家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

おばあちゃん2件

2024-11-28 14:19:05 | Weblog

10000歩の内の8000歩くらいの所つまり帰り道に公園の隣を歩いていた。

道路の端にかがんだ状態のおばあちゃんが居た。

近づいてきたら分かった。

彼女はかがみこんで道路の端を掃除していたのだ。

公園の長いフェンス沿いの、ほぼ5分の3は驚くほどきれいになっていた。

家庭用のチリトリを使い枯れ葉やドングリを集めてはゴミ袋に入れている。

余りにも非効率的だし距離が長いからご苦労さんなことだな、と思った。

近づいて行って「ご苦労様です。距離が長いからたいへんですね。丁寧にやっていただけたのですね」と労いの言葉を掛けた。

「ああ、どうも」とぶっきらぼうに答えたのみで手を休めない。

ふと気づいたのだがビーグル犬がおばあちゃんの体の繋がれている。

犬は私を恨めしい目つきで見て「どうすんだよ。散歩に行くもんだと思っていたのに。ちっとも進まないんだよ」と言いたげであった。

私は言葉に出さず「仕方ないんだよ。もう少し待ちな」という目で犬を慰めた。

 

別の日散歩の途中、堤防で小柄なおばあちゃんが私と同じ堤防に乗ってきた。

横断歩道を渡り橋のたもとで止まって河川の工事現場を眺めていた。

「なにかあったのかな?疲れちゃったのかな?」と思いながらその横を通り抜ける時おばあちゃんの様子を見てみた。

タイミングよく私に「こっちの堤防が低いだかいねぇ?」と言う。

そうかこの工事が気になって誰かが通るのを待っていたのか、と感じた。

「堤防の高さは同じです。川の中に打ち込んだ杭をやり直しているんです」と教えた。

「84になるもんで自転車は乗らずに歩きで来た」という。

「ああ。良いカバンですね。買い物袋を持って歩くよりリュックに入れて歩いたほうがいいですよね」と言った。

続けて「84の割には顔が若いね」と要らぬことをしゃべった。

おばあちゃんのスイッチが入ってしまった。

「ああうれしいやぁ。2年前に心臓の手術をしたらぁ。そうしたら顔がしわだらけになっちゃって」と言う。

そして気を良くしたついでに「昔はぽっちゃり顔で高田みづえに似てるって言われた」と言う。

「相撲の親方に嫁いだ人?」と聞くと「そう」と答えた。

「そういやぁ似てるわ。高田みづえに」というと満面の笑みを見せた。

こりゃぁもっと長引くぞと思い「じゃあね」と言って散歩を続けた。

あの笑顔が長く続いてほしいと思った。


風邪に感染した

2024-11-17 14:28:24 | Weblog

特定健康診査受信結果通知表を受け取ったその日に実は風邪に感染した。

はっきりしているのは感染源が妻なのだ。

その日は春野で土木作業した。

斜面の草刈りをしたとき足場が悪くて斜面から落ちそうで怖かったからだ。

斜面の下にコンクリートでできた部分がある。

そこに堆積した土砂を取り除こうというわけだ。

スコップで道路に置いた箱に土砂を捨てる。

真横に置いた箱だが、ある程度スコップで投げるようにしないと、うまく入らない。

スコップに入った土砂の量は大したことはない。

だからもう少し遠くでも投げられそうだった。

だが回数が増えるに従って疲れが溜まってきた。

疲れが出てくると足腰が心もとなくなってきて「ここから道路に落ちるか」と不安になってきた。

もう何回土砂を捨てたか分からない。

10時から始めた作業を11時半くらいで終了させた。

汗びっしょりになって着替えたのは12時を越えていた。

昼食後疲れと満腹で15分程度うたた寝をしてしまった。

「まずいな」と感じたがもう遅い。

帰路の車の中で妻が「ゴホゴホ」咳き込んだ。

車の中という密室で感染源と約1時間過ごした。

もちろん私は久しぶりに風邪をひいた。

鼻水が出て38.4℃の発熱、そして咳が出始めた。

涙が出るようになり咳飴が欠かせなくなった。

だが少し調子が良くなると自転車に乗って走り、冷たい空気を吸い込むので、その夜からまた咳き込むことになる。

感染源が妻の事は確かだが長引かせたのは本人であることも確かだ。

最近は日によって暖かい日もあれば冷え込む日もあり気温の変化に付いていけない感じがある。

好きな水泳は自重している。

でもマスクしてでも散歩は欠かさない。

晩酌が美味しいこともあるが、あくまでも身体を気遣ってのことだ。

歩くことの効用を捨てるわけにはいかない。

好きなビールを止めているのは呑むと咳が出る為だけではなく、季節的にウイスキーのお湯割りの方が合っているからだ。


記念日とガーデンパークと昼食

2024-11-02 14:45:56 | Weblog

私たち夫婦の記念日が来た。

一緒に暮らし始めた日から48年が過ぎたのだ。

翌日からは49年目の1日目だ。

記念日というのは、その一日が特別な日ではなく残りの日の代表なだけだ。

「あの日から48年が経ったのだね。ありがとう」とお互いに言ったが、それ以外の日にも、その都度感謝は伝えあっている。

いつも通りよりも、その日が特別な方がありがたみを増すという意味でガーデンパークに散歩に行き、その帰りに昼食をする。

ガーデンパークは寒いかもしれないと思いジャケットを用意したが車を降りてみて車の中に置いていった。

風はなく寒くも暑くもなかった。

まさに散歩日和だった。

秋は紅葉が見られるだけと思っていたが、それだけではなく様々な花が咲いていた。

入園無料だけでなく駐車場も無料だからここに来て歩きたくなる。

これだけきれいにしてあるということは人や金の使い方もすごいのだろうと想像がつく。

それは税金の使い方として有難く、そして正しいという気がした。

車に戻って少し汗っぽかったので下着を取り換えた。

そこからすぐの所に和食の店があり予約なしでも入れると思って直接出向いた。

やはり入れたが宴会中の集団もいたので入れたのはラッキーだったようだ。

注文はタブレットですることに変更されていた。

知り合いの女給さんが「タブレットにしたのは2月ですから、それから初めてですか?」と確認して驚いていた。

二人とも天ぷら定食を頼んだが、それ以外にツブ貝煮物とメヒカリ唐揚げを頼んだ。どれもちょうどよい味付けで上品だった。

帰宅は雄踏町の「ヨラッセ」に寄った。

どうまんガニをはじめ浜名湖で上がった新鮮な魚介類を見て妻はイカを買った。

帰宅後二人とも風邪気味なので風呂はやめて軽くアルコールをいただき早めに就寝した。

夜中に二人とも咳き込むことはあったが幸せな9年目初日が終わっていった。