家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ソメイヨシノが咲いていた頃から河津桜が咲くまで

2024-02-28 17:05:47 | Weblog

我らが爺さん3人組は去年、ソメイヨシノが咲くころから佐鳴湖を歩き始め今は河津桜が咲いている。

もちろんまだ歩き続けている。

その楽しさは少年時代に戻る、というよりも少年時代の程度の能力を背伸びすることなく、そのままさらけ出しているように思える。

だから楽しいことだらけで「馬鹿かお前は」と思えばそう言うし、そう言っても恨まれることはないし皆で大笑いするのだ。

歩みが遅いのでランニングの人や自転車の人、あるいは同世代の人にも道を譲って歩く。

今回は少し水辺を歩いた。

すると「こんな道あったっけ」という老人丸出しの言葉が聴かれた。

目と鼻の先にいつもの道があり、ただ案内役の言うとおりに歩いているということが露呈した。

こんな時我が家では「生きていますかー?」と言われる。

前回の周遊であまりにも自分の歩きが遅いため「これは変だ」と気づき病院に行くことになった。

これも親しい友との歩きがあったからこそ気付いたことだ。

健康にも直接寄与していることが分かる

毎回佐鳴湖周遊後にどこかの店に繰り出してイッパイやっていたが今回は特別として佐鳴湖畔で河津桜を見ながらイッパイやった。

私がビールと吞まない一人にノンアルコールビール、そして妻特性の鶏肉料理を持って行くと、食品卸を営んでいる一人が日本酒とちくわ、裂きイカそして吞まない一人には高麗ニンジンの飲み物を持ってきてくれた。

まだ明るいが少し肌寒さを感じながら「カンパーイ」を連呼した。

その後店に行って続きの二杯目があったことは言うまでもない。

店は、そば屋兼呑み屋であった。

餃子、トマト、アナゴフライ、ナスフライ、牡蠣フライを食べビールを吞んだ。

豊富にあるおつまみの中から選べるし各々が安価に設定されているので安心して呑める。

一人の支払いが1000円いかないのだから、いかに安いかが分かる。

ここは私好みの店であったが、このご時世に店内で喫煙OKなので妻とは行けないのが残念だ。

次はソメイヨシノが咲くころに同じように執り行うようだ。

平日の夕方、人の少ない頃にジジイ3人が健康的な楽しいことをする。

呑んだ分カロリー的には歩いた分よりオーバーかもしれないが数字に表れないもっと奥深いものが在ることも事実だ。


物置の基礎の不思議

2024-02-17 16:46:30 | Weblog

春野にある物置の扉がうまく動かなくなった。

もう8年も前2016年の話だ。

その時に処置はしたのだが、その原因にやっと気づいたのは2022年10月の頃だ。

物置の下にあるブロック製の基礎の、その下にあるブナの木の根っこが太くなり過ぎでブロック基礎を持ち上げている。

だから扉の動きが悪くなりキーがうまく掛からなくなった。

最大3㎝上がってしまった。

「それならば」とブナの根の一部を切り取った。

だが根の一部を切り取っても、切り取られたその先の根はそのままだ。

相変わらず不便なまま。

近所の土建屋さんに話すと「こりゃあこの木を切り倒すだなぁ」と言う。

その言葉に妻が反応して「私もそう思う」と言い出した。

このブナの根が物置だけでなく、そのうち母屋の下に伸びて母屋を持ち上げるかもしれない、と言い出した。

「じゃあ仕方がない」ということでそのブナの種を拾い種を蒔いた。

それが2023年の9月の事だ。

さて別の人に見せると「これはこの基礎のブロックを外せば元通りになるんじゃないの」と言われた。

「なあるほど。その手があるじゃん」私はこの人の言うことに飛びついた。

で物置の下にジャッキを当てて少し持ち上げてブロックを外すことにした。

だがそのブロックはモルタルで簡単な基礎と接着してあった。

しかたなくブロックを壊すことにした。

ジャッキを利用してブロックが壊れて物置が落ちてきても手を挟まないように気を付けながら作業した。

ハンマーとハツリ用のたがねで行った。

毛布を敷いて膝を付き、たがねに少しずつハンマーを当ててブロックを破壊する。

とうとうブロック一個が全部壊れた。

ところが物置は傾いたままだ。

これが不思議でならない。

不均衡が崩れて均衡になりたいはずの物置が1ミリも動かずにそのままだ。

根を切ってもそのまま。

ブロックが外れてもそのまま。

2016年に気づいていたら根を切るだけで元通りになっていただろうに。

 


治ったから書くわ

2024-02-12 14:51:33 | Weblog

1月末に春野でチェンソーを使った作業があった。

坂で足場も悪いし隣の地所の木に掛かったりしていたが、とても幸運だったので1時間未満で終了した。

重い作業だったし急坂を上り下りしたので少し疲れを感じた。

その夜体温を測ってみたら37.6℃だった。

これは私にしては少し高い。

通常は36℃から36.8℃くらいだ。

実は私の周りでコロナウイルスにやられる人が多いことを知っていた。

姉の家でかかった人がいるし妻の生徒が学級閉鎖していてもピアノには来た、というし友人とランチしたら従業員が二人コロナで休んだという。

だから私がいつコロナにかかってもおかしくない状況だった。

微熱による筋肉痛や髪の毛に触ると痛みも感じていた。

その痛みの一環として排尿痛があるのだと考えていた。

30日に同級生と佐鳴湖を一周するイベントがあった。

いつものペースで歩けない自分に気が付いた。

私だけ歩きが遅いなんてことは今までなかった。

ちょっと異常だな。

一度行ったことのある泌尿器科医院を訪れた。

ちょうど10年前に受診したことがあって、その時は前立腺炎だった。

今回も尿検査と問診そしてエコー検査だ。

尿道炎と前立腺炎だった。

発熱による痛みではなく前立腺炎による発熱だったわけだ。

その日から抗生剤を7日間飲むことになった。

昼寝して禁酒して早寝する。

寝ても寝ても更に眠れる。

しらふで寝ると中途覚醒がなく、ぐっすり眠れる。

ところが夜中におしっこに起きる。

排尿すると尿道に唐辛子液を流されたような激痛があり「ううっ」という痛みに耐える声が湧き出てくる。

また若干の残尿感も残る。

薬飲んでいるのにまだ薬効はない。

妻とドラッグストアーニ行き、トイレ行ったら隣に私より年上の爺さんがいた。

排尿時に「ううっ」という声が漏れ出たとたん「こいつ性病か」という眼付きで見て手も洗わずにそそくさと出て行った。

投薬6日目にやっとトイレが怖くなくなった。

まだ薬は1粒あったけど、その日はアルコール摂取した。

治ってしまえば当たり前の毎日が、どんなに素晴らしいことなのだろうかと思う。