家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

飛騨高山に行ってきた

2012-08-26 14:09:26 | Weblog
飛騨高山に行ってきた。

20年ぶりぐらいになるだろうか。

以前は中津川で中央道を下り下呂を通って下道を走っていった。

今回は高速道路利用で3時間半だ。

東名高速道路から東海環状自動車道に入り東海北陸道に続く。

午前10時には屋台で飛騨牛饅頭を買っていた。

高山も暑いが湿気は、いく分少ないので日陰を歩けばたいして辛くない。

朝市には外国人観光客が大勢訪れていた。

英語も中国語も飛び交う。

中学生だろうか制服の男女が嬉しそうに群れている。

私たちの目的は味噌と酒を購入する以外は何もなし。

やたらと歩き回り骨董屋などの店を覗く。

ぬれおかき、ソフトクリーム、ラーメン、チョコレートつきコーヒーと休憩時には必ず何か口に入れていた。

宮川に架かる筏橋の上で高山出身の旧友に電話を入れてみた。

この日は別の場所にいて「明日は高山に行くんですけどね」と残念ながら再会は出来なかった。

だが元気そうな声でお互い安心した。

水遊びしていた小さな子供が水の中にドボンと見事に倒れて母親に助けられていた。

川沿いの料理店の裏には鴨やカラスやセキレイが集まっていた。

たぶんオコボレがあるのだろう。

澄んだ水の中にはオレンジ色の鯉をはじめ悠々と泳ぐ魚たち。

この地が天領であったことを知ると何故か泳ぎ方までもが優雅に見えてくる。

車の運転も優雅であった。

「ハシハシ走れよ」とも思ったし「おい。止まれよ」とセチガライ走り方をしている
下々の者は泣かされたのであった。

毎日の散歩など比べものにならないほど歩いて歩いて。

何分という単位から何時間という単位だ。

溝に流れる清水を子供のようにジャバジャバと手ですくいたい衝動が何度となく私を襲う。

誰一人そんなことをしている人はいないので自粛した。

「もう帰るか?」

私の問いに「うん」と答えた妻だが車で待つ私が心配になるほど帰ってこない。

やっと姿を見せたときには大きな袋を持っていた。

「話が弾んじゃって」と購入してきた酢を車に積み込む。

帰宅してみると、そこは世界有数の熱帯であった。

近所に住むタイ人が「タイより暑い」と言うのもうなずける。

シャワーに走りこみ4日間我慢したビールを飲むと灼熱の我が家にも秋風が吹き込んだ。


講師は遠江国主の末裔

2012-08-25 09:53:40 | Weblog
講師は遠江国主の末裔であり環境考古学者の安田喜憲氏。 

安田氏は地中に眠る花粉を調べて、その土地の過去を知る。

エーゲ海は美しいという。

しかし、その美しさは死んでいるからの色なのだそうだ。

花粉は強い細胞膜に覆われているため酸素から遮断されると何年も、そのまま残っている。

その花粉を砂漠で調べてみると、かつては、そこに森が有ったということが分かる。

イギリスの森の90% ドイツの森の70% スイスの森の90%が破壊された。

豊かな森から出でた水が里の田畑を潤し海に注ぐ。

栄養分の豊富な水はプランクトンを育み、それを貝や魚が食べて育つ。

海の水は蒸発して雨として森に帰り大切な循環が行われる。

一神教の文明は森を破壊し、つまり環境を破壊してきた。

それに対して森を大切にしてきたのは環太平洋造山帯の人々だ。

共通して山を崇拝し生命の元である水の循環を守ってきた。

枯れてしまうことのない循環を祈り、その行動を子々孫々に伝えてきた。

伊勢神宮の式年遷宮は20年ごとに正殿を造り替えることをしている。

もうそれが1300年続いている。

造り替えるということは、それが出来る環境を保持するということでもある。

巨樹を見ると永劫に生きて我々を見守ってもらいたい気持が湧き上がってくる。

決して切り倒そうという心は起きない。

私にも崇拝の心が宿っているのだ。

富士山を世界遺産に登録するという動きがある。

恵をもたらす森の象徴としての山という意味だけでなく心の拠りどころとしての山としても世界に知らしめて欲しいと願う。

山川草木国土悉皆成仏という仏教のことばで講義を締めくくった。

八百万の神と暮らす日本人の生き方の素晴らしさを表していると思う。

なんだか誇らしい気持ちになって会場を後にした。




今日のランチ場所

2012-08-23 07:30:38 | Weblog
こんな良い場所があったのに今まで来たことがなかった。

春野の家から歩いて5分。

今日のランチ場所に選んだ。

荷物が有って日差しが強かったので車で数十秒移動した。

沢の両側はY爺さんの所有地だ。

妻に言ってあったので今日の弁当はおにぎりだ。

水の中に足を入れられる場所に椅子をセットした。

靴を脱いで靴下を脱いで足を水の中に入れる。

「ヒャッ」とするが、すぐに慣れて気持良い。

サラダとおにぎりと茹で卵を順番に食べる。

セミの声が小さく聞こえるほど沢の音が大きい。

手に付いたおにぎりの海苔を沢で洗い流す。

快適な温度と湿度で足先だけはオーバークール。

しつこく付きまとっていたアブはどこかに消えた。

耳が慣れ目も慣れた頃近くの石の上にヒキガエルが居ることに気が付いた。

目を閉じて深く考えているようだ。

何か考えるには最適の場所だと感じた。

しかし何も考えないようにするにも最適だ。

こ奴は、たぶん考えずに眠っているのだろう。

対岸で何かが動いた。

よく見るとタヌキらしい。

草の下に入ってしまって写真が取れない。

少し後に下がって撮ろうとした。

「なんだよ。足が痛くて歩けやしない」

人間の足なんて靴が無きゃ使いもんにゃならねぇ。

カメラを構えたが動きが無い。

軽く咳払いしてみた。

「ウウン」

すると、この大音量の中で私の声を聞き分けた。

「何だ?今の音は?」とばかりに目を真ん丸くして、こちらを見た。

と同時に後の岩の中に飛び込んで消えた。

人間は、私だけ。

どれほど多くの動物達が私の周りにいたのかは分からない。

「梅干と鮭とコンブがおにぎりの中身だと分かった子?」と言えば

「はい」「はい」「はい」とあちこちから手が上がるに違いない。

ひょっとして寝ているヒキガエルだって手を上げかねない。

夏休みの経験

2012-08-20 07:40:03 | Weblog
虎太郎君は妻の行く藍染め教室について行くことになった。

事前に先生から了解を取り彼なりに染める物も準備した。

私は虎太郎君が飽きてしまったら迎えに行けるように準備した。

迎えに行く時刻は午後2時頃。

それまでに連絡が来れば即出かけるつもりでいた。

2時に到着すると虎太郎君は藍をたっぷり溜めてある容器にどっぷり手を浸けて布に藍を馴染ませていた。

指先は藍のマニキュアをしたように真っ青になっていた。

どうやら飽きることなく、それどころか夢中になって楽しんでいるようだ。

初めてのことであっても地道な仕事であっても先生や先輩の話を聞き教えを受けて初作品を仕上げつつあった。

染み込んだ藍を脱水機で抜き開いて空気に当てたら水洗いする。

何度も同じような作業を続ける。

先生が見て「もう一度漬けなさい」といい、その手順を終えて教室での作業は終了した。

それを海に持って行って洗い藍を定着させる。

おおきなヤドカリや小魚たちが祝福に来てくれた。

骨休めを兼ねた海水洗いの後水洗いして糸をほじく。

自分で縫った糸が外れると見事なシボリの柄が藍地の上に白く浮かび上がった。

蚊取り線香で作った柄や描かれたトカゲが誇らしくきれいに出た。

初めてとは思えないほど繊細な部分もきれいに仕上がった。

虎太郎君の満足感は「ああー疲れた」というため息に表されていた。

妻も私も世話してくれた先生も先輩達も苦労が報われた気分になった。

帰りの車の中では、ろくに話をすることなくぐっすり寝込んでしまった。




えんばい朝市

2012-08-19 13:05:06 | Weblog
舞阪漁港で行われる「えんばい朝市」なるものを見に行ってきた。

朝7時過ぎに出発して7時半には到着した。

まだまだ集まってくる客と買ったばかりの袋を重そうに持って去る客でごった返していた。

子供連れ,犬連れ,年寄り連れそして自転車やオートバイが出島のような漁港に集まる。 

出島では流れる演歌を遮ってガナリ立てる場内放送。

「350番までの方生シラスお分けしますドーゾ」

それが終わると再びド演歌が復帰する。

5分もしないうちに場内放送。

世の中の喧騒を全て持ち込んだかのような騒ぎ。

行列が、あちこちに出来ている。

私は、そこを通り過ぎた。

喧騒が苦手で行列嫌い。

カメラを持って釣り師たちのところに急いで逃げる。

カマスを釣った人に話を聞いていると漁から帰ってきた船が波を立てて走っていく。

朝市に下ろす物がない船は自分のドックに向かい下ろす物がある船は漁港に横付けする。

その船に積まれた生シラスを下ろし、そのまま売り出している。

漁師の次に新鮮なシラスを入手できる。

だから、その新鮮さに惹かれて集まる民衆。

妻は列にもめげずに番号札を受け取ってみたものの、その700番台の権利を放棄して列の無いシラス干しを手に入れてきた。

船から下ろしたての鮮魚と生シラスには長蛇の列。

妻と合流すると開口一番「もう来なくていいよ」ともらした。

列に並ぶ「おかあちゃん」のために託児場所とでもいうようなコーナーがあった。

生きているタコに触ったり魚を掴んだり。

普段は日焼けした、いかつい男たちの職場だが今日は末端消費者との供宴だ。

売り物が比較的少なくて希望のものを購入したら退散する人たちが多く回転が良い。

私たちも30分掛けて来て30分ほど買い物して帰途に着いた。


台湾料理

2012-08-18 09:41:37 | Weblog
最近台湾料理と書かれた店をよく見る。

我が家の近くにも2軒できた。

一軒は元ラーメン屋で、もう一軒は自販機をたくさん置いてある店だった。

たいていは店を黄色で塗るので「台湾料理屋だな」と分かる。

先日掛川に行ったとき一軒の店に入った。

でもここは黄色ではなかったなぁ。

日替わり定食を頼んだ。

日本語の得意ではない女声が注文を聞いた。

あれこれ選んで注文するので確かに伝わっているかどうか不安だった。

出てきた料理は注文通りだった。

台湾塩ラーメン ニンニクの芽と肉炒め もやしのサラダ キムチ ご飯おかわり自由 コーヒーで680円だった。

妻と別の物を注文したので、けっこういろんな味を楽しんだ。

我が家の近くの新しく出来た一軒に独りで行ってきた。

やはり日本語の、あまり流暢ではない女店員が注文を聞く。

もう1人の女店員と男性店員そして調理場に複数男性がいる。

彼らが、それぞれ大きな声で話しているので、まるで台湾で食堂に入ったみたいだ。

メニューには①と②を選ぶように書かれていて、それを見ながら

「①は台湾味噌ラーメン②は海老チャーハン大盛り これでいい?」と聞くと

わけの分からないことを言って奥に行った。

厨房に頼んでいる声を聴いてみると日本語と似た発音で、ほぼ正しく伝えているような気がした。

ただし大盛りが伝わったかどうかは定かでない。

果たして注文通りのものが運ばれてきた。

海老チャーハンも大盛りに違いない量だった。

汗を拭き拭き食べた。

こちらは大盛りは無料で、もう一品と漬物が出て650円。

この次は徒歩で来てイッパイ飲もうと考えた。

「アー」の言葉が店内に響いている。

女声の言った「アー」を男性調理人が「アー」と質問し、それに「アーなんとか」と答えているように聞こえる。

舌を巻いて発音すれば、あの「アー」になるのかな?

「 2 は北京語で アー 台湾語では ナン 」と書いてあるから、この人たちは台湾人ではないかもしれなかった。

流れる歌を口ずさむ女店員。

もちろん何語で流れているか見当もつかない。

でも異国情緒を楽しみながらの異国料理は格別に美味しい。

講師は坪内稔典氏

2012-08-17 07:41:59 | Weblog
受付で短冊を2枚受け取った。

今日の勉強は俳句についてだ。

講師は俳人の坪内稔典氏。

「覚えている句は何ですか?」と言って客席をマイクを持って歩かれるのでドキドキしていた。

とっさに浮かんできた句は、すでに発表された。

幸い私の席に先生は回ってこなかった。

「5 7 5で答えてください」

という前置きで「あなたは、どこから来られましたか?」

これは回ってきた。

「わたくしは 本○町から」ここで止まって考え指を折りながら「来ましたよ」で575の文字数をクリヤーした。

季語について解説を受けると少し難しいなと感じた。

夏の季語である「ホトトギスの鳴き声を知っている人」の問いに手を上げたのは私だけだった。

いつも春野で本物を聞いている。

先生がやってきてマイクを向けて「鳴いてください」と言われるので「特許許可局」と言うと「もっと早く」と急かす。

「トッキョキョカキョク」と「キョキャキョク」になりそうに答えた。

和歌との違いを話されると、今度は簡単に思えるようになった。

川柳との違いは分からないが情景を詠めば良いようだ。

短冊を分けたということは俳句を作るということだ。

すぐに今日の出来事を思い出し「里山で マムシと出くわす ミョウガ取り」とノートに書きなぐった。

残念ながら、その句は提出できず「夜の秋」と5の部分が決められた。

前でも良いし後に付けても良いという。

まずは短冊に「夜の秋」と書いた。

自分の感動を伝えようとしてはいけません。

俳句の良さは読んだ人が、それぞれ情景を考えるということです。

など参考になることを教えてくれたので私の生活を書くことにした。

夜の秋 夏に続いて ビール飲む

これを提出した。

夜の秋 まだまだ飲みたい 生ビール と書いた人がいて、そちらの方がイイナと感じた。

私の句が読まれたとき少しの笑い声が聞こえた。

皆の句を二手に分けて読み上げて勝ち負けを決める遊びをした。

盗作っぽいもの、ありふれた句が音となって会場を流れた。

どういうわけか、この時私の句は読まれなかった。

どこかに重なってしまったのだろう。

少しの不満と、なぜか安堵感を覚えた。

感動を伝えてはいけないのに毎回飲むビールに感動して、それを書き込んだ私。


ガラガラ

2012-08-13 07:33:46 | Weblog
駅近くで骨董祭があったので行ってきた。

会場に入ると「ガラガラ」だ。

こんなに人手が少ないのは初めてだ。

妻とは別々に各店をのぞいて歩く。

店主の目が怖い。

「この客は買いそうかな?」という品定めならぬ人定めしている。

余りにも客が少ないので一人ひとりの客に期待してしまうのだろう。

「こんな人手が少ないのは初めてだ」という自分の店を放り出して友人の店に来て油を売る店主の愚痴が聞こえてきた。

私の目に付いた物は象牙の破片、鼈甲製品、石灯籠、木彫りの像、などなど。

どれも興味を引くが購入する気にはなれない。

妻と途中で出会っても何かを購入した気配はない。

結局私は何も買わずに終わった。

会場近くの地ビール屋さんに回った。

ここも「ガラガラ」だった。

それは時間が早すぎて、そんな早くから飲む人はいないということだった。

ブラウンエール、ヴァイツェン、ヘレス、アルト、ミュンヒナーそして最後にもう一回ブラウンエールで締めにした。

それぞれ300ミリリットルを飲んだから1.8Lで妻の残した分も飲んだから2Lくらいが私の胃袋に納まった。

オリンピックの放送でよく見るフィッシュアンドチップスを食べてみた。

とりたてて美味しいというほどのことはなかった。


ジャイロキャノピーの不調 2

2012-08-12 07:45:05 | Weblog
バイスタータの仕組みを殺すことで復調したはずのジャイロだが、いまいちはっきりしない。

調子が良いときにはビューンと走るのだが、またブスブスと不完全燃焼の様相を呈する。

2スト特有のマフラーの詰まりではないかとオートバイ屋さんから指摘を受けていた。

春野に持って行きバーベキューをしながら、ついでにマフラーも焼くか。

妻は炭火で肉や海老を焼き私はビール片手にマフラーを焼いた。

焚き火の中にマフラーを投入する。

するとマフラー後部とエキパイ側の両側から炎が上がった。

「なるほど。やはりオイルが付いていて、それが燃えるのだなぁ」とあらためて指摘の通りであったことを実感する。

薪は豊富にあるし薪割りで出た小さな木っ端もついでに燃した。

酔っ払う頃にはマフラーの丸焼きが出来上がった。

翌朝マフラーの穴から黒焦げのススの塊を針金でかき出し「コンコン」と地面にぶつけてみるとゴロゴロと転がり出てきた。

エアーで吹いてみると、また出てくる。

新品のエキパイと繋いでエンジンを掛けてみた。

「ビューン」と力強い今までに無かったような音が聞こえた。

「本来は、こんな音だったのか」

なおもススの塊がマフラーから飛び出て下向きのマフラー先端の下はススで真っ黒になった。

試験走行してみた。

今までになくエンジンが軽く回る。

フロントが浮き上がる感じがするといっても過言ではない気がする。

「これだなぁ。これだよ」

満悦して走ったが時速45キロあたりで「ググッ」とガス欠のような吹けの悪さを感じた。

90%調子が戻ったと思う。

なおも問題が少し残ったことは面倒に思えるが仕方がない。

徐々に整調していくことにしよう。

無料の食堂

2012-08-11 08:38:55 | Weblog
近ければシャワーにしてジョージョー。

少し離れていればストレートにしてシャー。

余りにも雨が降らないので水撒きホースを持ってうろうろする。

可愛がっている植物にだけ水をくれる。

伸びたら刈る草も、この水で生き残ってしまうが仕方がない。

ホースの届かないコナラ林に入ってみた。

穴だらけのコナラに、たかっている虫たち。

コナラは無料の食堂だ。

カブトムシのオスとメス。

カナブンにアブにスズメバチ。

みなコナラの樹液を舐めている。

カブトムシは「あっちへ行け」と角を振ってカナブンを追い払う。

カナブンは少し下がるが、すぐにまた現場に復帰。

何度でも同じことを繰り返す。

アブが逃げてきた。

小さなスズメバチが身体は小さくても威張っている。

奴には武器があるから「どけ」と合図されると、どくしかない。

季節が変わると客も変わる。

この食堂は、いつも賑わっている。