家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

この時期のハチ

2015-09-13 16:03:18 | Weblog
今の時期春野の庭のヤマボウシの実が緑から赤に変わり甘い香りを漂わせている。

車から玄関までの間に4本のヤマボウシがあるので、その間は注意して歩く。

ハチが実を食べに来るのだ。

ハチは実が木になっている間にも食べるし地面に落ちても食べている。

木にはたくさんなっているし落下した実もたくさんある。

ところがたくさんあっても自分に近づくハチは攻撃することがある。

空中でからみ合い2匹が固まったまま地面に落下することもある。

私の頭の上に2度も落ちてきたし肩に当たって落下したハチもいる。

だからヤマボウシの下や回りは要注意なのだ。

ただハチの横を通過するというだけで何度も威嚇された。

たぶん私が彼の食べ物を横取りすると感じたのだろう。

ミツバチの巣にも相変わらずキイロスズメバチがやってくる。

じっと巣を見ていた。

キイロスズメバチは巣の下に隠れたり、また姿を現したりして獲物を探す。

空中に浮遊するハチ同士の戦いだ。

ここでもキイロスズメバチ同士の仲間争いが見られた。

ついにキイロスズメバチがミツバチを捕獲する瞬間を見ることができた。

弱ったものや傷ついたものなどを食べるのなら自然の理にかなっていると思うのだが実際には偶然のタイミングだけだ。

キイロスズメバチの姿を見ると体を震わせて「来るな」という意思表示する。

巣の外にいるミツバチが3匹も4匹もそろって同じ行動を繰り返す。

またキイロスズメバチに攻撃をするミツバチもいる。

一瞬の攻防を何度も繰り返した末キイロスズメバチがミツバチを捕らえて飛び去った。

キイロスズメバチの巣に持ち帰ってから食うものとばかり考えていた。

しかしすぐ近くの木に留まり、その場でバリバリと食っていた。

もちろんバリバリという音はしないのだが、その食べ方を見ると、そんな音がするのではないかと思えた。

ヤマボウシも美味しいが、この時期のタンパク質としては、「やっぱミツバチだろうね」と口が利けたら言うだろう。

オオスズメバチは強烈な酒の匂いに、もっと興味を引かれるらしい。

それは私の作ったスズメバチトラップで中身は酢と酒と砂糖のミックスだ。

発酵の進んだ酒の美味しさは私もよーく知っている。

酒の匂いに釣られてトラップに入り込み酔った上に酒で溺死する。

トラップの中は酒好きの連中で満ちている。

避難勧告が出た

2015-09-09 09:53:38 | Weblog
私の住む区に避難勧告が出た。

大雨により近所を流れる川の水位が増し氾濫の危険があるということだ。

妻と私のケータイには役所から随時メールが届く。

その中身が避難勧告の避難情報への切り替えであったり、また避難情報の解除であったり。

別の区のものでも送られてくる。

そして同じ情報を2度ずつ送られてくるから気が気でない。

さらに5月末から使用しているタブレットも災害情報アプリがけたたましいアラームを鳴らす。

自治体からのメールは、この台風が接近する前からであった。

私の住む場所は芳川という川に近い。

その川の下流では避難勧告が出た。

同じ区でも、そして同じ川の近くでも地域によって状況が違い私の住む地域は全く河川氾濫の恐れはない。

雨が上がっている時にいつもの散歩コースを歩いてみた。

氾濫の恐れのある川の堤防が私のコースだ。

川辺に生えているススキや草などの様子を見ると変わっていない。

水位が増して泥水が勢いよく通過すれば、それなりの跡が残っている。

だが、それらしい跡は全く見られず普段通りの緩やかな水位の低い川が流れているだけなのだ。

「これで避難勧告かぁ?」と疑問に思った。

きっと後になって「どうして避難勧告が出せなかったのか」と自治体がやり玉に挙がるのを恐れてのことかなと想像した。

隣接する小学校にも影響があり子供を迎える親たちの車が列をなして押し寄せた。

その渋滞は1時間にも及んだ。

さて私の住む市や区の様子がTVで流れたからたいへんだ。

久しぶりに連絡をしてくれる人が多くいた。

メールであったり電話であったり。

東京 京都 金沢 横浜 千葉などなど。

皆さんには安心してもらい連絡をいただいたお礼を伝えた。

嬉しかったしありがたかった。

台風による被害は無いが雨による被害と今も闘っている。

雨漏りだ。

屋上の壁のペンキ塗りを怠っていたため壁に沿って中に漏れてきた。

今もバケツや鍋と同じ部屋に暮らしている。

空が晴れたらやることは多い。




犬と歩きたい

2015-09-08 09:51:34 | Weblog
毎日振り続く雨の中の晴れ。

この一瞬の輝きの日、予定通りに駒ヶ根もみじクラフトに出かけた。

会場には老若男女が楽しそうにテントの店をのぞいている。

私は犬が気になった。

飼い主と一緒に歩くのだが、混み合う中でも、まるで一心同体に歩いている。

邪魔になってしまう犬はいない。

飼い主との毎日の充分な散歩が容易に想像できた。

背中に革製のバッグを背負っていたりハンチングを被ったり派手な洋服を着ている犬もいた。

「幸せそうだな、この犬たち」

日陰で休んでいる犬を見て飼い主に尋ねた。

「この犬は何という種類ですか」

「ポーチュギーズウォータードッグです」と答えた。

「ポルトガルの水の犬ですか」と言うと「そうです」と答えた。

「水のある環境にお住まいですか」と問うと「用水がありまして、そこに飛び込んで流れているペットボトルを拾って戻ります」と教えてくれた。

仕事のできる喜びを感じているから、こんなに落ち着いているのだなと感じた。

別の所に移動した。

テーブルに相席させてもらうことにした。

そのテーブルの横には黒いプードルと白っぽい犬が並んで座っていた。

私たちより少し年配の夫婦が飼っているようだ。

「この子は昨日お預かりしたばかりです。こちらの子は、もう年で明日逝くかもしれません」と言った。

聴導犬という人間のために働く犬を預かっているボランティアだった。

「この子(プードル)は若くて明日から訓練に入ります。白い犬(柴犬とポメラニアンのミックス)は最期を看取ってあげようとして預かっているのです」と言った。

我が家にも犬がいた。

ミニチュアシュナウザー犬で名前をカイザーと言った。

16歳で召されるまで家族として過ごした。

最期を看取る時には、たいへん辛い思いをした。

それが嫌で犬はもう飼うまいと決心したのだ。

「あの辛い感情を乗り越えている人たちなのだなぁ」と尊敬の眼差しの私。

気持ち良い場所を犬と一種に歩く喜びを再び味わいたい。

だが犬を看取る勇気はない。

たまには知り合いの犬を借りて仮初の幸せを感じるのが現実的で、ずる賢いやり方だと思った。






講師は村松友視さん

2015-09-04 07:21:29 | Weblog
身の上話からというか、自己紹介を含めて、ご自身のことから話し始めた。

上海仕込みの東京生まれの清水育ちだそうだ。

遠州森町の飯田村にも居たことがあるというのは我々聴衆との距離を縮める意味があったのだろう。

父親が亡くなったため祖父の籍に入る。

戸籍を見ると自分の一番上の兄が父親という奇妙な関係になっているそうだ。

そして育ちがまたすごいことになっている。

祖父は、その時々の愛人の家から妻子のもとに通ってくるというのだ。

母親は死んだことになっているのだが位牌はない。

その母が生きていることを祖母から教わるのだが、驚きの表情に苦労したようだ。

余りにも大きく驚くと今まで育ててくれた祖母の努力が無になるような気がするし小さすぎると既に誰かから聞いていたかと思われる。

何とも気の毒な気がするが、その時もうすでに作家としての素養が現れているのだろうと感じられた。

本日のタイトルである「旅ごころの不思議」に入る。

ここから数々の例を挙げて旅が通常の自分の心ではなくなる証拠を見せる。

新幹線で女性が車掌に「今日の空席は空いていますか?」と質問したという。

いつもならなんでそんなバカな言い方なんだと思うという。

だがその日は面白いと感じ、さらに車掌も「空席は満席です」と答えたという。

ちょっとネタ臭いと感じたが事実なのだろう。

タクシーに乗り宍道湖が見えてきて「ここから良い景色ですから良く眠れますよ」と運転手が言った。

食堂で女性がカレイの煮付けを食べていて裏返し「私、魚のB面が好きなの」と言ったという。

これが深い言葉のように感じ、これが旅の功徳なのかと思う。

ケータイが鳴ってオヤジが出て「お前よくここが分かったなぁ」と言った。

エピソードを語るとき左手でマイクを持っているときは右手が活発に動き雄弁にその情景を表現する。

マイクが右手に収まっている時には大して左手は動かないから、つまりマイクを持つ手を右から左に変えたとき面白い情景を思い浮かべているのだと察した。

人生が第三コーナーに差し掛かった老人というものを語る。

姿 形 佇まいを言葉で語ってしまうと大したことはないのだが別の角度で見て味わえば奥深さや広がりを感じるという。

日本の最高齢者であった泉重千代さんは女性について聞かれたとき「年上の女性がいい」と答えたという。

老人には特権的なユーモアがあり油断できない罠を持った人とも感じるという。

祖母から「リンゴは皮と実の間に栄養があるから丸ごと食べなさい」と言われたことを随分経ってから理解したという。

皮と実でできているリンゴには皮と実の間はない。

だがそこに何らかの栄養のようなものが潜んでいる。

だから人を見るときには名刺を見て肩書きや仕事で相手を見ようとしないで丸ごと見るようにするのだという。

よく笑いながらも大切なことを学べたと実感した。

笑わせながら大切なことを教える講師の筋書き通りに会場の皆が乗ったことを確認した。