家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ミツバチの籠城

2019-11-27 08:26:18 | Weblog
10月の下旬ころからミツバチの姿を見ていない。

オオスズメバチが群がって巣の周りを飛び回ったり巣の中に侵入したりを繰り返している。

保護者の私としては見守るのみで、おちおち近づけもしない。

そこで例の手を使うことを思いだした。

粘着性のネズミ捕りだ。

ダンボール製の屋根があり中に粘着の紙を敷き、そこにミツバチの匂いをつけておく。

すると1匹が入り込み当然粘着紙に捕まり出られなくなる。

するとSOSを発信し次から次へとやってきて、そこに捕まる。

オオスズメバチを捕れるのはいいが、つまり、そこにオオスズメバチを寄せ付けているということでもあるのだ。

あらゆる方向からオオスズメバチが飛んでくるということだから、それなりに気を張っている必要がある。

そろそろ1ヶ月になるから粘着紙を取り替える必要がある。

古くなったネズミ捕りを回収しに行った。

今日はオオスズメバチの姿はどこにもない。

だが巣の入口に複数のアリが見られた。

ということは中にオオスズメバチの死体があるのかもしれない。

ネズミ捕りを回収してみると約50匹が捕まっていた。

新しいネズミ捕りを持って巣に設置した。

その時屋根の上で成仏していたはずのオオスズメバチがモヨモヨと足を動かし始めた。

次の瞬間「ブーン」という大きな音がした。

巣の中からオオスズメバチが飛び出してきたのだ。

私は、一目散に逃げた。

もう寒くなってきたからオオスズメバチの攻撃も終わったのかと思っていた。

何匹か巣から出てくるがミツバチを掴んでいる姿は見たことがない。

ミツバチは自衛行動として1匹が捕まると一斉にそのオオスズメバチを囲い込んで殺してしまう。

巣の中の攻防は想像でしかないがオオスズメバチも果敢に襲いかかるし小さなミツバチも勇敢に戦い続けているのだと思う。

自分たちの城で食物も豊富にあるし相手をやっつける方法も熟知している。

オオスズメバチの攻撃がもうすぐ終わり籠城も終了する。

そう思いたい。

枯葉収集機

2019-11-26 08:18:08 | Weblog
枯葉は容赦なく地面に降り注ぐ。

道路上は、ここを通過する人たちにも迷惑がかかる。

その対策は急務だ。

枯葉を集めて腐葉土にすることを進めているが、そのためにも効率の良い集め方が必要だ。

今まではブロワーで風を送って一箇所に枯葉を集めておいて次にブロワーの集塵機能を使って洗濯用のメッシュの袋に集めて、それをさらに大きな袋に移して腐葉土所に運んでいった。

これを効率良くするために考えた。

直方体の木枠を作り底と背中と天板の半分はベニヤを貼り残りは網で囲う。

それを背負うことのできるアルミ製のリュックに取り付ける。

現代版の背負子でありキャスターも付いているので地面を引いて転がすこともできる。

さてその枯葉収集機と名付けた物にブロワーを接続してみた。

一箇所に集めておいた枯葉をブロワーが吸い込み始める。

当初の思いの通り効率良く集め始めた。

「いいぞいいぞ」と気分良くなり益々回転数を上げて吸い込み量を増やす。

すると背中側から枯葉が舞い降りてくるようになった、

それがドンドンひどくなり、ついに首筋から背中に入り込むようになった。

背負っているカゴの中に枯葉が溜まり始めると空気の抜けが悪くなり網から出るよりも空いている部分から出るほうが早くなり、そのときに枯葉も舞い出るというわけだ。

だが当然、枯葉を腐葉土所に空けるとき用の空き部分が必要なのだが。

枯葉と混じってカメムシの強烈な臭もしたから、ひょっとしたら私の背中にミンチ状態のカメムシが入り込んだかもしれない。

だが、ある程度やり終えないと実験にはならない。

首や背中にゾグゾグ感を抱えてやり終え、そのまま着替えずに帰宅して、いきなり風呂場に直行した。

服にこびり着いている可能性を考えてガムテープを用意したが風呂場で脱いだ服をパンパンはたくと簡単に枯葉は落ちた。

その後シャワーを浴びてから湯船に浸かった。

後日枯葉収集機にはフタを取り付けた。

フタは軽く留めるだけにして、フタを空ければ、そこから枯葉を出せる。

これでいいはず。

まだ試していない。

背中にカメムシが居なかったことは幸いだった。

ドブ掃除2019

2019-11-25 08:38:59 | Weblog
回覧板には11月18日の月曜日にドブ掃除で出た泥を回収に来るということだ。

私は14日に作業した。

ずいぶん回収までに日が空いてしまうが、この日が最も私のスケジュールに適していた。

コンクリート製のドブ板は業者がピッタリ嵌めていったため上げ辛い。

大きめのバールと古びたヤスリを使って、やっとの思いで上げた。

中にはびっしりと土が詰まっていた。

この土は近隣の小学校の校庭の土だ。

下水道が完備してからは、このドブには生活排水は入らない。

チリも積もればの例え通り長年の土ぼこりが雨に流されて侵入し、このように土の塊となってドブの中に堆積するのだ。

そのせいで駐車場の隅には雨水が溜まり車を移動させなくてはいけない事態となる。

私が、ほとんどの作業を終えたとき、どこかの爺さんがやってきた。

「あんたえらいなぁ」と褒めてくれる。

「いや、ここは水が溜まるんですよ。どうせこの先が全部詰まっているからやってもしかたないんですけどね」と言うと、爺さんは「よし。俺が言ってやる」と言って近くの自治会長宅に行こうとする。

「やめてください。その先の家は、もう夫婦が亡くなってしまって無理なんです」と言っていると自治会長が出てきた。

「この人は毎年やっているんだ」と言う。

見ている人は見ているものだ。

ドブ板は真上に上げる装置がないと上げるのが大変だが実は戻す方が難しい。

ほんの少し入りきらない箇所に板を当てておいてハンマーで叩き入れた。

私は出した土の塊を山にして置いておいた。

翌日やはり、その山の頂上にはスニーカーの跡があり少し崩れていた。

これを実は待っていた。

「男子児童」とニヤニヤしながら即座に結論した。

だが足跡はひとつだけで終わった。

当日今までは午前中には回収していったのだが、来ない。

ひょっとしたら町内で私だけが出したのかもしれないが。

それにしても、いつまで経っても回収に来ない。

やっと来たのは4日目だった。

それまでに一回雨に当たってしまった。

だが崩れてドブに戻ってしまうことはなかった。

中田島砂丘から馬込川河口

2019-11-24 08:42:11 | Weblog
妻を送り届け再び迎えに行くまで時間があった。

中田島砂丘に行くことにした。

駐車場から少し歩くとすぐに砂丘入口がある。

大きな石に中田島砂丘と彫られている。

その先の階段を上ると松林の間が通路になっていて砂丘が見えている。

砂丘に足を一歩入れると「ザク」という音をたてる。

蹴っても蹴っても前に進みにくい。

「そうだった」と過去の経験を思い出す。

歩きにくさを気にせず前に進もうとするとスニーカー先端に空けられた穴から砂が侵入してきた。

いよいよ砂丘らしくなってきた。

砂の上り坂だ。

前を行く人々は歩みが遅くなってきたが私は構わず進む。

と、大量に砂がスニーカーの中に入り込み靴下を通過して直接足指にまとわりつく。

登りきると広い海が見渡せた。

渚まで到達すると海と糸でつながっている多くの釣り人が見渡せた。

進路を東にとり少し硬い砂の上を右耳に潮騒の音を聴きながら歩いた。

砂には小鳥の足跡や小さな犬の足跡などと混ざり丸く角の採れた石が見える。

突如子犬の足跡が出てくるのは、そこまで飼い主に抱っこされてきたのだろう。

案外馬込川の河口は近い。

川には釣り人や投網を打つ人など楽しんでいる人たちがいる。

河口から川沿いに少し登っていった。

ゴミ焼却場や水泳施設などが立ち並び多くのウが羽を休めている。

川であっても岸には砂が堆積している。

私の足跡を振り返って69.55cmの間隔を目で確認した。

馬込川に架かる最後の橋の下から上に戻る。

海浜公園の東屋で休憩を取って靴に入った砂を取り出す。

足の指の間にまで入り込んだ砂は幼い頃の砂場を思い出させてくれた。

砂をきれいに落として靴下とスニーカーを履くと普通に履いている時よりも気持ち良い感覚になった。

次は中田島砂丘から西に向かい今切れ口まで歩きたいと思った。

砂の入り込まない靴はないものか。

デザートブーツか長靴になるのかなあ。

妻を迎えに行く時間までには十分に間に合った。




掛川駅から金谷駅

2019-11-23 08:22:28 | Weblog
掛川駅で下車すると街中を通過して旧国道一号線を探す。

駅では何ともなかったがトイレに行きたくなった。

自転車で通りがかったおばさんに聞いてみた。

突き当たりのお寺さんの坂を登っていくと解放されている、と聞いて直行した。

まだ我慢できる量が放出されたが駅から5分でモヨオスとは意外過ぎる。

自分の尿量センサーは、あてになるが歩いていると膀胱の容量の残量の不安が先に来てこういう事態となる。

まだ掛川にいるうちに昼食を摂ることにした。

煮込みハンバーグやカレーの旗の立ててある店に入った。

電灯が付き音楽が流れているが店主がいない。

長居すると疑われると思い外に出た。

歩いてすぐに定食屋が見つかった。

店の外には路駐をする車がたくさんあった。

路駐用のスペースがあるから皆さんここで昼食にするのだろう。

戸を開けると客は一人もいない。

テーブルの上には灰皿が置かれている。

不安の中で野菜ラーメンと餃子を頼んだ。

店を出てすぐに妻に電話した。

いつもの我が家の食生活が、いかに美味しくて野菜が豊富なのかを力強く伝えた。

だが、その妻も私が送ったラーメン餃子の写真を見て食欲を湧かせたという。

どこかで口直しをしたいと思いながら歩く。

道の駅で休憩したが、すぐ近くに洒落たカフェがあると知っているから、ここでは休憩だけにした。

カフェに行ってみると今日は定休日だった。

途中で旧東海道に入る。

明日は筋肉痛が残るだろうというほどの急坂だった。

ここを昔の人たちはワラジで上り下りしたのだと思うと私のスニーカーはありがたかった。

だが次に石畳の急坂がやってきた。

石の一つ一つに気を配り、どの石に足を乗せるか選ばないと危ない。

石畳の坂と別の石畳の坂の間にコーヒー専門店があるのを知っていたが、ここも今日は休みだった。

石畳の最後に店があったが、ここは2分遅れで断られた。

そのまま金谷駅から帰りの電車に乗った。

このままこのような歩きスタイルを続ける意味について考えた。

もっと身近な場所を歩こうと決断した。

歩行計画のうち静岡県を踏破する計画をやめた。

今日の歩行 5時間8分 33855歩 25Km だった。


磐田駅から掛川駅

2019-11-22 10:50:11 | Weblog
天竜川駅まで妻に車で送ってもらった。

通勤通学ラッシュの時間を終えた電車の中は座席もすいているしのんびりムードが漂っている。

磐田駅を下りてみると、やはり駅前ものんびりしたもんだった。

東方向つまり袋井方面に向けて歩き始める。

ぜひ見てみたい場所があった。

ひょうたん池という小さな池だ。

到着してみると釣り人が一人池に糸を垂らしているだけだが休憩場所は建ててあるし簡易トイレもあった。

釣り人が偶然釣り上げたものは亀だった。

外来種の亀の生息域の拡大に残念な思いがした。

見たことのない水草を見つけた以外は、どうということのない場所だった。

太田川の手前まで来ると妻から電話が入った。

ちょうど、その辺りは車の通りが多く、、その割には歩道の整備されていない箇所だったので電話を切って急ぎ足で橋まで到達した。

その後は道路幅と車の通りに気を使うことはなかった。

気になったのは道路近くに細かく切った稲の茎が集まっていることだ。

先日の大雨によって、この辺りは水没した地域なのであろう。

米は収穫されコンバインによって稲穂は自動的に裁断されて田に撒かれる。

それが、この有様なのだ。

袋井駅に到着すると12時を越えていたので駅近くの店に入った。

生姜焼き定食とコーヒーが付いて850円と安価に済ませることができた。

ところが気が付くと、この店は喫煙OKなので煙こそ見えないものの臭気は漂う。

早々に支払いとトイレを済ませて店を出た。

東海道本線のトンネルをくぐり、続いて東海道新幹線のトンネルもくぐって大きな企業の横を歩いて意外と早く愛野駅に到着した。

ここでスイーツとコーヒーを、と想定していた。

ところが駅前は活気がなく店はシャッターが降りて久しい感じがした。

結局スイーツは食べられず掛川駅まで到達してしまった。

途中で見た「こぶた薬局」という店の外見が楽しかった。

大きな煙突から忍び込もうとしている狼が居て脇からコブタが様子を伺う、というメルヘンチックな情景が屋根に上手に表現されていた。

再び天竜川駅まで戻り、そこからは徒歩で帰宅した。

この日トータルで5時間40分 37588歩 26.31Kmの歩行だった。

徒歩計画はまだ続く。




暑さは遠のき寒さは

2019-11-11 10:23:27 | Weblog
暑さも遠のき、本格的な寒さは、まだ少し先だから歩くには、ちょうど良い。

今までは雨の日も多く暑かったから歩くと言ったらショッピングモールの中だった。

10月の初めに自宅から磐田まで歩いた。

14.6Kmで3時間20分の歩行だった。

底の薄いスニーカーで出かけたことと歩く速さのペース配分を間違ってしまった。

いつもショッピングモールの中ばかり歩いているせいで早歩きになってしまった。

その結果フクラハギを痛めた。

11月になってすぐに第二弾を決行した。

自宅からJR駅まで約1時間歩き電車に乗った。

520円の切符を購入して豊橋行きに乗った。

新所原駅で降りて愛知県との境まで歩き隣県であることを証明するための写真を撮ってから歩き始めた。

東海道本線を愛知県から歩いて戻るという計画だ。

あらかじめパソコンで確認した道を歩む。

だがパソコンで確認できない場所もあるから、そのときは勘ピューターに頼る。

住宅街を歩いているときには不審者だと思われないようにしている。

だが屋根や電柱の鳥を見たり窓近くにいる猫を見ていたりするし時には、それらの写真を撮るから不審に思う人がいるかも知れない。

昼には、どこかでラーメンを食べたい。

そしてどこかで甘いものとコーヒーを頂きたいと考えていた。

だがそう上手くはいかない。

結局コンビニのイートインを利用してファミチキ ハッシュドポテト 肉まんを食べ飲み物はポカリスエットということになった。

やっと見つけたコンビニだったが、それからは次々とコンビニが出てくる。

もう飲料水もトイレも不必要だった。

一つ目の駅では妥協したくないので次の駅に向けて歩く。

だが実は、もう既に疲れていた。

道路脇にある広いコンクリートに座り込み靴を脱いでさらに寝転んで休んだ。

そんなもんでも少しは疲れが休まり再出発する。

疲労困憊したが気分は上々だ。

最後は弁天島駅で終了した。

4時間15分 20.2Km 28895歩の歩行であった。

明治以前の人たちの健脚を痛感する歩行であった。

作業の終了と開始

2019-11-06 18:05:36 | Weblog
本年度分の草刈を10月31日に終了した。

自分の土地ではないし住宅地であるし、なかなか日が合わなくて延び延びになっていた。

だがこれも、ついに終わった。

2時間が少し切れるくらいの作業時間だった。

ここは5月31日 7月31日そして今回の3回の作業だ。

終了してみると、とても嬉しかった。

このあと5月まで約半年間草刈りから解放されるのだ。

やっほー。

作業後は妻のおごりで美味しい昼食にありつくことができた。

天ぷら 刺身 サワラの焼いたものなどの料理が2時間の作業と、それに付属する準備や片付けなどと相殺された。

今年の草取りは春野以外に一箇所あり 5月6日 8月16日 8月24日 10月18日の4回だった。

草取りは腰痛で30分ほどしか続かなかったが最近は2時間半という自分では最長記録が出た。

しかも翌日の腰痛は軽い。

また墓参りの時の草刈もある。

市営の墓地なので通路は業者がきれいにしてくれるが、墓石周りは自分でやる必要がある。

それも年に数回ある。

これは量が少ないので全く軽い作業だ。

さて春野では11月5日から枯葉集めが始まった。

まだ全体として青々としているケヤキなのだが、それでも枯れて落下する葉が側溝を埋めるため集める必要がある。

我が家は紅葉する樹木が多い。

美しさを味わったあとは枯葉が舞い回る。

草刈り戦争後の枯葉戦争と私は呼ぶ。

枯葉は近所のお世話になっているおばさんに渡すし、それ以外は腐葉土を作るために集めている。

終わった戦争の後1週間で次の戦争になる。

それだから自分の健康に役立っているしビールも美味しいのだ。