家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ガソリン使用量

2014-06-19 07:30:59 | Weblog
農機具用のガソリンがカラになり新たに5リッター購入した。

去年と今年にかけて10リッター使用したことになる。

ガソリンの使用は主に草刈り機で次がチェーンソーそしてエンジン式ブロアーだ。

一昨年と、その前は20リッターずつ使用した。

去年から少なくなったのは、草刈り機の先端を金属製のチップソーからナイロンのヒモ式にしたからだろう。

チップソーを使用すると草はキレイに刈れるし小石や切れた草が飛んでくることはない。

しかしヒモで刈ると地面を叩くので草は根元から千切れる。

その代わり終わったあとは体中に草の葉だらけになるし小石が主に前に出している左足に飛んでくることになる。

至近距離から石を投げつけられるのと同じ形だ。

痛いし汚れるから春野の近所でも私以外に使う人はいない。

私はヒモの場合足にプロテクターを着けて使用する。

面倒でも汚れても痛くても効率を優先する私はヒモは譲れない。

ガソリンの消費量も違ってくる。

チップソーと比べると軽い分は有利なようだ。

その反面回転数を上げなくてはいけない場合もあり絶対有利とは言えないが。

刈る場所によって、また何を刈るかによって変わってくる。

草が太くならない前ならヒモで十分ヤレる。

根元から刈り取るから次に刈る時期が遅くていい。

ということは刈る回数が減るわけだ。

去年からチェーンソーの使用が減ったこともガソリン使用料に影響している。

山の間伐が終わったあとは、さすがに多く使用した。

チェーンソーは、いつもほぼエンジン全開で使用するため燃費が悪い。

薪作りも終わり間伐材も運び出してからはチェーンソーの出番は少なくなった。

エンジン式ブロアーは冬場に枯葉を飛ばすために使う。

先日Y爺さんに聞いてみた。

「毎年どの位ガソリンを使います?」

「お茶刈り機を含めて全部で100リッター位だな」という。

ほとんどが草刈り機の使用で私の10倍使っている。

確かによく草刈していて草が長すぎたことはない。

彼の居るところは、いつでもこざっぱりした地面になっている。

平らな部分も多いが斜面も多く、しかも危険なほどの急斜面も丁寧に刈られている。

しかし10倍とは予想をはるかに超えた量であった。

「恐れ入りました」と尊敬を込めて伝えた。




アジサイの挿し木

2014-06-18 07:20:35 | Weblog
いつもの散歩道には多くの花が咲いている。

中でも、今の時期、旬なのがアジサイだ。

雨が降らないと散歩には好都合だがアジサイには少し気の毒に思える。

アジサイは特に雨の似合う花だと思っている。

青やピンク、ガクがキレイだったりアジサイの美しさは多様だ。

我が家ではカシワバアジサイが、きれいに咲いている。

妻の実家にあったものも咲こうとしている。

最近の私の好みとして白が気になり始めていた。

それが散歩の途中に咲いているのだ。

散歩の途中に、たまたま所有者が庭にいたものだから声をかけてみた。

「ここを散歩で通る者ですが、いつも楽しませていただいております」

所有者のご婦人は、きれいに咲いているアジサイよりも広い庭に生えている草が、みっともないと言って恥ずかしがる。

後日妻と二人で散歩して、そのご婦人と会った。

ご婦人は私に「アジサイを切って持って行ってください」と言ってくれてハサミを持ってきてくれた。

切っているとき「これらも挿し木で着けたのですよ」と教えてくれた。

数種類の枝をもらって帰宅し、それらを挿し木した。

友人宅で、その話をすると庭にあるアジサイを、これまた切ってくれた。

実は2012年に知り合いのおばあちゃんからいただいたアジサイを、おすそ分けした、その物だ。

彼のはキレイに咲いたが私のところはシカに葉を食われて「一から出直し」状態で花など咲くどころではない。

まだ赤ちゃんという感じだ。

彼は別の「クレナイ」という種類のアジサイもくれた。

それは私が、かねてから欲しいと思っていた種類だ。

ここにきて一気に増えた挿し木した苗。

全部着いて欲しい。

花屋で購入してきた苗と違って植えた人を知っているのが一味違う。

また挿し木という植物の特徴を使って増やすことも面白い。






講師は水村喜一郎氏

2014-06-13 08:44:51 | Weblog
今年も社会人大学が始まった。

最初の講師は両腕のない画家水村喜一郎氏だ。

いろいろ興味本位というか野次馬の見物的な姿勢で望んだ。

しかし話を聞いていくうちに生活や絵の描き方などに興味はなくなった。

壇上には正面の左側に額装された絵が3枚右側にホワイトボードに留められた絵が10枚掲げられていた。

マイクをセットされた中央に着席して「アトリエで一人自分と対峙するのが画家の仕事なのでラヂオを付けっぱなしにしている。それほど人が大好きだ」と言う。

とび職の父親の影響で多くの犯罪者と普通に知り合うような生活だった。

病気やケガは、あらゆることを経験した。

など多くの話題を持っていて、たくさん喋りたいという。

額装された絵の内でオレンジ色に熟した柿の絵は美智子様が購入されたものと同じだという。

そのいきさつを話すのだが話が逸れて別のところに行く。

逸れていった話も興味深いものだが美智子様とのことを聴きたいのにと思っていると再び戻ってきて、その話を聴くことができる。

子供の頃から絵を描くことが好きだったが学校の授業は、押しつけが多くて嫌いだった。

自宅で気ままに描きたいものを描くというのが性にあっていたし、それしか画家は描けないと言う。

母親は、早くから彼の才能を認め、全ての絵をとっておいてくれたそうだ。

それらがホワイトボードに留められた10枚だった。

両手を使って描いたものと口に筆を咥えて描いたものの差は分からなかった。

とにかく描きたいという衝動のままに描いてきたという感覚らしい。

あっちに行った話がこっちに戻り、戻ったはずがまた別の話を始めたりの繰り返しだった。

途中で私も気がついた。

「ひょっとして、この人の絵の描き方が、そんなふうなのじゃないのか?」

家を描いているうちに空を描きたくなり、そうしたら庭の木を先に描かなくっちゃ、というように。

そして全体的に絵は仕上がってくる。

話も結局13枚の絵の解説は全て終わり美智子さまとの逸話も披露し彼の類まれなる人生の何コマかは理解できた。

まだまだ聴き足りないうちに時間切れとなってしまった。

人を惹きつける強い力を、いつもは絵で表現しているのだなと感じた。

講義が終わって絵を間近で見ることができた。

オレンジ色に見えた柿が実は、もう少し赤っぽく色々な色で複雑に構成されていることが分かった。





新芽2種類

2014-06-11 09:19:09 | Weblog
「お多福」という種類のショウガを植えて、もうしばらくになる。

待てど暮らせど芽が出ない。

2列にきちんと植えて、その上に枯葉を乗せておいた。

説明書に書かれた通りに処置したはずだ。

だが表面上もうどこに植えたのかも分からなくなっている。

「枯れたの?」と言いながら、明らかにショウガの芽ではない草を抜いた。

その日は午後から大雨が降った。

翌日行くと芽が5センチほどの長さで土から伸びていた。

「あれ。昨日は全くなかったのに今日は、もうこんなに伸びて」

枯れてしまったかもしれないと思うほど芽吹きが遅かっただけで、ちゃんと芽を出した。

昨日と今日の違いに喜びの驚きがあった。

植物のタイミングを測る能力と、その後の処置の速さに感嘆する。

ホクホクした嬉しい心持ちで敷地を回る。

「あれ?」

去年の10月15日に襲来した台風26号で倒れたイイギリの大木。

そのまま横たわっているのだが、その幹から枝が伸びている。

「枯れたんじゃないの?」

20メートルの長さの樹木が倒れて根っこが地表から無理やり引っ張り出された格好になっている。

どう見ても枯れているだろうと思っていた。

しかし実際には生きていた。

わずかに地中に残った根が先端を切り落とされた幹を栄養し発芽までさせていた。

なんという生命力だろう。

あれから半年間生き延び、さらに将来を見据えて新しい葉を伸ばした。

土を耕し掘って埋め枯葉を乗せて水まきをして育てたのとは違うたくましさ。

だが時期を見計らって芽吹きさせるのは同じだ。

植物の能力に感激した。

花の美と生活

2014-06-07 09:52:22 | Weblog
春野に到着して車を出ると「ブーン」という小さな音が聞こえる。

ウメモドキの木に咲く小さな花にミツバチや少し大きめのハチが蜜を吸いに来ているのだ。

1匹1匹が放つ音が和音となってウメモドキの周りをウナリ音で充満させる。

ミツバチたちの音は仕事としてのものではなく喜びの音のように聞こえる。

またウメモドキとしても、このミツバチたちの花への接触を感じとり生きる喜びを感じているに違いない。

ウメモドキに起きている植物と動物の祭典を見たあと車に戻ろうとした。

車の横でアヤメがキレイに咲き始めている。

花を巻き取って梱包したかのようなツボミに何かが留まっている。

見るとムシヒキだった。

接近して写真を撮ってもピクリともしない。

何かに集中している感じだ。

ひょっとしてミツバチを狙っている?

このウナリ音はムシヒキにとってみると目の前に並んだ無数の食べ物か。

ウナリの中に加わるのも退去するのも命懸けということだと人間の私は知った。

後日10本の花目のうち9本のアヤメが完全に開いた。

色や形がキレイだなぁと思う。

花の紫色の中に緑色が見えた。

よく見ると、そこに小さなクモがいた。

写真を撮ろうとすると逃げる。

なお追いかけて撮ろうとしたら足を挙げて威嚇した。

調べてみたらコハナグモという種類だった。

お尻が白くてタコのイラストが描いてあるようで滑稽だ。

彼は、ここで食事したくてエサを待っている。

花を人間が見て感じることとハチや昆虫たちが見て感じることは違うにちがいない。

彼らは蜜を吸うのも生活、蜜を吸いに来たものを襲って食べるのも生活。

そのお互いの生活が開花によって始まる。

開花は生き死にのスタートでもある。

私の待つ開花と動物たちの待つ開花の違いは、とてつもなく大きい。





息子の帰省とマロちん

2014-06-03 06:34:06 | Weblog
結婚式に出席するため長男が帰省していた。

マロちんが彼を歓迎することは以前にも書いたと思う。

他人が来ると警戒してしばらくの間姿を消し安全であろうと思うと出てくる。

しかし次男の場合もそうなのだが、まるで警戒心がない。

いつもの場所で寝ていたり、エサを食べたりトイレをしたり。

久しぶりの猫の感触を楽しみたい息子たちに捕えられる事を受け入れる。

そのまま膝に入れられ撫でられ写真を撮られても平気だ。

長男は約3日間滞在したのだが、まるで平常心のままだった。

だが彼の上京後一つのことに気がついた。

夜間に限って私とだけ遊ぶ行為を日中も催促したことだ。

彼が居るときにも。

「昼間からやらないよ」と言って、その遊びを私は拒否していたのだ。

「お前いつもなら寝ている時間じゃないか。寝に行けよ」と。

だが、事あるごとに私と目を合わせ遊びを要求する。

長男が去り、いつもの「夫婦と猫」の生活が戻った。

シャワーに入ろうとすると、あの催促の目だ。

「よし。それなら」と言って軽く遊んだ。

シャワーから戻るとマロちんは椅子の上で寝ていた。

寝不足と満足感から熟睡しているようだ。

いつもより4時間も早い就寝だ。

ひょっとして猫も一人っ子的な精神状態になっているのではないか?と思い始めた

常日頃話をするにも私と妻の話が興に乗り会話が弾み始めると「ニャー」と横槍を入れる。

「マロちんも入りなよ、話に」と言って二人が話を停止してマロちんを見ると満足して黙る。

それが息子がいれば、当然私たち夫婦は彼に気を遣いマロちんは愛情不足を感じ取るかも知れない。

我々夫婦の関心の的はマロちんでないと気がすまない。

寝顔を見て、そう思った。






東屋に再び水を引いた

2014-06-02 07:12:42 | Weblog
道路を隔てて下側に東屋がある。

以前は、そこにも沢からの水が引いてあった。

ホースが詰まったとき以外はダバダバと音を立てて竹から下の水ガメに水が落ちていた。

沢からの取水パイプが倒木によって壊れてからは水は一切来なくなった。

沢からのホースは水路を詰まらせるため撤去したが一部は、そのまま残してあった。

ホースばかりあっても敷地内で使いおせないからだ。

当初から、そのホースは水道とつなげてあって、切り替えて蛇口をひねれば水が逆流するようにしてある。

沢からの水が来なくても水道を使って筧から水が出るようにしておいたのだ。

「そうだ!!!!!」

残してあるホースと余っているホースをつなげば東屋まで水を引けるのではないか?

さっそく残してあるホースと東屋に繋がるホースとの距離を測ってみた。

荷造りヒモを使って全体の長さを測る。

余ったホースで足りることがわかった。

次につなぐ作業に入る。

道路をまたぐため道路下にパイプが埋設されている。

その中をどうやってホースを通すかが最も難問だった。

1メーター四方で深さ1メーター20センチほどのコンクリート製の枠に入りパイプの中にホースを通す。

水が流れていれば木にヒモをくくりつけて流し、そのヒモにホースをつないで引っ張ればよい。

しかし水は流れていない。

直接ホースを送り込んでみたが途中で止まってしまう。

この下水というのは動物たちの隠れ家でもある。

ネコや穴熊やヘビが下水に逃げ込むのを何度か目撃している。

途中で止まったのはケモノがいたからか?

ホースが怖くて、こちらにケモノが出てこないか?

もしくは腹を立てて攻撃してこないか?

このコンクリート製の枠からは狭すぎてパイプの中を見ることができない。

怖くなって穴を少し離れた場所から覗き込んでみた。

何もいなかった。

次に思いついたのは煙突掃除用の金属だ。

ロール状に巻き取ってある。

これで5メートルは伸ばせるのだが、きっちりすぎて余裕がない。

妻に手伝ってもらって何とかヒモと結んだ。

あとは、そのヒモにホースを結んで引っ張るだけだ。

約30メートルの長さのホースは長くて取り扱いが厄介だ。

だが、どうにかホースの先端と最後尾を接続できた。

水道の蛇口をひねる。

ヤッタ!東屋に水が戻ってきた。

私の「遊びたい」気持ちも東屋に戻ってきた。

コジュケイの巣

2014-06-01 07:46:23 | Weblog
我が家を通りすぎてYじいさんの家に向かったところにも敷地が広がっている。

しかしほとんど草刈り以外には近寄ることもない。

気になっているツル性植物の写真を撮りに行った。

すると小さな鳥が2羽飛び出てきて大騒ぎする。

1羽は上に逃げ、もう1羽は私の右肩をかすめて飛び去った。

カメラを持っていたので動画モードにして撮った。

私の後ろに飛び去った鳥は逃げたわけではない。

私の注意を、そちら側にそらそうと後ろで騒ぎ立てる。

だが動画を撮影中の私は振り向かないし、その場を移動しない。

業を煮やした後ろの鳥は、わざわざ大きな羽音を立てて私の左側に飛んできた。

上に移動した鳥も大きな声を出して更に上に移動したり横に移動したりを繰り返す。

巣の位置を悟られまいとしてやっている行動であることは、すぐに分かった。

2羽とも、どこかに飛び去った。

私がツル植物の写真を撮っている時に再び彼らが戻ってきた。

遠くで眺めていると、やはり巣であるらしい場所に入っていった。

道路脇の捨ててある間伐材の重なった、その下だ。

ここは猫も良く通るし猪も通るしヘビも通る。

こんな危険な場所に巣を作ることが信じられなかった。

巣の前で立ち止って静かにしていると一瞬「ジョッ」という声が聞こえた。

人の気配にも気がつかずに声を出してしまうことも信じられなかった。

先日私が設置した孟宗竹の巣箱にシジュウカラが何度目かのヒナを孵したのだがカラスが近寄ってきたことがあった。

そのときは、私が大声を出して追っ払った。

「巣をどこに作ってもリスクはあるもんだよな」とコジュケイの気持ちを察した。