家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

妻とケーキ

2022-01-21 17:25:39 | Weblog

今朝朝食の際に妻はケーキを食べた。

私の体は乳糖不耐症ということで乳製品を摂らないことにしている。

その分妻がケーキを食べる機会が激減していた。

今日は妻の誕生日で起き掛けに「誕生日おめでとう」と祝いの言葉をかけ、朝食時に1階の冷蔵庫に隠してあったケーキを取り出して、もう一度「おめでとう」と言った。

妻がことのほか喜んだことは言うまでもない。

と同時に「いつ買ったの?」という疑問も湧いた。

昨日丸一日一緒にいたのだからケーキなど買えるわけがない。

実はイオンに出かけた際中で別行動をした、その時に購入し妻と合流する前に車の中に隠しておき、その後帰宅したその後妻のすきを見て更に冷蔵庫に移し替えたというわけだ。

その日のイオンは、割り合い空いていた。

ケーキ屋に行き「ベリータルトを一つください」と言って購入した。

ベリータルトは何かのブドウの種類のタルトだ。

500円也だった定価だがイオンカードを持っていれば5%引きで、しかもワオンで支払った。

税込み割引き込みで¥513だった。

箱に入れてもらったケーキを車に持って行きトランクの中の発泡スチロール容器に入れた。

中でガタつかないように布を入れて押さえてからフタを被せた。

計画を完了したら何だか嬉しくなって、もう一度ケーキ屋に行った。

店員は男が一人だけだ。

何やら帳簿のようなものに記入していた。

「あの。すみません。ただ今ケーキを一つ買ったものですけど」と言うと顔色を変えずに近づいてきた。

たぶん「うわっクレームか?」という感じになったと思う。

「あのケーキは妻用なんです。明日妻の誕生日なんです。で、妻に気づかれないようにしていたんです。だから何も悪いことしていないのにドキドキしてね」と言うと「おめでとうございます」と妻の誕生日と私の首尾良く終わった行動の両方を指した気がした。

クレームじゃなかったしサプライズで行っていたその行動のからくりを知って

更に喜ばしいと思ったと思う。

大切な人のための支出金額が513円。

気持ちは513万円。


聴力ダウン

2022-01-20 15:05:54 | Weblog

このところ毎朝の体温計測で体温計の計測終了の「ピーピー」という音が聴き取りにくくなっている。

妻は私と離れた位置でも聴き取っている。

以前は、どこか遠くで鳴っているように聞こえたが、その音も週に2回ほどしか聴き取れなくなった。

だから、その残り5日間は、とうに鳴り止んだ時間に体温計を外して見る、ということになる。

まあ25秒程度で計測終了なので特別不便は感じていない。

パソコンで聴力を測ってみた。

「70歳未満」というところに落ち着いたので年齢相応ということが分かった。

で、同じ試しをヘッドホンでやってみた。

すると「50歳未満」というところまで良くなった。

「どういうこと?」

つまり余分な音が聴きたい音の妨げになっているということか。

体温計測時にはテレビが鳴っているし台所での作業音も聞こえている。

温風機も屋外の風の音も聞こえる。

それでは、ということでいろいろ試してみたくなった。

まずは耳の中にパイプを入れて、その出口を体温計のある左脇に当ててみた。

車庫に在ったキャブレター用の燃料パイプだ。

全く聞こえなかった。

聴診器は父の使ったものがどこかに在るはずなのだが見当たらない。

次に体温計を舌下に置いて測ってみた。

口と耳はごくごく至近距離に在るし音を遮蔽する物もないのだが、それでも聞こえない。

いっそのこと体温計を耳の穴に入れてみようと思った。

「聞こえた」今までの体温計が発するどの音よりも明快に大きく。

36度5分と出ていた。

「やった。これでいいじゃん」

一般的に体温は脇で測ることが多いようだがイヌやネコのように肛門に入れて測るのが深部体温として最も信頼できるらしい。

だが毎朝肛門に体温計を入れるほど神経質に測ることもない。

非接触の体温計も売られているし店に入るときに手の消毒と一緒に計測するのにも慣れた。

でも新しいものを購入したくない。

鼓膜で測定する器具も売られているが、ただの目安として利用するだけなので、このお気楽な方法で進めることにする。

「これにて一件落着」  使う言葉もジジイ。


初仕事

2022-01-12 10:36:54 | Weblog

年末にやってきた孫たちが夫婦だけの静かで落ち着いた生活に新鮮な嵐をくれた。

話の途中でトイレに立つ私に付いてきて戸を開けてする私の背後に来て話を止めようとしない。

久々のこの現象に私は過去を思い出した。

私の長男がそうだった。

長男が上京すると次は猫が付いてきた。

男子用便器でするのだが、すぐ下までやってくるので「しぶきが掛かりそうだからアッチに行ってて」と言っても構わず居る。

この孫が3人目だ。

孫は中に入ってきてウロウロしていった。

年末が濃く過ごしたので、年始はいつもの落ち着きを取り戻す。

貰い物のユズを使ってゆずジャムとゆず醤油を作る。

私は、その手伝いをしたのだが慣れてきているので自分の手伝い範囲を増やすこともできるようになった。

しばらくして次はレモンジャムを作る手伝いをした。

春野では枯れ葉を集め近所のおばさんに渡す。

90Lの袋を5袋渡した。

量的に十分とは言い難いが私たちの作業を見ていてくれて嬉しいと言ってくれた。

子供のころ自分の誕生日がちょうど3学期の始まる日で勉強嫌いの私には何となく嫌な日になっていた。

今年は孫からビデオレターが届いた。

「おじいちゃんいくつになったの?」と言うと空かさず撮影者の父から「その前に言うことあるでしょ」と言われて「お誕生日おめでとう」と言い直した。

まだしゃべれない彼の弟が彼の膝の中にいる。

お兄ちゃんが挨拶している間中ニコニコ顔を送ってくれた。

しゃべりの癒し効果も然ることながら嬉しそうな顔というものの効果も絶大であった。

この幸せ感はどんなセラピーも適わないであろう。

これは彼らの初仕事のような気がする。

それぞれがそれぞれの初仕事をして始まる新年に希望を感じ取った。

 


大名みたい

2022-01-06 13:37:07 | Weblog

「今日は煎餅とビールにしようか」

「ああ。いいねえ」

そんな会話をしているときだった。

「ヒラメが取れたから取りにおいで」と電話が入った。

海の幸を分けてくれる2軒のうちの一軒からだった。

「はい」いわゆる二つ返事だった。

行く支度の妻がトイレに入ったと思うと、また電話。

「料理できるの?」

妻が電話し直して「できません」と伝えていた。

車ですっ飛んでいくと料理されたヒラメが私たちを待っていた。

先日は別の家からクロダイをもらった。

その時にはクロダイのムニエルとワインで少し洋風感覚の夕食になった。

今回はヒラメの刺身と潮汁そして妻の北海道の知人から頂いた飯寿司さらに飲み物は志太泉の濁り酒である。

今回の濁り酒は封を開けるときの吹きこぼれがない。

4合まるまる飲める。

それでも封を開けるときに「プフッ」いよいよビンから出て食卓に着くという酒の「いきごみ」のような「自分の生きの良さ」みたいなものを感じた。

酒の準備は私だ。

大きなウルシ塗りの片口に丸々4合を空ける。

透明な日本酒と沈殿している白い酒粕状態のものとが渾然一体となり片口の表面にブクブクと小さな泡を放出する様は、まるで日本酒が米から酒に変化する時の無から有に変わる瞬間を再び表現しているかのようだった。

妻が席に着くほんの少しの時間が惜しいほどガツガツしている。

席に着くや否や私は選び抜いた古伊万里のそば猪口に白い泡の御神酒を注いだ。

「カンパーイ」

さあ味わいの時間だ。

濁り酒を一口飲むと「あー美味しい」。

二人の感想やタイミングは全く同じ。

その後刺身や飯寿司や潮を食す。

それぞれがそれぞれの良さを引き出して美味しいことこの上ない。

先日とは違って今回は完ぺきな和食だ。

それもまるで大名のような食事と思えた。

ただ今日の終わりに惰性で臨むところだったのでテーブルの上はとっ散らかったままだ。

これが大名とは大きく違う。