家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

また蜂に刺された

2013-08-31 08:02:45 | Weblog
道路下の林は午後になると陽が陰る。

先日ヒモで草刈をしたが、オモトの茎部分が残ってしまった。

チップソーを先端に取り付けて草刈のやり直しと刈る面積の拡大を目指した。

刈り残したオモトの茎部分は「シュン」ときれいに刈り取れる。

きれいに刈り取れると気持ち良い感覚が脳に充満する。

これがクセになり「草刈り中毒」した友人がいる。

オモトの他にはクサギやウツギの類が多い。

自分の通路として利用する部分を中心に刈る。

少し広めに刈ったり、ついでに刈る部分もある。

刈り始めて40分くらい経った頃左膝の上に「チクッ」と痛みが走った。

トゲのある植物を切って、そのトゲが刺さったのだと思い膝のあたりを見てもトゲはない。

もう一度「チクッ」ときた。

「えっ」と思っているうちに蜂に刺されたのだと気がついた。

薄暗い林の中に小さなハチが何匹も飛び上がるのが見えたのだ。

急いで林を駆け上がったが何匹も追いかけてくる。

エンジンを止めた草刈機で追い払いながら必死で坂を登り向きを変える。

幸いもう追いかけてこないようだ。

と思っていたら再び私の右膝のあたりに止まった蜂がいる。

右手で「パン」と叩いて殺した。

ハエのような柄のハエよりも少し長めの大きさだった。

色は付いていない。

たぶん彼らの巣を刺激してしまったのだろう。

痛みは大したことがなかったので別のところで草刈を再開したのだが、どうも刺されたあたりがチクチクと、まるでトゲが刺さっているかのような感覚になる。

気分的に草刈を続ける気が失せてしまって家に戻った。

明るい縁側でズボンの裾を上げて見てみた。

やはり2箇所プチンと赤くなって少し膨らんでいる。

インセクト ポイズン リムーバーという注射器のような形をした器具を持ち出した。

刺された場所に当てて、この器具で毒を吸い出そうというのだ。

取っ手を引き上げると、この器具が皮膚に吸い付き、そのまま皮膚まで持ち上げるほどに強く吸う。

だが刺された部分から液体が出てくることはなかった。

夜になって自宅でくつろいでいるとき、まだ刺の刺さった感覚があった。

両手親指の爪で傷口を挟み込み無理やり押すと透明の液体が少し出てきた。

楽になった。

先日の蜂に刺された事実をY爺さんに話したら笑われてしまった。

今回も再び大笑いされることは間違いない。


講師は八木洋行氏

2013-08-30 08:48:30 | Weblog
題は「遠州灘の民俗学」講師は八木洋行氏だ。

遠州の空っ風から入っていった。

風が強いから屋敷を槙の木(通称細葉)で囲う。

その木に赤い実がなるが、それを我々はヤンゾウコンゾウと呼んでいる。

その言われを説明してくれる。

琵琶湖を吹く風が湿気を伴い、それが伊吹山にあたって雪を降らせる。

湿気を落とした乾いた風が濃尾平野から遠州を抜け伊豆西海岸で終息する。

「なるほどね」と納得できる。

次にウミガメの話。

三重県ではウミガメを食うということだ。

まずは驚いた。

その驚きは私の生まれと大いに関係している。

砂浜を持つ海岸線の近くに住む人たちはウミガメを食わない。

その昔、子供は産小屋(ウブゴヤ)というところに入って産んだ。

その産小屋は砂浜にあり下は砂地で波が汚れたものをきれいにしてくれる。

ウミガメも浜に産卵をして、その浜から新たな生命が誕生して海に還っていく。

そのウミガメの姿を我々人間と重ね合わせて考えたからウミガメを食わない。

ところがリアス式海岸のような地域で暮らす人たちはウミガメは食物であるだけでなく、その甲羅の裏にある脂分を田んぼに浮かべる。

その脂分に落ちた害虫が二度と飛べなくなるということを利用するのだ。

こちらも生活の知恵としてウミガメを尊く利用していた。

地域が違えば、こんなにも考え方が違い行動が違う。

土着の信仰が生活に密着して暮らしが成り立っていた時代だ。

そんな地に足のついた話を伺うと、まさに目からウロコ的な感激を何度も味わうのである。

ところが今回は昼教室で講義を聴いた。

90%以上がおばちゃんたちだ。

彼女たちは人の話を聞かずに無駄口が多い。

そして身振り手振りで教えてくれる先生の姿を見て大笑いするのだ。

漫談を聞いているのではない。

笑うところではないところで笑う姿は幼稚園のようだった。

新たな知識を受けた喜びに憤慨を混ぜた複雑な気持ちのまま乾いた喉を潤す。

初めて入るギネスビールの店でのギネス生は少し薄めに感じた。

これもあの幼稚園のせいか。

アーシェンとタイムで飲みなれたビール(琥珀の時間)で飲み直しだ。

やっと正常に戻った時には暗くなっていた。

枯れかけたヤマアジサイ

2013-08-27 07:57:50 | Weblog
先日からの猛暑と雨不足によって鉢植えが,しおれてしまう。

鉢植えだからしかたがない。

水をくれては息を吹き返すという繰り返しだった。

だが地面で自生しているヤマアジサイが枯れかけていた。

アジサイ系は丈夫だと思っていたが丈夫には丈夫でも水分は多量に必要らしい。

ヤマアジサイは、これ1本しかないので助けることにした。

まずは水分と太陽光の競争相手である周りの草木を刈り込むことにし次に水をくれた。

たくさん水をくれたが私が春野にいる間に回復することはなかった。

1日おいて春野に行くと元気を取り戻している姿が見えた。

やれやれ。

昨日は雨が降ったから、どの木も元気に見える。

ヤマアジサイは、まずは私の撒いた水で回復したと思いたい。


気まずい

2013-08-22 09:41:22 | Weblog
ショッピングモールの中を歩いていた。

各店からノリノリの音楽が通路に流れ出ている。

ロックやラップ。

店を過ぎて隣の店の前に通りかかると両方ミックスされた音楽が、まるで寿司とカレーを混ぜ合わせたかのような感じになる。

寿司もカレーも好物だがミックスはいけない。

自然に指を鳴らして歩いていた。

ある店の前に差し掛かると店員のお姉さんが店の前にある物を取ろうと急に屈んだ。

その瞬間大きく開いたTシャツの胸前部分が「ワッ」と下に。

私は見た。

黒いブラジャーと、白い肌。

顔を上げた店員の見たものは私が指パッチンしているところ。

「ちっ、違うよ。見えたからとか、見えなかったとかで指を鳴らしたんじゃない」 と心で叫んだが。

図書館に行った。

返却期限を少し過ぎてしまった本と、まだ期限の来ていない本を返すためだ。

ネットでこれから読みたい本を探していると、ほとんどは既に予約が入っている。

それでも予約しないことには読めないので予約した。

さらに探すと、ちょうど読み終わった本の中に引用されていた本を見つけた。

便利なことには春野の図書館に所蔵されている。

メモを見ながら本を探す。

文庫本の中に見当たらない。

自然科学の辺りにも見当たらない。

しかたなく係りの人に探してもらった。

私のメモを見て文庫本の棚を探る。

「そこは見たんですけどねぇ」と言うと

「ああそうですか」と笑顔で答えてくれる。

「分かりました。新刊ですね」と言って少し離れた棚を探す。

やはり見つけたようだ。

先ほどよりもっと笑顔が笑いに近くなり私に手渡してくれた。

「お声を掛ければよかったですね」と満面の笑顔。

なんだこの笑顔は・・・・。

「絶倫食」小泉武夫著の表紙が鼻血を垂らしているものだった。

まっとうな本なのだが受け取るとき少し気まずかった。

蜂に刺された

2013-08-14 08:53:43 | Weblog
私に落ち度はなかった。

伸びすぎた木の枝を剪定鋏で切りそろえていた。

遠くからハチが飛んできたのが見えた。

みるみる大きくなり私の顔に止まり、すぐに飛び去った。

顔に痛みが走った。

もう一度そのハチが戻ってきたので反射的にハサミを振った。

ハチに当たった感触があった。

しかしその姿は見えない。

顔に注射された感覚があり隣で草取りをしていた妻に

「やられた」と言った。

妻は私がハサミで自分のどこかを切ったか何かしたと思い「やっちゃった」と聞こえたという。

急いで室内に入り鏡を見た。

鼻筋から少しズレたところにプチンと赤い点がある。

そこを中心に少し腫れているようだ。

発泡性の液体を注入されたかのように、そこが重苦しく痛い。

「毒を出す」

瞬間的に考えて指先で強くつまんだ。

すごく痛かったが血液が混じった透明の液が少し出た。

幾分楽になった気がしたので妻に頼んだ。

「ここを思い切り絞り出して」

妻は遠慮なく2度強く絞った。

2度目は激しく痛んで体全体が一瞬硬直した。

だが同時に軽くなった気がした。

もう痛みは、かなり減った。

保冷剤で鼻の周りを冷やした。

30分もすると全く痛みは取れて作業の再開ができた。

先ほどの現場に行ってみるとキイロスズメバチが何度も何度も巡回してくる。

私を襲った奴は、もっと黒っぽい色をしていたと記憶しているが飛び方が、このキイロスズメバチに似ている。

切り取った枝を捨てに行くとき先日見た光景がまた繰り広げられていた。

キイロスズメバチをシオヤアブが捉えていたのだ。

今度も接近して写真を撮っても動く気配はない。

また別のところではアリがキイロスズメバチを巣に持ち帰ろうとしていた。

「これはひょっとしたら私を刺したキイロスズメバチかもしれない」と感じた。

私のハサミと接触して落ちたところをアリにやられた。

不意をつかれた私だが自然は、そうしたものだ。

自分が被害を受けて、いつもの私の行動が正当化された気がする。

雨水受けタンク設置

2013-08-13 07:49:35 | Weblog
自宅の3箇所の雨樋には既に雨水受け用のタンクや水鉢が設置してある。

さらにもう一つプラスチック製のドラム缶を雨水受け用のタンクにした。

実は別の用途で購入したドラム缶だったが、そちらが失敗に終わったので雨水受け用に変更した。

当初の予定で使ったホースやホースの先端金具などは、そのまま利用できる。

ドラム缶その物が大きいため設置場所に苦慮した。

屋上に置いて雨水をトイレ用の水として使えたら最高なのだが、それは配管の問題もあるのでできない。

今までと同じ植物の水やりに使うのが関の山だ。

だが水はたくさんストックできるに越したことはない。

問題は捕らえてやるはずの雨が、ちっとも降らない。


ヨシズトップ

2013-08-12 08:17:30 | Weblog
窓の外にヨシズがかかっている。

家の中には風が通り抜け、しかも日差しは遮られる。

日陰で風が抜けて日本の夏を乗り切る。

なんとも和風の夏感覚だ。

こともあろうに、そのヨシズを屋根に用いた。

といってもオープンカーであるモーガンの屋根だ。

ヨシズトップと命名した。

フロントガラスからロールバーに向けてアクリルテープを渡し、その上にヨシズを乗せて固定する。

余った分は軒下のヨシズと同じでクルクルと巻き上げておく。

これですっかり和風だ。

竹と、それを止めている茶色の糸が織り成す和テイスト。

英国産であるモーガンにもぴったり合う。

と誤解するのは私だけかもしれないが。

運転席に乗り込んで上を見るとヨシズの隙間から青空が見える。

「これだなぁ」とひとりごちる。

この時期窓を締め切ってクーラーを効かすのが常識だ。

いまじゃ軽トラにまでクーラーが装備されている。

屋根も窓もないモーガンにクーラーなどあるはずもない。

ただしヨシズトップが付いたからといって乗る気が起きないことも事実だ。


花火と老人

2013-08-11 09:06:20 | Weblog
毎年8月の第二土曜日の夜は花火を見る。

我が町内に花火大会はないが近くの町内で盛大に上げるのを見させてもらう。

盛大といっても、このご時勢だから、まとめて上げるとき以外は2分間隔だったりする。

「忘れそうになると出る」という感じ。

近所の独居老人に、その花火を見せたいと妻が言う。

その老人は、まだ一人で歩ける頃よく道路に出て見ていた。

ついでに老人宅に我が家の夕食を持って行って一緒に食べた。

久しぶりに賑やかな夕食となったはずだ。

さて外に大きな音がし始めた。

車椅子に乗せてクーラーの効いた部屋から「モワー」と暑さのまとわりつく戸外に。

時折吹く風が涼しいと感じさせてくれる。

道路は車の通りもなく我々花火鑑賞の一行だけが暗い中に浮かび上がる。

「腹に響く」と老人は言う。

たいして感激している風でもない。

近所の家の屋根の上に光る花火。

近くで見るような迫力はない。

凝った造りの花火も上がらない。

2分以上待っても上がらなくなった。

「もう終わりかな?部屋にもどろうか」と歩き始めた時最後の追い打ちが始まった。

続けざまに上がる花火の光と音が刺激的だ。

花火が終わると、ごく普通の蒸し暑い夏の夜になった。

ただ私たちの心には満足感があった。


住宅街で生死をかける

2013-08-09 09:39:55 | Weblog
夜の散歩の途中でサリーちゃんという犬と白いネコとおばあちゃんに出会い、その翌日サリーちゃんが亡くなったということは2012年6月28日付のブログ「サリーちゃんと墨田の花火」で書いた。

またそこに登場した白ネコについては2011年11月18日付「市街地の弱肉強食の2」で書いた。

タカがシラサギを目の前の川の中で押さえ込み息の根を止めてから土手に上げて食べ始めたところにネコが現れて、それを邪魔したという事件だ。

今回は、その白ネコの話だ。

おばあちゃんは一人で植木に水やりをしていた。

通りかかった私は声をかけた。

「お付きのネコは?」

おばあちゃんの家には25歳になるネコがいて、そのネコのことと勘違いして話し始めた。

「そうじゃなくて、一緒に散歩していた、あのネコですよ」と言うと

「ああ。あのこは、この辺りのボスネコに噛まれましてね」と言う。

「そうだそうですね。3回噛まれて病院に連れて行ったとか」

以前からその話は聞いていた。

モモのあたりを噛まれて血だらけになって家に戻ってきた。

大急ぎで病院に連れて行って処置をしてもらったが気落ちしてしまったということだった。

「5回噛まれましたの」と言う。

あれからも2回ほど噛まれたのだと分かった。

「最期は急所を噛まれまして死にましたの」と言った。

噛まれて怪我をするということは想定していたが殺されてしまうということまでは何故か想定していなかったため、おばあちゃんの話を聞いてショックを受けた。

おばあちゃんは「家の中に入りたかったみたいだけど25歳がいたものだから入れなかったの。ちょっと中途半端な育て方しちゃったの」と後悔を顔に出した。

「いやいや。仕方のないことですよ」と慰めた。

夜だけ家の中に入れたとしても日中に噛まれれば同じことだ。

こんな住宅街で野良ネコの生死をかけた戦いが行われていることを知って今までとは違った見方でネコたちを見ることになった。

近代化された公衆の中で野生の法則を失わずに生活しているネコが気高くも見えてきた。


ヒオウギ

2013-08-08 08:08:24 | Weblog
先日までヒオウギスイセンが咲いていたが今はヒオウギが咲いている。

ウィキペディアのヒオウギアヤメの項に

葉の出方が檜扇(ヒノキの薄板を重ねた扇で、古くに宮中などで用いたもの)に似ることに由来すると出ていた。

私は個人的に緋桜の緋を使い緋扇だと思っていた。

緋なら赤い色のことだから赤い扇で緋扇かなと。

しかし檜(ひのき)の意味だった。

最近我が家の周りに名前を知らない花が咲き始めた。

写真を撮って調べるとウバユリ(姥百合)ということが分かった。

花が満開になる頃には葉が枯れてくる事が多いため、葉(歯)のない「姥」にたとえて名づけられたとウィキペディアに出ている。

昔の人たちの命名は、さすがだなと感心する。

確かにウバユリは普通のユリのように花が開ききることはなく何となく勢いが少ない感じがする。

そこで突然ヒオウギは檜扇ではなく秘奥義ではないかと脈絡もなく思いついた。

秘奥義とは秘伝の奥義とか超必殺技とネットで調べると出てくる。

現代的にはゲームの攻略法のようなものが浮かぶようだが秘奥義といえば性的なニュアンスを感じるのだが、それ以上は言わない。

しかし現物であるヒオウギスイセンやヒオウギを見ても、それを印象させるものはない。

ただの私のイヤラシイ感覚が文字を見て導き出されただけなのだろう。

その昔マル秘スペシャルテクニックのようなタイトルの映画があって、そのポスターの文字の記憶が蘇ったのかもしれない。

還暦になっても、いや還暦だからこそ秘奥義を知りたい気がする。