家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ソフビか?

2021-10-27 07:14:07 | Weblog
一日に一万歩は丸3ケ月を超えて4ケ月目に入った。
その一万歩のちょうど半分5000歩の辺りを歩いていると「おや?」と思うことがあった。
橋の上を渡り切ろうと思った時だ。
橋の反対側の土手から生えている木の上にソフビでできた恐竜のような物が乗っているように見えた。
橋を渡り切り車道を横切って道路の反対側に移った。
幸い交通量が極端に少なく、全く危なくない状態だった。
私が近づいてスマホのカメラを近づけると眼がギロッと動いた。
「生きてるわ」
木や草の緑とは違って水色を含むキミドリ、とてもこの国にある色ではないという感じだ。
常夏の国で見られるような蛍光色のような色だ。
また形としてもトカゲのようではあるが、背中やアゴに異様な突起物がたくさんある。
「これはただモノではない」と感じた。
近所で牧の木の葉を刈っている人の所に行った。
「今そこでイグアナのような50センチぐらいの生き物を見たんですけど」というと「タヌキだら」と答えた。
「だめだこりゃ」と感じて「ちょっと見に来てください」と現場に連れていく。
「ああ、こりゃあ育てるのを放棄しただら。今日は暖かいから日を浴びている。ほっときゃいいら」と言う。
私もそれでいいと思いそのまま帰宅した。
自宅で調べてみるとグリーンイグアナで草食、たまに昆虫を食べる、ということなので肉食顔の割には大人しいのだろうなと思った。
その夜息子たちに写真を送ってみると「イグアナは変温動物だから、これから寒くなったら死んじゃうかもね」と戻ってきた。
気の毒だが人間や家畜に被害が及ばないのなら、警察に届け出ることはないだろうと自分の思いを確認した。
だがニュースで取り上げられた爬虫類の逃走問題で飼い主は私がイヌやネコをかわいいと思うように、彼らも同じように考えているのだろうと思い始めた。
二日後もう一度散歩の途中で、例の木の上を見てみた。
「居たー」例の色の物体が木の天辺に見えている。
今度はちゃんとしたカメラで写真を撮り、そのまま自宅近くの交番に入った。
「届け出か何か出ていませんかねぇ」と聴くと「6月に○○町で出ています」と言った。
「少し離れていますが移動しますからね」と聴いて私も希望を持った。
どうか元の飼い主にイグちゃんが戻れますように。
イグちゃんと飼い主の両方が幸せになりますように。

三度の松平東照宮

2021-10-23 08:27:33 | Weblog
このひと月に3回松平東照宮に赴いた。
本来は10月16日にMECJという私が所属しているモーガンクラブのツーリング先として行くはずだった。
その前に一度自分一人で行ってみたのが10月10日だ。
往路と帰路を変えてみたのだが所要時間に30分差が出た。
山道なので渋滞などは一切なかったのだが道路工事による片側一車線で交互通行が二三ヶ所あり、その上スマホの地図情報を道路脇で確認したりで、その程度の差が出たと思われる。
二度目は本来のツーリングだ。
やはり大勢で走るのは楽しい。
一人で走るよりペースが落ちる分景色を楽しむ余裕ができる。
3回目は前回のツーリングに参加できなかった友人を先導していった。
爺さん同士なのでツーリングというよりも道の駅巡りという行程だった。
トイレは必要、売店は楽しい。
松平東照宮は3回とも別々の楽しみがあった。
一人で行くと自分の行きたいところしか見てこない。
団体で行くと世話人が駐車場を用意してくれてあったりして便利な面と集合時間など自分だけの時には無かった制限が生まれる。
今回はあまり歩かない爺さんが、どういうわけかサクサク歩いてくれたので楽しめた。
彼は毎日数百歩しか歩かないというのに自宅に到着した時に私の万歩計は7000歩だったから、かなり譲歩という歩きが加わって特別な喜びを彼も味わったことと思う。
私は毎日一万歩を目指しているから帰宅後すぐに残り3000歩の歩行を疲れの中強行した。
歩行後すぐに用意してくれてあった風呂に入り汗を拭きつつビールを頂いたものだから小学生よりも早いお眠だった。
そして朝までひと眠りという子供の睡眠をもたらしてくれた。
そうだ、思い出した。
昨日自宅まではまだ1時間以上の距離にある場所で、しかもまだ愛知県なのだが急遽それぞれの自宅に向けて帰路を変更することにしたのだ。
「雲行き」が急に悪くなり小雨も振り出したからだ。
聴いてみるとお互い、そこからは裏道を使い最短時間で帰れることが分かった。
「一緒にコーヒーを」という有終の美を飾ることはできなくなったが無事帰宅という何よりの行動はとれた。


4万歩29.9Km6時間12分

2021-10-12 10:32:33 | Weblog
歩く場所を探していた。
久しぶりに佐鳴湖にするか、と思いついたが、どうせならその佐鳴湖も目的地にしたら、と考えた。
もし疲れたらバスもあるし最悪の場合は妻に頼る手もある。
で、コースはというとなるべく平らな道がいいかな。
街中を超えると一気に道は細くなり坂が出てくる。
すると車の台数は減るが同時に歩いている人間も交通に巻き込まれ、こちらが留まって待ったり速足で移動したりする場面が増える。
「いやあ懐かしい」
私が高校に通っていたころ、ちょうど50年前の景色が所々残っていて建て替えた家ばかりではなく住んではいないが建物はそのままだったりする。
一番嬉しいのは建物もそのままで今も同じ営業をしているケースだ。
あちらこちらにカメラを向けて写真を撮る。
高校に到着すると校舎は建て替えられていたが通学用の東坂と西坂は当然のようにそのままだった。
さて一つの楽しみは終わり決めた場所への移動が主な目的になる。
ここからは平たんな道路になり広い通りの歩道をのんきに歩く。
商業用道路となってパチンコ屋や車屋、駐車場のある大きな商店が続く。
昼食のため第一目的地の店に入った。
いつも友人と一緒に入るが今日は一人なので店の人が気付かないかと思いきやさりげなく「今日はお一人なのですね」と言ってくれる。
割引き券を使って5%オフにしてもらった。
次に最大目的地の佐鳴湖に向かう。
広い道路は使わない。
せっかく持っているのだから、とスマホのマップを利用して狭い通路を歩く。
和菓子の店でドラ焼きを一つだけ購入した。
店主は意味が分からなく妻らしき人を呼んだ。
駄菓子屋のように一つだけ買うということが分からなかったようだ。
佐鳴湖を半分回ったところにある場所でテーブルにドラ焼きとコーヒーを置きイスに腰かけた。
ここが今日のちょうど半分の地点なのだ。
妻は私の現在位置を自分のスマホで調べられる。
盛んに「迎えに行こうか」とか「バスで帰ってきて」とかメールが来る。
だがとうとう休み休みながらも自宅に到着した。
面白い一日であった。
アルコールが効いてうたた寝するかと思いきや普段通りの夜であった。

椎の実とギンナン

2021-10-06 15:56:08 | Weblog
散歩の途中に椎の実とギンナンが落ちている。
両方とも誰も拾わないが私は両方拾うことにした。
ギンナンは茶碗蒸しに1コ入っているところ以外に見たことはないし椎の実は私も実は食べたことがない。
ギンナンは臭いので手袋を持っていくことにした。
散歩の帰りに拾ってきた。
落ちているギンナンの上を歩く人が多いので実が破れているものがある。
スーパーの袋に拾い入れて、その時使った手袋も一緒に入れた。
袋を縛るとき隙間が空かないようにギュッと縛った。
拾ったギンナンと手袋の入ったスーパーの袋は、とてもズボンのポケットに入らないので、そのまま持って帰宅した。
主婦は私が何を持っているのか気になるようで通りすがりに袋をじっと見つめる。
春野に行って臭い実から中身を取り出して硬い殻のみにして水洗いした。
何度も洗って臭いを取り去り、あとは火を通すのみにしてから持ち帰った。
椎の木は、わが家の周りに何本か在ることに気が付いた。
それは実が落ちていたから気が付いただけのことで樹を見て「これは椎の木だ」と気が付いたわけではない
公園など人の多い場所にある。
私は人目が気にならない質なので見ている人が居ようと拾う。
「椎の実ですか?」と言って通る人もいる。
こちらの袋は仕舞いおせないほどでもないのでポケットに無理やりねじ込んで帰宅した。
妻と煎り網を買いに行ってきた。
早速煎って食べてみた。
少し甘くて少し栗っぽい匂いがした。
妻が食べてみて「もう少し火に当てたほうがいいよ」と助言してくれた。
確かに生っぽいところがある。
「これは良い物拾ったな」と感じた。
ギンナンは166個で椎の実は193個有った。
これから春野で薪ストーブが始まる。
その上に置いておけば、ちょうどよい食べごろになるであろう。
縄文の人たちも食べて来たし、それ以来もずっと食べられてきた。
今の人たちは料理で出される以外は食べない。
歩いて踏んだり車のタイヤで踏んだり。
「食べ物を粗末にしちゃいけないよ」と教わらなかったのかな。