家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

3G佐鳴湖会議

2023-05-28 16:41:52 | Weblog

3G佐鳴湖会議を設立した。

3Gの意味は3人のジジイ。

佐鳴湖会議は佐鳴湖付近を散歩しながら過去の事や未来のことなどを大いに語るという意味だ。

つまり3人のジジイが集まりクッチャべって散歩をするだけの話だ。

このジジイは元々小学校の同級生だ。

この3人いい年になっても一番気が合うということだ。

どうしてこの時期になのかというと通称秀ちゃんがコロナで巣ごもりをしていて太ってしまったということからだ。

彼のアパートに行ってみると階段を下りてきた彼を見て驚いた。

激太りしている上に下りの階段なのに息が苦しそうなのだ。

彼の惨状を見かねた私弘ちゃんがマーちゃんに持ち掛けてマーちゃん家で昼食会を開いてもらい、そこでラインを繋いだり今後の計画を話し合ったりした。

1回目は佐鳴湖畔の桜を愛でる会となった。

この会は秀ちゃんが佐鳴湖の半分を楽々歩けたということで桜というより次にどれだけ歩けるのかという期待に胸弾ませて次回を待ち望んだ。

次は午前中から集まって歩き始めた。

前回とは反対周りで佐鳴湖を歩いた。

何のことはないすんなり一周してしまった。

一周6Kmという距離だがゆっくり回って自信をつけた。

午後は秀ちゃんがアパートで独り暮らしをしている部屋を借り、そこを「アジト」と命名して楽しんだ。

各々の卒業アルバムを持ち寄り顔と名前をはっきりさせて置いて、それぞれの記憶を思い起こし活発に話し合って脳を刺激しようという試みだ。

それなりに楽しかったが思ったほど鮮明な記憶というものは湧き出てこない。

かく言う私もマーちゃんが私の高校の卒業アルバムを見て「あっOだ。彼とは中学の同級生だ。彼は東西町で歯科医師している」と言った。

私と同じ町に住み彼の娘が私の妻のピアノの生徒だったから歯科医師なのは知っていた。

何という狭い世間なのだ、という前に私が今の今まで、彼が同じ高校の同級生だったというその事実に気が付かなかったということに驚いた。

適度な運動と美味しい物そして楽しい話題が古希を過ぎた我々には必要だ。

もうすぐ暑くなって熱中症に気を付けなくてはいけないしトイレが近いから歩く場所も限られてくる。

しかしそこは気が合った者同士うまくやり続けようと思う。


ヤマハメイト復旧

2023-05-19 08:39:04 | Weblog

長い間車庫の隅に追いやっていたヤマハのメイトを復旧することにした。

車庫から出す時にすぐに気付いた。

「ガソリンが入れっぱなしじゃん」

やはりガソリンは変質しガソリンタンク内は汚れだらけだ。

まずはこれをキレイにする。

それにはまず足元の風防を外しガソリンタンクそのものを外す。

そしてトイレ用酸性洗浄剤「サンポール」を使って錆落としをする。

使用後のサンポールはトイレに使用した後と同じように下水道に廃棄した。

ガソリンタンクに少しだけガソリンを入れてみた。

キックしてもエンジンはかからない。

そんな簡単にかかるとは考えていないが一応やってみた。

ガソリンタンクの後はキャブレターだ。

キャブレター内に入っているバルブなどはアクセルワイヤーと共に、そのまま袋に入れてオートバイに吊るしておく。

全ての繋がりを外してキャブレター単体にする。

恐る恐るビスを外してフロート室を開けてみた。

フロートなどはきれいなものだが室内は粉っぽい物や粘り気のある物等で満ちていた。

キャブクリーナーをひと吹きすると驚くほどきれいになる。

何度か吹きかけウエスで拭き取りネジを外してネジの中に吹きかけ穴とパイプが繋がり且つ錆等が無いようにする。

キャブレターを戻してエンジンを掛けてみる。

「掛かった」

喜び勇んで車体を基に戻してガソリンタンクを満たした。

するとキャブレターのドレンホースから「ツー」とガソリンが漏れ出した。

エンジンを掛けると初めのうちは掛かったがすぐに停まってしまう。

もう一度キャブレターの掃除が必要だしガソリンタンクの汚れたものがキャブレターに流れ込まないように「フィルター」を設置する必要がある。

何度かやっているうちに手際が良くなり記憶もしっかりしているので組み立ても簡単に感じるようになった。

バッテリー交換しエンジンオイル交換し点火プラグ交換も済んだ。

ナンバー交付も受け自賠責にも加入して、あとは元の姿に戻すだけだ。

車も自転車にも不便な時に活躍してくれると思う。

10年以上眠らせておいた間に自分が随分年取った。

だがそれを基に楽しい生活は広がると思う。

無理せず楽しみは広げよう。


モーガンミーティングに行ってきた

2023-05-16 08:45:25 | Weblog

モーガンミーティングに参加した。

私のモーガンは25年で手放したがモーガンクラブには、まだ所属している。

今回は友人が乗せて行ってくれた。

彼は50年以上同じモーガンに乗り続けている。

ミーティングで集まったモーガンの中では最古である。

高速道路も時速120Km出るし清里辺りの坂の上りも下りも問題ない。

皆と約2時間のツーリングをしてパーティーに参加し楽しく過ごした。

その仲間には私のモーガンを購入した人物も混じっている。

元私のモーガンは皆がよく知っているが人物だけは「初めまして」の感覚だ。

翌日、私は運転を任され自宅まで全て運転した。

さて今日は雨の予報だ。

朝食後ガソリン補給し、すぐに帰路についた。

やはり雨が降り出し中央道はゆっくりと走った。

双葉ジャンクションから中部横断自動車道に入ると雨がひどくなってきた。

この道路は新東名高速道路に合流するまでまだほぼ1車線しかない。

つまり先頭の車の速度が全体の流れを支配することになる。

少しプレッシャーを感じた。

というのはこの車、雨にはめっぽう弱いのだ。

20センチ未満の長さのワイパーブレードが2個付いていてフロントガラスの水滴を半分程度しか落とせない。

そして今のどの車にも付いているデフロスターが付いていない。

もちろんエアコンなど有ろうはずもない。

ではフロントガラスの曇りはどうするかというと「タオルで拭き取る」しかない。

雨が極強くなってきて、すると窓の上から水の侵入が始まり窓の内側に水滴が落ちてきてとても見にくい。

窓の内側にもワイパーが欲しかった。

トンネル内は雨こそは無いが前の走行車両の起こす水しぶきが煙幕のようになって走行を邪魔する。

しかもトンネル内の湿度が高くて窓が曇る。

それらの運転障害をタオルで解決して走る。

最悪のコンディションの中を無事走行していった。

静岡辺りを過ぎると雨も小降りになり走行車も減って余裕が出てきた。

「俺にハンドルが欲しい」「実は怖かった」と持ち主のO氏は心細さを吐露した。

私も怖かったが彼のほうがもっと怖かったことが痛感できた。

翌日忘れ物を取りに彼の家に行ったが既に直せるところは直し部品の手配も済んでいた。

直したところは、まさに職人技であった。

これが50年以上保持し乗ることのできる秘訣だなと思った。

やはり彼は偉大な存在だ。

 


蛍光灯の移動

2023-05-03 07:42:20 | Weblog

車庫の天井に設置してあった蛍光灯が、その下に木材などいろいろ置いてあるため車庫に届く光は限られ暗い思いをしてきた。

車が無くなった今は自由に出入りできるようになり、それは同時に天井裏にも入りやすくなった。

天井裏に入ることのできる場所は一ヶ所しかなく、そこに脚立を置いてよじ登る。

蛍光灯に接触するには木材を丁寧に重ね合わせて足の入る場所を作ってからだ。

長い木材の端を持って全体を動かすのは、とても力のいる作業だった。

手袋をしているのでトゲが刺さることはないが積もりに積もったホコリが体中に降りかかる。

今日は、新品おろしたてのズボンだった。

作業着ではあるが、いきなりのホコリは少し気が引けた。

蛍光灯の球を外すと、次にやらなくてはいけない作業が見える。

蛍光灯の球の上の反射カバーを取り外せば、あとはビスを2本取り外すのみだ。

ところがインパクトドライバーが手元にないためドライバーで1本ずつ手回しして外すしかない。

取れたら蛍光灯自体をコードの流れの反対向きに向かって下ろしていく。

今度は組み立て作業だ。

今度もインパクトドライバーの無いことが残念だった。

車庫の床に蛍光灯の光が届くと「これなら夜でも雨でも作業できるぞ」と嬉しくなった。

実際には、ほぼそういう状況は起きないと思うが。

ホコリだらけになって作業を終えて部屋に戻って妻に説明する。

苦労して作業しても、ほとんど私の苦労と喜びは妻には伝わらなかった。

妻は車庫を利用する機会はほぼ無かったし今後もないであろうから。