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孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  圧政下の停滞経済からタイへの死の密入国

2008-04-19 17:44:58 | 世相

(ミャンマー不法移民 タイのサンクラブリで “flickr”より By asb110273
http://www.flickr.com/photos/asbasb/1461100502/)

10日ほど前になりますが、ミャンマーからタイへの密入国者に関する悲惨なニュースがありました。

****冷凍コンテナに隠れて密入国の54人窒息死、タイ・ミャンマー国境****
ミャンマーとの国境に近いタイ・ラノーン県で9日、冷凍コンテナに隠れてタイに密入国しようとしたミャンマー人労働者ら少なくとも54人が窒息死した。地元警察が10日、明らかにした。
121人が押し込められていた長さ6メートル、幅1.2メートルのコンテナは、冷凍の魚介類の運搬に使用される気密性の高いものだった。
ミャンマー人らは、タイのあっせん組織に1人あたり5000バーツ(約1万6000円)を支払い、密入国を試みたとみられる。【4月10日 AFP】
******************************

121人が詰め込まれたコンテナ、男女54人が窒息死・・・。
なんとも悲惨で、亡くなった方々には申し訳ありませんが、状況を想像する気にもなれない“地獄絵”です。
こうした移民労働者の死亡事故はミャンマー・タイ国境では頻繁に起きているようです。
昨年12月にはミャンマー国境近くで22人のミャンマー人移民労働者が溺死する事故が、また11月には8人が死亡する交通事故が起きているとか。【4月19日 IPS】

関係者の話では、こうした移民労働者たちが携わるのは、水産業、建設部門、ゴムやヤシ油などのプランテーションでの「危険で汚い」仕事です。
地域大国タイではこのような3K仕事をやる労働者は少なくなっているのでしょう。

「長時間労働や低賃金など、代償が大きいにもかかわらず仕事を求めてくるミャンマー人はますます増えている。 合法的な労働を得られると思い込まされているようだ。」
「移民労働者の移送に携わるネットワークがある。一部の事例は明白な人身売買である。」とも。

07年におけるタイ国内の移民労働者は200万人、そのおよそ75%がミャンマー人ですが、労働許可を得て労働当局への登録手続きを済ませている移民労働者は50万人に過ぎないとか。

増加する一方のこうしたミャンマーからの集団脱出の背景には、悪化する一方のミャンマー経済と少数民族に対する軍事政権の暴力があります。
ミャンマー軍事政権は民衆行動の弾圧、“民政移管”という名の実質的軍政維持のため憲法改正などが話題になりますが、国民を危険な移民に向かわせる内政の停滞にも大きな問題があります。

ミャンマーでは、13日から正月行事の“水かけ祭り”が行われました。
タイ、カンボジア、ラオスでも行われるこのエリア共通の行事です。

5人以上の集会を禁じる軍事政権が自由な集会を認める、年に1度の機会でもあります。
また、軍事政権はふだんは人々に民族衣装の着用を推奨していますが、この祭りのときばかりは、ミニスカートの女性やパンクファッションの若者たちが通りを闊歩しているとか。
企業やナイトクラブや裕福な家庭は、歩道脇に「パンダル」と呼ばれる舞台を作ります。
このパンダルではバンドの演奏が行われ、人々はパンダルにのぼって通行人に水をかけあってはしゃぎます。【4月16日 AFP】

昨年の弾圧を受けて介入も予想されましたが、大きな介入はなかったようです。
人々の生活を圧迫している軍事政権による“ガス抜き”でしょうか。

軍事政権が指導するかたちで起草した新憲法案が先月末から報じられています。
国会は地域代表院(定数440人)と民族代表院(定数224)の2院制とし、両院の各議席の25%は国軍司令官が指名する。
(憲法改正には「議員の75%の賛成」が必要とされますので、事実上は軍の同意なしには改正できない仕組みです。)

国家元首は大統領とし、軍人議員と両院の民選議員がそれぞれ選んだ3人の中から全議員の投票で選ばれる。他の2人が副大統領となる。
大統領や議員は「外国から影響を受けていない」ことを条件とし、英国人と結婚していたスーチーさんには立候補資格がありません。
スーチーさんを戴く最大野党・国民民主連盟(NLD)自体の活動も制限される可能性があります。

一方で、数十年にわたり軍政との間で紛争が続いている少数民族に関しては、130以上ある少数民族のうち6つの民族に対し国境沿いに「自治区」を与える内容となっており、少数民族を軍政側に取り込む側面もあります。
このような分断策が功を奏して、昨年の弾圧時に少数民族が僧侶・市民に呼応することはありませんでした。

新憲法案は5月10日には国民投票に付され、来年10月の総選挙後に発効する段取りです。
軍事政権は国営紙や翼賛団体を通じて賛成票を投じるよう国民に働きかけ、締め付けを強めています。
これに対し、NLDや民主化団体は、“軍政が独断で選んだ人物によって起草されたもので、民主主義や人権を保障できるものではない”と反対票を投じるよう呼びかけています。

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チベット  漢族・チベット族の間に横たわる深い溝

2008-04-18 15:37:01 | 世相

(“flickr”より By ~FreeBirD®~
http://www.flickr.com/photos/maniya/2344238039/)

チベットにおける中国の人権侵害の問題については、連日おびただしい報道がなされています。
ただ、その殆どが聖火リレー・オリンピック関係のもの、中国政府・チベット亡命政府・ダライラマから発信されたもの、各国の反応などです。
現地に入って取材活動をすることが制限されているためか、現地で生活する漢族・チベット族の双方が今感じていることを伝える記事はそれほど多くないようです。

そんななかで印象に残った記事が下記の【毎日】の記事。
全文を引用します。

****チベット 憎悪の連鎖に懸念*****
怖い、汚い、後進的。
暴動が相次いだ中国四川省甘孜(かんし)チベット族自治州で、取材した漢族の多くがチベット族にこんな差別感情を抱いていた。

 省都・成都から甘孜県まで小型バスで計18時間かかる。身動きが取れないほど乗客は詰め込まれ、凸凹道を揺られながら進む過酷な道のりだ。 バスにはチベット族14人が同乗していた。床には食べ残しが散乱し、ペットボトルに小便する男性も。みな強い体臭を放っていた。運賃109元(約1600円)。隣席の女性は「年収4000元(約6万円)」。都市部住民には耐え難いこの乗り物も、チベット住民には高額な交通手段なのだ。

 甘孜県では、食堂の漢族女性はチベット族を「ナイフを持つ習慣があって怖い。あまり入浴せず不潔」と嫌った。

一方、チベット族は「漢族は後から来た民族なのに威張っている」と怒る。中国語の発音が聞き取りにくく、何度も問い直すと「国語として学ばされた言葉だから下手なのは当たり前だ」と涙目になった。

貧困の町を高級車が横切った。裕福な漢族に仕えるチベット族の日本車だ。「15万元(約225万円)で買った」と流ちょうな中国標準語で答えた。町の横断幕は「漢族とチベット族は一つだ」と団結を呼びかける。
 
中国の中核をなす漢族と少数民族チベット族の生活格差は歴然としている。漢族に迎合するチベット族は富み、そうでない人は取り残されるシステムができあがっているように思える。漢族の抱く差別感情は、そのままチベット族の「反・漢族」に通じる。憎悪の連鎖が心配だ。【西岡省二】【4月13日 毎日】
********************

“チベット仏教”云々の“高尚”“文化的”な問題とは別に、一般生活者の間に横たわる“怖い”“汚い”“威張っている”といった“生理的嫌悪感”とも言えるような感情、うまく話せない中国語を無理しながら使う悔しさ、時代の波に上手に取り入って“うまい汁”を吸える者とそうでない者・・・差別と憎悪、屈折した思い、そうした両者の心の間に横たわる深い溝が窺われます。

恐らく中国政府は高齢のダライ・ラマが死ぬのを待っているのでしょうが、こうした人々の心に横たわる深い溝は、ダライ・ラマの生死に関係なく続くように思えます。
そしてコントロールの効かなくなった怨念は、過激な抵抗運動となって中国の暗部をえぐり続けるのではないでしょうか。

もうひとつは、今回の騒ぎの発端となった事件を紹介したもの。
該当箇所のみ引用します。

****チベットの声に耳を塞ぐ“親中”福田政権の過剰な配慮【週刊・上杉隆】****
※※日本では報道されないラサ暴動の発端となった事件※※
だが、今回の一連のチベット騒動も、過去の例と同じように、「ダライの扇動」によって始まったのではなく、中国の卑劣な行為が発端となっている。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパ・ツォコ代表が語る。
「日本ではまったく伝えられていませんが、今回のラサでの暴動のきっかけは、ある小さな事件が発端となっているのです」
3月10日、中国のチベット侵略49周年を迎えたこの日、ラサの町は比較的静かであった。確かに、一部でデモが行われるという噂もあったが、中国当局の警戒により、そうした動きは未然に封じ込められていた。そうしたことは例年のことでもあり、ラサ市民もそれほど神経質にはなっていなかったという。
ところが、その朝、バルコルのアーケード近くのラモチェ寺で異変が起こった。5、6人 警戒に当たっていた中国公安部の官憲が即座に僧侶たちを拘束すると、市民の目の前で暴行を加え始めたのだ。僧侶に対しては特別な敬意を抱くチベット人は、そうした光景には慣れていなかった。100人ほどの市民が集まり、固唾を呑んでその成り行きを見守っていたが、一向に暴行は止まない。
ついに激しい懲戒の末、僧侶の2人が意識を失い、微動だにせず地面に臥してしまった。官憲が去った後、市民が抱き起こすとすでに息は絶えていた。
ツォコ代表が続ける。
「この二人の僧侶の死がきっかけとなって、半世紀の間、ずっと我慢し続けていたラサ市民が、鬱憤を爆発させたのです。しかし、法王さま(ダライ・ラマ14世)は一貫して非暴力を訴え続けてきており、扇動など一度たりともしたことがありません。中国政府との関係では〈中道路線〉を採用し、対話を呼びかけ、『独立』ではなく『高度な自治』を求めているにすぎないのです。オリンピックに関しても、ずっと北京開催を支持してきています」
果たして、福田首相はこうした背景を知っているのだろうか。【4月17日 DIAMONDonline】
*************************

ダライ・ラマサイドの情報ということで、どこまで信憑性があるかはわかりませんのでコメントは控えます。

いずれにしても、両民族間の溝を埋めて、中国政府が主張する“ひとつの中国”をつくるためには、“ダライ・ラマとの話し合い”云々を別にすれば、時間をかけた施策が必要です。
具体的には“伝統文化への配慮”と“経済的格差是正”でしょう。

現在も中国政府は“アメとムチ”の“アメ”として、青蔵鉄道を始めとする経済開発を行っているということなのでしょうが、その利益の相当部分がチベットに進出する漢族のものとなっている、チベットの人々になかなか行き渡らず、逆に格差を顕在化させている実態があるようです。

意識的に開発の利益をチベット族の人々に広く行きわたらせるような、必要に応じ漢族やそれと結託した一部の特権的チベット族を排除するような、そういった施策が必要ですが中国政府に可能でしょうか?

各国での抗議行動を見ていると、チベット問題そのものはさておいても、いろいろ興味深いものがあります。
パリのドラノエ市長は16日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を「平和と対話のチャンピオンだ」として、パリ名誉市民の称号を与える考えを明らかにしたそうです。
市長は五輪聖火が7日にパリを通過した際、市庁舎に「パリは世界中のどこの問題でも人権を擁護する」と記した横断幕を掲示したとか。
離婚・結婚で話題をまくサルコジ大統領といい、思ったことを表現・行動してどこが悪い・・・というところでしょうか。

個人的にはどうしても“できればことを荒立てないように・・・”という発想が先にたち、“ここまではっきり言うかな・・・”という印象を持ってしまいます。
全く別件ですが、17日、温暖化対応に関するブッシュ大統領の発表をドイツのガブリエル環境相が「ネアンデルタール人の演説」と酷評しています。
自分の主張は明確に表現するという文化・国民性の違いも感じます。
でも、「ネアンデルタール人の演説」という表現は、なかなか笑える表現でgoodです。
話がどんどん横道にそれてきたので今日はこれでおしまい。

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ジンバブエ  選挙結果を認めないムガベ政権 独裁の構図

2008-04-17 14:54:00 | 世相

(ジンバブエ 野党MDCのツァンギライ議長の選挙ポスター
“flickr”より By frontlineblogger
http://www.flickr.com/photos/12086274@N05/2379944424/)

“民主的な政治システム”と“選挙による国民の意思の反映・政権交代”というものは不可分のものと普通に考えていますが、選挙を行ったから“民主的な政治システム”が担保されるものでないことは、最近の各国で行われる選挙事情を見るたびに感じるところです。
民主主義を偽装するための選挙としか考えられないような選挙もしばしば見かけます。

政治活動の自由が保障されているか、イランやこれからのミャンマーのように立候補資格が政権側に極端に有利にコントロールされていないか・・・など制度的な問題もありますが、選挙が成立するためには、その結果を受け入れる信頼関係が社会全体にないと、結果をめぐって“不正操作があった”“受け入れられない”といったトラブルに発展します。
実際、“操作”が行われたのであれば論外ですが。

12月に行われ、その結果をめぐって民族間の対立・暴動に発展し、1500人以上の死者、数十万人の避難生活者を出したケニアの大統領選挙が、ようやく一応の決着をみたようです。
キバキ大統領のもとで、対立候補だったオディンガ氏が新たに設けられた首相ポストに就任し、両者の連立政権が合意されました。

連立する両者間でのポスト配分のためでしょうか、内閣はこれまでの17人制に代わり、42人制となるそうで、これに対する批判もあるとか。【4月13日、14日 AFP】
まあ、これでなんとか収まるなら、この際止むを得ないのでは。

一方、収まる気配がない、ますます悪化しているのがジンバブエ。
先月29日に行われた大統領選挙の結果公表がまだなされていません。
“遅れている”というより、自分に不利な結果をムガベ大統領は公表する気がないようです。
もしくは、“幾分結果を操作するまでは”公表しない様子です。

選挙では対立候補の野党MDCのツァンギライ議長が有利な結果(MDCの独自集計で、ツァンギライ議長が50.3%、ムガベ大統領が43.8%)を収めたようですが、選管からの公式発表がなされていません。
そもそも、過半数を獲得しない場合決選投票になるのですが、MDC側が50.3%で“過半数を超えた”としているのに対し、選管サイドからは“過半数は51%が必要”との主張がなされているようです。

ある意味“微妙な”数字だったようで、ムガベ大統領側も少し“いじりたく”なるのかも。
当初は与党サイドからも、今回投票結果についてはともかく、“決戦投票はいとわない”旨の発言もありましたが、最近では選管に再集計を指示するなど、どのように結果を糊塗するつもりなのか全く不透明な状況です。

MDCは選挙結果公表を求めて高等裁判所に提訴しましたが、裁判所はこれを却下しました。
MDCは訴えが認められない場合大規模な座り込みストを行うことを公表していました。【4月15日 AFP】
このゼネストがどうなっているのか定かではありません。
ムガベ政権側は政治的デモ活動を禁止するなど締め付けを強めています。

周辺国の仲裁も行われました。
ザンビアが呼び掛けた南部アフリカ開発共同体緊急首脳会議が12日開かれました。
これにMDC側はツァンギライ議長が出席しましたが、ムガベ大統領は欠席、ムガベ氏の代理として大臣4人が出席した模様です。
結局この会議でも有意な対応は出なかったようで、選挙結果公表と各党への選挙結果の受け入れを促す程度にとどまっています。【4月14日 毎日】
ミャンマーに対するASEANにしてもそうですが、多少なりとも“すねに傷がある”周辺国が集まっても、自国への波及を恐れて、腰が引けた対応しかできないのが常です。

警察当局は9日に「大統領が不利になるよう不正を行った」として選管関係者5人を逮捕。
選管は「票の数え間違いがあった」として13日、23選挙区で大統領選や下院選の票を再集計するよう命じています。
政府は15日、国内で正規に取材活動を行っていた外国メディアのビザ延長を認めない方針を明らかにし、外国メディアの多くは、国外に退去を始めています。

政権側は着々と“操作”を進めているようです。
自分に不利な結果は認めない選挙とは一体なんなのか?
最近のジンバブエからのニュースには腹立たしいものがあります。

現地の人々にとっては“腹立たしい”だけではすみません。
選挙による政権交代がこういう形で封じられてしまうのであれば、あとはどうすればいいのか?
ゼネスト、デモ、大規模集会等々で辞任を迫る・・・そういうことが仮にありえたとしても、恐らく大量の血が流されることになりそうです。

そんなジンバブエの最近の様子。

****医療崩壊の危機 独裁政権のしわ寄せ拡大****
アフリカ南部・ジンバブエで、庶民の暮らしを無視した政策や「独裁」に対する欧米の経済制裁が原因で、医療が崩壊の危機にひんしている。
電気も水道も止まり、水も井戸でくみあげるなど、悲惨な現状を地方都市で見た。
首都ハラレから南へ約140キロ。中部チブの公立ナリラ地方病院は停電が続き、暗闇に包まれていた。
医師は一人もいない。
24時間態勢で対応に追われる男性看護師長は「搬送が遅れ、救える命が失われていく。医療機器、薬、すべてが欠乏している」と訴えた。
病院には使い古された医療機器が置かれていたが停止したままだ。
水道は止まり、毛布やシーツは川で洗濯後、天日干しする状態だ。
看護師長は「薬や包帯から人員まで不足している。住民の協力だけが残された医療体制だ」と話す。
看護師長は80年代を懐かしむ。独立後、農業国として順調に発展し、医療サービスも十分だった。ムガベ大統領が独裁色を強め、経済が悪化するにつれ、予算が減らされ、医療サービスも薬の供給も不十分にならざるをえなくなった。【4月15日 毎日】
**********************

****インフレ率16万%以上に******
アフリカ南部ジンバブエからの報道によると、同国の2月のインフレ率が16万4900%に達したことが16日発表された公式統計で明らかになった。
1月時点では約10万%だったが、食糧や燃料の慢性的な不足がインフレに拍車を掛けた。 【4月17日 時事】
**********************

10万%にしても、16万%にしても、経済崩壊としか言い様がありません。
こんな状態で政権維持に固執するムガベ大統領は異様にも思えます。
独裁者というのはそういうものなのでしょうが、それでも、選挙直後“ムガベ大統領が辞任に基本合意した”という情報が流れました。【4月2日 AFP】

また、「大統領は敗色濃厚な中でどう生き残るか画策している模様だ。外交筋によると大統領は3日、隣国・南アフリカのムベキ大統領と今後の対応を話し合った模様だ。ムガベ大統領自身や家族の身の安全、不正を追及する訴追の回避などが議題になったとみられる。一部の報道によると、大統領の家族が退任を勧め、居座りを主張する側近らと対立し始めているという。」という記事も流れました。【4月4日 毎日】

今まで自分たちがやってきたことを考えると、権力を手放すと自らが糾弾されることになる。
自分だけでなく、大統領権威に群がる多数の既得権益者が存在し、大統領の一存だけでは決められない。
そんな“独裁・強権政治”の実態が浮かび上がります。



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パレスチナ  “イスラエル建国”“ナクバ”60周年 高まるハマスへの支持

2008-04-16 17:31:46 | 国際情勢

(ガザ地区 イスラエル軍の攻撃で犠牲となった生後6か月の赤ちゃん
憎しみの連鎖が断ち切れません。
“flickr”より By khawaja
http://www.flickr.com/photos/khawaja/2309788568/)

昨日15日のAFPの記事、「ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザ地区に対し、イスラエルは16日から1週間ぶりに燃料供給を再開する。イスラエル国防省の広報官が14日発表した。」
ガザ地区への燃料・電気供給が現在どういう状態にあるのかよくわかりません。
“1週間ぶりに”ということは、ずっと止まっていた訳でもないようです。

周知のとおり、1月23日に壁が爆破され、2月3日にはエジプトが再封鎖。
2月末にはガザ地区からのロケット弾攻撃が激化し、3月1日にはイスラエルのガザ地区侵攻が本格化。
3月3日には一応イスラエル側が撤収。(パレスチナ側の死者は子供22人を含む116人)
イスラエルとガザ地区武装勢力の間の戦闘行為は、その後ない訳ではないですが、“小康状態”を保っています。

この間もガザ地区の生活環境は悪化を続けています。
アムネスティ・インターナショナルなど8つの国際人権団体が6日発表した報告書によると、ガザでは人口の約4分の3に相当する110万人が、国連などの食糧支援に依存しています。
電気や燃料の不足で、病院では1日8~12時間の停電が常態化。
ガザ地区にある約4000の工場の大半が、資材不足などで操業を停止。
失業率は約40%に達し、特に民間部門の労働者は約70%が失職したそうです。【3月6日 読売など】

また、住民生活の窮状を伝える報道も目にします。
「燃料不足はガザ地区に暮らす人々の日常生活に甚大な被害をもたらしている。街の交通機関はストップしているため、遠方から通う学生は大学に行くこともできない。行くことができても帰宅できる保証もない。
ガザ住民は暗闇と悪臭の中で厳しい生活を強いられている。家は昼でも真っ暗で、道路には下水設備の停止で汚水が溜まり放題である。健康被害や環境の悪化を懸念する声も次第に高まっている。」【4月12日 IPS】

当初、ハマスがガザ地区を実効支配し、イスラエルが封鎖を強めた時点では、個人的には「ハマスは戦略を誤ったのでは?これでハマスに封じ込まれた形のハマスの勢力は一網打尽になるか、やがては住民の支持も失っていくのではないか・・・」と思いました。
イスラエル敵視の対応を変えないハマスがネックとなってパレスチナの和平が進展しない、パレスチナが進展しない限り中東の安定もない・・・という状況で、このような“ハマス封じ込め”で事態が打開されるのではとも思いました。

しかし、現実はそのようにはいかなかったようです。
ハマス等の武装勢力側は“壁の爆破”によって、封鎖に対抗できることを示しました。
また、その後の封鎖継続、更に、3月初旬のイスラエル侵攻によって、パレスチナ住民の支持はハマスの側に流れる展開になっています。

ヨルダン川西岸とガザの両自治区、東エルサレムのパレスチナ人を対象に3月13~15日に行われた調査によると、ハマスの支持が急上昇しています。
「(パレスチナ自治政府の大統領にあたる)議長選挙が今日行われたら誰に投票するか」との質問に、ガザの「ハマス政権」を率いるハニヤ首相を選んだのは47%、現職のアッバス議長は46%と、支持が逆転しました。
昨年12月の前回調査ではハニヤ氏が37%、アッバス氏の56%でした。
“ハマスが封鎖破りに成功したとの評価と、軍事攻撃の犠牲者という同情を呼んでいる”とのこと。【3月24日 朝日】
この数字について、ガザ住民の約8割に食糧を援助する国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)ガザ事務所の副所長は「封鎖は失敗だ。若者を過激思想に走らせ、武装集団の勢力拡大を容易にするだけだ。」と断じています。

国際的な流れも、“ハマスを無視できない”“ハマスを交渉に取り込む”動きが最近目につきます。
先月23日にはイエメンの仲介による、アッバス議長の出身母体ファタハと、ガザ地区支配のハマスが自治区分裂を解消するための直接協議を始めることで合意したと報じられました。
ただ、すぐに“対話条件の食い違いが表面化”とも報じられています。
ハマスが前面に出ることを快く思わないイスラエル、アメリカの圧力があったとも。【3月28日 毎日】

ハマス側からも動きが。
ハマスの最高指導者で、シリアのダマスカスに拠点を置くハレド・メシャール政治局長は3月31日、パレスチナ自治政府のアッバス議長をガザ地区に招き、無条件で対話を行いたい意向を表明しています。

このハマスのメシャール政治局長とマメリカのカーター元大統領が会談することが明らかになって、アメリカ国内・イスラエルからは批判が出ました。
これに対し、カーター元大統領は「中東和平プロセスにハマスを参加させることは非常に重要」「誰かがハマス指導者の意見にも耳を傾ける必要がある」「中東和平プロセスにハマスも参加させなければならない」と訴えています。【4月14日 AFP】

なお、イスラエルのガザ侵攻で中断していたパレスチナ・イスラエルの交渉は、4月7日、約一ヶ月半ぶりにオルメルト首相とアッバス議長が会談するところとなりました。

イスラエルは5月8日、1948年の建国宣言60周年を迎えます。
式典には世界各国首脳らを招き、盛大に祝う計画のようです。
イスラエル建国ということは、同地に暮らしていたパレスチナ人からすると、70万人が難民として故郷を追われたという事実になります。
この事実をパレスチナ人らはアラビア語で「大惨事」を意味する「ナクバ」と呼びます。
パレスチナ側では、5月15日に開催する「ナクバ」60周年に向けた準備が進められているそうです。【4月14日 AFP】

表向きの言い様は別として、ハマスにも交渉の余地があるのであれば、その意向を取り込んでいかざるを得ない状況に思えます。
「建国宣言60周年」「ナクバ60周年」が血で塗られることがないように。

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ニジェール  元奴隷の女性が国を提訴

2008-04-15 14:40:29 | 世相
以前(07年11月2日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071102)、西アフリカ・モーリタニアの奴隷制を取り上げたことがありますが、この付近の国々は同じような状況にあるようです。
ニジェール、マリ、ブルキナファソ、チャド、スーダン・・・。
下記はニジェールからの記事。

*****奴隷制が存続するニジェール、元奴隷の女性が国を提訴*****
ニジェールの元奴隷の女性が、奴隷制を禁止する十分な措置をとっていないとして、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)共同体裁判所でニジェール政府の責任を問う裁判を起こした。裁判所の判断は同国の反奴隷運動の行方に大きな影響を与えそうだ。

訴えを起こしたKoraouさん(24)は、12歳のときに366ユーロ(約6万円)相当の価格でトゥアレグ人の奴隷商人に売られ、やがてニジェール中部に住む伝統医療師に5番目の妻として買われたという。
7日に始まった審理でKoraouさんは、「買われた」身分であることを夫から常に言い聞かされ、虐待を受けてきたと証言した。
 
ニジェール政府は2003年、刑法を改正して奴隷の所有を禁止した。これにより、少なくとも法律上は、違反者は最高で30年の禁固刑を受ける可能性がある。
それにもかかわらずKoraouさんが奴隷として所有され続け、また慣習法で正当化されているのは政府の落ち度だと原告側は主張している。
一方で政府側の弁護士は、「奴隷制は歴史的な現象。政府に責任があるという考え方はナンセンスだ」と話す。【4月13日 AFP】
*************

ニジェールという国、サハラ砂漠南端に位置する世界最貧国の一つ。
国民の61%が1日1ドル以下で暮らし、人口は約1200万人。
国土の3分の2が砂漠。
国連児童基金(ユニセフ)によると、平均寿命は46歳、識字率は16%。
1000人のうち5歳未満で死亡する子は262人に上る・・・そんな国。

ニジェールの奴隷制が表面化したのは、つい最近の2001年だそうです。
首都ニアメーで開催されたILOのフォーラムで、地元の首長たちが一部地域で奴隷制が存続していることを認め、廃絶に向けて闘っていると述べたことによります。

国内唯一の反奴隷グループ「ティミドリア(Timidria)」は政府からは厳しい視線を向けられています。
05年、マリ国境近くの村で7000人の奴隷が解放された際に、これを祝うセレモニーを企画したことに対し、「そのようなセレモニーはニジェールの国際的イメージを損なうから」という理由で、団体代表が数ヶ月収監されました。
更に、奴隷所有を公言して解放に協力した村の村長等を政府は詐欺容疑で逮捕、セレモニーは中止されたそうです。

ティミドリアは2003年、国内の奴隷数は87万人を超えるとする調査結果を報告しています。
政府はこれを無視し、2007年11月に独自の調査を開始しましたが、結果はまだ明らかにされていません。
今回のKoraouさんの訴えが退けられた場合、ティミドリアは解散に追い込まれるだろうと言われているとか。

ニジェールの奴隷制については、以前“阿修羅”に倉田佳典氏が投稿されています。
(05年11月6日 http://www.asyura2.com/0510/news2/msg/179.html
******************
奴隷の生活の一例
“主人の家に仕え、早朝から深夜まで、男は家畜の世話など、女は水くみやまき拾い。家畜を一頭でも逃がすなど、仕事で失敗すれば主人に棒でたたかれる。「主人の命令は絶対だった。食べ物は主人ら家族の食べ残しで、毎日外で寝る。給料などはない」と振り返る。最近まで女性の足に目印として足輪が付けられていたという。”

法的に禁止された後も、政府と太い結びつきを持つ各地の有力者らの「特権」としてひそかに存続。
87万人の奴隷のうち、これまで解放されたのはわずか約二百三十人。(05年11月)
タンジャ大統領は「わが国に奴隷はいない」と公言し、解放作業は進んでいない。
ティミドリア結成前には、逃亡後に主人に捕まり連れ戻されるケースがほとんどだったとか。
******************

奴隷としての境遇を運命、義務と思い込んでいる人々も多いようです。
また、仮に逃亡しても、財産もなく教育も受けていないので良い職を得て自活するのが難しい実態があります。

ティミドリア代表が語るニジェールの奴隷制の現況。
「奴隷の存在は現実。ただ白人が黒人の奴隷を買った昔の奴隷売買のような概念とは少し違う。民族は関係なく、どの民族も奴隷を所有し、奴隷の一族が代々、主人の家族に仕えている。伝統的な家の相続財産のようなものだ。主人は彼らを売ることも、贈与することも、殺すこともできる」
「政府は奴隷の存在を認めず、所有者が罰せられた例もない。タンジャ大統領は最近、奴隷制について語る者は逮捕すると公言している」

差別の意識は私たちの意識に根深く存在します。
日本でも問題とか、在日の人々に対する差別的感情が広く存在します。
中国でもチベット民族への差別・蔑視とか。

そうした現実を認め直視するところからは、たとえどんなに遠く困難な途でも、改善に向けての一歩が踏みだせますが、現実を認めようとせず力で糊塗する対応からは百年たっても何も生まれません。

今回訴えが起こされた“ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)共同体裁判所”という組織がどのような性格・傾向なのか全く知りませんが、周辺各国の国家権力の実態を反映した存在であるとすれば、あまり期待できないような・・・・。

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食糧価格の高騰 世界は新たな飢餓の時代に入りつつあるのか?

2008-04-14 17:31:53 | 国際情勢
このところ毎日、食糧価格上昇に関するニュースが世界中から報じられています。
暴動にまで至ったケースを列挙すると
ブルキナファソ 2月20~28日 数都市でデモ 400名デモ 4月8~9日 全国スト
カメルーン 2月下旬 約30都市で暴動 死者40名 1600名逮捕
セネガル 3月30日 デモ活動禁止令 24名逮捕
コートジボワール 3月31日 4月1日 暴動鎮圧 死者2名
ハイチ 4月3日以降 数都市で暴動 死者5名 負傷者60名以上
エジプト 4月6~8日 Mahalla Al Kobra市 暴動 死者1名 負傷者約100名 340名逮捕

ブルキナファソでは、数週間のあいだに基本物資の価格が10%から65%にも上昇。
政府が新たな税を導入したことが原因だとも。
2月の抗議デモは暴徒化し、デモ参加者184人が収監される事態にまで発展。
その後、治安当局による拘留者への拷問や虐待といった“人権侵害行為”が表面化。【3月13日 IPS】

カメルーンでの暴動の直接の原因は、25年間政権の座にあるビヤ大統領が、三選禁止の法律を変えて任期延長をはかったことによるもののようです。【http://www.dibussi.com/

ハイチではコメの価格が1週間足らずで50キログラム当たり70ドルに跳ね上がり、燃料価格が2か月で3倍に上昇したことをきっかけに、暴動に発展。
4月8日、大統領府警備のため国連ハイチ安定化派遣団の部隊が出動する事態となり、デモ発生から現在までに少なくとも5人が射殺されたとのこと。
この混乱を受けて12日、議会はアレクシス首相の不信任案を満場一致で採択しました。【4月13日 AFP】

エジプトでは国内人口の4割の7,600万人が1日2ドル以下での生活を強いられていますが、ここ数ヶ月で調理油や米の価格がほぼ倍増し、政府支援で供給しているパンも供給不足に陥る状態となっています。
そのため多くのエジプト国内労働者らがストライキの呼び掛けに応じた模様。【4月7日 IBTimes】

他の途上国も厳しい情勢にあります。
シエラレオネではコメ価格が300%も上昇。
コートジボワールやセネガル、カメルーンでも約50%上昇。【4月7日 AFP】
カザフスタンのマシモフ首相は7日、国内のインフレ抑制のため穀物輸出を停止するか、輸出関税を設ける可能性があると発言。【4月7日 ロイター】
インドではインフレ抑制策として、食用油の輸入税を廃止し、コメの輸出制限を導入。【4月7日 AFP】
香港では主食である米のまとめ買いをする消費者が増加。【4月9日 AFP】

コメ価格が1トン=930ドルと前月比52%増の記録的高値を更新したタイでは、貧しい農村部で田んぼからの“米泥棒”が出現しているとか。
国連食糧農業機関(FAO)によると、バングラデシュの洪水、ベトナムのペスト被害、中国の天候不順などにより、アジアのコメ供給量が激減。
更に、生産国が輸出制限を行っているため、価格上昇を招いているとのこと。

国内へのコメ供給不足懸念から、輸出世界第2位のインドと第3位のベトナムは輸出を制限。
この影響は、コメを両国からの輸入に頼っていたフィリピンやバングラデシュに波及。
フィリピン政府は飲食店に使用するコメの量を半減するよう通達を出し、バングラデシュでは軍が村人たちにイモ食を勧めた、コメの価格が不正に操作されないよう民兵組織が見張る事態となっているとも。
また、小売り店や農民がさらなる値上がりを待って売り渋る傾向もあるそうです。【4月10日 AFP】

マニラ訪問中の国連高官が、コメの輸入大国であるフィリピンでも政府が対応を誤れば暴動が発生する可能性があると警告。【4月13日 AFP】
アロヨ大統領は、自ら倉庫の検査に出かけ、政府が買占めを取り締まっていることをアピールしていますが、エコノミストからは“業界カルテルが引き起こした人為的な危機”との指摘も。【4月13日 IPS】

これらの世界の動きを眺めて感じることがいくつかあります。
先ず、暴動発生は必ずしも昨今の価格上昇だけによるものではなく、カメルーンやブルキナファソに見られるように、その国の政治体制が抱える永年の問題が背景に存在しているように思えます。

次に、世界の穀物相場の上昇がどの程度国内価格上昇に反映するかは、その国の国内市場の状況、売り惜しみ・買占めなどの市場操作の程度にもよります。
世界の穀物価格は確かに上昇しています。
コメは昨年1月の318ドル/トンから今年3月が577ドル/トン(特に今年に入ってからの上昇が急)、小麦は同じく208ドル/トンから481ドル/トン。【4月8日 AFP】
日本でも食品値上げが相次いでいますが、大半の商品は付加価値が比較的高いため、原料費はコストの一部ですので、値上げ幅は10円とか20円と小幅にとどまっています。
市場操作・投機的動きも表面化していません。
逆に、途上国では付加価値が比較的低い商品が原料費に連動して高騰、更に売り惜しみ・買占め行為によって激化する様子が見られます。

国民生活を圧迫する強権的政治体質、売惜しみ・買占めが横行するような経済・社会的非民主性・・・そういったものが価格高騰による混乱を助長しているに見えます。

また、主要輸出国の輸出制限が輸入国に波及する連動性も見られます。
個人的には普段あまり食料自給率などには関心がないほうで、“コメだけにこだわっても仕方ないけど、田んぼにコメが実っているのを見ると安心するから、コメくらいは自給を維持したほうがいいのでは”ぐらいにしか考えていませんが、こうした世界的食糧危機を見ると、やはり“コメくらいは・・・”というのはいい線かも。

ちなみに、昨日TVで魚も今後不足するという番組をやっていました。
中国の高級魚志向のたかまりで、日本市場から中国に流れる魚が急増している、結果、日本で食べられる魚が減少する、だからこれまで食べてこなかった魚資源にも目を向けて・・・といった内容でした。

“これまで食べてこなかった魚”も乱獲すれば結局は同じことで、魚供給の未来はあまり明るくないようです。
世界はすでに乱獲の影響を受け始めており、北大西洋のタラ漁が1990年代に崩壊したほか、カタクチイワシはチリから、ニシンはアイスランドから、イワシはカリフォルニアからすでに姿を消しました。【4月11日】
次はマグロでしょうか。

新興国の需要増大、バイオ燃料との競合、世界的気候不順で今後も食糧不足は続くようにも思えます。
世界食糧計画(WFP)のシーラン事務局長は、飢餓に苦しむ人の絶対数は依然8億5,400万人と大きく、「新たな飢餓の時代に入りつつある」兆候がすでにあると警告しています。
7月の洞爺湖サミットでも、食糧価格の高騰が主要議題に取り上げられる流れになっています。

世界銀行とIMFの合同開発委員会が13日、ワシントンで開かれ、穀物、エネルギー価格の高騰により「途上国の多くの貧困層が深刻な影響を受けている」と懸念を表明。
途上国に対する政策、資金面での支援に備えるよう世銀とIMFに求める声明を採択しました。
日本からは遠藤財務副大臣が出席し「各国が自国の農業政策を見直す好機。食料増産につなげる必要がある」と訴えたとか。

各国で暴動による死者まで出ている状況で、遠藤財務副大臣の“好機”という表現が適切かどうかは別として、目先の価格安定策だけではすまない問題であることは間違いないでしょう。
世界銀行のゼーリック総裁は、「空腹を抱える人々に対し食糧を与えられるよう、実際に行動する必要がある」と対策の必要性を各国政府に訴え、「新ニューディール政策」を発表しました。

「新ニューディール政策」の中身は全くわかりませんが、農地所有のあり方、モノカルチャー的な産業構造、灌漑等のインフラ、流通の整備などを含めた“農業政策の見直し”は必要でしょう。
その際、失敗したと語られることが多いかつての“緑の革命”をどのように総括するのかで対応・意見が分かれると思われます。
焦点となる技術革新は、当時は化学肥料、農薬、高収量品種でしたが、今後は遺伝子組み換え技術でしょうか?

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コソボ  国際旧ユーゴ戦犯法廷の動向 北部セルビア人地区再統合の機運

2008-04-13 13:00:45 | 国際情勢
国際旧ユーゴ戦犯法廷(ICTY)は4月3日、非アルバニア人を虐殺した罪に問われていたラムシュ・ハラディナイ氏の無罪評決を下しました。

ハラディナイ氏はコソボ解放軍(KLA)の司令官として、コソボ北西部のDukadjinにおいて1998年にセルビア人やロマを40人殺害し、虐待やレイプを行ったとされています。
2004年にはにコソボの(事実上の)首相に就任しましたが、05年に起訴され、裁判が07年3月から始まっていました。
4日、コソボに帰国したハラディナイ氏を空港で数千人の支持者が出迎えたそうです。恐らく“英雄”として。
また、コソボのサチ首相は無罪判決を歓迎する声明を出しています。

当然、セルビア側は怒っています。
セルビアのタディッチ大統領は、ICTYは「信頼性を失った」とコメントしています。

ICTYのある判事は、80人以上いた証人は報復を恐れて証言に消極的であったため裁判は困難なものとなったと語っています。
また、裁判中に1人の証人が交通事故で亡くなりもう1人が撲殺されるなど、不可解な事件もあったとか。
コソボの国連暫定統治機構が証人の保護に熱心でなかったとの指摘もあります。【4月11日 IPS】

そのほか、無罪判決の背景として、セルビア側もICTYに対して積極的に証拠を提出しなかったことが指摘されています。
このことの意味合いはよくわかりませんが、セルビア自身も、戦争犯罪容疑者であるラトコ・ムラディッチ元将軍と政治指導者のラドバン・カラディッチの身柄を確保して引き渡すようICTYから要請されていることの絡みでしょうか。

ムラディッチ元将軍は、第2次世界大戦後のヨーロッパ最大の惨劇といわれる「スレブレニツァの虐殺」を指揮・命令したとして、ジェノサイドの罪、人道に反する罪などに問われています。
国連防護部隊(UNPROFOR)は95年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部の街、スレブレニツァに「安全地帯」を設け、ムスリムをそこに避難させていました。
しかし軽装備の国連部隊は武力で勝るセルビア人武装勢力に脅されるかたちで、結局“安全地帯”のムスリム8千人をセルビア人側に引渡しました。
その後ムスリムはバスやトラックで連行され、山林などで虐殺されました。

このときの国連部隊は、国際貢献を意気込んで参加したオランダ部隊でした。
オランダにとっても、海外派兵のあり方を問われる深刻な傷跡を残し、内閣総辞職にも至っています。
(07年11月19日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071119 参照)

そのムラディッチ元将軍は、セルビアにとっては“英雄”であり、ICTYからの厳しい身柄引渡し要求にもかかわらず、いまもセルビア国内に潜伏しています。
セルビアではムラディッチ元将軍を支持する1万人規模のデモも行われ、その際の横断幕には「ムラディッチ氏はセルビアの誇りだ」と書かれていたとか。
ムラディッチ元将軍の引渡し問題は、セルビアのEU加盟交渉の大きな障害になってきました。

ところで、2月17日のコソボ独立宣言の後、コソボを国家として承認したのはEU加盟の18カ国、米国、日本など計36カ国にとどまっています。
コソボ議会は4月9日、新憲法を採択しましたが、新憲法はセルビア系住民など少数派への配慮をにじませたものとなっているそうです。【4月9日 毎日】

そのコソボの現状に関して、気になる記事を目にしました。

****北部のセルビア人地区、本国への再統合機運****
セルビアからの独立を2月に宣言したコソボでは今、少数派となったセルビア人が住む北部で、逆に独立コソボから分離し、セルビア本国への再統合を求める動きが出ている。
すでにセルビアとコソボ北部間の検問所は実質的機能を失いつつあり、セルビア国鉄の列車は乗客の旅券のチェックすらなしに、コソボ北部までの運行を再開していた。
◇国連も「黙認」
コソボの独立宣言以前は違った。コソボ内の鉄道は国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の管轄下におかれ、セルビア国鉄は手を出せなかった。
その代わり、レサクからの列車は、セルビア人地区の南端であるズベチャン駅を越え、アルバニア系居住地域まで運行されていた。
だが今は、独立宣言に反発するセルビア側が、セルビア人地区の管轄権を奪い取った形だ。
ミトロビツァ(終着駅 コソボ北部のセルビア人居住地域)では、国連の管理する建物にもセルビア国旗が翻っていた。市内に住むアンドリアさん(42)は「住民が勝手に付けた旗だけど、反発が怖くて国連も外せないんだ」と話す。
国連関係者によると、セルビアとコソボの境界に置かれていた税関も、セルビア人地区とアルバニア系地区の境界に移設されたという。
ミトロビツァからセルビア国内に車で戻った際に通過した検問所でも、旅券チェックはなし。検問所では、現地で平和維持活動を行う中国軍兵士が軽く手を振り、「行け」と合図しただけだった。【4月11日 毎日】
*****************************

旅券チェックがなく、税関すらセルビア人地区とアルバニア系地区の境界に移設・・・となると、実質的に居住区境界が国境の扱いということになりますが、今後コソボ側がそれを表立って認める形になるのでしょうか?
少数派は保護するより、“国外”へ除外したほうが簡単と言えば簡単ですが、一方で、“領土”の分離ということにもなります。
今後、大荒れしそうな感じもします。

かりに、そのような形でコソボ北部がセルビア側に再統合されたとしても、その地域にはアルバニア人が少数派として存在しているでしょうし、またコソボ領内には多くのセルビア人が残存します。
いずれにしても、“少数派への配慮”“民族和解”が不可欠であることにはかわりがありません。

 
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キューバ  カストロ引退で穏やかな変革 今後のアメリカとの関係は?

2008-04-12 16:30:22 | 世相
周知のように、2月24日のキューバ人民権力全国会議で、59年1月の革命以来キューバの実権を担ってきたフィデル・カストロ前国家評議会議長が退き、実弟のラウル氏が新たな国家評議会議長に選出されました。
06年7月末に手術を受けたカストロ前議長は最高指導者権限をラウル第1副議長に暫定委譲していましたので、既定方針どおりの交代で特段の混乱はなかったようです。

年齢的に見て、次世代につなぐ暫定政権と見られていますが、ナンバー2の副議長にも同じ革命世代のマチャド氏が選出され、また、カストロ前議長を「相談役」に据えて、基本的には従来路線を継承する方針が採られています。

ただ、社会主義体制の維持を条件にしながらも、ラウル新議長は米国との対話姿勢を示しており、また、前議長に比べ現実主義的とされ、特に経済分野で柔軟な政策を推進しています。
このため、新政権は緩やかな変革を志向するとも見られています。

そんな変化が少しずつキューバ社会にも現れているようです。
政治的には、2月28日、66年の国連総会で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」と「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(ICESCR)」に署名しました。
これまでは、米国の圧力に屈することを意味するとして署名を拒否していたもので、40年以上にわたる方針の転換となりました。

市民生活でみると、一般市民への販売が制限されていたパソコンやDVDプレーヤーのほか、炊飯器や電子レンジなどの生活家電などの販売が自由化されました。
「電力事情の改善」が理由にされています。
ラウル新議長はこれまでの演説で「キューバには禁止事項や法規制が多すぎる」(昨年12月の国会演説)と述べており、就任演説でも規制緩和を公約していましたので、その線に沿った改革と思われます。

そのほか、これまで禁止されていたキューバ市民の観光客用高級ホテル宿泊も解禁になりました。
ただし、キューバの平均月給は平均400キューバ・ペソ(17ドル)であるのに対し、インターネット接続については特定セクターに制限され、月額200ドルかかるそうです。
また、ホテルの1泊料金は70-100CUCペソ(1CUC=25ペソ=1・25ドル)であるため、一般市民にはまだ高嶺の花です。
それでもキューバ国民の権利が認められたとして、市民には歓迎されているようです。
電化製品の購入も市民は検討し始めているとか。
小規模農家に対する土地貸出の適用拡大も政府では検討されています。【4月11日 IPS】

カストロ・キューバの評価は立場によって分かれるところです。
アメリカにとっては自国の裏庭に刺さった棘で、61年に国交断絶して以来、歴代のアメリカ大統領はキューバの孤立化策を敷いてきました。
ブッシュ大統領は05年1月の一般教書演説でキューバを北朝鮮やイランとともに「圧政国家」と名指しし、対決路線を強めてきました。

今回のカストロ引退に際して、ブッシュ大統領は「カストロ(議長)の交代は民主化への移行期の始まりであるべきだ」と述べ、キューバ民主化への期待を表明していましたが、その後、キューバを「熱帯の強制収容所」と厳しく非難し、また、2月の政権交代を「独裁者が入れ替わっただけ」と糾弾。
「米国が対キューバ政策を変えるときが来たと多くの人が考えたかもしれないが、変わるべきはキューバだ」と語り、経済封鎖を緩和する考えがないこと明らかにしています。【3月9日 毎日】

アメリカの経済制裁も影響して、キューバ経済は物資が不足した状態が続いています。
世界中どこでも見られる現象ですが、このような物資不足を埋めるように中国との貿易が急速に拡大し、その影響が強くなっているようです。
近年の中国との関係強化も、ラウル氏の方針によるものと言われています。
なお、キューバ社会主義のもとでは、物資は不足していますが、医療や教育は無料で受けられます。

カストロ等キューバ指導者が国民の意思を抑圧した“独裁者”かどうか・・・。
フロリダへ亡命した自由主義者たちにとっては、カストロは“悪魔”でしょう。
カストロは、すべての国民に最低限の衣食住を保証し、平等な社会をつくることを最優先にしてきた訳ですが、その社会で許されている表現・行動の自由は、確かに欧米・日本のそれとは差があるのは事実でしょう。

【カストロ兄弟が別々に居住している住居は、警備こそ厳重であるが、通常の住宅である。旧ソ連・東欧諸国の指導者の贅沢とは比較すべくもない。また、要人が使用している車を見ると、カストロ首相こそ数十年前に寄贈されたベンツを使用しているが、ラウル・カストロの車はソ連製ボルガである。他の党・政府高官は一般国民と同様、クーラーもないソ連車ラーダを使用している。ラヘ官房長官は、日曜日など、子息といっしょに自転車で工場現場を視察に訪れる。ロバイナ外相は外務省まで通常自転車通勤である。ましてや某国のように、黒塗りのベンツが走ってきたら立ち止まって最敬礼をするように教育をされたりはしない。(中略)

食料品についても同じことがいえる。大使館公邸に来る政治局員や閣僚に対して著者は「失礼ですが、閣下のお宅では食料品をどこで購入されますか」と聞くことにしていた。「一般の人たちと同じ場所で、配給手帳で買います。近所の人たちが証人です」との答えが返ってくる。】(宮本信生『カストロ』1996、中公新書。氏は元駐キューバ大使)

“平等”という理想に対してはかなり忠実で、“独裁者”と言う言葉の持つ“国民を力で押さえ込み私腹を肥やす”といったイメージではないようです。
キューバ社会における政治的弾圧などについては全く情報を持ち合わせていませんので、キューバ社会の評価については語るべきことはありませんが、キューバより“不正な”“独裁的な”国家は世界中に溢れているようにも見えます。

アメリカの経済制裁については、国際社会からは、「やり過ぎ」との批判が上がっています。
冷戦が崩壊し、キューバ社会主義体制の「脅威」が縮小したことが背景にありますが、国連総会は繰り返し制裁緩和を求める決議を採択しています。

アメリカ国内でも議会・民主党を中心にキューバとの対話や制裁緩和を求める声が出ているそうで、米大統領選の民主党指名争いを続けるオバマ上院議員は、強権体制の指導者とも対話する「関与政策」を表明しています。
このような動きが、よけいにブッシュ大統領を苛立たせている訳ですが。

カストロが引退し、ブッシュ大統領も退けば、アメリカ・キューバ関係も変化するかも。
また、そのような関係変化、また国内での変革の動きによって、キューバ社会自体が今後更に変化することも考えられます。
そのときカストロの“理想”は?


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ネパール  毛沢東主義派が民主主義枠組みに留まる気になる結果が出るか?

2008-04-11 13:52:56 | 世相
ネパールの憲法を定める制憲議会選挙の投票が10日に行われました。
これにより、2006年の反王制民主化運動に始まり、同年の共産党毛沢東主義派内戦終結で本格化した国家再建プロセスは最終段階に入ります。

制憲議会は2年をかけて新憲法制定に当たりますが、暫定政権を構成している主要7政党は昨年、制憲議会の場で正式に連邦共和制国家を宣言することに合意しており、制憲議会に王制を復活させる権限はありません。
選挙が実施されたことで、240年続いた王制の廃止が確実となりました。

ただ、選挙の実施にあたっては暴力事件が相次ぎ、昨年2回延期されました。
今回も決してスムーズではなかったようです。

今回選挙には各国から選挙監視団数百人が派遣され、ネパール史上最も厳しい監視下での投票となりました。
4日には政府が酒類販売禁止令を出すなど厳しい警戒態勢がとられましたが、西部では8日夜、共産党毛沢東主義派と別の政党の支持者が衝突、毛派メンバー6人が警察に射殺。
同日西部の別の場所では毛派の候補者が暗殺される事件が発生。
9日この事件への抗議行動が建物や車を破壊する騒ぎに発展、参加していた毛派支持者1人が警官に射殺。
首都カトマンズや南部では小規模の爆発事件が頻発。【4月9日 AFP】

コイララ首相の地盤、南部ビラトナガルでは、首相の「ネパール会議派」とインド系少数民族マデシの「人民権利評議会」の支持者が衝突し、会議派側1人が死亡。
西部アルカハキ地区では、共産党毛沢東主義派の約15人が投票所を取り囲み、有権者に毛派の候補者に投票するよう威圧、投票所を放火。【4月10日 毎日】


上記のような“小競り合い”はあったようですが、なんとか実施に漕ぎついた選挙です。
国連ネパール支援団筋は「投票はおおむね平穏に進み、高い投票率が見込まれる」と評価しています。
それにしても、“射殺”“暗殺”という言葉が頻繁に使われています。
ネパールと聞くと“カトマンズの古い町並み”“ヒマラヤの神々しい景観”などを観光的にはイメージしますが、政治・社会情勢のほうは殺伐としたものがあるようです。

チベット問題にからみ、ネパールでも強権的な取り締まりで騒然とした状況があるようですが、“大国”中国の意向を配慮して・・・というだけではない、ネパール本来の政治・社会体質も根底にあるようにも思えます。

ネパールの選挙については、その結果が出てから書くつもりだったのですが、“結果発表までは約2週間かかる見通し”【共同】、“大勢判明には、10日間前後かかる見通し”【読売】、“結果確定まで2、3週間かかる見通し”【時事】と、随分時間がかかるようです。
車が入らないヒマラヤの山岳地帯に多くの村々が点在していますので、止むを得ないところなのでしょう。
ジンバブエのように結果を遅らせ、その間に・・・という訳ではないようです。
以前、ロシア大統領選挙の際に、シベリアでの選挙の難しさに触れたことがありますが、ネパールの選挙は更に大変なようです。

選挙では主流派の中道・ネパール会議派と中道左派・統一共産党が多数を占める見通しですが、単独で過半数を獲得する政党はないとみられています。
上記2党に対し共産党毛沢東主義派がどこまで議席を獲得できるかが最大の焦点です。

ジャングルや山岳部にいた戦闘員を国連が監視するキャンプに移動させ、暫定政府にも参加した毛派ですが、有権者に投票を強要していると非難されています。
一方の国王や軍の国王派も、選挙を妨害するため民族対立をあおったり、爆発事件を起こしたり、さらにはクーデターまで画策していると非難されています。
「闘争を繰り広げてきた毛派と国軍は、互いに政治的に譲歩する姿勢はなく、それぞれ勢力を維持しており、いつでも戦闘できる状態にある。」との意見も。

今回選挙のポイントを端的に表しているのは「専門家は、毛派が民主主義的な政治制度のうちにとどまる気になるほど十分な議席を得られるかが大きな焦点だとしている。」【4月9日 AFP】という見方です。
その意味で、対立政党にとっても難しい選挙です。
万一、共産党毛沢東主義派が大敗するようなことになると(普段の武力にものを言わせるやり方を嫌っている人々が多いので、ありえない結果ではありませんが)、包括和平協定合意の枠組みから離脱して再び内戦状態に・・・という事態も十分に懸念されます。

ネパールには毛派の問題のほかに、南部のインド系少数“マドヘシ”の問題があります。
南部低地の平原に居住する民族で、以前は毛派のなかで活動していましたが、毛派においても差別されているとして袂を分かち、独自の武装闘争を行っています。
(07年9月7日のブログhttp://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070907参照)

マドヘシに関しては、国連ホームページに「ネパールにおいて、政府とマドヘシ族間の選挙合意がこのたび成立した。マーティン事務総長特別代表は首都カトマンズで報道声明を発し、この合意を歓迎した。」【2月28日】という記載がありました。
詳しい事情がわかりませんが、一応現在は落ち着いているようですが、これも選挙結果次第でしょう。

あと12月26日(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071226)に紹介した、日本国籍を捨てて新党を創りネパールの選挙に挑む宮原さんはどうされているのでしょうか?
その結果も気になるところです。




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東ティモール  インドネシア特別人権法廷の失敗、大統領暗殺事件の“真相”

2008-04-10 18:35:37 | 世相
きのう・おととい、珍しく東ティモール関連の記事をいくつか目にしたので、今日はその話。

****元民兵指導者を釈放=東ティモール虐殺事件、全員無罪-インドネシア*****
インドネシア法務・人権省は7日夜、1999年の東ティモール虐殺事件で、ただ1人有罪判決を受け服役中だった元併合派民兵指導者エウリコ・グテレス受刑者をジャカルタの刑務所から釈放した。最高裁がこのほど、同受刑者の再審を認め、無罪とする逆転判決を下した。
東ティモールでの一連の虐殺事件をめぐっては、インドネシア政府は2002年に人権特別法廷を設置。検察は国軍幹部ら18人を起訴したが、グテレス受刑者を除く17人はいずれも無罪となった。今回の判決で被告全員の無罪が確定した。【4月8日 時事】
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東ティモールでは99年8月30日、自治を付与されたかたちでインドネシアに残留という特別自治提案に関する住民投票(国連が監督)が行われ、住民はこの“自治”を否決して“独立”へ向かうことが明示されました。(投票率は98.16%を記録し、独立賛成が78.5%)
しかし、この住民投票後、インドネシア国軍の支援を受けた(インドネシアは否定していますが)インドネシア併合維持を支持する民兵組織の破壊と虐殺が全土で吹き荒れ、東ティモールは焦土と化しました。
PKOが介入したときにはすでにおおかたの暴力が実行されたあとでした。

この混乱で1300人以上が死亡したと言われており、また、25万人以上が西ティモールへ強制移送されるか、または退避を余儀なくされました。
当然のごとく、拷問やレイプなどの人権侵害も多数行われた訳ですが、これらの暴力・人権侵害行為は偶発的なものではなく、インドネシア国軍・警察・文民当局者の周到な計画によって行われたものと見られています。

この暴力を裁くため、欧州諸国の一部や人権団体は国際法廷設置を求めましたが、インドネシア政府は“国際法廷をしないかわりにインドネシアが自分で国際基準にてらして裁判を行うという”という前提で、国内にインドネシア特別人権法廷を設置しました。(国際法廷設置については東ティモールも反対しています。)

このインドネシア特別人権法廷とは別に、東ティモール内で重大犯罪裁判も並行して行われています。
この裁判には、99年にインドネシア軍の総司令官だったウィラント将軍を含む、多数の上級インドネシア軍士官たちも起訴されています。
起訴された367人のうち280人はインドネシアなどにいるため、東ティモールで裁判ができません。
インドネシアは国連暫定行政と犯罪人引き渡しについての協力を含む覚書を交わしましたが、インドネシア国会がこれを批准しなかったため、起訴された者の引き渡しは一件も実現しなかったようです。(04年8月段階)

インドネシア特別人権法廷で証言に立ったウィラント元インドネシア国軍総司令官兼国防相は、「国家が国家の使命を誠実に実行しようとした国家の僕を裁かなければならないなんて、良心をもつ者なら誰でも心が痛むはずだ」「住民投票を成功させるため16項目もの努力を行った」「5月合意以後は警察が治安の責任者であって、軍は適宜アドバイスを行っただけだ」と述べています。
また、法廷を出たウィラント将軍はマスコミに、「この法廷は本当に理解できない、何百万人もの死者を出したユーゴスラビアとちがって、東ティモールでは死者は100人にも満たない、それにそれは紛争だったんだから」と語ったとか。
(松野明久 http://www.asahi-net.or.jp/~AK4A-MTN/news/quarterly/number7/adhoccourt.html

上記発言でインドネシア国軍側の対応がおおよそ察しがつきます。
裁判の推移もそのような国軍の意向に配慮したものでした。
特別人権法廷では当初数名の有罪判決も出ましたが、上級審に控訴されるうちに殆どが無罪となっていく経過に国際社会からの批判も高まりました。
国連事務総長が設置した独立専門家委員会は審理の過程を調査、2005年に裁判やり直しを求める勧告を国連安全保障理事会に提出しています。

しかし、このような欧米諸国の批判に対し、インドネシア閣僚からは「われわれはアメリカがベトナムでしたことに満足していない。それについてはまだ調査されていない。また、われわれはアメリカがイラクでしていることについても満足していない。ただアメリカに不平をいうほど強くないというだけだ」との反発も聞かれました。

結局、冒頭記事にあるように、唯一の有罪服役中だったグテレス受刑者が再審無罪となったことで、起訴された18名全員の無罪が確定しました。
国際社会が期待したインドネシア国内プロセスによる人道に対する罪の追及は失敗に終わったと言えます。
敗戦国責任者を戦勝国が裁く戦争裁判には批判も多く聞かれますが、軍による犯罪の裁判を当事国に任せても結果が出ない・・・ということも言えるようです。

もっとも、東ティモール人でもあるグテレス受刑者については、05年12月、東ティモール独立の英雄であるグスマン大統領(当時、現在は首相)がインドネシア領西ティモールのクパンを訪れ、上訴中のかつての「宿敵」と初めて会談。
グスマンは宿敵グテレスに、東ティモールを訪れるよう要請し「逮捕しない」と保証したそうです。
国民和解の一環です。

東ティモールにとって戦乱からの復興のためには、国民和解、および、隣接する“大国”インドネシアとの穏健な関係が不可欠であり、かつての民兵、その指導者、その背後にあったインドネシアへの配慮が多くの場面で感じられます。

もうひとつの東ティモール関連記事は2月におきた大統領暗殺事件に関するもの。

*****大統領襲撃者が逃れているのは政治が原因****
2月11日の東ティモールのラモス・ホルタ大統領の暗殺未遂事件後出されていた国家非常事態宣言が4月23日まで更新された。
暗殺未遂事件の首謀者である反乱軍の司令官レイナド少将は現場で銃殺されたが、副司令官サルジーニャは多くの反乱兵とともに逃亡。その後も3月中旬に国軍(F-FDTL)と東ティモール国家警察(PNTL)の合同部隊に包囲されたが、政治的介入の結果逃亡している。
国家非常事態宣言の更新について、無意味と考えている人は多い。反乱軍を捕らえようという真剣な態勢が見られないからだ。
更新に反対した議員の1人である社会民主党(連立与党の1党)党首マリオ・カラスカラオ氏は、「更新は政府にとって早期の選挙を妨げるための手段」と述べた。潘基文国連事務総長は、東ティモールの現在の政治危機に対処する試みのひとつとして、予定の2009年より早期の選挙実施の提案に同意している。【4月9日 IPS】
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暗殺事件首謀者とされるレイナド等は、2006年におきた国軍内の分裂・抗争のリーダーでもあります。
06年4月に西部出身の軍人約600人(国軍は全体で2000人)が昇級や給料で東部出身者との間で差別があるとして待遇改善と差別の廃止を求め抗議し、ストライキを起こしましたが、政府はスト参加者全員を解雇しました。
これを不服とした参加者側が5月下旬に蜂起、国軍との間で戦闘が勃発した紛争でした。

2月の大統領暗殺事件に関しては、報じられているようなストーリーの他に、昨年の大統領選、総選挙後の首班指名で敗れた最大野党・東ティモール独立革命戦線(フレティリン)が資金提供して実行させたという噂(与党サイドからリークされているような感じもあります。)もありますが、もっと衝撃的なのは、自分自身も襲撃を受けたと主張しているグスマン首相及びオーストラリアの“陰謀説”です。

字数制限にかかりそうなので端折りますが、この“陰謀説”によると、そもそも06年の国軍内の反乱自体が当時のフレティリン政権を追い込むためのグスマンとオーストラリアの筋書きによるものだそうです。
レイナド等は最近、ホルタ大統領と会談を持ち、両者間で和解の手順が合意されていたそうです。
そして、レイナドは06年のグスマン現首相の“犯行”について記録したDVDをばら撒いたようです。
また、ホルタ大統領と関係政党間で早期選挙実施の合意も出来たとか。

これにより追い詰められたグスマン首相と石油等の資源権益拡大を狙うオーストラリアが、邪魔者レイナドを逆に殺して口封じした・・・という説です。
こちらのサイト(http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/b5e542959f9eb1d64b7d330a59c05149)に詳しく紹介されています。
真偽のほどはわかりません。


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