家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

紅葉と火お越し

2007-10-28 10:34:44 | Weblog
昼食は洒落た皿に乗ったアジの開きの炭火焼とオムスビ。

せせらぎの音の流れる中、紅葉を眺めながらいただいた。

別に豪華な庭のある料亭で食事したわけではない。




春野にはガス台がない。

したがって調理は専らシチリンに依っている。

まず杉の枯葉を束ねて火を着けシチリンに入れる。

網の上に炭を乗せて、その火であぶる。

もう一度杉の枯葉を束ねて火に入れる。

燃え盛る中に暖まった炭を落とす。

シチリンの空気口からウチワで風を送り込む。

すると炭に火が移り安定した火力を利用できるようになる。

とまあ物を暖めようとするだけで、かなりの時間と工程を要する。

これが雨の日だったりすると杉の枯葉にすら火の着きが悪く、そのうえ大量の煙が発生し息が出来なかったり涙が出たり。

自宅ではスイッチ一つで簡単に火が着いたり湯が出たり。

まったく労せず、文明の恩恵を受けている。

ただ春野でも杉の枯葉に火を着けるのはチャッカマンというガスライターだが。




不便な故に美味しい物を食べるという不思議な結果。

父に会った

2007-10-27 10:20:54 | Weblog
夕方妻と車に乗っていた。

前から歩いてくる男性が父に似ているなと感じていた。

すると妻が「あっお父さん」と言った。

「やっぱりそう思った?オレもそう思ったよ」と妻と話した。

私は10年前に他界した父と会えた気がして嬉しく感じた。

その嬉しく感じたことを母に伝えると母もとても喜んだ。

父だけでなく義父義母また犬のカイザーまで今まだ一緒に暮らしているのだと実感したところだ。


我が家の紅葉

2007-10-19 09:12:43 | Weblog
我が家の木々にも紅葉が始まった。

ツタは先月から赤くなっていた。

ドウダンツツジの1本が赤くなり始めたが同じドウダンツツジでも、まだ青々としているものもある。

モミジは1本の木でも枝によって違っている。

最近柏葉アジサイが色付き始めた。

千差万別

こんなところでも、それぞれの個性が感じられる。

2007-10-18 09:47:23 | Weblog
瓦の片付けを手伝いに行った。

120年前に建てた家の葺き替えを40年前にした。

そのときの瓦が庭に山積みされていた。

3 4 枚ずつ持っては移動させる。

きれいな物をもらってきた。

それにかわいい花を植えて苔で周りを巻いた。

ちょっといい感じになった。

やっとだ。

2007-10-17 08:40:10 | Weblog
朝晩寒い風が吹くようになった。

猛烈に伸び続ける草に勝利しようと思ったが勝ち負けが決まらないうちに落ち着いた。

昆虫の数も減りヘビも見なくなった。

季節が全てを変えていく。

すると作業よりも余裕の時間が多くなってきた。

妻は早速柿渋染めを楽しんだ。

柿渋は臭いが強いので住宅地では使い辛い。

だが春野なら何の問題もない。

私も、にわか大工さんになったり庭師になったり。

ゆったり楽しいことをする山の生活がやっと始まった。

春野文化センター

2007-10-16 10:13:13 | Weblog
近くても行ってなかった春野文化センターに行ってみた。

ここはちょうど我が家の対岸にある。

何の対岸かというと、気田川の。

大きな天狗の面が有名だが車でその下までは行けないようになっていた。

お祭りには屋台が集結すると聞いた。

今度の土日がその祭りだ。

猫団子

2007-10-11 08:37:00 | Weblog
春野の我が家の近所に猫屋敷がある。

近所といっても車で2分ほど坂を下ったところだ。

今日は肌寒いので団子になって眠っていた。

団子は色とりどりだ。

その団子が、あちらこちらにある。

しばらく前に数えてみた。

23匹まで確認できた。

団子の中に手を入れればヌクヌクと暖かいことは想像がつく。

私もこの中に入って眠れたら最高なのに。

湧き立つ雲

2007-10-10 08:50:29 | Weblog
山から沸き立つ雲が高圧線の鉄塔を呑みこむ。

変幻自在に動き回る蒸気の塊が山や木々 空 鉄塔 などを隠したり露出させたりする。

全く見えなくなったり薄く見えてきたり。

一瞬でその姿は変わっていく。

目に見えないほど小さな水のツブが山を覆うほど巨大に成長する。

と思うと次の瞬間消え去る。

さながら音もなく動き回る生き物のようだ。


セミの即身成仏

2007-10-09 08:58:31 | Weblog
この夏に藤棚の柱に止まっていたセミが、まだそのままになっていた。

止まっていたのを記憶している。

それは止まっていたときから「鳴かないね」と話していたからだ。

当時から既に事切れていたのかもしれない。

セミの即身成仏。

カビは生えているが、きれいにその姿を留めている。