家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

顔から金色

2006-04-27 09:31:28 | Weblog
先日から所謂鼻風邪をひいている。
もう終盤に差し掛かっている。抗生剤はもう昨日で服用を終えた。

パソコンの電源を入れて画面が立ち上がるまでに鼻をかんだ。
力を入れてかんだが何も出なかった。
パソコン用椅子に戻ったが鼻の奥にズルというような息を吸ったときに微妙に何かに引っかかるような感じがした。
もう一度鼻をかんでみた。今度は力を抜いてかんだ。
ズルっと感じた物に吐き出す空気が当たったようだ。
鼻からズルが出てくる感じがした。
まだ出そうだな。
もう一度息を吸い込みフーンとゆっくり吐き出す。
またまたズルズルと出てきた。
まだ出そうだ。
もう一度やる。
またズルズルと出た。
あまりの量にティッシュからはみ出て直接掌に流れ出ていることが感覚として分かった。
もう一度かんだ。
もう出ない。
ティッシュを広げてみた。
美しい。
金色のとろみのある液体がティッシュから掌に広がっていた。
透明で輝いている。

しかし一度目では何も出なかったのに続けてかんだ今回は多量に出てきた。

いったい、この量の液体は鼻のどこに入っていたのだ?

この美しさは何だ?

体内から産出される液体で、こんなにも美しい色を見た経験がない。

鼻と洟。不思議だ。



BMW2000CS

2006-04-24 17:34:18 | Weblog
私の息子の世代の友人が来た。
彼は私が彼の年頃に乗っていた車と同じ車種を最近購入した。

それはBMW2000CS。

私は、その車を約20年前に資金不足のため手放していた。
嫌いになったわけではなく、ただお金の問題だけで売ることになったので未練もありBMW2000CSに対して申し訳ない気持ちも併せ持っていた。

彼に資料として当時発売されていた本を見せた。
車は売ってしまったが本だけはとっておいたのだ。

彼はBMW2000CSの項に差し掛かり
「あっ」と言って固まってしまった。
「どうした?」と聞くと「これ僕の」と答えた。
本に掲載されていたBMW2000CSが彼の購入したBMW2000CSだったのである。
本に掲載されている当時のまま、このBMW2000CSは時間が止まっていた。ステッカーでさえ、同じ場所に貼られたまま。
廃車証によれば本に掲載された2年後に車検が切れたようになっている。その後彼の元にたどり着くまで、じっと車庫の奥で彼を待っていたのだろう。

五木寛之作「わが憎しみのイカロス」という物語がある。佐世保出身の譲治がBMW2000CSに愛情を持ってしまうというものだ。五木寛之が物語にしたいほどの名車だということだ。

再びBMW2000CSの美しく気品に溢れた姿が見られると思うと感慨もひとしおである。

彼と私とBMW2000CSの関係は運命的と言ってもいいのではないかと思う。




私の頭蓋骨

2006-04-19 20:16:08 | Weblog
顔のレントゲン写真を撮ることになった。

陶製の差し歯や歯に被せている物だけが異様に白く浮き出ている。

お医者さんは、こんなものを診ていろいろ分かるのだと思うと、すごいなと思う。

でも未来のお医者さんは「当時は、その程度しか分からなかったのですよね」なんていうかもしれない。

スクーターツーリング

2006-04-15 10:35:42 | Weblog
O氏とスクーター2台でツーリングに出た。
10時に待ち合わせて御前崎へ。
国道150号線は、いつものように田舎の幹線道路として活気があった。
海岸線に沿うように伸びる道路を走る我々。
潮の香を嗅ぎながら上ったり下ったりする。
海には7~8隻の漁船団が等間隔をとり波を側面に受けて我々と平行に向かっていく姿が見える。
気温は低いが春の明るい陽が差し風もなく絶好のツーリング日和だ。
高台に設置された灯台の脇の小さな料理屋で昼食にした。
窓から見渡せる海には、沖合いに航行する船舶と岩場に群れて羽を休める鵜の姿があった。いずれも止まっているように見え波だけが動いている。
この店の刺身は非常識なほど大きい。だが、それがとても質感を感じさせた。1口では食べきれず何度もワサビ醤油をつけて食べる。そのあと口に入れるご飯がまた美味しく感じられた。

今日はO氏にとって、ほぼ3年半ぶりのツーリングだ。
O氏は平成14年8月に第1回目の平成15年6月に第4回目の手術を受けていた。
網膜はく離を起こしレーザー治療を受けたのだ。
左目の視力は回復することはなく、かろうじて明るさのみが感じられる。
だが、それ以上に彼を苦しめたのは治療後の痛みである。
眼球の痛みは頭全体に広がり顔の左側にもピリピリとした痛みが走るという。
痛みは彼から趣味を奪っていった。読書、音楽鑑賞、そしてオートバイ。いつしか他人との接触すら煩わしいものとなっていた。最近までは園芸をすることが、ほぼ唯一の暮らしの光明であった。

しかし今日はツーリングに出てくる気になったのだ。
痛みは無くなったわけではないが、それまで仮死状態に凍結されていた「オートバイに乗りたい」という気持ちが甦りツーリングの後に出てくる痛みを覚悟して、それを乗り越え突き動かせる自分があった。

気力の勝利と言えよう。

私は前を走りO氏は私の右後を走る。これはO氏の左目をカバーする意味もありO氏の自信回復に役立ったようである。

「やっぱり、いいね2輪は」と感嘆する。

私はO氏の喜びに満ちた表情と声の調子で彼の心が見えた。
嬉しかった。

昼食後しばらく私が先導する形をとった。しかし彼の仕事上のテリトリーに入ったとたん彼は私を先導して走るようになった。

彼はセンターラインに寄って走る。やはり左目の不利をカバーするには、これしかないであろう。
なんのなんのいい走りである。
信号で止まり私が彼に近づくと彼はヘルメットのバイザーを上げて
「仕事で走っていたときと全く景色が違う」と言った。
私はヘルメットを被ったまま大笑いをした。

その後骨董屋兼喫茶店でコーヒーを呑み私の友人陶芸家の家に寄った。
もう遅いと思っていた桜トンネルも味わうことが出来た。
別れ際に鳴らした彼のホーンの音が輝いていたように感じた。
私はバックミラーから消えて行く彼に向かって精一杯左手を大きく振った。
帰宅して見るとトリップメーターは133.5キロを示していた。
気力の回復は、生活の、そして生きていく力の回復を示す。
彼の回復は私にも良い影響を与えてくれる。
私も彼から生きていく力をもらった。

曉雲釜展

2006-04-14 09:50:26 | Weblog
本日から私の友人である鈴木恵山氏の作陶展が開かれる。
遠州森町の赤焼きとして有名な窯である。
彼のすごさは、たぶん彼自身も気づいていない。彼としては、ごく普通に行動しているだけなのだから。
家業は代々伝わることによりDNAという形で彼の細胞の一つ一つに組み込まれる。しかも、より鮮明に濃くなり生き続ける。
そしてまた環境も彼に強い影響を与えている。
乳飲み子のときから窯の匂いを嗅ぎ祖父や父の苦悩を感じて育っていったのだ。
暁の雲が赤く染まる、その色こそが彼の追い求める発色だ。
脱サラでも職人は多くいる。しかし成るべくして成った人のすごさは、一味違う。
「ロクロを回し続けると膝を痛めるのよ。当たり前のことです」
将来自分の身体を痛めることに何の恐れも抱かない姿勢に私は打ちひしがれた。




会 期   4月14日 ~  5月7日 休み/月火
場 所   ギャラリー 百合の木
住 所   浜松市富塚町4702-1 グランフォルム マンション 1F
電 話   053-451-1012
駐車場   3台

金魚の稚魚その2

2006-04-11 09:19:57 | Weblog
金魚の稚魚は、その後も続々と生まれ、もう既に数えることが出来ないほどになった。

鉢の中は稚魚だらけという状態になった。これが全て大きくなってくれたら嬉しい。

もう少し大きくなったら知り合いに分けたいと思う。

金魚の縁戚をたくさん作りたい。

タイヤの空気圧

2006-04-08 11:44:39 | Weblog

どうも空気圧が減ってしまう。

昨日も4キロ入れておいたのに今日は3キロになっている。

タイヤに釘のような物が刺さっている様子はない。

タイヤの全面に石鹸液を塗りつけタイヤの空気圧をグンと上げて漏れを探すことにした。

注意深く観察したが石鹸が泡立つ箇所は見つからない。

次にタイヤに空気を入れるためのバルブ周りに石鹸液を塗った。

よく昔自転車屋さんが空気を入れたあと、入れ口のところに唾を付けていた、あの要領である。しかしそこも何ともない。

最後にそのバルブとホイルの接点に塗ってみた。

するとプワーッと泡が大きくなる。

「やった」

これで漏れを発見した。


すごいことを発見したかのように嬉しい。

金魚の稚魚

2006-04-07 09:04:33 | Weblog
「産まれたよ」妻の浮かれた言葉。

先日金魚の卵を保護したと思ったら、もう孵化したという。私は半信半疑だった。

老眼鏡だけでは足りずに虫眼鏡も使って、やっとそれらしい物体を見つけた。

鉢の壁にへばりついている。なんだかボウフラのような形をしている。

竹串をそっと近づけてみた。

ササッと逃げていく。素早い動きだ。ボウフラとは泳ぎ方がまったく違う。

今はほぼ無色。これが赤くなるのだろう。

何匹孵化するか楽しみだ。


写真の中央の縦の亀裂の左側の物が稚魚です。白い光の左上。


金魚の卵

2006-04-05 10:09:27 | Weblog
金魚が卵を産んだ。

メダカの卵は、もう何回も孵化させているが金魚は初めてだ。

水瓶の中に入れてある蓮の株分けをするため金魚を一旦掬い上げた。
そのとき、ばかに太っているなと感じたのだ。
しかし、それは太っていたのではなく産卵が近かったようだ。

もともと市内のお祭りで金魚すくいの担当者が、たまたま私の知り合いで、その祭りが終わったあとに余った金魚をバケツごといただいてきた中の数匹だ。

ガラス製金魚鉢ではなく陶器の水瓶で育てたのが良かったらしく大きく元気に育った。

水草に付いている小さな粒子を見つけて妻は狂喜した。

また魚に遊んでもらう季節になった。

金魚さん メダカさん ありがとう。