家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

その年の最後は餅つきで

2011-12-31 09:31:33 | Weblog
その年の最後は餅つきで締める。

恒例となった餅つき会に参加した。

例年腰痛や不調で、ほとんど手伝えた例がなかった。

しかし今年は良さそうに思えた。

しかも春野で土木工事をやっていたので少しは自信があった。

さて杵を持ち臼に打ち込む。

20回もつくと、もう疲れてくる。

「なんだ。思いのほか使えないなぁ」と自分を評価した。

スコップの使用頻度が高くツルハシは少ない。

腰の使い方が違うから餅つきには通用しなかった。

さて主催者は私と同い年。

最後に見せてくれた彼の実力。

つく力は餅に当たる音と地響きで感じ取れる。

つく早さは誰よりも早い。

そして50回ついても、まだまだやれる。

腰だけでなく腕力も脚力もかなり強いことが分かった。

「よし。来年は30回楽につけるように自力を付けよう」と年末の誓いを立てた。

春野で今取り掛かっている土木工事が終了したら別の所の土木工事をするのだ。

自分の筋力アップを一年後の餅つきで証明する。

来年の良い目標ができて楽しくこの一年も過ごせた。

ありがとう。


怒りの忘却と記憶

2011-12-29 08:05:02 | Weblog
3車線のバイパスで私は右の列を走行していた。

トラックで乗用車で私という順番は信号機からずっと変わらない。

適度な速度で適度な車間距離を保っていた。

バックミラーに女性の運転するワンボックスが左車線に変更したのが見えた。

私の左側を通過して、その直後ウインカーを点滅させて右に入ってきた。

そのままでは接触する距離だったのでブレーキをかけて前の位置を譲った。

だがクラクションを長く鳴らした。

今の危険な行為に不満を表明するためだ。

この女性は私を追い越すためだけに左側車線に移り、そして前に入ってきた。

何かの間違いで人の前に入らなくてはならなくなるときもある。

そんな時にはハザードを出して感謝やら謝意を表すのだが、それもない。

高速道路などで「スッ」と前に入って、また「サッ」と車線変更するとてもスムーズで鮮やかなポルシェなど。

それはそれで拍手を送りたい。

「なんだよ。危ないだけで意味ないことするなよ」と感情の高ぶりを抑え切れなかった。

だがこのままでは、いつまでも不愉快だ。

「よし。このイライラが何時まで続くのか試してやろう」と考え方を切り替えた。

ラジオをつけた。

3局選び変えてみたが、どれも面白くない。

CDに切り替えた。

前の曲の途中から始まり次の曲になった。

ルイ アームストロングのwhat a wonderful worldだった。


I see trees of green, red roses too 深緑の木々、赤いバラ

I see them bloom for me and you 美しく輝いている、僕と君の為に

And I think to myself, what a wonderful world見るたびに思うんだ、”この世界はなんて素晴らしいんだろう”って


ところどころの単語しか聞き取れないし意味は不確かにしか理解できない。

だがこれは没頭できた。

「おっ。今忘れていたぞ!さっきの出来事」

急いで時計を確認すると事件後6分しか経過していない。

「6分で忘れられるのか」と自分でも驚いた。

だがこの実験は思わぬ弊害があった。

6分で忘れることのできた出来事を何度も何度も鮮明に思い出すことにつながってしまったのだ。

時の経過を利用して自然に忘れたほうが記憶という装置に書き込まなくても済むようだ。



肉球マークの表札

2011-12-27 08:01:07 | Weblog
夏の暑い盛りに静岡文化芸術大学の生徒に教わって造ったアルミ無垢材の肉球マーク。

やっと表札として春野の道路沿いに掲げた。

シルバー色のアルミ材に対して枕木のこげ茶色が合うのではないかと考えた。

枕木が余っていたことも使う原因となった。

その枕木の適当な位置に肉球マークを取り付ける。

いろいろな方法があるのだが肉球マークの厚さの分だけ削り取って、そこにはめ込むことにした。

そして枕木自体を土に埋め込む。

さらに銅板葺の屋根を乗せた。

この屋根は以前郵便受けとして使用していたものだが風雨で、あっけなく壊れてしまった。

屋根だけは無傷で残ったため、それを流用した

それだけでは何となく寂しいので枕木にL型金具をつけて何かを吊るそうと思う。

また枕木の埋め込まれた土の回りに「龍のヒゲ」を」植えた。

来年になれば「龍のヒゲ」も繁茂し落ち着いてくるだろう。

融けなかった雪が少しボロを隠してくれた。



地質調査

2011-12-25 08:23:16 | Weblog
我が家の北側にある道路を挟んで二軒分の分譲地がある。

一軒分残っていた区画に何やら作業をする人たちがいた。

家が建つのであろう地面にヒモが張られた。

その中で何かをしている。

出かける前であったが興味が湧いてきた。

「何をされているのですか?」と聴きに行った。

「地質調査です」と女性。

駐車されたワンボックス車の中にはコンピューターと、いろいろな機器が積まれていた。

車からは何本かのコードが地面とつながっている。

親方らしい人物と話が出来た。

地震波と同じ波を使って地底10メートルの位置まで地質を探っているとのことだ。

コンピューター画面を説明し、ついでに波の変化も教えてくれた。

地底に波を発射する機器用の電源である発電機を持ち上げるとコンピューター画面の波は急に小さくなる。

また親方が「ドスン」と地面を踏みつけると即座にその波がコンピューター画面に現れた。

「ほほう」と私は、その精密さに感心し、さらに興味を覚えた。

コンピューター画面には横軸に地面の固さ縦軸に地面の深さが表される。

発信機が発した波は地底に潜ってゆき、それを地表に置かれた端子が二箇所で感知する。

この土地は我が家と、ほぼ同じ条件だから、この土地の評価が我が家にも当てはまる気がした。

だが「極端なことを言うと1メートル離れると全く違うということもあります」と言われた。

地表の見かけが地続きの平らな平地でも中は谷になっていることもあるからだという。

「液状化の恐れはありますか?」の質問に「少しありますね」との答えだった。

基礎をしっかり作り鉄骨の太いものを使用して建てた我が家だが液状化してしまったら無意味に近くなってしまう。

少し残念に感じていると妻から電話が入った。

でかけるためにエンジンを掛けてある車の中からだった。

「どこにいるの?」

「目の前の作業現場だよ」とじかに声の届きそうな位置で答えた。

丁寧にお礼を述べて車に乗った。

待たされて不機嫌そうな妻と興味津々の出来事を見てきた私の差が激しい。

まだヒーターの効かない車の中は寒かった。


火棚

2011-12-21 07:27:23 | Weblog
春野で薪ストーブを焚くようになったら、その熱源を暖を取るだけに使うのではもったいないと思うようになった。

自宅同様こちらにも火棚を作った。

余っていた2×4材と1×4材の2本ずつを使って作った。

1×4材は半分にして計4枚にした。

まずは2×4材と1×4材を組む。

2×4材に四角形の穴を空け1×4材は先端を切って差し込む。

その段階で柿渋による塗装をしておいた。

次に、それらが抜けてこないように1×4材に穴を空けて、その中に串のような丸棒を差し込む。

1×4材には穴を空けておいて、そこに取ってきた竹を通す。

これで火棚の出来上がりだ。

さてこれを麻製の太さ12ミリのロープで天井から吊るす。

ちょっとめんどうだがロープ先端は、こちらも柿渋を塗りこんだ綿糸で縛ることにした。

脚立に乗っての作業は、この季節冷たい。

靴下やズボンの下から脚立の冷たさが伝わってくる。

予め別のヒモを使って火棚を天井から吊るしてみた。

その4本のヒモのうち1本の長さを基準にして水平機で水平を確認しながらロープで留めていく。

部屋の中央の空間に約一畳の大きさの物体が釣り下がる。

違和感。

だが不都合はない。

ただし、ここに何を乗せて乾かすかは未定だ。



世田谷ボロ市

2011-12-17 09:24:47 | Weblog
岩水寺のフリーマーケットが催されなくなって久しい。

静岡にある護国神社の蚤の市に行ったのは暑いうちだ。

やはり定期的に見ていたものが無くなってしまうのは寂しい。

ということで世田谷ボロ市に行ってきた。

当初東名バスで行こうと思っていたが、このところ午前中は何回もトイレに行きたくなるのでバスは中止。

新幹線で往復することにした。

路線バス、新幹線、山手線、京王線、東急世田谷線と乗り継ぎ午前10時にはボロ市に到着していた。

露天が並び客がゾロゾロと歩いている、その中に紛れ込んだ。

刀の鍔(つば)や神棚そして臼と杵。

今まで、こういう場所で見たことのない物まで並んでいる。

こうなると見る気満々になる。

といっても高価な物や貴重品などは売っているわけもなく目の保養にはならない。

先日浜名湖2&4部品交換会でモーガンO氏は万単位で取引されているミニカーを500円でゲットした。

私も、それに倣ってみたが今回も知識不足で掘り出し物は見つけられなかった。

世田谷代官屋敷で大木を見上げたり揚げたてのコロッケを食べたりして楽しんだ。

読めない漢字が書かれた丼が3000円で売られていた。

「1000円になる?」と聞くと妻が「えっ?」という顔をして私を見た。

「いいよ。1000円で」という売り手の中国人の言葉で妻はさらに驚いたという。

3000円という値札は付いていたが、それは付けた人の価値観。

南米人の売っていたセーター6500円を650円と言ったらどうする?と妻に聞いてみると「走って逃げる」と答えた。

さて世田谷ボロ市を見終わり次の場所に移動した。

西荻窪の骨董屋を巡ることにした。

路線の都合上吉祥寺に一旦降りて中途半端な食事をとることにした。

「一圓」でギョウザとラーメンを食した。

普通の餃子の5倍ほどもありそうな大ギョウザに妻のシナチクラーメンのシナチクは私に譲ってくれても多すぎるくらいだった。

西荻窪までは路線バスで移動し東京女子大前で降りる。

骨董屋は以前ほどの活気はなく閉店した店もあった。

散々歩き回りヘトヘトになるが毎日歩いている効果とコーヒーにケーキで再び元気を取り戻す。

あたりが急に暗くなり始めて風も冷たくなり「帰ろうか」ということになった。

電車の中で空席を「どうぞ」と勧められた。

妻にではなく私に譲った。

自分でも伸びた白いヒゲが気になっていたが他人から見てもジジイになったようだ。



舗装路も太る

2011-12-15 07:06:44 | Weblog
朝ゴミ出しをするときに気がついた。

我が家の駐車場の横のドブの中がきれいになっている。

いつもは枯葉が落ちていて時々私たち夫婦が片付ける。

「誰だろう?」

そんな話をしながらゴミを出しに行くとドブから拾い上げた枯葉のようなゴミが出されてあった。

「これうちのじゃないか?」

「どうして分かるの?」

「いや何となくね」

会話を続けて、そのまま散歩に出た。

違う道から家に近づくと道路工事の音がする。

我が家の駐車場につながる道に出て分かった。

ドブ板をはめる工事が行われていた。

ドブのふちのコンクリートを削り落としている音だったのだ。

この土地を駐車場にするとき、ここにドブ板をはめるかどうか迷い結局止めた。

それは駐車場が角に位置し、その立地を悪用して中を通り抜ける輩が出ると思ったからだ。

駐車場を通過すれば一旦停止もする義務はなくなる。

駐車場を造る業者は「ドブ板はサービスで付けさせていただきますよ」と言った。

だが訳を話して危険を避けるために、あえてドブ板をはめないでおいた。

ところがドブ板をはめる工事をしている。

公共のものに公共のドブ板をはめることに異議はない。

工事業者はドブ板をはめないと道路が広がってしまうと言った。

つまり道路幅が広くなりドブの幅が減っていくようだ。

「道路も太るのだな」と感じた。

業者は道路が広がっている部分まで私を連れていって説明してくれた。

「なるほど」と納得して写真を撮った。

これで枯葉を拾うことからは開放されたが当初の懸念が現実のものとなった。

角に駐車してくれている人の車も傷つけられないか不安だ。



ジジイとエンジン

2011-12-13 07:33:33 | Weblog
浜名湖 2&4 スワップミート VOL8 に行ってきた。

やはり今回も発動機が大きな音を立てて存在感を大いに示していた。

「スパン スパン スパン」と歯切れよく「ドコン ドコン ドコン」と腹の底に響く重低音。

煙が立ちこめ臭いが辺りに充満する。

人の手では持ち上がらないほどの重量のエンジン。

鉄のカタマリの雄大さはオトコの心をつかみ取る。

それらを作動させているジジイ達が、また活き活きしているのだ。

顔に深いしわを刻み頭髪は白くなり、また無くなっている。

だがその生きている眼が童心のままだ。

まるでこの発動機のように外観は古いけど充分に動き、その心音は力強い。

オイルは滲み出すし、かけるのに一苦労するが一旦かかってしまえば音もなく「ヒューン」と回転ばかり速い若者エンジンにゃー負けねえ。

機械も人間も古くなることが美徳であり早く古くなりたいと思わせるほどに古さが若さを圧倒する。

それを見て喜んでいる初老の私も同じ眼をしていたのだろう。

新しいことは「若いねえ」という「まだまだ未熟」の証明だ。

使って減った鉄。

使って付いた傷にできた錆。

若い頃の塗装という体裁をはがして現れる本分。

長い年月を経て完成に近づいているジジイとエンジン。



湿度

2011-12-12 07:20:43 | Weblog
湿度計付の時計を買った。

今まで部屋の中の湿度を計ったことがなかった。

朝春野に到着して雨戸を開ける。

湿度を見て驚いた。

81%だった。

このままの状態で雨戸を締め切りにしておいては木が傷む。

薪ストーブで、ある程度湿気を排気することができるかもしれないが、それはかなり限定的だ。

換気扇を付けっ放しにしておくという手もあるが雨降りの場合湿気を吸い込むということもあるらしい。

いろいろ調べて「常に電源を入れておく」という除湿機(ルームドライヤー)にたどり着き、さっそく購入した。

湿度60%を目安に自動的に作動したり停止したりする。

現在付けてある換気扇を取り外し、そこに取り付けた。

この除湿機の良いところは水を捨てなくてもよい点だ。

空気中から吸い寄せた水分を気体のまま外に放出する。

だから電源を入れっぱなしにしておけるのだ。

午後2時48分に装着して、その時の湿度は69%。

2時間後に68%だ。

翌朝10時53分73%で14時10分68%。

81%あったときに窓を全開にしておいたら56%になったので、こちらのほうが効率は良い。

しかし窓を開け放して帰宅するわけにはいかないし60%未満になれば運転停止するわけだから電気の無駄は少ない。

窓を開けることが毎日ではない家には必需品だと思っている。

しかし電気代が気になるところだ。

結露する天井を修理することを思えば、それでも安いはずだとも思う。



シイタケ農家

2011-12-07 06:57:17 | Weblog
シイタケ農家としての第一歩を歩み始めた。

我が家にあるコナラを、まずは切り倒すのだ。

Y爺さんと約束してあった。

「この日の午前中にお願いします」と。

いつもより早く春野に到着した。

だがY爺さんの軽トラが既にありコナラ林に登って行くところが見えた。

急いで雨戸を開けて作業着に着替えて駆けつけた。

もう2本切り倒してあった。

「ゼンゼン、オレ必要ないじゃん」

「どれとどれを切るか」まで決めてあったので私が居なくても作業はドンドン進んでいる。

倒れる方向を決めるためのロープを持ち倒れ掛かったら、そのロープを放すという貴重な役割を私に、あてがって貰った。

「ゼンゼン、オレ主役じゃないじゃん」

「あれと、あれ。どうする?切るかね?」

「はい。お願いします」

コナラの根元に生えているササやら草やらをナタできれいに切り払うY爺さん。

「なんだか手術前にペニスの周りに生えている陰毛を処理しているようだな」と感じた。

思わず私も近くのササを引っ張ってみたが葉っぱしか取れなかった。

ロープをコナラに掛けて危なくない場所のコナラに巻きつけて待つ。

Y爺さんがチェーンソーで切込みを入れて反対側から切ってゆく。

ペニスが、じゃなかったコナラが「グラッ」と来たところで私がロープを引き、うまい位置に倒れ掛かることを確認してロープを放す。

「ザザーン」と倒れた木の上に今切った木が倒れる。

都合8本切り倒してもらった。

来月になったら適度な長さに揃えて刻み、それにシイタケ菌を打つ。

さらにそれらのホダ木をコナラの葉で覆っておく。

最終的に、それらのホダ木を立てかけてシイタケの生るのを待つ。

シイタケ農家になれるのは再来年のことだが今からもう待ち遠しい。