(ローマ郊外で、プリーブケ受刑者の遺体の到着に合わせスローガンを叫ぶ支持者 【10月16日 毎日】)
第2次世界大戦中のナチスに関与した人物への追及は、当人が現在は高齢になっている今も続けられており、しばしば話題になりますが、下記記事もそのひとつ。
90歳の元ナチ軍人が終身刑となった・・・というもの。
****90歳元ナチ兵に終身刑=捕虜117人虐殺に関与―イタリア****
イタリア・ローマの軍事裁判所は18日、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるイタリア兵虐殺に関与した元軍人、アルフレッド・ストーク被告(90)に終身刑を言い渡した。ANSA通信が伝えた。
虐殺事件は、世界的なベストセラー小説「コレリ大尉のマンドリン」のモデルともなった。
ストーク被告は1943年、ギリシャのケファロニア島に駐留していたイタリア軍がドイツ軍との戦闘で降伏した後、少なくとも117人の捕虜虐殺に関与したとして裁判に掛けられた。戦闘では約5000人のイタリア兵が殺害されたとされる。【10月19日 時事】
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ギリシャ・ケファロニア島での出来事はよく知りませんが、ニコラス・ケイジが主演した映画「コレリ大尉のマンドリン」の解説によると、以下のとおりです。
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第二次世界大戦下のギリシャ、ケファロニア島。中立のギリシャは攻撃されていたアルバニアでイタリアに勝利しますが、同盟国のドイツが報復し、ギリシャはドイツに降伏。ケファロニア島はイタリアとともに統制されることになります。(中略)
イタリア軍のコレリ大尉は、マンドリンを背負ってケファロニア島にやってきます。プライドの高いドイツ人に対し、イタリア軍は歌を歌ったりバカンスを楽しんだり。連合軍に早く降伏して、イタリアに帰ることを望んでいたりもします。(中略)
ケファロニア島は、実権を握るドイツ軍、駐留するイタリア軍、そして島民であるギリシャ人の三者が共存することになります。
しかし、イタリアは先に降伏し、島から撤退することになりますが、ドイツ軍に武器の提供を迫られ、また、無事イタリアに帰国することができないと悟り、ギリシャ人のパルチザンに武器を提供し、ドイツ軍と対峙します。しかし、破れ、銃殺されることになります。【http://homepage1.nifty.com/mt_hayashi/corelli.html】
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降伏後のイタリア軍がドイツ軍と戦闘を行ったというのも初めて知りました。
イタリアの戦意の低さ、ドイツとの気質の差なども窺えます。
脱税事件で有罪が確定したベルルスコーニ元首相(77歳)は、70歳以上の高齢のため、禁固刑のかわりに社会奉仕活動か自宅軟禁が選択できるそうですが(同氏は社会奉仕活動に従事する見通しと報じられています)、元ナチスの戦争犯罪については、90歳の老人でも終身刑として収監されるのでしょうか?自宅軟禁となるのでしょうか?
いずれにしても、元ナチスの犯罪については、90歳老人の終身刑どころか、死後も糾弾の手は緩められません。
100歳で死去したナチス戦犯の埋葬ができずに話題となっています。
****ナチス戦犯の埋葬先見つからず、葬儀で衝突も イタリア****
イタリアのローマで先週100歳で死去したナチス戦犯、エーリヒ・プリーブケ受刑者の遺体の引き取り先が決まらず、埋葬できない状態となっている。
第2次世界大戦中にナチス親衛隊(SS)の将校だったプリーブケ受刑者は、1944年にローマのアルディアティーネ洞窟でユダヤ人75人を含む335人が虐殺された事件に関与したとされ、戦後に逃亡したアルゼンチンから95年にイタリアへ引き渡された。
98年に終身刑の判決を受けたが、高齢のためローマ市内の担当弁護士宅で拘禁されていた。
■法王庁が教会での葬儀を禁止、ひつぎに唾も
11日にプリーブケ受刑者が亡くなると、ローマ法王庁(バチカン)はローマ市内のカトリック教会での葬儀を禁じる異例の禁止令を出した。
イタリアにあるドイツ軍墓地への埋葬も、戦時中の死者ではないため拒否された。
折しもローマ市は、1943年に市内のユダヤ人居住区からユダヤ教徒の市民1000人以上がナチスに連行され、うち16人しか生還しなかった事件から16日で70年目を迎えようとしていた。追悼式ではイグナシオ・マリオ市長が「(同じく)虐殺に積極的に関与した人物の葬儀を認めることはできなかった」と述べた。
こうした背景を受け、15日に超保守派のカトリック団体がローマ近郊で行おうとしたプリーブケ受刑者の葬儀には数百人が抗議に集まり、「暗殺者」などと叫んで霊柩車を蹴ったりつばを吐きかけるなど混乱が起きた。
抗議デモ参加者と、集会を開こうとしたネオナチ信奉者が衝突したことから警察が葬儀の中止を命じ、ひつぎは車で運び去られた。伊ANSA通信によると、ローマ近郊の空軍基地に保管されているという。
■ドイツ、アルゼンチンでも受け入れ拒否
ローマ県のジュゼッペ・ペコラーロ知事は16日、プリーブケ受刑者の出身国であるドイツ当局に接触を図っていると述べたが、ドイツ外務省報道官は「非公式な接触のみ」で、遺体をドイツに送還したいという「正式な要請はイタリア側から受けていない」と述べている。
またプリーブケ受刑者の出生地である独ベルリン郊外ヘリングスドルフの市長報道官は独rbbラジオに、遺体の受け入れを拒否すると語った。
プリーブケ受刑者自身はアルゼンチンにある妻の墓の隣に葬られることを望んでいたが、アルゼンチン政府が遺体の受け入れを拒んでいる。
政府や自治体が拒否する理由の1つには、埋葬場所がネオナチ信奉者の「聖地」となる可能性を恐れていることがある。
イタリアの法律では、遺体の扱いに関する決定は直系の相続人が下さなければならない。しかしANSA通信によれば、米国とアルゼンチンに住む息子2人はイタリア当局に自分たちの意思について連絡もしていないという。
■「遺言ビデオ」に謝罪も悔悛もなし
一方、プリーブケ受刑者の弁護を担当したパオロ・ジャキーニ弁護士は17日、同受刑者の「遺言ビデオ」を公開した。
アルディアティーネ洞窟での虐殺に関する謝罪や悔悛の言葉は一切なく、抵抗し殺害されたイタリア人パルチザンの非を責めさえする内容だった。
1944年に起きたアルディアティーネ洞窟でのナチスによる虐殺は、ドイツ軍兵士33人をパルチザンが殺害したことに対する報復だった。ナチスは殺されたドイツ軍兵士1人につきイタリア市民10人を殺害。さらに洞窟に迷い込んだ5人も含め、計335人を殺害した。
プリーブケ受刑者は訛りの強いイタリア語で「彼ら(パルチザン)は、報復があることを分かっていて(ドイツ軍を)攻撃した。われわれ(ナチス)による報復が、革命の引き金になると思っていたのだ」と語っている。
また処刑の命令はナチスの総統アドルフ・ヒトラーから直接下されたもので、拒めば自分が撃たれる側になり「非常に恐ろしいことだった」とは述べたが、犠牲者の遺族らへの謝罪の言葉はなかった。【10月18日 AFP】
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“ローマ法王庁(バチカン)はローマ市内のカトリック教会での葬儀を禁じる異例の禁止令を出した”というのも、死んでしまえば善人も悪人も・・・と考えがちな日本人には、やや意外な感があります。
戦時におけるバチカンとナチスの関係は微妙なものがあったようですが、ここではパス。
ドイツ・欧州にあっては、ヒトラーやナチスという犯罪行為の責任を追及すべき対象が明確化、あるいは単純化されていますが、日本にあってはそこが曖昧で、なんとなく“もう済んだこと。昔の話”とされがちでもあります。
敢えてそこに触れることは自虐的、最近では更に反日的ともされる風潮もあります。糾弾されるべき過ちはなかった、不当に非難されているという認識も強まっているようです。
いつまでも収まることのない中国や韓国の日本批判も、そういうところに根差すように思われます。
戦後70年、ドイツと日本の差がハッキリしたことを痛感しています。
国をあげてナチスドイツ時代の負の歴史を反省し、学校でもメディアでも徹底して伝えるドイツと、都合の悪い事は伝えないばかりか「大東亜戦争」肯定論まで出てきている右傾化した日本。
フクシマ事故を受けて原発NO!の意思表示をし、原発推進派を議会から全滅させたドイツ国民と「国民の安全が第一」と脱原発を決めたメルケル首相。
メルケルさんは「ドイツには地震や津波はないけれど、事故は起こりうる」と。
翻って、史上最悪事故の当事者の日本はどうか?フクシマの汚染や危険を隠蔽し、周囲の火山が噴煙を上げる川内原発を再稼働・・。まるで大戦中、全く合理的な判断をせず、思い込みの精神論だけで、反省なく無謀な作戦を続け破局を迎えた戦争犯罪者と同じやり方ではないかと憤りを感じています。
川内原発NO!九州で事故が起きれば日本は完全に終わりです。