家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

弔辞を読む

2022-11-27 07:24:11 | Weblog

妻の母親の葬儀の時、友人であり葬儀社の社員だった彼に葬儀の一切を取り仕切ってもらった。

17年前のことだ。

葬儀社の担当としてはもちろんだが、告別式の司会から霊柩車の運転まですべてをお願いした。

その時に私の考えで式場には義母の好きだった東北地方の民謡を終始流し続け義母の写真を遺影の他複数枚簡単な立つ額に入れて置いておいた。

無宗教で行ったため、葬儀の全てをプロデュースする必要があった。

義母の生活の様子を伝えて幸せな人生だったことを皆に私が披露した。

そういうことがあったので、その葬儀の後私に「僕の弔辞を読んで」ということに繋がっていったと思う。

彼は肺がんを患い両肺の一部分を摘出していた。

若い頃彼の家で金曜日の夜に集まってリコーダーを吹いていた音楽仲間だった。

その集まりが我が家になり、いろいろな状況の変化で解散してしまっていた。

彼は葬儀社を勤め終えた後、介護士として病院勤めをして、その年の忘年会に医師や看護師たちと一緒にリコーダーを吹く機会が訪れた。

リコーダーの練習を一緒にやって欲しいと我が家にやって来たのが、また次の新たな出会いであった。

老人のリコーダーアンサンブルは、一面悲惨な状況ではある。

目がうまく見えない。 指がつる。息が続かない。音楽記号を忘れる。

だが、それだから和やかな雰囲気が練習を包む。

彼は決してうまく吹けないが「やめる」とは言わない。

もう私が疲れてしまって「今日はこの辺で終わりにしてください」と言うまでは。

また休み時間には私と彼の共通の趣味である車やオートバイの話に花が咲く。

月に一度の老人アンサンブルは私にとって彼のために、ではなく楽しい充実した憩いであった。

「若い頃やってて良かったね」とは二人の切実な思いであった。

だが突然終末がやって来た。

奥さんから電話があり彼の具合が悪くなって入院したと知ってから約3か月後のことだ。

入院中に弔辞を読むなどとは思わないし、その後は再び会えると思っていたから弔辞を考えることも不謹慎だと思っていた。

次の電話は「死にました。以前弔辞を頼んであると聞いています」とのことだった。

うろたえた私は、即答できず翌日「弔辞を読ませていただきます」と伝えた。

彼と私で老人アンサンブルを楽しんだ時の姿は家族の誰も知らない事実だ。

その後の予定表にも今年いっぱいは彼の名前を入れたままにしてある。

「こじんまりと行います」という奥さんの言った通り会場には30人ほどの弔問客の姿だけだった。

一般席の先頭右側の椅子の背中に「指定席」と紙が貼られていた。

私の後ろには最後列にちらほらといるだけだった。

読経の後司会者が私の名前を呼んで出番を伝えた。

弔辞の中の彼と私のメールのやり取りを紹介した後「ここで一旦すっきり別れましょう」と言った途端に涙が溢れ出てきた。

彼との別れが現実的になった一瞬だった。

だがすぐに正常に戻り読み終えた。

約束が守れた瞬間でもあった。

 


アシスタントの追加

2022-11-23 08:55:10 | Weblog

毎年恒例の干し柿作りがあった。

柿は、もう一組の夫婦と山梨県まで買い出しに行く。

彼らとはコンサートにも一緒に出掛ける。

そちらの夫婦の夫が私より5歳ほど年上だ。

暗くなってからの運転は苦手だという。

だから少し遠くの、そして夕方以降になるかもしれない移動の場合は私が運転することにした。

毎年交代で運転していたのが、今回から私だけが運転することになった。

彼の豪華な車で行きたいが私のポンコツで行くことも構わないということなので。

それを直接彼に伝えた時の彼の安堵の眼を見られて嬉しかった。

私の車の荷台にはタイヤの上のえぐりがあるのでスノコを敷いていった。

これが功を奏して収穫コンテナを6箱楽に置くことができた。

また予約した農園のみならず道の駅や農産物直売所に寄って、いろいろな物を買うためコンテナの空いたところに詰めたりして便利に使った。

彼の奥さんも「ついつい買っちゃうわ。気が緩むのね」と嬉しそうだ。

後に自分たちの口に入る物を買うのだから、常に節約を心がけている、その部分を少し緩めることでリラックスできたようだ。

彼らには今年から家族に加わったネコがいる。

まさにネコ可愛がりしているので出かけても早く帰宅したいという。

まだ少し明るい時間帯に帰宅して、そのネコに「早かっただろう」と言ったら夫婦そろって嬉しそうだった。

さて翌日妻の主導で干し柿作りが始まる。

いままでは全て妻が皮むきを行っていたが今年からは私の出番を増やした。

ヘタ取りとヘタの下の皮むき、そして皮むきもピーラーを使って作業した。

むいた後の処理は私が今まで通り行う。

これで妻の負担の軽減に役立つ。

だが妻の肩こりは、あいかわらずであった。

「手伝ってもらった」という妻の気持ちが少しはコリの解消に役立っていると思う。


音源と反射

2022-11-16 09:00:15 | Weblog

午後3時ころ夫婦で帰宅した。

居間に入ると何かのアラームらしき音が鳴っている。

「ピピッ」「ピピッ」と。

そして時折「電池切れです」という。

音は私の使用している掘りごたつの方向からだ。

掘りごたつの上には山ほど物が積まれている。

1時間経っても音を出している物を特定できない。

電池切れを訴える何かの叫びであると聞こえるがこちらも叫びたくなるほど疲れてきた。

こうなったら、ここにある電気製品を全て隣の部屋に移動しよう。

あれもこれも運ぶ。

だがどんなに運んでもアラームは鳴り続ける。

猫の手も借りたいじゃなくてネコの耳を借りたかった。

アラームの鳴る時間をストップウォッチで測ってみた。

39秒ちょうどで鳴ることが分かった。

妻と私と別の所に立ちアラームが鳴った瞬間、どちらから鳴っているのか指で示そう、ということになった。

「あと5秒以内に鳴るからね。いくよ」と掛け声を掛けて声を潜めた。

「ピピッ」「ピピッ」

妻はコタツの上を指さし私は妻の長持を差した。

妻は「もう何年も開けていないから関係ないよ」と言うが私は確かにそちらから聞こえるので「とにかく開けてみて」と譲らない。

妻は長持を開け始めた。

出るは出るは、布が次々と出てくる。

「わぁーお宝だ。ここに在ったか」と嬉しそうだ。

妻の長持の疑いは晴れた。

ウーンと唸ってふと上を見たら火災報知器が目に入った。

「これか」

39秒待つと赤い警告ランプが点滅して音源の特定を助けてくれた。

脚立を持ってきて火災報知器をはずした。

だが電池を外すまで「電池が切れそうだから助けて」と訴え続ける。

電池のカプラーが固くて外せないのでコードを切って止め安堵した。

「ワインでも飲みながら片付けしよう」と妻からワイングラスが渡された。

もう6時を回っていた。

残り2個も、もうすぐ鳴り始めるだろう。

この際3個とも電池交換することにした。


ビス浮遊中

2022-11-03 16:42:28 | Weblog

ナビを固定するのに4本のビスが使われている。

初めてナビを取り外す時に4本の内1本を外した直後に落としてしまった。

幸い見える所に落ちていたので100円ショップで買っておいたアンテナのような柄付きの磁石で拾い上げた。

そして次に刺そうと思った時指から離れて再び落ちてしまった。

今度は見えない。

エアコンのチューブをどけて下を見ようとしたその瞬間「チャリン」という音が聞こえた。

やはりさらに下に落ちてしまった。

磁石はあらゆる鉄に張り付くため車のあらゆる場所に張り付く。

どこに落ちているのかが分からないと磁石では取りようがない。

しかたなく別のビスを持ってきて刺そうとしたが、それも「チャリン」だった。

だからナビの下あたりにビスが2本浮遊しているのだ。

次にナビを外す時に、このビス1本を持ってホームセンターで買うしかない。

というわけで同じビスは見つからなかったため同じような形の同じサイズの物を購入してきた。

さていざ刺す時が来た。

あらかじめドライバーの先端にビスをあてがい、そのまま左手のヒトサシ指もくっ付けてビス穴に持って行きドライバーの感触で「ビスがビス穴にはまった」と感じたらドライバーを回す。

だが今まで通りのこのやり方は何度やってもダメのような気がした。

あれこれ考えた結果ビスをガムテープでドライバーに留めることにした。

だがある程度回したらドライバーのみを引き上げればテープは外せるようにする。

このやり方はうまくいった。

毎回そのやり方をするのも確実ではないなと思い、そういうとき用のドライバーを購入しておいた。

ビスキャッチドライバーという。

400円くらいだった。

これを使えばビスを落とすこともないであろう。

幸か不幸か中でビスが転がりまわる音は聞こえない。