(【4月16日 BBC】 タリバン支配地域のある小学校での女子教育 「厳しい人もいる」なかで本当に女子教育が認められるのか? 他の地域では成長した少女の授業参加が認められていないとの報告もあるようですが・・・)
【「無条件で撤収する」 アフガンへの軍事的関与を断ち切る姿勢を明確に】
アフガニスタンの米軍撤退・和平交渉の件は4月13日ブログで取り上げたばかりですが、ブログ記事をアップした直後にニュースを確認すると、9月11日撤退という記事が。
****米軍、9・11までにアフガンから撤退 和平はなお遠く****
バイデン米大統領がアフガニスタンに駐留している米軍の9月11日までに完全撤退させることを決めた。米政府高官が13日、明らかにした。当初の撤退予定より約4カ月延びたが、実現すれば米国は19年以上続く紛争から撤収することになる。
ただ、反政府勢力タリバーンによるアフガン政府軍への攻撃が続いており、和平実現の見通しは立っていない。
米政府高官は記者団に、「バイデン氏は綿密に政策を検証した末、アフガニスタンに残る部隊を撤収し、戦争を終わらせると決めた。撤退を秩序立てて進め、9月11日の(同時多発テロから)20周年までに、すべての米軍をアフガニスタンから撤退させる計画だ」と語った。14日にもバイデン氏が公式に発表し、関係国にも意向を伝える方針だという。
9月11日は、米国がアフガニスタンに軍事攻撃するきっかけとなった2001年の同時多発テロから20年目にあたり、撤退実現を強く印象付ける節目になる。
撤退時期を巡っては、トランプ前政権が昨年2月に反政府勢力タリバーンと合意を結び、今年5月1日までの完全撤退を約束した。合意後、タリバーンは駐留米軍への攻撃こそ止めたが、アフガン政府軍への攻撃は続行。治安混迷を懸念したバイデン氏が、残る約2500人の駐留米軍の撤退延期を検討していた。
一方、タリバーンはバイデン氏の判断に先立ち、撤退延期は「合意違反になる」と反発。3月26日付の声明で「(米国は)責任を問われることになる」と警告し、駐留米軍への攻撃再開を示唆していた。
また、撤退が5月から9月に延びても、現地の治安が回復する見込みは薄い。むしろ米軍の撤退でタリバーンが勢いづき、アフガン政府軍が劣勢に立たされる事態が現実味を帯びる。
それを避けるには、米国がタリバーンとアフガン政府の仲を取り持ち、停戦を実現させられるかが焦点となる。今月24日にはアフガニスタンの和平に向けた国際会合がトルコで予定されている。それまでに米国は、タリバーン人脈を持つパキスタンなどを介して、タリバーン執行部の懐柔を図るものとみられる。【4月14日 朝日】
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“タリバンの報道担当者は14日、駐留米軍の完全撤退先送りを受け「外国部隊が祖国から完全撤退するまで、アフガンについて決定を下すいかなる会議にも参加しない」とツイッターに投稿した。”【4月14日 共同】とのことですが、このあたりは今後の水面下の交渉次第でしょう。
ただ、撤退延期に反発するタリバンが硬化すれば、混乱が更に深まる可能性も指摘されています。
****タリバン、米軍撤収延期に反発必至 和平交渉にも暗雲****
米国がアフガニスタン駐留軍の撤収期限を5月1日から9月11日に延期したことで、イスラム原理主義勢力タリバンが反発を高める公算は大きい。和平合意に基づき5月1日までの米軍撤収を強く要求してきたためだ。国内で攻勢を強め、アフガン政府との恒久停戦に向けた協議が暗礁に乗り上げる可能性が高い。
タリバンはこれまで繰り返し米軍の撤収延期を牽制(けんせい)しており、3月下旬の声明では、米軍が撤収期限を順守しなければ「合意違反」だとして戦闘を続けると警告していた。
タリバン報道担当者はツイッターで「全ての外国部隊が完全撤収するまでアフガンに関する決定を下す全ての会議に出席しない」とも主張した。
タリバンとしては政府の後ろ盾の駐留米軍が完全に撤収すれば、野望である全土支配が現実味を帯びることから、早期の撤収を進めさせたい考えがあった。
アフガン地元メディアが2月に発表した調査結果によると、既にアフガン全土の52%を支配下に置いている。攻勢に押されて、政府軍が軍事拠点を放棄した地域もあるほどだ。
バイデン米政権は政府とタリバンが参加する暫定政権を構築し、国内の安定につなげたい考えだが、態度を硬化させたタリバンは交渉よりも戦闘継続を選ぶとみられる。
暫定政権には権力を手放したくないアフガンのガニ大統領も消極的とされ、実現のハードルは高い。
ガニ政権は幹部間の対立もあり、国内の主導権を握ろうとするタリバンに対し、一枚岩になり切れていない。政府軍の士気の低さも深刻だ。米軍が完全に撤収すれば政権の求心力低下は避けられそうになく、国内の混乱は深まりそうだ。【4月14日 産経】
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もっとも、アメリカ・バイデン政権は、そうした今後の成り行きに関わらず、9月11日には撤退するとのこと。
****米、アフガン戦争に幕=9月までに駐留軍を完全撤収―政権高官「目的達した」****
(中略)米軍撤収後にアフガン情勢が不安定さを増すのは必至で、同国が再び内戦状態に陥り、テロ組織の温床となる可能性は否定できない。
トランプ前政権は反政府勢力タリバンと結んだ和平合意で、5月を米軍撤収の期限としていた。バイデン政権はその延期を決める一方、タリバンが合意事項を履行するかどうかにかかわらず、「無条件で撤収する」と表明。アフガンへの軍事的関与を断ち切る姿勢を明確に示した。【4月14日 時事】
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言い方を変えれば、「あとは野となれ山となれ」というようにも聞こえますが・・・。
軍事的関与は断ち切っても「米国はアフガンの確固たるパートナーであり続ける」とは言っていますが、アフガニスタン政府自体がタリバンの攻勢で崩壊したら・・・米軍撤退後の南ベトナムの運命も連想されます。
****アフガン撤兵後も「確固たるパートナー」 米国務長官が協力約束****
アフガニスタンを訪問していたブリンケン米国務長官は15日、今年9月11日までに米軍が同国から撤退した後も「米国はアフガンの確固たるパートナーであり続ける」と述べた。
2001年に米同時多発テロを起こした国際テロ組織アルカイダに触れ、「アフガンでのアルカイダの脅威は著しく低下した」として、米軍撤退の正当性を強調した。
バイデン政権がアフガンからの軍撤退計画を発表したことを受け、ブリンケン氏は予告なしに首都カブールを訪問しガニ大統領と会談した。会談後の会見では、米国がアフガンの治安部隊への支援に加え、外交や経済、人道などの分野でも支援を続けると説明。ガニ氏は米国の決定を尊重する意向を示している。
一方、旧支配勢力タリバンは15日の声明で、20年2月の米国との合意で定められた米軍の撤退期限である5月1日までの撤退を改めて要求。9月までの駐留延長は「合意違反」だとして、「必要な対抗措置を取る道が開かれる。すべての結果への責任は米国にある」とけん制した。
こうしたタリバンの反発についてブリンケン氏は記者会見で、「タリバンは、彼らが政治的なプロセスを拒否し武力で権力を握ろうとすれば、それが正統性を得ることは決してなく、長続きしないということを認識することが重要だ」と述べた。【4月16日 時事】
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【「以前のタリバンと現在のタリバンは同じ」「当然ながら人員が変わった。厳しい人がいれば、穏やかな人いる。」】
この混乱の根源は、4月末の期限をタリバンに約束したトランプ前政権にある訳ですが、今更それを言っても・・・
トランプ前政権にしろ、バイデン政権にしろ、「これ以上アフガニスタンに引きずられるのはもううんざりだ。その義理もない」というアメリカの本音も理解はできます。
また、アフガニスタン政府が崩壊したとしても、それはまっとうな統治ができなかったアフガニスタン政府の「自業自得」でもあります。
ただ、気になるのは、確実にタリバンの影協力が強まる、あるいはタリバン新政権ができるというなかで、アフガニスタン国民の生命・生活はどうなるのか・・・ということです。
ベトナムでも、新政権の支配を恐れた人々が大量の難民となって国外に逃亡しましたし、国内で厳しい運命に直面した人々も。
とりわけ、旧タリバン支配を考えると、住民の半数を占める女性の権利はどうなるのか?という点が危惧されます。
旧タリバン支配のもとでは、女性は一人で外出すらできない極端な制約下に置かれました。もちろん女子教育も崩壊しました。
タリバンがどういう政治を考えているのか・・・その参考になる記事が。
****「私たちが戦争に勝ち、アメリカは負けた」 アフガンのタリバン、BBCが取材****
アフガニスタンで、反政府武装勢力タリバンの支配地域まで車で移動するのは、そう時間がかかることではない。北部の都市マザーリシャリーフを出発し、爆弾でできた道路わきの大きなくぼみの横を通りながら30分ほど進むと、バルフ州の影のトップ、タリバンのハジ・ヘクマト氏に会うことができた。
香水をつけ、黒のターバンを巻いたハジ・ヘクマト氏は、1990年代にタリバンに加わったベテランのメンバーだ。当時はタリバンが、アフガニスタンの大部分を支配していた。
タリバンは私たちに武力を誇示した。道路の両側には重武装の男たちが立ち並び、携行式ロケット弾発射装置を手にした男や、米軍から奪ったM4ライフル銃を持つ男もいた。バルフ州はかつて、国内でも状況が安定している地域だったが、今や最高度に暴力的な場所となった。
残忍なことで知られる、地元部隊のバリアライ司令官は、道路を指差すと、「政府軍は主要市場のそばまで来ている。だが基地からは出られない。この地域はムジャヒディン(イスラム聖戦士)のものだ」と話した。
こうした状況は、アフガニスタン各地に共通する。都市や大きな町は政府が掌握しているが、タリバンはそれを取り囲むように位置し、地方の大部分で存在感を示している。
主要道路では随所に検問所が置かれ、タリバンの支配地域であることを示している。メンバーらが通行する車を止め、質問している。そのそばで、タリバン情報機関の地元トップ、アーミル・サヒブ・アジマル氏は、政府とつながりのある人物を探していると話した。
「拘束して捕虜にする」と彼は言う。「裁判所に引き渡し、それからどうなるかは裁判所が決める」。
タリバンは、自分たちが勝利したと確信している。ハジ・ヘクマト氏は緑茶を飲みながら、「私たちが戦争に勝ち、アメリカは負けた」と断言した。駐留米軍の完全撤退の期限を、昨年合意された5月1日を超える9月に延ばすとジョー・バイデン米大統領が決定したことに、タリバンの政治指導層は激しく反発している。勢いづいているのは、タリバン側のように思える。
「私たちはあらゆる事態に対応できる」と、ハジ・ヘクマト氏は言う。「和平の準備は完全にできているし、ジハード(聖戦)の準備も完璧にできている」。隣に座っていた司令官も、「ジハードは信心の行為だ。信心はいくらやっても飽きない」と話した。
タリバンの「ジハード」にはここ1年、矛盾がみられた。アメリカとの合意に署名後は、国際部隊への攻撃をやめた。一方で、アフガン政府との戦闘は続けた。だがハジ・ヘクマト氏は、矛盾はないと主張する。
「私たちは、シャリア(イスラム法)で治めるイスラム政府を望んでいる。この要求を相手側が受け入れるまで、私たちはジハードを続ける」
タリバンが国内の他の政治勢力と権力を分け合うかは、カタールにいるタリバン政治指導者らの判断に従うと、ハジ・ヘクマト氏は話す。「どういう決定が出ようと、私たちは受け入れる」と、彼は繰り返し言う。
タリバンは自らを、単なる反政府グループではなく、次の政府と考えている。自分たちのことを、1996年から米同時多発攻撃の後に権力を失うまで使っていた名称「アフガニスタン・イスラム首長国」と呼ぶ。
現在、タリバンは「影の」体制を洗練させ、支配地域ではタリバン関係者らが、日々の住民サービスを監督している。ハジ・ヘクマト氏は、現地を回りながらその様子を紹介してくれた。
訪れた小学校では、教室いっぱいの少年少女たちが、国連から贈られた教科書に書き込みをしていた。タリバンは政権を握っていた1990年代、女性が教育を受けるのを禁じた(タリバンはしばしばこれを否定する)。現在も他の地域においては、成長した少女の授業参加が認められていないとの報告が出ている。しかし少なくともここでは、タリバンは女性への教育を積極的に奨励していると話す。
「ヒジャブ(イスラム教徒の女性が使うスカーフ)を着けている限り、勉強は大事だ」と、タリバンの地元教育委員会の責任者、マウラウィ・サラフディン氏は言う。中学校では女性教師だけが認められるが、ベール着用は義務だと彼は説明する。「シャリアに従っていれば問題はない」。
地元の情報源の話では、タリバンは学習カリキュラムから芸術と公民の授業を取りやめ、代わりにイスラム教関係の科目を加えた。しかしそれ以外は、国のカリキュラムに沿っているという。
では、タリバンのメンバーらは自分の娘を学校に通わせているのだろうか。「私の娘はとても小さいが、成長すれば学校とマドラサ(イスラム宗教学校)に通わせる。ヒジャブとシャリアが採用されていれば問題ない」とサラフディン氏は話す。
職員の給料は政府が出すが、指揮監督権はタリバンが握っている。このハイブリッドな制度は、国内各地でみられる。
救援組織が運営する近くの医療クリニックでも、状況は似ている。タリバンは女性スタッフの勤務を許しているが、夜間は男性が付き添わなくてはならないとし、患者は男女で分けている。ここでは避妊や家族計画に関する情報は容易に手に入れられる。
タリバンは明らかに、対外的なイメージを改善したいと思っている。私たちの乗った車が学校帰りの女の子たちを追い抜いた時、ハジ・ヘクマト氏は気分が高揚したようなジェスチャーを見せ、私たちの想定を裏切ったことを誇らしく思っている様子だった。
だが、女性の権利に関するタリバンの見解には、懸念が残る。タリバンに女性の代表者は1人もいないし、1990年代には女性が家の外で働くのを認めていなかった。
バルフ州の村から村へ車で巡ると、多くの女性が自由に歩き回っているのを目にした。全身を覆うブルカを身に着けていない人もいた。しかし地域のバザール(市場)では、そうした女性の姿はなかった。ハジ・ヘクマト氏は、女性たちが来るのを禁止はしていないと主張し、保守的な地域社会ではどのみち市場には現れないのが一般的だと述べた。
私たちの取材中、常にタリバンが同行していた。私たちが話をした数少ない地元住民は全員、タリバンへの支持と、治安改善および犯罪減少に対する感謝を口にした。ある高齢男性は、「政府が権力をもっていた時は、人々を刑務所に入れ、釈放のためのわいろを要求していた」と話した。「みんなかなり苦しんだ。今のこの状況に満足している」。
タリバンの超保守的な価値観は、地方に行くとあまり大きな摩擦は生まない。しかし、特に都市部では多くの人が、1990年代の残忍なイスラム首長国の復活を狙っているのではないかと恐れている。もしそうなれば、過去20年間に多くの若者が慣れ親しんできた自由が損なわれることになる。
男性住民の1人は取材後、匿名を条件に、取材で話した内容より、実際はタリバンはずっと厳しいと打ち明けた。この男性によると、村人たちはひげを剃ったことで平手打ちされたり、たたかれたりした。音楽を聞いたとして、ステレオを破壊された人もいたという。「みんな言うことを聞くしかない」と男性はBBCに話した。「もっとささいなことも、タリバンは体罰を加える。みんな怖がっている」。
ハジ・ヘクマト氏は1990年代、タリバンのメンバーだった。今回、私たちの周囲をうろついていた若い戦闘員たちは、写真撮影や自撮りをして楽しそうだったが、彼は私たちがカメラを向けると、はじめのうちはターバンで顔を隠そうとした。「昔のくせで」と彼はにやりと笑い、その後に顔の撮影を認めた。かつてのタリバン政権は、写真を禁止していた。
タリバンは政権を握っていた時、間違いを犯したか? と彼に聞いた。タリバンはまた、同じようなことをするのか?
「以前のタリバンと現在のタリバンは同じだ。なので、当時と今を比べても何も変わっていない」とハジ・ヘクマト氏は答えた。「だが」と彼は続けた。「当然ながら人員が変わった。厳しい人がいれば、穏やかな人いる。普通のことだ」。
タリバンは、樹立を目指している「イスラム政府」について、どのようなものなのか意図的にあいまいにしてきたと思われる。内部の強硬派と穏健派の衝突を避けるために、タリバンはわざとそうしてきたとの見方もアナリストの一部から出ている。タリバンは異なる意見をもつ人たちをまとめ、同時に基礎をなす支持者らを引き付けておくことができるだろうか? 権力を掌握するとき、最大の試練が訪れるかもしれない。(中略)
タリバンの進攻を抑えるためには、ここ何年間か、空軍力(特にアメリカの提供によるもの)が非常に重要になっている。アメリカは、タリバンとの間で昨年、合意に署名してから、駐留米軍を大幅に削減してきた。米軍がいなくなれば、タリバンが武力で権力を握るのではないかと、多くの人が恐れている。
ハジ・ヘクマト氏はアフガン政府(タリバン側の呼び方では「カブール政権」)について、腐敗して非イスラム的だとあざ笑う。彼のような人が、立場の異なる国内の人々と和解するとは考えにくい。あり得るとしたら、相手がタリバンの条件を飲む時だけだろう。
「これはジハードだ」と彼は言う。「これは祈りだ。私たちは権力のためではなく、アラーと神の法のために祈る。この国にシャリアをもたらすために。邪魔する者は誰だろうと戦う」。【4月16日 BBC】
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「当然ながら人員が変わった。厳しい人がいれば、穏やかな人いる。」というなかで、女性の権利がどこまで認められるのか? 旧政権で否定された音楽・映画・TV・その他闘犬・凧あげに至るまで、娯楽・文化がどこまで認められるのか? アフガニスタン政府につながりがあるとみなされた人々の「粛清」がどう実施されるのか?
“タリバンの超保守的な価値観は、地方に行くとあまり大きな摩擦は生まない。しかし、特に都市部では・・・”ということで、地方ではむしろ歓迎されるのかも。
タリバンが新政権について“意図的にあいまいにしてきた”こともあって、わからないことだらけです。