家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

グランシップでコンサート

2019-03-28 09:30:54 | Weblog
2月9日静岡市 札の辻クロスホールでの野平一郎ピアノリサイタルでバッハのパルティータ全曲を聴いた。

友人夫婦とふた組で出かけたのだが再び静岡市でのコンサートに行ってきた。

2月には私の運転で出かけたので今回は友人が運転していった。

今度はグランシップでNHK交響楽団×野平一郎プロジェクトというものだ。

モーツァルトがあり続いて作曲指揮野平一郎でN饗演奏の静岡トリロジーⅡ「終わりなき旅」後半は再びモーツァルトだ。

友人の車はトヨタハリアーハイブリッドモデルだ。

乗車している間静かで高級で粋な感覚に浸る。

運転も車のイメージ通り速いが上品だった。

私の古い車とは別世界で大きなナビにはきれいな地図が映し出される。

ナビの音声も心なしか丁寧で言い方も違う気がしてしまった。

高速道路とはいえ抑えたスピードの訳を話してくれた。

追い越し車線を走り続けて捕まったという。

私も妻子を乗せ妻の両親も乗せている時に捕まったことがあることを披露した。

東名高速でパトカーに娘婿が入れられたという年老いた義理の両親には珍しい体験をさせたことだ。

グランシップは初めてだと思ったが妻に「以前来たよ」と言われて私の曖昧な記憶が一部壊れていることが判明した。

「来たことがあります」と妻の記憶に合わせて自分の記憶がよみがえったフリをした。

モーツァルトで始まり心地よく聴けた。

さて野平一郎氏の終わりなき旅は、ちょっとイロイロ考えながら聴く必要があった。

耳から心地よく脳に抜けていってくれる類の音楽ではない。

ただし抽象画を見るように音のイメージを感じ取ることだけにしたら気楽に聞こえてきた。

日本一高い富士山頂から日本一深い駿河湾まで高低差日本一の県であるということを野平一郎氏の口から演奏前に聞いていたので確かに上空の様子もイメージできたし深い海も体験したかのように感じた。

良い音楽を聴くだけでなく、それを友人と共有することに格別の喜びがある。

喜びはコンサート後の食事でも一緒した。

大好きなフクミツの餃子を食べたのだ。

さらに友人の奥さんに運転を替わるというのでアルコールも堪能した。

今日の脳はあらゆる脳内物質に晒されて嬉しい疲れが充満しているだろうに。


アウトレットで待ち合わせ

2019-03-25 15:47:53 | Weblog
次男から連絡が来た。

御殿場にあるアウトレットで待ち合わせをして孫を見ていて欲しいということだった。

御殿場は私たちからも次男からも中間距離に有り待ち合わせには好都合だ。

私たちは孫を見たい。

次男たちは夫婦だけで買い物をしたい。

肝心な孫は私たちに会いたがっている。

誰もが得をする名案だ。

昼に待ち合わせをした。

私たちの姿を見た孫は小躍りして喜んだ。

昼食を一緒にとり、そこからそれぞれの仕事をする。

2歳半の孫は機嫌よく親たちと別れる。

私たちと孫は遊びの開始だ。

オムツが分かるタイツ姿で孫は走り回る。

追いかけるのは私の担当だ。

妙にバランスがよく、決して転ばない。

妻はカメラで楽しい瞬間を撮る。

途中で親を呼び出した。

底なしのように、たっぷり食べた昼食の反応があったようだ。

トイレから帰ってきた孫の母ちゃんが言う。

「コンクリートのようなものが出ていました」

その後再び遊び作戦開始。

臆せず子供たちの中に入り込んでいく孫は、中にいるアニキ格の男の子にブロックされたり肩を小突かれたりする。

一瞬ひるむが続いて別のところに走っていく。

小石を拾って私に渡す。

何をするのかと思ったら地面で飛べなくなっている小さなアブに投げつけた。

大きく外れたが何度も投げているうちに当たりそうになった。

人目があったが、やらせた。

「小動物をいじめない」ということを教えない、まだ私は。

そのアブが動き始めたとたん「こわい」と言って私にしがみつく。

別れの時間になった。

孫は「おじいちゃんの家に行く」と言うが、そうはいかない。

次男は「お前もうひとりで新幹線に乗れるだろ」というが妻が「オムツがとれてからにして」と言った。

孫は車の中で爆睡したという連絡が来た。

伊豆から帰る

2019-03-24 10:09:53 | Weblog
翌朝起きてみると昨夜の大量な夕食の名残が消化器系に感じられた。

7時の朝食に行ってみると12品テーブルに並んでいる。

どれも大量のご飯が必要な皿ばかりだ。

昨夜の伊勢海老が味噌汁に入って出てくると、それはそれは豪華な朝食だ。

朝から腹いっぱい食べて、それでもメインのアジの干物は全部は食べおせなかった。

今まで男数人で訪れた時には1万2千円くらいの宿賃だったが今回は二人だけだ。

いくらなんだろうと思っていたらひとり1万円ちょっとだった。

何度宿泊しても「安い」と感じる。

妻は天草も購入した。

「今日は、どっちに行きたい」と妻に聞いても「どこでもいいよ」という返事だった。

下田方面に行くことにした。

下田の友人Sさんを亡くしてから伊豆そのものが辛い思いになって足が向かなかったのだが下田に行けるということは随分な進歩だ。

混み合う海岸線を避けて山あいを走っていった。

もうすぐ下田の街中になるというところで見覚えのある場所になった。

亡くなったSさんの安置されていたセレモニーホールのある道だった。

「なんだよSさんの言う通りに案内されたのか」と二人で笑った。

ペリーロードを歩く。

Sさんの好きだった草画房は、もうカフェは、やっていないようだった。

相変わらず昔のままの良い家の風情が浅い流れの川と合っている。

骨董屋兼カフェに入った。

椅子とコーヒーのありがたさを痛感する。

マスターにSさんの仲間だと伝えた。

彼もSさんの話をしたかったようで、ひとしきりSさんとの話をしたら急に満足感が押し寄せた。

二人共もう伊豆はいいから帰ろうということになった。

帰宅して自宅の風呂に入る。

沸かした水道水だが好きなだけシャンプーできる。

粗食が妙に嬉しい。

自分の布団に入ると、なんと心地よいことか。

ここで猫がベッドにきてくれたら最高なのに。

Sさんも猫も姿はなくても一緒にいるのだなと感じられた。

夫婦で小春荘

2019-03-21 14:48:53 | Weblog
この時期西伊豆の小春荘に泊まりで出かける。

それは車好きのオヤジたちの集まりだった。

だが今年は夫婦で出かけた。

昨年11月23日に猫のマロ君が20歳で召された。

我々夫婦は、その痛手を癒すために「どこか温泉に行きたいね」と話していた。

どこがいいだろうか、と言っている間に妻が鼓膜形成術を受けることになり旅行どころではなくなった。

術後の経過は良いがドクターからは「風邪をひかないように」と厳命を受けている。

温泉どころじゃないから「美味しいお魚でも食べに行きたいね」ということになったが、そうこうしているうちに妻のピアノ教室の発表会が近づいてきて、それもできなくなった。

妻はピアノ演奏には絶対手抜きしないタイプで生徒の完成度が低いと過分にストレスを感じるのだ。

その中で私が計画したのは西伊豆小春荘だ。

男同士でワイワイ飲んだり食ったりする場所と考えていたので妻に合うだろうかと少し心配はあった。

伊豆には数々出かけているが今回は初めて通る道を見つけた。

沼津港を過ぎて狩野川放水路に掛かる長塚橋を通って県道134号線に入る。

その道は、いちご街道と呼ばれ、やがて富士見パークウエーとつながる。

そのままつながる韮山峠ICから伊豆スカイラインを走る。

平日なので車の台数も少なく快適に走れた。

伊豆スカイラインを冷川ICで降りてIC近くの「野喰家いかばた」という古民家の店で昼食をとることにした。

古民家の木の扉を開けると本物の土間があり高い天井と薄暗い空間が待っていた。

メニューは手のばしうどんを中心にいろいろある。

私は天ぷらと手のばしうどん妻は麦トロ飯などを頼んだ。

麺には透明感が有り美味しく頂いた。

その後大沢温泉に行き貸切風呂に入った。

「私頭洗うんだ」という妻に「シャンプーなんてないよ」と告げると「えっ」となった。

古びた扉を開けると湯船があり、出洗い場に桶が置いてあってそれだけだ。

風呂の窓は全開にしてあり外の川の向こう側の道路から丸見えだ。

あわてて窓を閉める。

湯に浸かるだけというシンプルな温泉だ。

だが湯がとてつもなく熱くて入れたものではない。

水道で薄めて入ると、それはそれで気持ちよかった。

一回50分までにしてください、と書かれていたが冗談じゃない50分も入ったら茹で上がってしまう。

その後無事小春荘に到着しのんびり風呂上がりのビールを楽しんでいると夕食になった。

刺身は伊勢海老とサザエと真鯛、金目鯛の煮付けとカサゴのフライそしてカニなどテーブルに乗りきれないほど並ぶ。

茶碗蒸しやカサゴのフライなど温かいものから優先的に食べていく。

私は、もう途中で棄権状態になったが妻は「これが食べたかったの」と言って全部食べた。

「やるときゃやるな」と褒めた。

酒を楽しむ間がないと私は感じるのだが妻は酒より料理なので良いらしい。

ポンポコ狸のようになって部屋に戻ると椅子の生活に慣れた我々には畳に座る生活はきびしい。

正座か寝転ぶしかない。

食べ過ぎたあと寝転がってTVを見ていれば眠くなる。

妻を癒すために企画した旅行だが妻の寝息を聞いて私の役割を果たせたという思いになった。

かくして老夫婦の幸せな夜は早めの就寝で片付いた。

ケヤキと電線

2019-03-13 17:14:21 | Weblog
「あれ。あそこ。電線引っかかってやせんか?」

上を見ながらやってきたY爺さんに

「あれね。電気屋さんに頼んであります」と答えたが聞いていない。

「ちょっと長いハシゴはないかな」と言うのでハシゴを持ってきてケヤキに掛けた。

ストストとハシゴを上って具合を見て降りてきた。

「ヒズルしくて(眩しくて)見えんな」と言った。

もう一度「電気屋さんに頼んでありますから大丈夫です」。

やはり聞いていない。

別の日に犬の散歩から帰っていくY爺さんを見かけた。

どうやらケヤキが気に掛かっているらしいことは見て取れた。

また別の日我が家の前にクレーン車が止まっていた。

だが我が家のケヤキを切りに来たわけではなかった。

Y爺さんが軽トラで現れた。

「クレーン車が居たけど切ってないなぁ」という。

そして「長いハシゴを持ってきてくれ」と言うや軽トラに戻って自分の高枝切りノコギリを持ってきた。

先日私の高枝切りノコギリを試してみたが重くて、とてもじゃないが木に登ってから枝を切ることはできない。

ところがY爺さんの高枝切りノコギリは長さは同じくらいなのに軽い。

ハシゴを登っていって私が下から高枝切りノコギリを渡すと小さな枝をコリコリと切り始めた。

だがノコギリの刃と枝との角度が悪くて、きちんと切り進めない。

今度は手で切ると言って腰にナタとノコギリを付けて登っていった。

ハシゴの最終まで登りきり次は枝に掴まりながら、さらに上に登る。

その際腐っている枝はキチンと切り落としていく。

足場を確保し手で抱える場所を確保しノコギリを引き始める。

切りくずがパラパラと落ちてくる、次の瞬間「バキン」と大きな音を立てて枝が落ちる。

次々と枝を落としていって最後に電線の引っかかっている枝を切り落とした。

4mのハシゴからさらに3mほど登っての作業であったが何の不安もなく作業していた。

この慎重さや切るときのサーカス的な姿勢など惚れ惚れするほどの安定的な行動である。

下で見ていて落ちてきた枝を処分したりハシゴの準備などをしていた私がドキドキヒヤヒヤしていたがY爺さんはスッキリした顔をして降りてきて笑った。