぼうとく)罪で、在宅のまま起訴しました。
更に、12月2日にはイスラム強硬派による大規模抗議デモがジャカルタ中心部で2日開かれました。
****知事の「反イスラム」に抗議、大規模デモ インドネシア****
インドネシアのジャカルタ特別州知事が「反イスラム」発言をしたとされる問題で、イスラム強硬派による抗議デモがジャカルタ中心部で2日開かれ、警察によると約20万人が参加した。
デモに乗じて政権転覆を図る動きがあったとして、警察はこの日、退役軍人や民主活動家ら10人を反逆容疑などで逮捕。同知事の盟友であるジョコ大統領も、自らの政権が脅かされかねないとして警戒を強めている。
抗議を受けているバスキ・チャハヤ・プルナマ知事は、同国で少数派の中華系キリスト教徒。来年2月に出馬予定の知事選に関し、国民の9割が信奉するイスラム教をおとしめる発言をしたとして、1日に宗教冒瀆(ぼうとく)罪で在宅起訴された。だが強硬派は納得せず、抗議デモでバスキ氏の身柄拘束を訴えた。
こうした中で反逆容疑で逮捕者が出たため、バスキ氏の盟友として知られるジョコ氏も警戒を強めている。
詳しい容疑事実を警察は明らかにしていないが、逮捕者には野党指導者に近いとされる退役軍人や民主活動家、スカルノ元大統領の娘ラフマワティ氏ら政府に批判的な著名人が含まれている。【12月2日 朝日】
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“スカルノ元大統領の娘”ということは、ジョコ大統領の属する闘争民主党の党首であるメガワティ元大統領の妹になります。
“ラフマワティ氏は政治的に(メガワティ元大統領とは)疎遠で、事件には無関係とみられている。”【12月2日 毎日】とも。
【2日の大規模抗議デモを平穏に収めたジョコ大統領 イスラムへの“すり寄り”も】
“デモに乗じて政権転覆を図る動き”云々がどれほどの信憑性があるかは知りませんが、抗議デモ自体は一人の犠牲者を出すこともなく、平穏に行われました。
これは、警戒を強めたジョコ大統領がイスラム教指導者・メディアとも事前に調整し、自らも集会に出席して、「抗議デモ」ではなく「宗教的礼拝」の形に変容させたことによるもののようです。
その意味では政治的に非常に“うまく対処した”ジョコ大統領ですが、一方で、大統領がイスラムへ“すり寄る”ことで実現した結果でもあり、世俗主義のインドネシア政治の変容にもつながる問題も孕んでいます。
****大統領がデモ「乗っ取り」 世俗主義どう守る****
インドネシアの首都ジャカルタ中心部で12月2日に起きた大規模デモは、1人のけが人を出すこともなく平穏に終わった。反政府運動に発展しかねなかったデモを抑え込んだジョコ政権は、ひとまず国内外の信任を保った。
ジョコ氏ら政権幹部からは自賛の声も目立つが、1998年にスハルト政権が崩壊して以降、最大級の20万人以上が一斉にイスラム教の金曜礼拝に参加した行為は、特定の国教を持たない世俗主義国家のインドネシアにとって「重大な挑戦」と受け止められている。インドネシアは宗教や民族の多様性をどのように維持し、守っていくのだろうか。
■一緒に祈りささげ「秩序だった行動に感謝」
「インドネシアにおける宗教と寛容と民主主義の自然な調和の証しといえる」。ジョコ大統領は12月8日、バリ島で開いた「バリ民主主義フォーラム」の開会式で、2日のデモについてこう言及した。首都中心部のイスラム教徒による金曜礼拝が、なぜインドネシアが重視する「多様性の象徴」になるのか、という疑問には答えなかった。
もともとデモは、イスラム教の聖典「コーラン」を侮辱したとされるキリスト教徒で中国系のバスキ・ジャカルタ州知事(州知事選に出馬し休職中)に抗議するため、急進的なイスラム教団体「イスラム擁護戦線(FPI)」などが企画した。
同団体などの呼びかけで5万人が集まった11月4日のデモでは、一部が暴徒化して1人が死亡し、数百人が負傷した。2日のデモも、批判の矛先がバスキ氏に近いとされるジョコ氏や政府に向かってもおかしくない状況だった。
ところが、ジョコ氏は2日のデモで、中心部の独立記念塔広場に自ら姿を現した。デモ隊と一緒に祈りをささげ、「秩序だった行動をしてくれて感謝する」とも述べた。まるで政府が主催した行事のようなあいさつだった。
目抜き通りのタムリン通りに警官や治安部隊の姿はなく、イスラム団体のメンバーが食事を配り、ごみ拾いする姿が印象的だった。
イスラム教指導者の説教も「ジョコ氏に感謝しよう」などと政権寄りの話が目立った。主催者側が事前に政権側と念入りに調整した様子がうかがえる。国有企業の従業員を多数動員したとの噂も流れた。
つまり、ジョコ政権が反政府運動に発展しかねないデモを乗っ取り、国民の大多数を占めるイスラム教徒の礼拝に衣替えさせたのだ。
ジョコ氏は、デモで混乱が広がれば海外投資家の心理を冷やし、回復基調にある経済に深刻な影響を与えると十分に理解していた。事前に与野党党首や宗教指導者らと相次いで会談し、デモを抑えることに全力を挙げた。
ジョコ氏は11月30日、デモに関する記者の問いに「礼拝であって、デモではない」と3回も繰り返し強調した。外交筋によれば、各国大使らへはデモの直前に「暴動が発生することはない」と説明した。少なくとも数日前には、完全に事態を掌握できると確信したようだ。
混乱なくデモが終わった背景には、メディアへの働きかけがあったとの指摘もある。インドネシアのメディアは、そろって「Aksi Damai(平和的な行動)」という表現を使い、デモという言葉を避けるようになった。テレビや新聞は「集会が穏健なものになる」とことさら強調し、デモの否定的なイメージを打ち消そうとした。
■「神は偉大なり」イスラム教に傾斜?
ジョコ政権はジャカルタの治安と秩序を維持して国内外の信認を保ったものの、別の懸念が浮上している。インドネシアは特定の宗教に肩入れしない国家のはずなのに、次第に「イスラム教色」を強めているからだ。
ジョコ氏は2日の礼拝が終わった後、3回も「神は偉大なり!」と叫んだ。
インドネシア大統領が公の場で、このような宗教色の強い発言をするのは異例なことだ。
さらに、最近は宗教的な不寛容も不気味な広がりをみせている。8月にはスマトラ島北部で、モスクから流れる礼拝への呼びかけ(アザーン)の音が大きすぎると抗議した中国系の女性が周辺住民に襲撃され、警察が被害者のはずの女性に宗教侮辱の容疑をかけるという事件があった。
国際的な人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は11月、国家警察が少数派であるバスキ州知事を宗教侮辱の容疑者に認定したことを批判する声明を出した。アムネスティは「少数派の宗教や信仰に属する人に嫌疑をかけることが多い宗教侮辱罪は直ちに廃止すべきだ」と主張したが、バスキ氏は12月1日に同罪で在宅起訴された。
2日のデモの後、日系企業も出資する華人系製パン最大手の「ニッポン・インドサリ・コルピンド」がデモ隊に無料でパンを配ったという写真が出回った。貧しい人に施しを与える「喜捨」行為はイスラム教徒の義務のひとつであり、ネット上では称賛の声があがった。
しかし、その後同社が「すべての政治活動に関与していない」と否定すると、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で「それでもムスリムか?」「なぜ寄付をしない」などと批判を浴びた。結局、同社製品をボイコットする呼びかけがネット上で起きて、同社株は一時大幅に下落した。
インドネシアを代表する政治思想家のリザル・スクマ氏(現駐英大使)は、かつて筆者の取材に「インドネシアが抱える最大のリスクは不寛容の広がりだ」と話していた。ジョコ政権は、この国が多大なコストを払いながら守ってきた「多様性」と、真剣に向き合うべき時を迎えている。【12月20日 日経】
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華人知事の“反イスラム”発言批判デモが平穏に行われたことは、宗教的不寛容の拡大が収まったことを示すものではなく、依然としてイスラム重視への傾斜が続いており、ジョコ大統領自身がその流れに身を投じたとも言える状況のようです。
【高まるテロの不安】
一方、イスラム過激派の活動も目立ってきています。
****大統領官邸爆破テロ阻止 厳戒態勢のインドネシア****
インドネシアの首都ジャカルタ中心部にある大統領官邸(イスタナ)に対する自爆テロ計画が実行寸前に阻止される事態が起きた。
インドネシア国家警察は12月12日、反テロ法違反容疑でインドネシア人男女7人を同日までに逮捕したことを明らかにした。
国家警察によると、容疑者たちは大統領官邸に対する自爆テロを計画しており、逮捕者には自爆の実行犯になるはずだった女性が含まれているほか、自爆に使用する予定の圧力鍋を利用した爆弾も押収された。(後略)【12月15日 大塚智彦氏 Japan In-depth】
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ジャカルタでは今年1月14日、中心部目抜き通りで爆弾と銃撃戦によるテロ事件が発生していますが、上記逮捕者は1月のテログループと同一グループとされています。
更に、21日にも。
****<インドネシア>自爆テロ計画の3人を射殺 アジトから爆弾****
インドネシア警察は21日、自爆テロを計画していたイスラム過激派組織を首都ジャカルタ郊外の民家で急襲し、メンバー3人を射殺したと発表した。過激派組織「イスラム国」(IS)の支持者とみて背後関係を調べている。
警察によるとメンバーは摘発に小型の爆弾を投げて応戦。爆弾は不発だったが、アジトの民家からは別の大型爆弾も見つかった。
メンバーは近くの交番で自爆テロを計画していた疑いがあるという。
インドネシアでは今年1月にISがジャカルタの路上で爆破テロを起こし、約30人が死傷した。治安当局は過激派がクリスマスの前後を狙ってテロを起こす可能性があるとみて、全土で警戒を強めている。【12月21日 毎日】
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【「ボレロ」のように高まる社会的緊張 “噴火直前の火山”の状態とも】
インドネシアは、「反イスラム」発言華人知事の選挙戦、底流で進む宗教的不寛容の拡大、イスラム過激派の活動活発化といった“噴火直前の火山”の状態にもあるとの指摘もあります。
****ジャカルタ州知事選に乗じる政治・社会の混乱とテロに苦悩するインドネシア****
12月21日、インドネシアの首都ジャカルタ南郊の静かな村で突然銃撃戦が勃発、国家警察対テロ特殊部隊は反テロ法違反容疑者の男性3人を射殺、1人を逮捕した。4人は警察署を狙った爆弾テロを計画していたという。
クリスマス、年末年始を前にしてジャカルタ市内は警戒警備が厳重になり、緊張感も高まりつつあり、地中のマグマが熱せられ噴火も間近の火山のような熱い空気が漂っている。
ジャカルタは来年2月15日に投票が行われるジャカルタ特別州知事選の選挙キャンペーンの真っ最中なのだが、元来のお祭り好き、選挙好きというジャカルタっ子の性質に加えて、最有力候補だった現職のバスキ・チャハヤ・プルナマ州知事(通称アホック)の「イスラム教を冒涜した発言」に端を発した宗教論争が火に油を注ぎ、知事選対立候補の親である元大統領をも巻き込んだデモや集会、騒乱状態などが相乗効果を生み、社会全体が不安定化している。
それは「まさに噴火前の状態」で、では「噴火」にあたるのが現在進行中のアホック被告の裁判の判決にあるのか、過激派によるテロにあるのか、はたまた12月2日に未然に摘発され事なきを得た「クーデーター未遂」を画策した反政府勢力の動きにあるのか、誰も確かなことはわかっていない。それでいながらバレエ音楽「ボレロ」のように、一定のリズムを刻みつつ緊張が膨れ上がっているのだ。
宗教冒涜罪に問われた知事
「イスラム教を冒涜する発言をした」として「宗教冒涜罪」に問われているアホックは12月13日の初公判で「イスラム教を冒涜したりイスラム指導者を侮辱する意図はなかった。こうした罪に問われること自体がとても悲しい」と述べ、涙をみせた。
その姿をテレビで視聴したジャカルタ市民は同情と哀れみを共有した。ところが裁判所近くで「有罪判決」「即刻逮捕」を声高に訴える白装束の急進派イスラム集団にはアホックの流したのは「偽りの涙」にしか映らなかった。
アホックがスマトラの小さな島の出身者で中華系インドネシア人、キリスト教徒であることから、国民の多数を占めるイスラム教徒の潜在的な反キリスト教心情、インドネシア人の反中国系感情、ジャワ島出身者の地方出身者への差別感情などをフルに利用して煽りたてる急進派イスラム集団のアホック攻撃が今回の騒動のそもそもの発端だった。
アホックの対立候補として息子が出馬しているユドヨノ元大統領や対立候補支持政党を率いるスハルト元大統領の女婿、プラボゥオ党首らの政治勢力がこうした知事選の「異例の盛り上がり」に便乗して「アホック知事の支持政党で与党の闘争民主党」さらに「闘争民主党出身のジョコ・ウィドド現大統領」に揺さぶりをかけることで混乱が複雑化しているのだ。
相次ぐテロやテロ未遂
こうした騒然とした雰囲気の中で12月21日のテロ摘発事件は起きた。射殺されたテロ容疑者は、12月10日に実行前日という際どいタイミングでやはり未然に防がれたジャカルタ中心部の大統領官邸(イスタナ)での爆弾テロ未遂事件で逮捕された容疑者らの関連捜査で浮かび上がったという。
そしてこのテロ容疑者らは今年1月14日に起きた爆弾テロ事件と同じく中東のテロ組織ISIS(自称イスラム国)と関連がある人物から資金提供を受けるなどテロネットワークの存在を浮かび上がらせている。
飽和状態にあるインドネシアの各地の刑務所に収監されているテロ関連服役囚が刑務所内でのイスラム教の礼拝や各種行事を通じてメンバーをリクルートし、出所後に訓練や爆弾製造方法を教育してテロ実行犯に仕立てていくという「テロリストの温床化」が指摘されるなど、テロ問題はまさに「今そこにある危機」となっている。
そうした厳しい局面の中で続くジャカルタ知事選の選挙運動と最有力候補者の裁判。12月20日の2回目の公判で被告アホックに対し検察は選挙運動に「コーランを利用して有権者を惑わした」と主張。
裁判所前ではアホック支持派と反アホック派がにらみ合った。アホック支持派には選挙区ジャカルタの一般市民が多数含まれているのに対し、アホックの即時逮捕を訴える反知事派は選挙区外の地方から交通費や日当をもらって参加しているイスラム教徒が多数含まれている、といわれている。
つまり「純粋は選挙運動ではなく、アホック候補を潰そうとする政治勢力による動員という政争に利用されているのが実態」(地元紙記者)というのだ。
2月15日の投票日前に判決が予想されるが、アホックが有罪ならジャカルタ市民、与党が怒るし、無罪ならイスラム急進派、野党勢力が騒動を起こすのは確実とみられるなど、判決結果に関係なくジャカルタには波乱が待ち構えている。
そうした波乱が騒乱に発展し、社会秩序が不安定化するのをテロリストや反政府運動組織が虎視眈々と手ぐすねを引いて待っている、というのが現在のジャカルタだ。
そこで問われるのがジョコ・ウィドド大統領の手腕となる。与党闘争民主党は、インドネシアの多数を占める穏健なイスラム教徒や経済活動の重要な役割を担う中国系インドネシア人、地方出身者やキリスト教徒などの支持が強いが、複雑で入り組んだ政治勢力、社会階層、宗教構造からなるインドネシアをどうまとめ、国民を納得させることで噴火直前の火山を「鎮める」のか。
ジャカルタ、そしてインドネシアは年末年始から目が離せない状態となる。【12月22日 大塚智彦氏 Newsweek】
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