家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ワサビを植えた

2010-03-31 07:56:54 | Weblog
先日伊豆に行ったときに買いたかったワサビ。

とは言っても食べるためではなく植えるため。

だが伊豆では探し回る時間がなかったので、それっきりになっていた。

なんと近所のホームセンターに売られていたのを発見して即買った。

説明書では育てるのは「なーんだ簡単じゃん」と読み取れる。

根茎収穫は2年目以降根茎が肥大したら可能と書かれている。

で、植えてみた。

いつも水が少しだけ流れているところに。

朝日が少し当たり午後からは日陰になる。

先住している草を抜き去って土だけにした。

先住している草も葉っぱを持って引っ張りあげてみると、まるでワサビのような茎を持っていた。

さて袋を開けてワサビを取り出そうとしたが見当たらない。

「ちょっと待てよー」と独り言を言って水際から出た。

大きな平らな石の上に袋の中身を全て出してみた。

「んー?これかぁ?」

吸い物に入れるミツバの1本を短く切った程度の物が出てきた。

そのミツバ様の草の茎の先端には産毛のような根っこが生えていた。

これで498円也。

繊毛1本が50円くらいの値段か。

ミズゴケがたくさん入っていて中身を確認せずに買ったのだ。

袋には「1株入」と赤字で書いてある。

袋に付いている写真には、よく見かける下ろす前のワサビの茎が2本載っている。

当然写真のような物が1本入っていると想像していたのだ。

いくら小さいとは覚悟していても、これほどだとは。

「これで育つんだろうか?」

少し水が多く流れてきたら流れちゃうんじゃない?

つまり498円を、まさにドブに捨てたようなもの?

「今この場で口の中に入れて喰っちまおうか」

よこしまな考えがよぎる。

だがやはり植えることにした。

これがワサビ田にまで成長することは無いにしても、まあまあの大きさまでにはなってもらいたいから。

獣に食われても水に流されても朽ち果ててしまっても一切分からないが。

しばらく付近で遊んで帰りがけに妻が

「ねえ。どこに植えたっけ?」

あぁあ。

ゲンペイとは名ばかり

2010-03-30 07:59:34 | Weblog
ゲンペイシダレ花桃の木を3本植えておいた。

東屋の近くに植えた物は枯れてしまった。

これは日照不足だったかなと少し反省している。

また宅地の上の山に植えた物も枯れてしまった。

これは原因がつかめない。

日照は充分だし水分もあり栄養も足りているはずだが。

ひょっとしたら風当たりが強くてダメになったのかもしれない。

宅地内に植えた残り1本は元気に育っている。

今年も花を咲かせた。

だが白い花ばかりだ。

ゲンペイなのだから紅白が揃わないと意味がない。

まだ蕾のうちは白の花の中に紅色が見えていた。

だが咲いてみるや白ばかりでガッカリだ。

時代なら壇ノ浦の戦いに負けて1192年に鎌倉幕府が立ち上がる手前か。

とにかく源氏に駆逐された平家という感じで紅は、ほぼ無い。

春野の行き帰りに目にするゲンペイシダレ花桃は、やはり白ベースが多い。

白が7割か8割で残りが紅色だ。

我が家の和金は当初フナのような色をしていた。

「発色のよくなるフード」という金魚のエサが売られている。

それを食べさせたら確かにフナ色から金魚色になった。

花桃も、そういう類の栄養剤があるのだろうか。





車庫は男の居間

2010-03-29 08:21:28 | Weblog
薄暗い車庫の中に篭って男どもは、いつまでも尽きない話に花を咲かせる。

何でそんなに楽しいのか本人たちも分からない。

車庫には車やオートバイのほかに工具 オイル缶 ペイント類などが置かれている。

それらの一つ一つに物語があり愛着がある。

「出て来なさい」と言われるまで中に閉じこもりたい衝動がある。

そんな、たわいもない楽しい話をするために八王子と下田から仲間がやってきた。

私ともう1人の地元民が彼らをもてなした。

地元民M氏の案内でブラジル料理に舌鼓を打ち若いコガオの女性の可愛さに意見の一致をみた。

O氏宅でモーガンに関する本や絵画、ミニチュアに心を躍らせた。

スリーホイラーのDVDを見てヨーロッパの景色と文化にあこがれを持った。

そして最後は私が究極のガレージ「ぬくもり」に案内した。

オーナーS氏の話をうかがった。

皆の頭の中は「車庫の設置や改造」という男独特の夢に包まれた。

我々全員の体内充電計の針はF(full)を示すほど明日の活力に満ちたのであった。

美味しい食べ物を腹いっぱい食べ同時に頭の中もガラクタで一杯にした。

このシアワセ感は長く余韻を楽しめそうだ。



穴窯

2010-03-28 07:17:00 | Weblog
友人宅を訪れた。

「裏にいるから見てみて」

奥さんの言葉に「何か意味がありそうだ」と感じた。

裏口から出ると黄色のユンボが目に入った。

「おーい。こんにちは」

「はーい。いらっしゃい」

作業を止めてこちらに向いた友人は笑顔だった。

友人宅の裏庭に彼が以前から言っていた「穴窯」をとうとう造り始めた。

私が彼の構想を聞いて大きな椎の木を切り倒したのは2007年8月の事だった。

その後もちょくちょく小さな木を切ったり移植したりしているのは知っていた。

その彼がいよいよ重すぎた腰を上げたのだ。

ユンボも友達から借りてあった。

「ユンボやれるの?」

「まぁボチボチ。見よう見まねで」と答えた。

不思議と陶芸家のときの顔よりも庭屋だったり土建屋だったりするときの顔の方が幸せそうに見える。

「今夜は大雨だっていうから」と言って、そそくさと掘り返した部分にブルーシートを掛けていた。

「ソヨゴあげるよ。持ってきな」

指差した方向に大きなソヨゴの木が根から抜かれて置いてあった。

ユンボがあるから可能になったことだ。

「ヴィッツに乗らないから要らないよ」と答えた。

軽トラにも乗りそうにないほど大きな物だった。

友人は意地悪そうな笑い顔を見せた。

丁寧な仕事ぶりは知っていたが何にでも同じようにやるものだ。

きっときれいな仕上がりの穴窯が出来上がるに違いない。





山桜が在った

2010-03-27 08:38:57 | Weblog
友人から山桜の苗をもらって植えた。

しっかり成長したので、いくら大きくなっても良い場所つまり最後まで立っていてもよい所に植え替えた。

道路沿いの目立つ所で日当たりの良い場所だ。

杉林の中に混じって今は小さくなっているが大きくなれば堂々とするだろう。

今年はまだ花を咲かせなかった。

最近妻が我が家の敷地の中で山桜を見つけた。

散策の途中で

「あれ?あの木は山桜じゃない?」

見れば花と葉が同時に出ている。

白い花と赤っぽい葉。

幹を見ても間違いなく山桜だ。

樹齢は10年以上だと思う。

それは背丈と幹の太さを見て「素人のカン」で決めた。

不覚にも3年間気が付かなかった。

花が咲き終わってしまうとコナラの林の中に埋没するように溶け込んでしまっていた。

と言い訳しておこう。

コナラ林が今のところ全く葉を付けていない枯れ木状態なので目立ったのだ。

これで再びコナラに葉が出てきたら、また行方不明になるかもしれない。

植物のこともろくに知らない者が山を買ったから宝の持ち腐れ状態なのだ。

だがお宝に徐々に気がつくという美味しさがある。


2階の窓を見下ろして

2010-03-26 08:29:16 | Weblog
天竜川の堤防を走っているとき必ず見る家がある。

妻の母親を病院に見舞うようになった時からだから既に5年以上も見続けていることになる。

数軒の2階屋が並んで建っている、その内の2軒には介護老人が寝ているのだ。

晴れた日には雨戸を開けていて中の様子が走り去るまでの間に見えるのだ。

妻の母は亡くなってしまったが、そちらの家の方は、まだ御健在だ。

たまに付き添いの姿が見えたりする。

「お元気そうですね。今日も良い天気になりました」と言って通り過ぎるような感覚だ。

ある日いつもは閉まっている家の窓が開いていた。

奥の窓にイヌの姿を見つけた。

犬は窓枠に前足をかけて下を見つめていた。

下に何か興味を引く物を見つけたようだ。

一心不乱に集中しているときの後頭部がカワイイ。

妻も見逃さなかった。

「見た?あれ」と話題になった。

他人宅の窓を見ているなんて良い趣味とはいえないけど、どうしても見てしまう。

私たちだけが勝手に彼らに対して仲間意識を持っているのだと思う。

義母の様子を見に行くときだから同じように考えてしまうようになったのだ。

あちらは全く私たちを知らないのだが。

義母の見舞いに行く必要がなくなって、しばらくしたら春野に行くようになった。

相変わらず窓を見ている。


牛の鈴音

2010-03-25 08:42:39 | Weblog
これが妻と見た映画は1本目だ。

つまり驚いたことに二人で映画館に行ったのは初めてだ。


韓国映画 題名 牛の鈴音 워낭소리


健気に働く老夫婦と老牛。

懸命な姿は人も動物も美しいものだ。

大地にへばり付いて自然を相手に格闘する。

敵対するのは老化現象。

老夫婦も老牛も歩くのもたいへんなほど身体が痛んでいる。

「現実を直視して、それに合わせろ」という老婆。

機械を入れて農薬を使えと愚痴を交えて願う。

だが非効率を貫きたい爺さんは「楽をしようと思うな」とたしなめる。

文明の中に取り残された牛車に揺られてうたた寝する爺さん。

人が老化を防げないように誰も時代の流れを止めることは出来ない。

立ち上がることすら出来なくなった牛の鼻に通っている輪を鎌で切り外した。

まさしく最期まで働き通した。

「休むのはあの世に行ってから」という爺さんの言葉通りの生涯を終えた老牛。

亡き牛の鈴を持って呆然と木に寄りかかる爺さんの姿。

彼にも休みが近づいていることを予感させて映画は終わった。




オタマジャクシ

2010-03-24 09:05:47 | Weblog
春野の我が家の土地の下に荒らしたままの元棚田がある。

そこには自然に出来た水溜りがある。

散策していて、その水の中に黒っぽいゴミのような物が有るのに気がついた。

「ひょっとして」と思って、水溜りまで行ってみた。

やはりオタマジャクシが無数にいるのだった。

以前この水溜りに大きなカエルがいるのを見たことがあった。

きっと彼女の子孫たちだろう。

ネットで調べてみると、その姿と色からいってヒキガエルのオタマジャクシだと思われる。

まだ本当に孵化したばかりらしく動けないものもいる。

妻が棒で掬い上げてみたら、まだ卵のままのものもあった。

卵はカンテンで出来ているような薄透明の筒状だ。

その中に黒点があり、それがオタマジャクシになるのだろう。

水に戻すとカンテン様のものは見えなくなった。

別名ガマガエルだそうだから拾い上げて育て、その挙句に鏡の前に座らせて「タラリ タラーリ」と汗をかかせ、それを集めて「がまの油」として売り出せるかもしれない。

一攫千金の夢を少し見た。

現実は、そんなに多くのガマガエルを飼育したら、やかましくて居られやしない。

久しぶりにオタマジャクシを見て思い出したことがある。

私が子供の頃、父はオタマジャクシのことをデベレッコは母オタマッコと呼んでいた。

驚いたことに同じ浜松で育っても言葉が違っていた。

オタマッコは分かるがデベレッコって何?

でも両方とも方言として載っていた。


ナンキンハゼ剪定

2010-03-23 07:57:20 | Weblog
毎年恒例の実家のナンキンハゼ剪定をした。

去年エンジンチェンソーを使ったら少しパワーが有り過ぎた。

今年は電動チェーンソーにした。

ソーチェーンを新品に交換してから臨んだので切れ味は抜群だった。

隣家のお姉ちゃんが帰宅した折

「あれ?今年は業者を入れたのかと思った」

地下足袋姿で腰にナタを付けている私の出で立ちが、あたかも業者然としているらしかった。

まずは下に何も無い無難な箇所の切り落としをした。

次に隣家の車の上。

車に当たらないように気をつける。

そして道路側。

最も気を使う。

車の途切れた瞬間を狙って切り落とす。

切り落とした枝を集めて更に小さな枝にする。

ここで私のナタが物を言う。

スパッスパッ と切れ味も鋭く枝を払う。

手際良く作業が出来るのは、もう3年もこのようなことをやっているから。

「そんなに太いのまで切れるんだね」と母が言う。

まるで母に誉められたようで気持ちが良かった。

「信号機で停まった車の中から見ている人たちも業者のナタはよく切れると言っているよ、きっと」と言って笑った。

ナタで枝を払うのは枝切りバサミよりも早い。

勿論電動チェーンソーなんて必要ない。

ヴィッツに積み込んだ枝は、さながら大きな大きな鳥の巣のようだった。

春野に到着して枝を山に捨てた。

ほんの5分で終わった。



花の香新酒を味わう会

2010-03-22 08:43:03 | Weblog

花の香新酒を味わう会に参加した。

 土井酒造場には準備に大童(おおわらわ)の人たち、今や遅しと「乾杯」を待ちかねるお客さんで賑わっていた。

風が少し吹いていて肌寒い中

「お待ちしておりました」

受付は、この言葉で迎えてくれた。

誰にもこの挨拶をしていたが、それぞれの客の心に入り込んだ。

私を待っていてくれたのだ、と。

 もう気分は急上昇した。

この会で知り合った人を探して挨拶をした。

そして私のところにも挨拶しに来てくれた若者がいた。

嬉しかった。

親子ほどの年の違いは同じ目的の前には、ほとんど意味が無い。

正直言って去年の酒の出来と今年の出来の違いは分からなかった。

黄砂で山も霞むように私の味覚は、はっきりしない。

だが見え辛くても、そこに山があるように花の香が美味しくないわけはない。

安心して杯を傾ける。

やはり美味しい。

「本日のおしながき」をよく見ずに行動するとありつけないものがある。

私が手伝った三才豆腐の豆乳チーズケーキは、アッという間に品切れになったし、イチゴやキャンディトマトは姿すら見なかった。

また日本酒を飲むときに欠かせない水も用意されていたにもかかわらず飲めなかった。

初めて土筆(ツクシ)をいただいた。

頭から出てくる緑色の胞子も初めて見た。

「頭を取ってハカマも取って」 1本1本大事に作業を手伝った。

「旬の料理あまの」の大将が丁寧に手で揚げてくれた天ぷらだった。

裏切らない美味しさの花の香と料理。

再び会えることを楽しみにする友情。

いろいろなものを育む花の香楽会は私の人生に欠かせない