家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

騒ぐミツバチ

2016-08-29 17:13:08 | Weblog
午後1時過ぎ家の外に居た。

第二ミツバチ箱の辺りが騒がしい。

「ウヮンウヮン」という大きな音がしている。

近づくと音は「ウゥーン ウィーン」という個々の発する小さな羽根音であった。

カメラを持って近づく。

ミツバチ箱の中に戻る者。

箱から出て行く者。

箱の外壁に留まっている者。

いちばん多いのは空中にいる者たちだ。

高い空から下りてくる者。

ミツバチ箱の高さで飛翔する者。

どれくらいの数がいるのか見当もつかない。

混沌としている。

どのくらいの間騒いでいたのか分からない。

何かの事件があって騒いでいた理由ではないので気にしなかった。

同じ日の2時間後Y爺さんと道路で第二ミツバチ箱を見ながら話していた。

またあの音がした。

「ウヮンウヮン」

このうなり音は後ろの少し高い位置から聞こえてきた。

話をやめて音のする方向を見る。

すると我が家の第二ミツバチ箱の道路を隔てたところにある電柱からだったことが分かった。

やはりカメラを取りに行ってきた。

電柱の上の部分にミツバチの塊があり、その付近の空中にかなりの数のミツバチたちが飛び回っていた。

第二ミツバチ箱のミツバチとは別のミツバチたちが電柱に巣を作っていたのだ。

彼らが騒いでいた。

なぜかは、やはり分からない。

しばらくすると収まってきた。

大半は電柱に空いている穴から中に入っていった。

少し近づいて見ていると私やY爺さんにミツバチが体当りしてくる。

刺すことはないので少し下がるだけで、やはり見続けていた。

やがて全てのミツバチが穴に消えて辺は静けさが戻った。

私たちも何事もなかったかのように作業に戻った。







小が大を殺す

2016-08-25 15:52:30 | Weblog
山ではいつも蜂用のスプレー持ち歩く。

今日もミツバチ箱の横を通った時スズメバチに脅された。

スプレーをミツバチに掛からない方向で使用した。

「ちょっと出が悪い」

もう残りが少ないようだ。

作業を終えたあとにスプレーを使い切ってやろうとミツバチの箱に近づいた。

いつものように黄色スズメバチがミツバチを食べようと飛び回る。

ミツバチ箱には1匹のミツバチもいない。

黄色スズメバチがミツバチたちの玄関に降り立った。

隙間を、つまりミツバチたちの入口を覗いてはウロウロ歩き回る。

突然頭を入口に入れて1匹のミツバチを捕まえて外に引きずり出した。

そのとたんに30~50匹のミツバチが一瞬の間に出てきて、その黄色スズメバチを囲んだ。

本当に一瞬の出来事だった。

ピンポン玉よりも大きなミツバチの玉がその場にできた。

私は大急ぎでカメラを持ちに行き撮影を始めた。

10分、15分変わらない形。

一番外側に位置するミツバチたちは多少動くもののほとんど動かないし音も立てない。

20分に近づいたとき少し玉が小さくなったかなと感じた。

玉の下の方に位置するミツバチたちが玉から放れて奥に入り始めた。

そのうち1匹ずつ放れて中にいた黄色スズメバチが姿を現し始めた。

黄色スズメバチは、もう丸く固まったままで動かない。

最初に囚われた1匹目のミツバチもいないから生きて放たれたのだろう。

玄関に放置された黄色スズメバチをもう誰も気にしない。

私が棒でつついて動かしても、さらに棒で玄関から落としても全く関心を持たなくなっている。

知識としては知っていたミツバチの闘い方。

それを目の当たりにして興奮した。

1匹捉えられた後の行動の早かったこと。

まさに「あっ」という間とは、あのことだ。

今となっては攻撃準備が整っているところに、あの黄色スズメバチが飛び込んでしまったかのようにも感じられる。

今日も黄色スズメバチがミツバチを捉えて空中に舞い上がり真上の木で食していたのを目撃した。

判官贔屓はんがんびいき。

力の弱いものたちの団結の力で勝利したことで気分がよかった。





叔母の自慢げな顔

2016-08-14 10:50:38 | Weblog
叔母の葬儀に出た。

母の妹で、これで母の兄弟姉妹はいなくなった。

叔母はパーキンソン病を患い不便な日常を送っていた。

自宅で倒れてからは介護付きのケアーホームで暮らしていた。

姉である母や彼女らの兄である叔父さんを連れて何度かホームを訪ねたことがある。

叔父さん特製の煮たサツマイモを全員で食べて楽しくおしゃべりしていた。

私もサツマイモをいただいて彼らの昔話を聞くのが嬉しかった。

余ったおサツマをラップに包んで冷蔵庫にしまうのは決まって母の役割だった。

叔父さんや母が亡くなってからは私も叔母を訪ねる機会を失っていた。

パーキンソン病が悪化してからは病院に入っていた。

姉といとこと私の3人でお見舞いに行った。

叔母は私たちの姿を見てすぐに誰が来たかを理解した。

いとこや姉と話したあと私の顔を見ると

「おっかさと会える」とぼそっと言って自慢げな顔をした。

勝ち誇ったような顔。

上から目線。

一瞬意味が分からなかった私だったが、しばらくして気がついた。

もうすぐ召されるので、そうしたら私の母と会えるという意味だ。

私も母と会いたいのだろうが叔母の方が先に会えるからということを自慢していた。

自分の最期を予感し、それを期待しているようでもあった。

あれから9か月が経過した。

あの時の優越感に満ちた顔は今棺の中にあり、その顔は思った以上に痩せていた。

ほとんどが白い中でイチバン派手な花を探した。

赤いユリを掴んで持ち上げると大きな花が3輪付いた長い枝ごとの物だった。

色白の顔に白髪が似合い上品な雰囲気は生前と同じだ。

頭のところにユリの花を寝かせた。

短く切った白髪に少し触れた。

「あんたも会いたいかい?」

叔母の声が聞こえてきそうな感覚だった。

母は87歳、母の母親も87歳、そして母の妹も87歳。

これほど正確なタイマーが組み込まれている。

自分のタイマーは父系なのか母系なのか。

誰も分からないが組み込まれていることだけは事実だ。