(我先に気球に乗り込む乗客 私を含め、だれも安全性のことなど考えていないようにも。もちろん、気球内で自撮り写真をとろうと数人が同じ場所に固まったりすると注意されたりはします。操縦士も自分の命がかかっていますから)
【熱気球に乗る前に書くリストは?】
26日からエジプトを旅行中で、昨日アスワンから列車で中部拠点都市ルクソールへやってきました。
エジプトもこの時期は比較的気温が下がる冬ですので、カイロなどは日中のピーク時以外は長袖の上着があったほうがいいぐらいの涼しさでした。
一方、スーダン国境が近い、と言うかサハラ砂漠の東端にあたるアブシンベルでは、歩いていると頭がクラクラするような暑さでしたが、乾燥しているので汗はそれほどは出ません。(出ない・・という訳ではありません)
アブシンベルから280kmほど北上したアスワンを出発する列車内に表示されていた外気温は“41.2℃”
もっとも、これが正しい観測値なのかどうかはわかりません。なにぶんエジプトですし、車内に冷房が入り駅を出てしばらく走ると37℃台に“下がり”ましたので。
列車がルクソールに向けて北上するにつれ、温度表示も更に下がり、ルクソールに着く頃には32℃台にまでなりました。ただ、これは夕方になったせいでもあり、ルクソールも暑いのには変わりありません。
平均気温で見ても、ルクソールはカイロより5~7℃高いようです。
今朝は4時前に起きて、早朝の熱気球を楽しんできました。
夜明け前後のまだ涼しい時間帯に上空から眺めるナイル川西岸の遺跡群、砂漠のなかに点在する家々など、素晴らしい景観です。
景観もさることながら、熱気球体験は初めてで、気球に乗ること自体、また、熱気球を飛ばすための一連の作業等が非常に興味深いものでした。
最近はあちこちの観光地で熱気球ツアーが行われていますが、これまで体験してこなかったのは、安全性云々ではなく、単に貧乏で高い費用にしり込みしたというだけの理由です。
でも、老い先も短くなって、そろそろ乗ってみようか・・・というところです。
ところで、このルクソールの熱気球は5年ほど前に、日本人観光客4人を含む19人が死亡する大事故を起こしています。
****ルクソール熱気球墜落事故*****
ルクソール熱気球墜落事故は、2013年2月26日(現地時間)にエジプトのルクソールで熱気球が墜落した事故。中略)熱気球事故として史上最多の死者数を出す事故となった。
事故はエジプト首都カイロから南東へ車で約9時間で到達する有名な観光地ルクソール上空で起きた。現地時間午前6時半ごろ、観光客20人と操縦士1人を乗せた熱気球が遊覧飛行を終えて、高度5m前後の着陸する段階で火災が発生した。
出火とともに気球内の空気が一気に暖められて急上昇を始めると、火だるまのエジプト人操縦士が最初に飛び降り(重傷)、高度10メートル付近でイギリス人2人が後に続いて飛び降りた(内1人死亡、1人重傷)。気球が煙を上げながら、さらに200メートルほど上昇する間にも8人が次々と飛び降りた。
その後、飛び降りることが出来なかった10人を乗せたまま、ゴンドラの重量が軽くなったことで急上昇した後、上空300m付近で気嚢が萎み、カンショ畑に墜落した。
乗員乗客合わせて21人のうちの19人(観光客日本人4人、香港人9人、イギリス人2人、フランス人2人、ハンガリー人1人、添乗員エジプト人1人を含む)が死亡し、2人(観光客イギリス人1人と操縦士エジプト人1人)が怪我をした。事故現場から数キロ離れたルクソールの市街地でも爆発音が聞こえたという。
調査
エジプト政府は独立の調査委員会を設置し、事故原因を調べることになった。マダウィ民間航空相は「再発防止策がとられない限り、気球の運航は再開しない」と述べた【ウィキペディア】
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事故当時と今朝と違う点は、私の乗ったバルーンの乗客21~22人のうち14~15人ほどが中国人で、5~6人がアラブ系(エジプト人でしょうか)、そして私・・・ということで、圧倒的に中国人が多かったことです。
それはともかく、「再発防止策がとられない限り、気球の運航は再開しない」とのことでしたが、一体どんな再発防止策がとられたのでしょうか?
バルーンに乗る前、ナイル川を渡る渡し船の中で、乗客全員があるリストの記入を求められました。
記入項目は“名前”ともうひとつ・・・・何だと思いますか?
国籍? 年齢? 滞在ホテル名?・・・違います。
事故時の連絡先?・・・・それは必要なように思えますが、違いました。
正解は“体重”です。
なるほど・・・・確かに、目の前に座っている肉付きがすこぶるいい中年女性と子供では気球への負荷がまったく異なります。
しかし、そうした各自の体重を計算したうえで、家族・グループが一緒に乗れるようにする振り分け(バルーンは8個ほどありました)は至難の業でしょう。コンピュータ入力して専用ソフトが必要です。
果たして、エジプトでそんな面倒なことをするのだろうか?と思ったのですが、案の定、出発現地についたら、体重なんて一切関係なくワラワラと適当に乗り込みます。(そのように見えました)
そもそも、気球ごとに運用会社が違うようにも。そしたら、振り分けなんて最初からありません。
では、あのリストは何のため?
万一事故が起きたときの“重量オーバーしていない”という弁明資料、あるいは調査資料でしょうか?
わかりません。とにかく楽しい体験でした。
【20年前のテロ現場、ハトシェプスト女王葬祭殿】
熱気球体験の後、いったんホテルに戻って朝食・休憩をとって、ナイル川西岸に点在する古代エジプト文明の遺跡観光へ。
王家の谷とかラムセス3世葬祭殿などがありますが、そのなかの一つがハトシェプスト女王葬祭殿です。
名前には覚えもない方も、日本人観光客10人が射殺された20年前のテロ事件があった場所と言えば思い出す方もいるかも。
****ルクソール事件*****
事件現場となった遺跡
ルクソール事件(ルクソールじけん)とは、エジプトの著名な観光地であるルクソールにおいて、1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件。別名、エジプト外国人観光客襲撃事件。
この事件により日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。なお犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された。
事件の背景
イスラム原理主義勢力は、1981年に当時のエジプトの指導者であったサーダート大統領をイスラエルと国交を結んだ裏切り者として暗殺し、さらに1992年ごろからはエジプト国内で政府の役人や外国人観光客らを標的にしたテロを続発させていた。
観光客を標的にしたのはエジプトの重要な歳入源である観光収入をテロによって激減させ、経済に打撃を与え、それに伴う政府への不満をあおって政府を転覆させ、イスラム原理主義政権を樹立させるという企みからであった。
事実、観光客は激減したため、エジプト政府は1995年から観光地の警備を強化し、武装原理主義者の大規模な取締りを行っていたが、1997年9月18日にはカイロのエジプト考古学博物館の前に止まっていた観光バスが襲撃され、ドイツ人観光客ら10名が死亡し、エジプト人15名が負傷するテロが起きた。
この事件の被疑者に対して10月30日に死刑が宣告されており、この裁判に報復する目的で、1993年の世界貿易センタービル爆破事件の首謀者オマル・アブドッラフマーンが組織したイスラム原理主義テロ集団イスラム集団が計画したのが、ルクソールにおけるテロであった。【ウィキペディア】
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当時から、エジプトの基幹産業である観光はイスラム過激派の恰好の標的となってきました。
今日も西岸地区に入る際、私の乗った車のドライバーと検問所の係員が、何やら書類のことでもめていました。何だったかは知りませんが。
ハトシェプスト女王葬祭殿の事件現場はだだっ広いテラスで、ここで狙われると身を隠す場所がありません。
そんなことなども考えながら、クラクラする暑さのなかで観光してきました。
【少数派キリスト教徒をめぐる緊張】
ところで、最近のエジプト関連のニュースはないかと調べると、規模は小さいながらも、大きな危険性を秘めた事件が、ここルクソールでつい最近あったようです。
*****宗派間の衝突(ルクソール)*****
エジプトでは、とくに南部等のコプトが多く、イスラム教も原理主義が盛んな南部では、宗派間の衝突が懸念されていましたが、ルクソールのalmuhaidat という村で、両宗派の村人の衝突が起きて、警察士官1名、警官10名と、村人7名の11名が負傷する事件が起きた模様です。
これを伝えるal arabiya net は、事件の発端はコプトの少女がイスラムに改宗し、家族から暴行を受けたといううわさが広がり、ムスリムの村人がその家の前に集まり、警官が制止しようとしたが、衝突に発展したとのことのようです。
少女の家族は彼女の改宗等を否定して入る由。
事件の後、内務省南エジプト担当の次官補と、ルクソール治安本部長と治安関係者、ルクソール選出議員、地元の長老たちが集まって、事態の収束と再発防止を誓い、事件の責任者の調査と外部からの働きかけがあったのか否か調査をすることになった由。
とりあえずのところは以上ですが、仮にイスラム過激派(例えば最近キリスト教徒攻撃を唱えているIS-シナイ州等)からの働きかけがあったとすれば、エジプトの今後の治安にも重大な問題かと思います
(おそらく小さな村での負傷者11名程度の事件に、これだけ多数の治安関係者や政治家が集まったのは、その辺を懸念してのことかと思われます)【3月26日 「中東の窓」】
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キリスト教徒(コプト教徒)を標的としたイスラム過激派のテロ等については、3月10日ブログ“エジプト ムバラク無罪確定に見る「アラブの春」終焉 トランプ政権との蜜月 キリスト教徒迫害”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20170310でも触れたところです。
キリスト教徒(コプト教徒)対イスラム教徒の緊張に火が付くと、エジプトは悲惨な状況に陥ります。
“負傷者11名程度の事件”という見方自体が、テロに苦しむエジプトの現状を表していますが、もちろんルクソールの街を歩いても、一介の観光客にすぎない私は、そんな緊張感は全く感じません。観光客にうるさくつきまとう、普通の日常生活のように見えます。
ルクソールは観光業で成り立っているような都市でしょうから、最近の観光客減少の影響も大きく、うるさいつきまといも半端ないものがあり、ときに不快感を感じます。
明日は、ナイル川東岸地区の遺跡を観光して、深夜に飛行機でカイロに移動します。
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