一緒に道路を歩いていると、やおら小石のような物を拾って、それを地面に置き踏ん付けていた。
何かの種に見えたらしく靴で踏んで割れるかどうか試そうとしていた。
それは、とても硬くてスニーカーで踏んで割れるようなモノではなかった。
それはムクロジという植物の種だった。
ムクロジの種は羽子板の羽の先端に付けてある黒い球だ。
少し進むと今度は道路に流れる水の流れが滞っている。
山から落ちてきている水が集まって流れが出来ている。
それが同じく山から落ちてきた枯れ葉や石で遮られているのだ。
棒切れを拾って石や枯れ葉を取り除くと流れが再開した。
棒を拾って作業しているのは私の妻だ。
春野で作業が終了すると一緒に約1時間散歩をすることが多い。
まだ我が家を出たばかりなのに、もう立ち止まって、いわゆる道草を食っている。
山は四季によって変化し続けている。
それを目の当たりにすると、どうしても自分の中の好奇心が勝手に動作を始める。
水路の再開は、小学校の頃よく雨上がりの下校時に傘の先端で道に線を引き楽しんだものだ。
この頃は道路の舗装が進み、この状況に出会うことはほとんどない。
道路に赤い花のカタマリが見られる。
空木(ウツギ)の木が上に在って、そこから落ちているのだ。
というように上を見たり下を見たり音を聴いたり匂いを嗅いだり、自然は次々と興味を引き続ける。
橋や災害防止の構築物などは人間の為す素晴らしい物だと思うが、いろいろな物が捨ててあるのはとてもがっかりする。
その中間というか気田川の上に川をまたいでこっち岸からあっち岸まで鯉のぼりが泳いでいる。
時期が終われば取り外すし問題はないと思う。
だが鯉のぼりより、やはり岸から這い上がる藤に白や藤色の花の咲いた姿の方がきれいで嬉しい。
何より一緒に歩く者の違いが最も大事だと感じる。