家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

春野は8年目

2014-03-29 07:41:25 | Weblog
春野を手に入れて丸7年が経過し、これから8年目に入る。

最初に見たときとは、ずいぶん景観が変わった。

私が見たときには売主が3年間放置してあった後なので荒れていた。

庭や山を3年間放置したら草や枝は伸び放題になる。

季節柄幸い草は伸びていても枯れていたし枯れ枝に蕾が付いている程度で、これがもう1ヶ月後だったら葉が茂り始めて、うっそうとなる一歩手前だったろう。

そして色のない庭だった記憶がある。

今は入口のミモザが黄色の小さな花を無数に付け木蓮が一つ一つしっかりとした紫の花を咲かせている。

庭を暗くしていた杉の木は撤去したしサルが潜んでいた辺りの草木は取り除いた。

だから全体的に明るくなった。

崩れていた石垣は修復し、その先に石垣を延長した。

また隣の敷地を購入して我が家と一体化させたので庭は広々として感じるようになった。

先日突然売主が訪れたが、あまりの変化に驚き元の姿を思い出せない場所もあったようだった。

薪ストーブの導入で薪があちらこちらに干してある。

煙突からカゲロウが立ち上り杉林がユラユラと揺れて見える。

すべて自分好みに変えていくことが嬉しい。

都会のストレスを感じた時、自宅を通り越して逃げ帰りたくなったほど春野は休まる。

最近はシイタケの栽培も始めたしミツバチの飼育も手がけ生姜やニンニクなども植えた。

この先自分が、どういう方向に歩くのか我ながら楽しみだ。

師匠であるY爺さんには「今日は記念日です。丸7年が経ちました。ありがとうございました」と帽子を取って深々と頭を下げておいた。

ニヤッと笑って「もうそんなんなるか」と言った。

春野の家や土地を守るのは当然だがY爺さんをはじめ近所の人たちとも、このまま良い関係を保とうと思っている。


交通事情3件

2014-03-27 07:17:27 | Weblog
信号機のある交差点に先頭で止まっていた。

そろそろ信号が変わろうかというタイミングに左側から自動車教習所の車が近づいた。

運悪く黄色信号が赤に変わった。

交差点内に入ってしまった車は止まりかけたが教官の指示で再び走り始めた。

私の前の信号機は既に青に変わっていたが彼が通り過ぎるまで待っていた。

教官は小さく手を挙げて私に礼を伝えた。

青信号になっても少し待つくらいのことは、お安いご用だ。

わざと通り抜ける輩と違って練習中なのだから腹も立たない。

望むのは、彼が免許証を取得してから相手を待てるようになること。

国道に出て走っていくと2車線の右側におばあちゃんの運転する軽トラックが止まっていた。

そこは私の走っている側の右折レーン進入路だ。

中央分離帯のこちら側だ。

つまり、そのおばあちゃんは逆走してきたのだ。

「どうして、そうなった?」と考えてみた。

次の信号機の右側道路から進んできたおばあちゃん。

一応十字路の形にはなっているが実は直進できずT字路と同じ交通規制がある。

交差点を直進したかったが進入禁止の道路と気づいたので左折したつもりだったが、それが既に中央分離帯を超えていたということだろう。

しかしおばあちゃんに恐怖心はなく隣に座っていたおじいちゃんも普通に車の途切れるのを待っているように見えた。

邪魔なだけで事故に繋がることは無さそうだった。

片側2車線の道路を走っていた。

信号機からは私が先頭になっていた。

ゆるい右カーブ低い中央分離帯の向こうに黒いものが見えた。

「袋が落ちているかな?農業用シートが風で舞ったかな」

カーブが直線になったとたん判明した。

黒いダックスフントが、こちらに向かって走ってくる。

どうも上機嫌のようだ。

車線を横切ることなく中央分離帯に沿って走り続けている。

私は後続車に分かりやすいように大きく左に避けて走った。

ルームミラーを見ると次々と犬を避けて走る車たち。

車を緊急停止させても、その犬を保護できるかどうか分からないし別の方向に走られたら、尚厄介だ。

たぶん、さんざん遊んだ挙句に帰宅して飼い主から怒られる。

「どこ行っていたの?心配したじゃないの」

道路で遊んだことは、ばれるわけがない。

帰宅して妻に伝えることが多い日だった。

玄関ホン

2014-03-25 07:57:04 | Weblog
今年になって、まもなく玄関ホンが壊れた。

不便なので、すぐに交換しようとした。

元々新築当時に使っていたテレビ機能付きのものは、もう使っていない。

その代わり単純な無線式のものを使っていた。

ただしカメラの入ったスイッチが大きなものだったので、そのスイッチの抜けた跡は何とか隠す必要があった。

スイッチは安価なものを選んだためスイッチが押されたままになったり鳴るチャイムが急にいれ変わったりしていた。

そして最終的に壊れた。

今回も無線式で安価なものは同じだがスイッチが少はしマシなものにした。

ところが、そのスイッチが、とても安っぽいので気に入らない。

安価なのだから安っぽいのは当たり前なのだが。

このほど、そのスイッチを隠すためのカバーが出来上がった。

経験から金属で作ると無線が飛びにくいことを知っていたので他の物を使うしかない。

木で作ってみたがスイッチを入れるための加工が難しい。

というわけで石粉粘土で作ることにした。

適度の丸みを持つ皿に粘土を入れ、スイッチ用のスペースを空けて固める。

固まったら、ひっくり返せば外側の出来上がり。

その中にスイッチを入れて微調整し固定する。

土台用の板も粘土で作った。

麺類を麺棒で伸ばすように粘土を棒で伸ばした。

土台とスイッチカバーは接着してしまう。

粘土が固まるのに時間が掛かり、それらを接着するのにも時間がかかった。

出来上がったら金属色に塗装する。

塗料は車庫にあった20年前のものだ。

塗料は出るには出るが、カタマリが不規則に噴霧され、その上出なくなったりして難航した。

形としては何とか上手くいったのだが細かなところは思ったようにはいかない。

粘土は100円のものを2個使用した。

実は、もう一つ別バージョンを作っているのだが、それは上手く出来た時に見せることにする。

少しだけ言うと瓦を使っている。

乞うご期待。

油を舐めるケモノ

2014-03-23 07:34:33 | Weblog
日本では古来より油を舐めるといったら化け猫だ。

そのような事件が起こった。

先日春野で天ぷらを楽しんだ。

毎年春先には庭や山で取れたものを天ぷらに揚げて昼食にする。

その残り油は元々入っていた容器に入れて保管する。

非常時用に保存しておくのだ。

明かりにもなるし燃料にもなる。

今までの物はスチール物置の中に保管した。

今回は、とりあえずスチール物置の前の棚の上に置いておいた。

以前の廃油と一緒に保管するための大きな容器が見つかるまでの処置だ。

ところが、棚の上に保管していた容器が落ちていた。

そしてその中にあったはずの油が一滴も残っていない。

日清キャノーラ油600gというもので400gは入っていたと思う。

容器には歯型や牙の後と思われる穴が複数付いていた。

不思議なことに油が流れ出たはずなのに地面には油の跡が全く付いていない。

油が石や土の上に落ちると、その跡はしばらくの間消えることはない。

すると容器を持ち上げて飲み干したのか?

それとも、まさかストローを差して吸い上げた?

置いておいた棚の上というのは高さが1メーター30センチほどだ。

それに乗って容器を下ろし、その場で飲んだと思われる。

犯人として化け猫はどうか。

近世では行灯などの灯火用に安価な鰯油などの魚油が用いられ、ネコがそうした魚油を好んで舐めたためと見られているとWikipediaの化け猫の項に出ている。

今回の油は原材料として「なたね油」を使用しているので猫が舐めたくなる風味とは思えない。

次にサルを疑う。

以前サルにやられたことがある。

油を捨てたコンポストのフタをねじって開けて中に侵入して荒らした。

出て行く時の手形でサルと判明したし、ねじって入れる動物は、ほかに浮かばない。

1メーター30センチほどの高さにある物を問題なく取れることもサルを疑う根拠だ。

そしてサルならボトルを手に持ってグイグイ飲めると思う。

他の動物なら地面に流れ落ちたものを舐めるから必ず地面に油が付着しているものと思う。

というわけで、もしもの時用油400gを残さず胃袋にしまいこんだ奴がいる。

胃がもたれているかもしれないし吐き気におそわれているかもしれない。

フキノトウ かぼちゃ しいたけ ユキノシタ ネギ ヨモギのエキスがにじみ出ていて、その時は美味しかったに違いない。

400g飲み干してもコレステロール0だから大丈夫。

燻製

2014-03-15 10:19:00 | Weblog
先日ミツバチ用の箱を作ったとき塗装屋さんから一斗缶をもらったのだが1缶多くもらっておいた。

それを利用して燻製器を作った。

作ったといっても缶に穴を開けて、その穴にナッターというネジを取り付けただけだ。

ナッターを着けると、そこにボルトを通すことができる。

そうすると一斗缶の中に棚ができて、そこに金網を乗せることができるようになる。

その棚を2段作った。

缶の下には空気取り入れ用の穴。

これだけで完成だ。

以前友人たちが燻製器を作って、そのできあがったものを、いただいたことはあったが自分で燻製するのは初めてだ。

燻製するのはチーズ、かまぼこ、ゆで卵、たくあん、生鮭、ハムそしてカシューナッツ。

燻煙材としては市販されている桜のスモークウッドだ。

全体に着火すると5時間燃え続けるらしいから3分の1に折り、それにバーナーで着火した。

一斗缶の底に金属トレーに乗せた煙の出始めた燻煙材を入れて下の段にチーズ、たくあん、かまぼこ、生鮭を乗せた。

まだ煙が充満しているということはない。

上の段に準備してきた残りのものを置く。

適当な物で蓋をして、あとは出来上がりを待つだけ。

缶から少し立ち昇る煙が期待をさせてくれる。

「もう消えたみたいよ」妻が言う。

「よし、開けてみよう」

フタを取るとうっすら色のついた食材。

次々と取り出してみると裏側は、はっきりと色づいている。

「途中でひっくり返したほうがよかったみたいね」と妻が言う。

だが味はしっかり付いていた。

どれも、そのまま食べられる食材なのだが煙によって一味加わり風味がガラリと変わった。

さっそく友人宅に持ち込み皆で味わった。

「うまい。うまい」の連続だ。

「これらの物を食べて何が不足しているか?」の問いに全員「ビール」と答えた。

そこにお客さんが来た。

彼は全くアルコールを飲まない。

「これを食べてご飯くださいと言ったらぶん殴る」と初対面の私が言うと彼は笑って

「人生大きな損をしていると言われます」と言って次々と食べた。

帰宅した後は、これにビールが加わったものだからついつい食べ過ぎてしまった。

翌朝は少し胃が疲れた状態になった。

だが次にはもっと飲める食材を作ることを目指している。

ヴィッツは20万キロ

2014-03-06 07:41:41 | Weblog
ヴィッツの走行距離が20万キロを越した。

ちょっと前から、近々この日が訪れることを予想していた。

カメラは、いつでも持っているが、その瞬間を見逃さないようにすることに気を使った。

ガソリンを補給するとき「この補給後20万キロを超えるであろう」という走行距離に達してからはトリップメーターでなく積算距離メーターにしておいた。

1回のガソリン補給で500キロ以上走行できるので199800キロ時での補給がそれだ。

春野に向かう途中の一草(ひとくさ)という気田川に架かる吊り橋の横で達した。

すぐさま停止させて記念撮影した。

このヴィッツは平成11年12月24日が初登録した日だ。

納車日が仏滅に当たり業者が「いいんですか?」というので「構いません」と言って、半ば無理やり引き取ってきた。

あれから15年間無事に事故もなく故障もなく違反もなく走ってくれた。

15年前ということは当時私は46歳。

既に退職していたから、その後の人生と共にあったと言える。

材木や石を運び骨董のツボを運んだ。

丈夫な女房のように、いつも私の傍らにいてよく働く。

どれだけ助かったか。

いまでも、そのスタイルや性能は気に入っているから申し分ない。

そして、まだ依然として何の支障もなく走行している。

鍵穴にキーを差し込まないと鍵の開け閉めはできない。

交差点で停止してもエンジンは止まらない。

だが装備が古臭いから壊れる箇所も少ないような気がしている。

「値段がつくうちに売りませんか?」と業者が言ったのは、ずいぶん前だ。

もちろんお断りした。

今までの最長記録はベンツ190Eの16万キロだった。

今は記録を更新中だ。

ヴィッツには共に暮らす私の喜びの記録も、もっと長くしてもらいたい。