家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ぬる湯の露天風呂

2013-11-29 08:49:01 | Weblog
15時40分宿に到着した。

すでに到着しているS氏に電話するが出ない。

風呂に入っていることを直感した。

部屋に案内されて荷物を置いて、そのまま風呂を覗く。

やはりいた。

「入ったばかり?もう出る?」

「いいよ」という答えが来て「よーし。入るぞ」と部屋に走って戻った。

景色を見ながら入る露天風呂は季節を全身で感じる。

色づいたモミジがクルクル回りながら落ちてくるし空の雲は絶え間なく変わり続ける。

初対面の人物とも、すぐに仲良くなる。

天然の社交場だ。

前回会った時以降の出来事を仲間に報告し彼らの話を聞く。

ぬるめの湯は、ついつい長湯になる。

明るいうちに入る風呂は疲れきって入る夜の風呂より上等な気がする。

夕食も終わり部屋でのダベリもひと段落。

再び露天風呂へ。

同じメンバーだが話題は尽きることがない。

冷たい雨が頭の上に落ちてきた。

これが心地よいのが露天風呂。

よく寝た。

午前6時3分起きだして一人で露天風呂へ。

鏡のような湯に入ると上が熱くて中がぬるい。

暗い空が次第に明るくなってくる。

底に沈んだモミジの葉を足で蹴り上げてみた。

見えない流れが別のモミジまで移動させた。

岩を置いた風呂の中を移動してみる。

腰かける石があり左右に肘をかける石が置かれた場所がイチバン心地よかった。

立ち上がって冷気を感じて、また湯につかる。

何度繰り返したのだろうこの行動。

仲間と入っても一人で入っても心地よい。

「もう雨は降らないで欲しい」と露天風呂で望んだことと正反対を望みながら体を拭いた。




動物園の車騒動

2013-11-25 08:29:10 | Weblog
動物園に車が60台集まった。

英国車クラブ主催のイベントに参加させてもらった。

私は象舎の前に割り振られた。

「動物は敏感ですから」と動物園側から注意があった。

刺激しないように、客の邪魔をしないように、すれば面白そうと考えてくれたのだろう。

動物たちは我々を無視し客は面白がってくれた人もいた。

紅葉したメイプルの下に置かれたモーガンの後ろに象の姿が見られた。

アフリカに持ち込んだモーガンの、ひとこまを疑似体験させてもらった。

象は狭い敷地内をグルグル歩く。

時々歩く向きを変えては、また歩く。

トラは突然吠えたかと思うとダッシュし、そのままゴロリと上を向いて寝転がる。

一言でいうと皆「暇そう」。

カロリー計算されて出された食事を平らげ、そこから生れ出るエネルギーを、そうした行動で消費して過ごす。

「喰えない」苦しみや「もういらない」と残す自由を取り上げられ自由に飢え死にすることすらできない。

衰えた自らを強者の餌として提供することもあり得ない。

動物たちの視点を想像して考えてみた。

耐えられないのは奇声を発して近づく人間の子共たちだろうと思う。

毎回襲撃に合っているような気がする。

でも彼らを観察していれば暇がつぶせる。

最も気に入らないのは、せっかく動物園に来たのに動物に興味を見せず趣味の鉄の箱のことばかり話している輩共だ。

臭くてむせる匂いと熱を尻の穴から放出し続け、その箱に入って移動することが楽しいと思っている奴らだ。

お前らはオリの中にいるオレたちとどう違う。

オレたちを気の毒に思うのか自分たちを気の毒に思わないのか。

そんなことを考えながら見て回った。

キリン舎の横で面白そうなものが展示してあった。

キリンの頭蓋骨、シッポ、フンなどだ。

まよわず糞の臭いを嗅いでみた。

「まったく臭わないですね」と係員に言うと「乾燥させていますから」と言う。

隣に置いてあったシマウマのフンの臭いも嗅いだ。

「ウワッ」刺激臭が近づけた私の鼻腔のみならず一瞬にして辺り1メーター四方に広がった。

隣にいた主婦が「ああっ」と発して絶句した。

シッポはナイロン製の強靭な黒い紐を束ねた感じ。

それを私のヒゲにしたらという仮定の写真を、その絶句した主婦に撮ってもらった。


時間長者

2013-11-15 09:18:54 | Weblog
遠州鉄道西鹿島駅前にある福来軒まで餃子を食べに行ってきた。

というと別に取り立ててどうということのない話だ。

しかしそこまで「歩いて行った」というと地元民は驚く。

約17Kmの距離で遠州鉄道の駅にして18駅あるのだ。

電車の線路に沿って歩けば疲れたらいつでも乗って帰ることができる。

しかしそうではなく地図で見て目的地に最短で行けて電車の駅にもたどり着けるし最悪の場合バス路線を利用して帰宅できるというルートにした。

朝9時20分に家を出る。

国一を東名高速道路浜松インター方面に向けて歩く。

陸橋は歩いて通れないので橋の下を抜けJR東海道線を渡り再び国一に出る。

いつも車で通り過ぎるところを歩くと細かな驚きが連続してやってくる。

「へえー」とか「なるほど」とか。

時刻と景色の記録に時々写真を撮った。

交差点とか踏切りとか店とか目印になるもの。

しかし撮りたくなるのは魚とか猫とか。

最初の休憩地点にしたのは流通元町図書館だ。

トイレを借りたあと飲食コーナーに座って持参したコーヒーを飲む。

自宅を出て1時間半も経っているのに、まだインターまで到達していない。

車でなら15分で高速に乗っているのだから歩きの遅さを体で感じとる。

しかし確実に歩きの実感をさせたのは空腹感だ。

11時を超えたら急に押し寄せてきた。

寄ろうと考えていた店は、まだまだ先で到底行けない。

笠井街道に出て歩道がなくなり車と自分の間隔に気を配りながら歩く。

以前入ったことのあるラーメン屋が更地になっていた。

がっくりきて隣のコンビニで昼食を買うことになるのかと思ったら、その後ろに中華料理屋の看板が見えた。

迷わず今日のランチ場所を決定した。

ホイコーロー定食を食べ終わっても何か物足りなさを感じた。

笠井は古くからの町で今でも使われる古い建物や新築された真新しい建物が混在する。

見慣れた看板が目に入った。

モンターニュというケーキ屋さんだ。

私の自宅から10分のところに本店がある。

そこには1ヶ月に一度は通っている。

アップルパイを食べたくて入ったが、りんごタルトも食べた。

レジで「オタクの本店の近くから歩いてきました」というと、お姉さんは驚いて従業員にそれを大声で伝えた。

「何時間かかるのですか?」とか「また歩いて帰るのですか?」など質問が噴出した。

新東名が開通してから笠井街道は寸断されツナガリがわかりにくくなった。

ナヴィを使って最適の道を選び進んだ。

目的地の西鹿島駅に到着し駅前にある餃子専門店である福来軒に入った。

ホイコーロー定食が11:38ケーキ2個が13:08と立て続けに食してきて今は14:25。

食欲は全く湧いていなかったが以前から入ってみたかったし駐車場が少ないため入れる機会が少ない。

入ってみると中は撮影禁止だった。

大きめの餃子が10個で600円だ。

少し甘さを感じるしモチモチ感がある。

難なく食べ終わり電車に乗った。

切符を買ってみると460円だった。

この5時間の歩きの価格が、この値段かと思うと複雑な思いがした。

安価で嬉しいのか私の疲れの価格が、こんなに安いものかと。

電車の先頭車両に乗って運転手気分で線路を眺める。

「こんなに真っ直ぐで周りが止まって待っていてくれるのだから早いよなあ」

横揺れもなく一旦走ったら次に止まるのは次の駅だから効率が良い。

この電車は私の5時間を30分あまりで走破してしまう。

車だと、もう少し時間が掛かるが17Kmの距離だとするとヴィッツなら1リッターで到達する。

だから今のガソリンのレートなら153円で来られる。

私はというと昼食が600円でケーキとコーヒーが1070円餃子が600円と2270円もかけた。

遅くてお金がかかり疲れてしまうこの歩きは最も贅沢な遊びでもある。

時間長者というハンドルネームを使う私にはぴったりだと思う。

25年前のビデオテープ

2013-11-12 07:03:09 | Weblog
VHSテープをDVDに変換している。

楽しい思い出ばかりだ。

その中から25年前の新年会の様子を撮ったテープが出てきた。

登場するのは10名と犬1匹。

10名のうち2名と1匹は現在既に他界している。

母が62歳だから、ちょうど今の私たちくらい。

そして私たちは35歳だったから、ちょうど今の長男くらい。

私たちの25年前と25年後を同時に見ているような感覚だ。

当時の母を見て比較すると体が今は、かなり縮んでいる。

勢いが減り弱弱しさを感じる。

それでも何の病気をしたわけでもないし今も健康だ。

老いという平等な宿命に沿っているだけだ。

自分を見ると、かなり太っていた。

髪もヒゲも真っ黒だった。

あまりしゃべらず 周りの様子を見て喜んでいる。

今はストレスもなく好き勝手なことをしゃべるようになったのだと感じる。

私の35歳を息子と比較すると私は幸運だったと実感する。

物質的にも経済的にも恵まれていた。

しかし私の友人たちを見まわすと私と同じような環境で生活しているから私だけが恵まれたとは思わない。

また、それは世代が同じであるなら自分だけ苦しいとは思わないようなので各世代の違いということで納得できることなのだろう。

犬も変わった。

この後夜中に徘徊しオムツ装着になった。

目は見えず耳は聞こえず、辛うじて微弱な嗅覚は残った。

完全に自分だけの世界に入り込んだ。

16歳まで生きたのだから天寿を全うしたのだろう。

「今こんなに幸せだと、これから悪いことが起こるんじゃないかと心配になる」母の口癖だ。

そう言い続けて87歳になった。

現在を満足している姿勢は正しい生き方のような気がするし誰でも将来の不安はある。

私も現在の幸せを強く感じているし将来の不安はある。

しかし母が感じていたように今の幸せを噛みしめ尚且つ、このまま幸せが持続することを母が教えてくれているように思う。

順調に老い街道を進んでいる。





百目柿買い出しの旅

2013-11-11 07:22:01 | Weblog
毎年この時期になると山梨県の甲府近辺に柿を買いに出かける。

甲州百目という大型の柿を購入して干し柿を作るのだ。

妻の友人夫婦と会うこともひとつの楽しみだ。

ところが友人夫婦に会えないことになった。

そして予定していた長男との宿泊も流れてしまった。

結局二人だけで買い出しのための宿泊ということになった。

「日本秘湯を守る会」の中の桃の木温泉に行くことにした。

新清水ICを通過し新富士ICで新東名高速を降り朝霧高原を通って行った。

朝霧高原の道の駅に隣接して、あさぎりフードパークというところができていて真新しい施設を見て回った。

昼食は妻の友人が教えてくれた古民家レストランにした。

私たちは茶室として作られた落ち着きのある部屋で田舎風のセンスの良いメニューをいただいた。

緑黄色野菜だの豆だの根菜など素朴で日本人を古来から働き者として育んできた食物満載だった。

しかし食べるための部屋や食器類そして何といっても味付けに気を遣っているので、とても美味しかった。

そこで教わった農産物直売所「た・から」で目的の甲州百目を調達した。

続いて今度はラフランスを調達に。

もちづき農園は去年も訪れた。

ラフランスを買う前に心行くまで食べさせてくれるのだ無料で。

今の時期は3種類の味比べができる。

車のトランクを野菜と果物で満載してホテルに向かった。

秘湯といっても道は舗装されているし道幅は広い。

楽々到着した。

ところが秘湯初体験の妻は「怖い道ね」とか「明るいうちに到着してよかった」と言う。

施設は、きれいで温泉はイオウの香りがする。

私たちを含めて2組だけが宿泊客であった。

風呂は独り占め状態だ。

これで同じ料金なのだから嬉しい。

夕食時増穂にある造り酒屋で購入してきた純米生酒を呑んだ。

「しし鍋ほうとう」や「ヤマメの塩焼き」にピッタリの味覚だ。

翌朝6時から散歩に出た。

天然のままの森林は色とりどりに鮮やかで山の変化のない杉ヒノキを見慣れた私たちには羨ましい景色だ。

寒いが風はなくシンと冷え込む空気が心地よかった。

朝風呂に浸かると冷たくなった指先がビリビリとしびれた。






チャオとチャオした

2013-11-07 08:48:30 | Weblog
始まりは浜名湖2&4スワップミートであった。
6月2日の良く晴れた日ことであった。
白いチャオが売り出されていて、それを友人が買おうとしていた。

「オレ2台持っているから売ろうか?」

そう軽く言ったのはいいが、果たして現車はどうなっているのか。

ほこりをかぶったチャオを見てみる。

走行距離は1027Kmと277Kmだ。

1997年11月28日にお金を払い、その後乗らなかった日々のほうが圧倒的に多い。

1台はパンクしていて、それを直してからでないと外にも出せない。

普通のオートバイはチェーンを緩めてタイヤを外す。

しかしチャオは車体に輪が固定されているからエンジンを後ろにずらして駆動用ベルトを緩め、そして外す。

チャオのガソリンタンクはフレームをそのまま利用している。

だから外して掃除とはいかないのだ。

ガソリンタンク洗浄剤を使う前に脱脂して水洗いする。

それが済んだら次はキャブレターの掃除だ。

ついでに純正では付いていないフュエルホースの途中にフィルターを取り付けた。

混合ガソリンを準備して補給しエンジンをかけてみた。

点火プラグを新品にしたのは当然だ。

「ババババッ」とかかった時には嬉しかった。

以前に、これを運転していた時の状況が瞬時によみがえった。

煙を吐き出しながら力強い音でアイドリングする。

「よし。あとは洗車するだけだ」

準備万端にしたが当の買主君の家庭の事情が変わり今は購入できないことになった。

私は売るつもりで整備し心は売ることに決めていた。

買主君の事情が落ち着くまでには、まだ1年ある。

それなら別の所に売ることを承知してもらい知人のオートバイ屋さんに持っていってもらった。

軽トラに乗ったチャオたち。

私の手を離れ次のオーナーの所で元気に走ってほしい。

「できることなら2台を一緒に買い取ってもらって続き番号のナンバープレート

で夫婦で乗ってほしい」

と私の当初の目的を伝えた。

「いいですね」とオートバイ屋さんも言う。

果たしてどうなるのか。

車庫の空いた部分に次の物を入れることはない。




懐かしい田舎町

2013-11-06 07:52:53 | Weblog
毎年観に行っている。

しかし今年は例年になく「懐かしさ」を強く感じた。

クラシックカーを展示するオーナーの数人が知り合いで彼らと話すのが楽しい。

妻は例によって別行動。

車もオートバイも好きな私は、まずそれらに目を向ける。

自分の思い出のある車体もあるが知人の所有する車を見ても彼を思う。

妻から電話が来る。

「どんな具合?」

「終わったよ」ということで合流して共通の趣味や食べ物を見に行く。

どこからか歌声が聞こえてきた。

フォークソングだ。

「この感じは素人だな」しかし22才の別れは好きな曲だ。

即席のステージにバラバラな衣装のおばさんとおじさん。

歌もイマイチだし歌と歌の間の進行も垢抜けしない。

だが聴衆の中には知り合いが多く拍手も多いし掛け声も多い。

「けっこうけっこう」大いに楽しんでください。

酒屋をオープンしていた。

さすがに古くからの商店なので作りが良い。

黒くて大きな古い金庫が木造の店内に鎮座する。

その隣は「電話室」とガラスに書かれてある。

上がらせてもらった。

お蔵に通じる廊下と中庭。

急階段は、それ自体が階段ダンスだ。

前を行くおばあちゃんが妙に、その階段に似合う。

車の展示場に戻ると近所で行われていたJAのお祭りが終わったらしく一段と人が増えていた。

マイクを通してしゃべりまくる時代劇の司会をするおばさんのやかましさ。

会場全体の司会の声が、街灯に掛けられたスピーカーから輪をかけて大きく響く。

まともに会話ができない。

この喧騒が田舎風で心地よいのかもしれない。

10分ほど離れた駐車場までミカンやカキをリュックサックに入れて歩く。

途中で同じ方向に歩くおじいさんのミカンと柿を私と妻で持ってあげた。

「おばあん買って来いって言うもんで」と言う。

歩き始めたら、すぐそこがおじいさんの家だった。

「車賃を出すでのぉ」と言う。

おじいさんの嬉しい気持ちが伝わってきた。

クラフトフェア

2013-11-05 07:23:37 | Weblog
5月の松本から駒ケ根、浜名湖と行き今回は蒲郡のクラフトフェアに行ってきた。

230余の出店があった。

会場では、いつも通り妻と別行動にする。

私は初めにザーッと歩いて興味の湧くところをチェックしてから、もういちど見直す。

妻は初めから一店一店丁寧に見ていく。

私が全店を2周したとき妻はまだ半分程度しか見ていないという。

だから一緒に見ない。

一緒になるのは何かを食べるとき。

ご当地のものを食べた。

メヒカリのフライだ。

大鍋でグラグラと揚げられた後新聞紙の上に広げられ塩を振って紙コップに分ける。

既に昼食を済ませてあったので二人で1カップで充分であった。

適度な塩味が効いていて美味しかった。

「そこに座りん」とか「買ってきん」とか「買いん」などINが付くのが、このあたりの方言らしい。

地元の言葉を聞きながら地の物を食べると、はるか遠くまで来ているような錯覚を起こす。

自宅から1時間15分の距離なのだが。

鉄を熱して叩く作業や竹細工や木工など何かを作り出すことに興味が深かった。

子供のように観察する。

赤く熱せられた鉄を叩いた時パラッと何かが落ちた。

すかざず「これは何ですか?」と尋ねると「鉄皮です」と説明してくれた。

糸ノコ盤で手際よく何かを次々とくり抜いていくのを見ていた。

くり抜かれた猫を差し出した。

受け取ると「あげるよ」と言った。

板に描かれた猫を、さも簡単そうにちょいの間にくり抜く。

創造する前に想像する。

その段階までは意欲満々だ。

しかし次の行動に移せないことが多い。

必要に迫られないと動かない。

やってみたい作ってみたいという興味を一歩踏み出させてくれるクラフトフェア。

妻も「買う人」から「作る人」に見る目を変えた。

デザインを考えたり使われている部品に興味を覚えたり。

私は顔が何にでも見えるらしくて相手の機嫌が悪いと写真を撮らせてもらえない。

同業者の「デザイン盗用」と思われるようだ。

話してみれば素人なのだが、もちろん。

駐車場が600円と高いしゴミ捨て場もない。

会場で購入して食べた物の容器類すべてを持ち帰った。

少しの不満が残ったが2時間近く楽しい散策であった。

アナログテープをデジタルに

2013-11-04 08:11:35 | Weblog
VHSテープをDVDに変換している。

私にとって家族の動画は宝物。

次男の嫁が家族に加わり彼女にとっても次男の子供のころの動画や写真は宝物。

「よだれが出る」ほど待ちどおしい物だという。

アナログをデジタルに変換しておけば、その後にDVDが無くなったとしても何らかの方法で見ることはできるはずだ。

変換用のデッキを購入し時間をかけて変換作業をしている。

自宅用と長男用と次男用2枚ずつ、もしくは3枚ずつだ。

そろそろ終了が見えてきた。

次は8ミリテープを変換する作業に移る準備をする。

VHSテープよりも8ミリビデオテープのほうが多い。

ところが8ミリビデオデッキもカメラも見当たらない。

小型家電リサイクルのこともあって家中を探し回った。

結局春野の物置のお茶箱に両方保管されていた。

見つけたその日に取扱説明書をゴミで出したことが判明した。

しかも電源コードは先日小型家電リサイクルに出してしまったらしい。

だが一ヶ所気になる箱を探したところ同型のコードを見つけた。

小型家電リサイクル品を探し漏らしたところだ。

「奇跡だぜ」と上機嫌で試す。

ドキドキしながらデッキとTVを配線で結びTVの入力を切替してみる。

残念ながらデッキは全く作動しない。

カメラは電源は入るが、その他が不具合で結局使えない。

最終的に、これらの8ミリビデオ関係家電は、やはり回収ボックスにいれることになろう。

困った。

宝物を生かすにはオークションで中古デッキを購入するかデッキをレンタルするか。

8ミリビデオテープをDVDに変換してくれるサービスに出すか。

デッキを購入しても作業が終了すれば、もう用はない。

変換サービスは高額になりそうだ。

困った困った。





都市鉱山に貢献

2013-11-01 07:45:16 | Weblog
小型家電リサイクル法がスタートした。

都市鉱山といわれる資源が我々の持っている家電の中にあるという。

金では6800トンで、これは全世界の埋蔵量の16%。

銀は60000トンで世界埋蔵量の22%に及ぶという。

また希少なレアメタルも含んでいるというし反面有害な金属も含まれているという。

私も、この動きに貢献したいという思いと無料であるということや海外に資源が流れないという観点から自宅を探して持ち込むものをさがした。

出るわ出るわ。

横60センチ×奥行30センチ×縦15センチという枠に収まる古いケータイやデジカメそれらの充電器古いパソコンにビデオデッキそして配線の類。

ダンボールに詰めて役場に持ち込んだ。

回収ボックスは役場の入口に置かれていた。

投入口は規格より少し大きめになっていて上から落とす仕組みだ。

バラバラ ガタガタと投入する。

我が家で役立ったこれらの物たちが今度は資源として再利用されると思うと清々しい思いがした。

鉱山にある資源のひとカケラを提供できたことに満足した。

帰宅して別の物を探していたら古いCDプレーヤーが出てきた。

貢献は、まだ続きそうだ。