生年月日という数字は住所や車のナンバーと違って最も身近な数字であり、変わることなど無いし、この数字と共に生きてきたと言っても言い過ぎではない。
最近は西洋歴で書き込むことも多くなった。
自分のみならず両親や妻子の数字まで記憶にとどめている。
先日2回目のコロナワクチンの接種を行った。
その際私が本人であることを初めは運転免許証で確かめられた。
いよいよ接種という最終ブースに入ったとき注射を打つ担当者に「名前と生年月日を言ってください」と言われた。
普通に口から昭和〇年〇月〇日と反射で答えた。
ところが言ってはみたが生まれた年の数字が怪しく思えた。
「あれ?」と言ったが「はい結構ですよ」と言われた。
「19〇〇年なんですけどね」と本人であることや「ボケてないこと」を証明するかのように答えた。
こんなことは初めてだった。
子供のころから自分の生年月日を間違ったことなど無い。
もう何度も繰り返し言った経験から暗記というより身についてしまっていた。
だが急にその数字に自信がなくなった。
軽い痛みを伴ってワクチンが腕の中に広がった。
1回目の接種の時には針が体内に入ったことすら感じなかったのだが。
待合場所で接種前と同じように本を読んで時間の経過を待った。
だが軽いショックがあり、どうしてだろうどうしてだろうという言葉が繰り返し脳内を駆け巡る。
これが認知症の始まりか? 要介護1か?
読んでいるはずの本の内容が頭に入らなくなったので、きりの良いところで栞を挟んでリュックサックに仕舞った。
会場を出て、そのまま歩いて帰宅した。
約1時間歩いたが何故かという応えは出なかった。
帰宅して妻に「こういうふうだった」と伝えたが笑っているだけだった。
私も笑って済ますことにした。
最近は西洋歴で書き込むことも多くなった。
自分のみならず両親や妻子の数字まで記憶にとどめている。
先日2回目のコロナワクチンの接種を行った。
その際私が本人であることを初めは運転免許証で確かめられた。
いよいよ接種という最終ブースに入ったとき注射を打つ担当者に「名前と生年月日を言ってください」と言われた。
普通に口から昭和〇年〇月〇日と反射で答えた。
ところが言ってはみたが生まれた年の数字が怪しく思えた。
「あれ?」と言ったが「はい結構ですよ」と言われた。
「19〇〇年なんですけどね」と本人であることや「ボケてないこと」を証明するかのように答えた。
こんなことは初めてだった。
子供のころから自分の生年月日を間違ったことなど無い。
もう何度も繰り返し言った経験から暗記というより身についてしまっていた。
だが急にその数字に自信がなくなった。
軽い痛みを伴ってワクチンが腕の中に広がった。
1回目の接種の時には針が体内に入ったことすら感じなかったのだが。
待合場所で接種前と同じように本を読んで時間の経過を待った。
だが軽いショックがあり、どうしてだろうどうしてだろうという言葉が繰り返し脳内を駆け巡る。
これが認知症の始まりか? 要介護1か?
読んでいるはずの本の内容が頭に入らなくなったので、きりの良いところで栞を挟んでリュックサックに仕舞った。
会場を出て、そのまま歩いて帰宅した。
約1時間歩いたが何故かという応えは出なかった。
帰宅して妻に「こういうふうだった」と伝えたが笑っているだけだった。
私も笑って済ますことにした。