家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

浜名湖アートクラフトフェア2011

2011-09-24 16:11:20 | Weblog
浜名湖ガーデンパークで行われている浜名湖アートクラフトフェアに行ってきた。

暑くも寒くもない好天に恵まれて人出は、かなり多かった。

私はグルッと326店舗を見た後静岡文化芸術大学の学生達が行うアルミ材を使った創作体験に寄った。

自由に自分の好きな形のムクのアルミのカタマリを造れるのだ。

私は受付で「こんな物を造りたいのだけど」と相談して「こうして造れば良いと思います」という答えをもらってから500円を支払った。

発泡スチロールの板に絵を描き、それを専用器具でくり抜く。

それを砂の中に埋めてから上からドロドロに解けたアルミを流し込む。

すると発泡スチロールは溶けてなくなり、その部分にアルミが入り込むというカラクリだ。

砂から出して冷やせば肉球型の我が家の表札の出来上がり。

これを春野の家の前に貼ろうと思う。

さて毎年感じるが、こういう場所に犬や猫が家族と一緒に来ている。

その愛情たっぷり受けた動物達を見るのが好きだ。

今年の最高はネコ3匹を連れてきた家族。

子猫は、なんとお嬢ちゃんのフードに入っていた。

気に入って購入したのは鉄の細工物だが私の友人である静岡文化芸術大学の山本教授のゼミを取っているという生徒のものだった。

最近購入したペンタックスのカメラのスイッチを押すと「ニャーオ」と猫の声がするようにセットしてある。

シャッターを押すと「ワン」と言うのだ。

「ニャーオ」「ワン」「ニャーオ」「ワン」「ニャーオ」「ワン」

ペットショップのようで忙しいこと。

このシアワセな浜名湖アートクラフトフェアは明日も開催される。



15号被害

2011-09-23 07:59:02 | Weblog
台風15号が浜松に上陸という事実を知ったのは長男からのメールだった。

職場では長男の実家が直撃されているということで盛り上がっているという。

その時が最も激しい風雨にさらされているときだった。

家全体が風で揺れることによって恐怖は倍増する。

窓から真横に降る雨が見えた。

またその次の瞬間には、その向きが変わり逆方向から雨が横に降る。

網戸が自然に右から左に、そしてセンサーライトが点灯した。

まるで誰かが外にいるようだった。

あまりにセンサーライトが点灯するのでコンセントから抜くことにした。

妻が「トタンが外れて飛んでいる」と言いに来た。

またまた雨の中に出て道路に舞うトタンを拾ってきた。

夜になると姉から電話が入った。

「貸している駐車場の看板が外れかけていて危ない」とのことだった。

雨は降っていないが、まだ少し風はあった。

姉と姉の娘婿と看板主である内科医の4人で応急処置をした。

翌朝見に行くと看板の柱の根元から酸素バーナーで焼き取ってあった。

物置のトタンは私がビス留めした後コーキングしてOKだ。

さて自宅は終了ということにして春野に向かった。

天竜川を遡って行くと屋根の瓦やトタンが飛んだ家、ビニールの破れた温室、折れたり根こそぎ倒れた樹木など多数が目撃できた。

電力会社の作業車が数台道路に列をなして止まっている。

電線に倒木が引っ掛かっていたのだ。

山からの野水が枝や石が散乱する道路上を流れている。

ドキドキして到着すると意外と静かな我が家が待っていた。

折れた木は無かったし雨漏りもない。

ただし我が家から奥が通行止めになっていた。

歩いて行ってみると土砂崩れがあり、その際の倒木によって電線が寸断されていた。

我が家も当然停電していた。

Y爺さんに出会った。

未曾有の経験は私たちだけでなく彼もそうであったようだ。

タンボまで気田川の水が来てイノシシ避けの電柵が水没したから今から外しに行くのだと
言った。

冷凍庫に入れてあったアイスクリームを処分し桃のゼリーを食べた。

吹き飛ばされたと思っていた壁灯の傘が縁台下から見つかり奇跡的に無傷だったことに喜びを感じた。

恐くて麿チンがチビッたものだと思っていたシミは新たな箇所からの雨漏りだった。


山下洋輔 × 田中泯

2011-09-20 10:29:37 | Weblog
ジャズピアニスト山下洋輔と舞踊家田中泯の共演を観に行った。

このすごい組み合わせを楽土舎で行うというのだから見逃せない。

おりしも台風15号が接近しているのにピアノは、かろうじて屋根の下に舞踊は勿論空の下で行うのだ。

夕暮れから夜になるとき演奏は始まった。

まずは山下洋輔の独奏だ。

こんなに美しく繊細なピアノの音色。

こんなに激しく、そして肘で打つ濁って、豊かな爆音。

演奏後にこやかに「みなさんお待ちかねの田中泯です」と紹介する。

3曲目に田中泯が急ごしらえの舞台に登場した。

深々と山下洋輔にお辞儀をしてから踊り始めた。

私は初めから共演というよりも対決として観ていた。

「どちらかが、どちらかを喰うのだろう。喰い合って楽しませるのであろう」と考えていた。

田中泯の踊りは山下洋輔のピアノに合わせるでもなく、また合わせないでもない。

音からエネルギーを受けて動く軟体動物と見えた。

だが音が止んでも軟体動物は、しなやかに動き続ける。

これは音が原動力じゃないぞ、と感じた。

「じゃぁ空に何度も手を振り上げるから天から力を落としてもらっているのか?」

山下洋輔の演奏も田中泯に合わせるでもなく合わせないでもない。

時々田中泯を見てはいた。

面白かったのは田中泯が自分の舞台を離れ山下洋輔の居る舞台に移ったときのことだ。

田中泯はピアノの周りを踊り続ける。

すると山下洋輔は「近づくなー」という感じでピアノを凄まじい勢いで叩いた。

この場は山下洋輔が攻め込まれた感じがした。

だが延々と続くピアノの音に少し疲れを感じた田中泯がタオルで汗を拭き静かになろうとしていたとき今度は山下洋輔のピアノの音が田中泯を黙らせてはいなかった。

タオルで顔や身体を拭きながらも踊りの世界に再び引き込まれてしまった。

音の誘惑に勝てずに舞い始めることを知っている山下洋輔の誘い勝ち。

やはりこの勝負、共演として観たほうが妥当だなと気付いた。

会場の虫の音が一層大きく聞こえたし遠くには犬の吠える声もする。

舞台の上で蚊取り線香の煙を掻き混ぜた時1本のクモの糸が田中泯に繋がって光るのを見た。

彼らを邪魔するものは、この世にないと確信した。

自然の全てのものが彼らを祝福しているのだろう。

共演の終わりを待っていたかのようにドシャ降りの雨が盛大な拍手を送った。


光明山遺跡

2011-09-15 08:36:20 | Weblog
春野に行くには国道362号を走る。

杉木立の間を、また川沿いに適度なカーブを、そしてアップダウンを繰り返す。

途中数箇所に光明山遺跡入り口という看板を見る。

以前から気になっていたので地図で確信した。

道は国道362号と同じような方向に伸びていた。

というより国道362号より先に、こちらの林道があったのであろう。

後の人々が便の良いように山を切り開いて国道362号を開通させたということか。

私が入ったのは本田宗一郎の出身小学校である光明小学校の付近からだ。

国道362号とは違い極端に狭く急勾配の林道だった。

先日の台風の影響で葉や枝が道路全面に落ちている。

それどころか木は倒れているし土砂が堆積している箇所もある。

あやうく堆積した土砂に前輪を取られて転倒するところだった。

やっと到達した遺跡だったが、ただの荒れ地の様相だった。

城跡を見ようにも小道は草が覆い茂り歩く気力を奪ってしまった。

そんな林道でも老人たちの軽自動車とすれ違ったし森林伐採の人たちは働いているし結構それなりに活気はある。

私はヤマハメイトという銀行員の乗っているオートバイで出かけた。

メイトを止めて写真を撮っていると「何かの調査かな?」という目で見られる。

しかしひげを生やした役人はいないだろうから???となる。

「たぶん何かの盗掘か山野草を取る準備かなにかだろう」と思われたかな。

実際道路に埋けてあるグレーチングと言われる溝用フタが盗まれていて車なら平気でもオートバイだとヒヤヒヤものだった。

毎回通るトンネルの上を通過してきたことが分かると何となく立体的に地図が理解できた気がして嬉しかった。

国道362号を逸れて国道362号に戻ると安心感を覚えた。

国道362号は身近な存在になっているのだと実感した。

薄いパーカーを着て走っていた時には少し肌寒く感じたが到着したら暑い暑い。

いつも1時間で到着するのに2時間半後に無事到着の電話をしたものだから妻に心配されていた。

シートが薄くてお尻が痛くなったこと以外は楽しい思い出が出来た。


ガマの穂に着火

2011-09-14 07:12:25 | Weblog
ファイヤースターターというマグネシウムの棒を金属で擦る器具を使ってガマの穂に着火させた。

以前からファイヤースターターを持っていて何か容易に着火できる素材はないものかと考えていた。

ティッシュペーパーに着火することは体験済みだ。

だが何か自然の物質に火を起こしてみたかった。

我が家の鉢の中で育ったガマ。

穂の形が面白くて植えてある。

妻が穂の付いた柄を切ってきた。

穂の部分に触った途端に穂から小さなタンポポの実のような白い綿毛が無数に空中に飛散した。

あわててビニール袋に詰め込んでおいた。

春野でシチリンバーベキューをする機会があった。

「着火はこれにしよう」

待ってました、とばかりにファイヤースターターとガマの穂を準備した。

シチリンの中にまずは杉の枯葉を入れておいた。

その上にガマの穂をほぐして置く。

ほぐしてみて驚いた。

穂には、かなり凝縮した形で実が詰まっていた。

一つの穂で、両手では抱えきれないほどの量の実が出てくる。

さてファイヤースターターを使う。

火花がうず高く固まった白いフワフワの実の上に降りかかる。

すぐに着火した。

上に立ち昇る炎がパチパチと勢いよく動き出した。

炎は、まるで引火性の強い油のように広がって、すぐに消えた。

着火性はよいが火持ちがよくない。

一旦着いた火は瞬く間に鎮火する。

もっと多くの実を取り出して白いフワフワの山にした。

そこに着火してみると今度は下に敷いた杉の葉にも移っていった。

「よし。これは使える。こんどガマの穂をストックしておこう」

実験は終了し結果に満足してランチ用の炭に火を移した。


甲府へ

2011-09-13 08:30:59 | Weblog
妻の友人夫婦に会いに甲府まで行って来た。

午前5時52分出発。

双葉SAに出来たスマートインターチェンジを抜けると10分ほどで到着した。

しばし名産のぶどうを食べながら歓談の後彼らの車に乗せてもらって観光となった。

まずはJAの農産物直売所「よってけし」に、まさに寄った。

狭い駐車場には駐車場整理係がいる。

店内も狭くレジに並ぶ長い列と品物を見る人たちが交錯する。

すぐにめげて店外に出て観察した。

農作物は耕作した人各々の名前入りのコンテナに入れられて展示してある。

野菜によって置き場が違う。

冬瓜を並べていたおばさんに聞いた。

「これ皆冬瓜ですか?」

「そうだよ」

「これも?」ヘチマだと思った。

「そう」

「これも?」ばかに丸いなと思った。

「そりゃあスイカだ」

少し恥ずかしい思いをした。

「紛らわしい場所には置かないほうが分かり易いのに」と思った。

カボチャだけで40コンテナ以上あった。

色や形も様々で聞いたこともないようなカボチャも置かれていた。

骨董と日本料理の店に行ったが閉まっていた。

立派な古民家を移築し、かやぶきの屋根、古材の柱、土壁、外に置かれている石や水ガメの類。

どれもこれも本物で圧倒された。

残念ながら入れなかったが「中はもっとすごい」らしい。

白州にある酒蔵「七賢」の直営するレストラン「臺眠」でランチした。

http://www.sake-shichiken.co.jp/daimin/index.html

まず酒の仕込みに使われる水が出てきた。

丸くて飲み安い。

「これならどんな料理の邪魔もしない」と感じた。

いつも必ず行く「ギャラリー夢宇谷」に行った。

庭から展示品まで全てが参考になる。

ここに寄ると私の創作意欲が倍増する。

ヒントだらけという感覚で見てくる。

我が家に植わっている木々と変わらない庭だが、ただ樹齢が違う。

その樹の齢によって、こんなに雰囲気が違うものかと少しがっかりもした。

木々の太さや高さが、かもし出す全体の落ち着き。

時を待たねば出てこない味こそ最大の弱点である我が家。

せっせと手入れして「いいじゃん」となるのは息子か孫の代か。


初めてのロクロ

2011-09-04 08:44:24 | Weblog
連日の雨で体の奥にマグマが溜まっているようだ。

体を動かして出す汗はなく、それでいて同じ量を食うのだからエネルギーが溜まりすぎで爆発したがっている。

友人の陶芸家が「窯を開けた」というので見に行った。

そこへお客さんが。

医師二人とアメリカからの留学生だ。

彼らが陶芸の初体験を済ませて帰った後余った土で私もロクロ初体験をさせてもらった。

ニュルニュルとした土の感覚。

土の真ん中に親指を入れると「スッ」とくぼみが出来て広がる。

土が軟らかくも固くも感じられた。

「摘むようにして持ち上げる」と聴いて、その通りにしたつもりだったが強く持ったため千切れてしまった。

指先を濡らしておかないと土も思うように形作らせてくれない。

掌に大切に包み静かにだがキッチリと意志を伝える。

なんだか人間関係の様でもあるなと感じた。

ロクロが回るから土は変化していく。

しかし、その速度は自分で調整できる。

急に決まった初ロクロ。

造りたい物のイメージもなく始めた。

やってみて出来てきた物を見て初めて「ここを、こうするか」と浮かぶ。

だが所詮素人。

「もうこれで良しにする」と中途半端なところで終了とした。

それでも土の塊は、もう生まれたての器となっていた。

湯のみかなと思っていたら、ぐい飲みだねと言われた。

焼きによって収縮することを忘れていた。

大事にやったつもりだったが既に傷の様なものが付いていた。

爆発したがっていた私の体だったが汗一つかくことなく、そのエネルギーを消化できたようだ。

重労働するばかりが発散ではないことを実感した。

自分で作るということの満足感は、たいしたものだ。

たとえいびつな器が出来たとしても、それはそれで愛おしく思える。

陶芸は「作り方も出来た物も愛だな」と初めての感想を持った。

陶芸を生業としている友人には、そのことは話していない。


また亀

2011-09-01 06:38:15 | Weblog
図書館に居たらメールが鳴った。

虫の音にしてあるが関係ない。

だが鳴ってしまったものは仕方がない。

開いてみると妻からだった。

また亀が水ガメの中にいるという。

帰宅して裏に回った。

妻が水ガメの水を抜き取り中はカメだけになっていた。

写真を撮ってから掴みあげた。

「シャー」と威嚇の声をあげる。

「さっきから暴れているの」と妻が言う。

顔を覗き込むと口を開けて「怒りの極致」という感じだ。

妻は最近メダカが急激に減りだしたことに気付いていた。

ヒシャクで中をかき混ぜてみたら「ゴン」という固いものに当たった音がした。

この中にはハスも睡蓮も入れてないから固い物に当たるはずがない。

残ったメダカを避難させ水草を取り出し、あとは水をひたすら抜いていった。

で姿を現したのがミドリガメだったというわけだ。

ミドリガメは近所の川にたくさん生息している。

誰かが捕まえて我が家の水ガメに入れたのだろう。

水ガメの底にはメダカの死骸がたくさんあったという。

尾や頭など一部が無くなっている形だ。

つまりカメの食べ残しということだ。

カメはバケツに入れて川に放流した。

少し腹立っていたので橋の中央から真っ逆さまに落としてやった。

「ドボッ」という音を立てて背中から入水した。

その後浮かび上がってこなかった。

よほど私を竜宮城に連れて行きたいらしい。

だが今住んでいるのが竜宮城なのだから他の場所に行く必要はない。