家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

2013年の最後

2013-12-31 10:10:02 | Weblog
妻が通う美容院まで歩いていくことにした。

パーマをかけると言っている。

私が、もし早く到着してしまうと急かされてしまう。

ということで同時に出発した。

天竜川の橋を、どのように渡るのかはグーグルアースで事前勉強しておいたし、近くを車で通りかかった際に寄り道して見ておいた。

歩き始めて1時間ほどして妻からメールが来た。

天竜川の端に到達した段階でメールしようと思っていたのだが、まだまだだった。

腰まで水に浸かってレンコンを掘り進む爺さんと田んぼに落ちていたトンビの死骸を撮った以外に面白そうなことはなかった。

その後23分後に橋の上から現在地をメールした。

片側4車線の車専用道には、ひっきりなしに行き交う車。

その脇にある歩道には私以外に向こう岸から歩いてくる女性が一人だけだった。

この橋以外の橋からでも天竜川を立ち止まって上から眺めたことがない。

歩いて渡る橋ではないと認識している人は多いと思う。

その後は旧国1と旧旧国1を歩く。

別段面白そうな場所もないので目的地に向けて、ただ歩く。

約3時間で到着した。

意外と早いものだなと感じたのは私だけではなかった。

妻も美容院のスタッフも驚くほど早いと感じたようだ。

モーガンにトップを装着し窓を取り付けた。

ほとんど装着したことのないトップは気温の低さも手伝って、なかなか張れない。

固くなったビニールを指が痛くなるほど思い切り引っ張って30分ほどかかって完了した。

妻に伝えると「いいよ」と言って助手席に乗り込んだ。

少し走ると車内が温かくなって身体がリラックスしてきた。

しかしギシギシガタガタという雑音が消えることはなかった。

「今年初。いいじゃん。これならまた乗れる」妻の感想だ。

今年初めて乗ったという言葉に驚いたが、これからは、もっと乗りそうだという言葉に嬉しさがあった。

年末恒例の餅つき会に参加した。

餅を搗くために春野での重い作業は、この1か月間避けていた。

そのかいあって腰痛もなく十分に搗くことができた。

笑いと協同作業のうちに終了した。

年の締めくくりが、幸福な会で終わったことに感謝する。

今年を振り返って   4

2013-12-28 08:18:02 | Weblog
モーガンも活躍した。

秘湯めぐりに出かけたりMECJのミーティングに参加する定例行事はもちろんだ。

岐阜からの帰路には最高速度を示した。

梅ヶ島では土砂降りに遭遇した。

アルビオンのいうクラブに参加させてもらい動物園内に展示するというめずらしいこともあった。

雨用のトップを作成したし夏の炎天下に走れるようにヨシズトップも作った。

ただし、これはユーモア7割実質3割ということだ。

背中に積むトランクも骨董市で見つけた籐製でベンガラ塗りの物をユニオンジャックの旗と共に取り付けた。

その後同じ骨董業者から少し小ぶりな籐製トランクも買って、それらを交換しては楽しんだ。

修理個所は全くなく乗って帰って洗車するというだけで済んだ。

車検も全く問題なかった。

我が家を塗装した若い業者が私のモーガンに興味を持ち同乗させることになった。

塗装作業を中断して約1時間助手席に乗せて走った。

「もっと古い車の感覚だと想像していましたが、けっこう近代的な走りですね」という感想をもらった。

妻は相変わらず乗らない。

スポーツオープンカー。

私にとって良いフィーリングが彼女にとって騒音 振動 髪を乱す風という乗り心地の悪さと感じられるようだ。

でもこれはトップを張って窓を着ければある程度抑えられる。

老夫婦がモーガンに乗っているのも悪くない風情だと思う。

乗ってみたい人から乗りたくない人から個性的なモーガンの魅力は今年も私を裏切ることなく発揮された。

果たして来年は誰とどこを走り、どんな形をさせるのだろうか。

フロントガラスを付けるか外すかトランクはどれを積むか。

今からもうワクワクする。





今年を振り返って   3

2013-12-27 07:36:55 | Weblog
8月にハチに刺された。

痛かったが、それで吹っ切れたものがある。

毎年10匹くらいのマムシをとる。

つまり殺すのである。

最初は怖くて手も足も出なかったのだが精一杯のやせ我慢と努力で殺すことができるようになった。

すると「気の毒に」という思いが私に生まれた。

しかし逃がしてあげた話をY爺さんに伝えると殺さなかった私を叱った。

そこで「郷に入っては郷に従え」ということで再びマムシを殺すことにしていた。

ただそこには私の気持ちにすっきりしない感覚があった。

しかし今年ハチに刺されたことで、それが自然なのだと学習した。

なんの落ち度もなく突然ハチに刺された。

ハチの気まぐれにも思える行動が私の顔面を痛みで満ちさせた。

「これだ」と感じた。

自然というのは残酷に思える一面が多いものなのだ。

私がマムシを殺す。

それを食べるわけでもない。

しかしそれを捨てておくと別の動物が食べにきたり卵を産みに来る。

そして最終的には何らかの役にたって胃袋にはいったり土になったりして消える。

私も、いつマムシに食われるか分からない。

私のほうが先に見つけて殺しているだけだ。

まったく卑怯でもないし自然の法則に反しているわけでもない。

自然な自然との闘い。

山に生えている雑草を抜き去り、きれいな花を植えたが絶えてしまった。

その地に合った植物というものがあるらしい。

地面の中も自然との闘いの場所なのだと感じている。

最近再び山の草を抜き払って、その地にある気に入った植物を植えている。

生態系という掟は私のような無知な男が崩そうとしても簡単に崩れるものではない。

しかし簡単に崩壊するものもあるようなので要注意であることも確かだ。

今年を振り返って   2

2013-12-26 08:24:33 | Weblog
VHSテープからDVDに変換し、それが終了したら8ミリビデオテープをDVD変換している。

25年も以前の記録から、いろいろなことが分かった。

髪やヒゲが白くなったことは当たり前だ。

登場人物との年齢比較で我々の今を深く考えることに役立っている。

洋服というものは長持ちするものだ。

当時の物が、まだそのまま着られるし着ている。

太って着られなくなったら成長した子供に着せ痩せた自分に再び戻ってきたものもある。

旅行の動画がどうしても多いわけだが、そこでの動画撮影や写真撮りは子供たちが圧倒的に多い。

小学生が撮るのだからピントが合っていなかったり動きが速すぎたりする。

ましてや昔の機械だから今の物のような機能はない。

しかしよく撮ってくれたと思う。

親である私たち夫婦は楽しく飲んでいるシーンばかりと言っても過言ではない。

小学校低学年の息子が私の父にお酌する場面も出てきた。

亡くなった人や動物を見ると楽しかった思い出がよみがえる。

その存在感が匂いや肌触りを含めて戻ってくる。

どれも現在の我々を応援していてくれるという実感もわく。

のちの再会も楽しみなくらいだ。

また良くない思い出も、そのまま出現する。

声や態度を見て「ムッ」となることもある。

そんな時には「乗り越えてきたね」と言ってねぎらいの言葉をかけあう。

私が子供たちに行っていた指圧や車のタイヤ交換など映像で残っていないものに関しては残念に思う。

旅行のような特別のときではなく平凡な毎日が圧倒的に多く、そこでの生活が今を作っているのだから。

8ミリビデオデッキを貸してくれた友人は、その記録を宝物と呼ぶ。

私も同感する。

この宝物は老いた母にも宝物であろう。

若かりし自分が笑顔で話している。

日常の宝をこれからも記録したいと思っている。

今年を振り返って   1

2013-12-25 07:41:26 | Weblog
5月から月曜日から木曜日までは夕食をほとんど摂らないようにした。

発酵食品だけを少量摂る。

空腹で眠りにつくわけだが、それが快適だ。

朝まで熟睡できて眠りが子供の時のように深い。

驚くのは朝起きて空腹ではないという事実だ。

空腹では眠れないとかTVで見たものを食べたくなるというのは脳の作り出した「ウソ」ではないのか。

寝る前に「この空腹感は気のせいだ」と考えて寝ると、やはり朝起きて空腹ではないから自分の脳に勝った気がする。

熟睡できると血圧は安定しているし朝食が美味しい。

素晴らしい朝が始まるのだ。

金曜日からはアルコールを解禁する。

アルコールの解禁は嬉しいが、たくさん食べるということに関しては、あまり嬉しさは湧かない。

今年は、シイタケとナメコを収穫するようになった。

その出来具合は雨や季節と密接な関わり合いがある。

収穫時期を考えることで自然の法則のようなものを知る。

スーパーで売っているキノコ類を見ると驚く。

形も色も大きさも一定なのだ。

自然になるシイタケやナメコは同じものは一つもない。

できたシイタケや柑橘類をサルに取られて腹が立った。

それも少しカジっては別のものに手をつけてある。

「サルよ、もう少し丁寧に食べられないか」と言ってやりたくなる。

まともにひとつ食べればお腹も膨れよう。

仲間と分け合えば、また次にも残りにありつけるのだ。

しかし最近これは、自然界の掟なのかもしれないと思うようになってきた。

ひとつのものを皆で食べて全滅ということを避けるということ。

また最後まで食べないことにも何か理由があるのでは、と思う。

ひょっとして植物側からの希望があるのかもしれないし。

去年末に起こしたぎっくり腰で始まった今年であった。

目の付近を突いたりハチに刺されたりアブやダニに食われた。

いろいろな経験をし続けて避けられない老化を楽しみに変えてやろうと思う。

できていたものができなくなるのは当然だ。

やったことのないものをやってみることが大切だと思う。

前向きな老人を目指して短い一歩を出す。

オープンハウス

2013-12-04 07:55:59 | Weblog
森町の作家たちを訪ねて歩くオープンハウスに毎年参加している。

今年は2軒だけ訪れた。

まずは藍染の古布を扱うアトリエだ。

毎年訪れる私たちを待っていてくれた。

昼食を済ませてからお邪魔したがチマキとなめこ汁をご馳走してくれた。

「今チマキを蒸しているから、もう少し」と言って火の加減を見る。

ヘッツイやとオクド呼ばれる昔ながらのカマドを使って釜で湯を沸かし、その上に蒸し器を起き十分な蒸気で蒸し上げる。

燃え盛るカマドの中の薪の火やモウモウと立ち上がる湯気が美味しさの証明にも思える。

熊笹の包みを開くとクリやシイタケの入った豪華なチマキだった。

昼食をとったばかりだというのに、まるで別腹という表現ができるように美味しく食べられる。

熱さをこらえて、かまわず口に放り込む。

ネットリしたもち米やホクホクの栗が懐かしい味にも感じられる。

笹の葉にこびり付いた飯を箸でそげ落として一粒も残さず食べた。

味噌仕立てのナメコ汁もナメコのツルッとした独特の感覚がありがたい。

作家と火鉢を4人で囲んでほっこりする。

まるで身内という感覚だ。

この1年間の出来事を私たちに話すことを楽しみにしているようだ。

長居をして次の場所に。

ここは、しょっちゅう出入りしている友人の陶芸家の家だ。

大きな堀ごたつに入り火鉢に左腕を乗せて彼と話していた。

お客さんが来て同じこたつに座った。

「こちらの方は有名な方ですか?」と私のことを指す。

私が友人を指差して「この人は陶芸家に見えますか?」と聞くと

「はい。見えます」という。

気分をよくした友人はふざけて「こちらはライターです」と紹介した。

「ああ。そうですか。なにか都会の物書きのようなオーラが出ています」という。

浜松に住む無職なのだが気分が悪いはずがない。

そろそろ失礼しますという彼女たちに私が「それではまた来年」というと「この時刻に」とノリの良い返事が戻ってきた。

作家のためのオープンハウスに来て自分勝手なことを言って少し反省しながらもニヤニヤして帰宅した。





蓄音機とSPレコード

2013-12-03 07:47:26 | Weblog
知人が「お手伝いして欲しい」ということだったので行ってきた。

場所はヤマハリゾートつま恋ホテルフロント脇のカフェテラス。

ワンボックスから下ろすには4人がかりで、というほど重い。

重さの割に小さいから前を持つ人の足を踏みそうで気が気じゃなかった。

猫脚になった部分と本体を持ち小股に歩いて付いていく。

古いグランドピアノの前に設置した。

もう一つは小型で軽い。

ホーンをセットすると、いわゆる蓄音機然とした形が出来上がる。

1900年を少し越えたあたりに制作された木造のホーンだから貴重なものだ。

さて音を出すには儀式のようなものがある。

金属製の針を取り替えて本体横のクランクになった取っ手をくるくると回してゼンマイを巻く。

SPレコードには2種類の液体を垂らして拭き取り盤面を掃除する。

レコードをターンテーブルに乗せてレコードを回す。

鶴がクチバシを上に向けて首を捻じ曲げているようなアームをクルリと回して針を盤面に落とす。

その瞬間から音が出始める。

意外と大きな音だ。

ホーンの近くに席を置くと少々やかましく感じる。

少し後ろに移れば雑音が消えて柔らかな音が残る。

けっこう広い場所で聞いたにもかかわらず大きすぎる感じがした。

だから一般家庭では、やかましく感じられることと思う。

電気を全く使っていないにもかかわらず、この程度の音量が響くということはラッパの効果というものの凄さを感じる。

ただし高音域や低温域が出ていない。

しかし人の声などは迫力と柔らかさを感じる。

「今そこで人がバンドをバックにして唄っている」という感覚だ。

ビッグバンドから小編成のコンボになり最後に人の歌声のレコードという流れだった。

試しで掛けた「ホワイトクリスマス」を聞いて集まった若者やカップルもジャズが掛かると姿を消してしまった。

中年以降の人のみ聞き入っていた。

SPレコードは78回転で回るので、ほんの少しで終わってしまう感じがする。

1曲が短く感じられることと、その都度レコードを掃除して掛けなくてはいけないという煩わしさが少し不満に感じられた。

しかし、その手間を厭わないほど昔は何度も聴ける音楽としてありがたがられたであろう事は想像にかたくない。

停電になったとき、これを掛けたら近所の人たちが驚くこと間違いなしだ。

「なんで、あの家にだけ電気が来ているのだ」と、ちょっとした騒ぎになるであろう。

富士山とモーガン

2013-12-02 10:31:51 | Weblog
モーガンクラブMCNが日本平ホテルに来ている。

数人の友人が在籍しているので会いに行った。

朝食時に行くわけにもいかないし記念撮影の時がねらい目だと考えた。

日本平ホテル名物の裏庭の芝生には既に新旧モーガンにスリーホイラーと言われる発売されたばかりの3輪車が4台もずらりと並んでい
た。

私も隅に加えてもらった。

今日ほどくっきり姿を見せる富士山を見たことがない。

「富士山が主役なんだよ」とさすがの車自慢も今日は、その主役の席を譲っていた。

そこから清水港まで走り彼らがフェリーに乗船するところまで見送りさせてもらった。

楽しさを隠せない子供のような笑顔が、そこここに。

同じフェリーに乗り込む客もモーガンに興味津々だ。

私も帰り際に「かっこいい」と老女から声を掛けていただいた。

「ブォーン」「ゴロゴロ」次々に船内に飲み込まれるモーガンを撮影して彼らに別れを告げた。

その後は、同じMECJクラブ員H氏と共に三保の海岸に移動した。

そこからは、さらにはっきりと富士山が見られる。

富士山の下を走るヨットと私のモーガンをカメラに収めた。

H氏は、とっておきの店を教えてくれた。

本日の昼食場所だ。

元々酒屋を営業していて、そのお蔵を改造して店にしているようだ。

「御穂鶴」これでミホツルと読ませるらしい。

三保飛来した鶴なのかもしれない。

天ぷら定食を食した。

味もボリュウムも満足したから次は妻と来ることになろう。

料金を支払うとき「いい車ですね」と言われたので、これ幸いと「私の車とこの店を入れて写真を撮っていただけますか」と言った。

若女将が承知して快く撮ってくれた。

「これなら店の看板も写りました」と商売っけもちゃんと盛り込んであった。

また来られる距離で良い店を知ることは、とても気分が高揚する。

チェーン店に並んで入らなくてはならないケースとは真逆の嬉しさだ。

ついついガッツいて口の中を火傷してしまったようだ。

上顎の皮膚がザラザラとしていることに帰宅して洗車している時に気が付いた。