家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

立ち木から杭へ

2012-04-26 13:42:46 | Weblog
このところ雨が多くて晴れ間を縫って山の仕事をするしかない。

「ホームセンターへ行きゃあ100円以上するが作りゃ只だェ」とY爺さんが言う。

コナラ林の中に作る薪用棚の杭のことを言っている。

コナラ林は元は茶畑だった。

簡単な棚を作っておいたが強風にあおられて倒れてしまった。

その話をすると「杭を打つしかないな」と言われた。

その時に私がホームセンターで杭まで買って来はしないかと思い「作れ」と言うのだ。

杉林の中に入って細くて杭になりそうな木を探した。

1本見つけたが、それは倒れ掛かっていて隣の木にもたれかかり何とか立っている。

今傾いている方向に倒れられるとコナラに被害が出る。

ロープを掛けて反対方向に引っ張ってみた。

すると素直に動いた。

もう根が浮いた状態に近い。

早速切り倒しに掛かる。

倒したい方向に切り口を入れて反対側から切る。

枝が別の木の枝に引っかかったが上出来の方向に倒れてくれた。

「よし今度は皮をむくぞ」

バナナの皮をむくように杉の皮がむける。

丸太の杭を作るために適度な長さで切り分けて先端を尖らす。

Y爺さんが教えてくれたとおりに作業を進めた。

ここを足で押さえてチェーンソーを、こう入れる。

なるほど、うまく杭が作れた。

それらをコナラ林に持って行って今度は杭打ちだ。

初めに小さなシャベルで少し穴を掘っておいて、そこに杭を入れる。

最初は軽く叩いて地中に真っ直ぐに食い込むことを確認する。

その後は力いっぱい打ち込む。

4本のうち1本は途中で根か何かに当たったらしく少し斜めに刺さってしまった。

それが終了したら次は横向きに2×4材を留めて終わりだ。

これで倒れない棚が出来たが高さが足りないので2×4材を継ぎ足すことにする。

転がっている薪を並べて本日の作業は終了。

あとは次に晴れたときにする。

風の記憶

2012-04-17 10:00:15 | Weblog
「風の記憶」と題された山本一樹展が浜松市美術館で催されている。

前日に招待されて見に行ってきた。

金属とは思えない質感やら金属らしい光沢をズラリと並んだ作品から味わう。

ふくよかな丘に階段とベンチ。

電柱と自転車と1本の木。

懐かしくもあり孤独なシアワセとでもいうような感覚も頭に浮かぶ。

繊細な作業から生まれてくるものとは感じさせない全体的なボワーとした暖かさが印象に残る。

それは彼自身なのだろう。

作業風景のビデオが流されていた。

芸術家のアトリエというより工場の一室という風景だ。

その中で槌を振るい穴を空け液体処理する。

その姿はまるで「まち工場のオヤジ」であった。

同じ機械で作り出してもオヤジの違いで生まれてくる物は製品と芸術品に分かれる。

芸術性と器用さの両面持ち合わせていなければ成し得ない作品だ。

17時半からレセプションが行われ、そうそうたるメンバーの中に自分のいることが不思議に思えた。

出されたワインを持ちヒルマン佐藤氏の作ったツマミを食べていると私と同じ車仲間の姿が見えた。

彼らと話すことによって、この中にいる自分の位置が確認できた。

フランス人ケーキ職人ベルナール氏とは翌日一緒に走ることとなった。

山本一樹氏とは車仲間だが彼の原風景の中に車は出てこないようだ。

彼の作品タイトルには風の付くものが多い。

「風」と聞いて思い浮かべるのは、やはり彼の爽やかさだ。

山本一樹展は5月20日まで開催している。

MECJ浜名湖

2012-04-16 09:54:19 | Weblog
MECJミーティングが浜名湖で行われた。

顔の広いO氏とその家族のおかげで次々と予約が取れてツーリングコースも決まった。

当日は新東名の開通日であり北朝鮮のミサイル問題もありサクラの開花具合も気になるところであった。

ところがフタを開けてみれば最大の敵は旧来から最もオーソドックスな天候であった。

20台前後の車を率いて先頭を走る私は信号機が近づくたびに神経を使った。

だいたい列が途切れる原因は信号機だからだ。

コース説明された紙は配られていても、なかなか平面で確実な地理を表せるものではない。

なんとか昼食の場所の案内を含めコース全体を走りきることが出来た。

ただやはり雨のため、せっかくのオープンカーの醍醐味を味わうことが出来ず不完全燃焼であった。

翌日は一転して快晴。

有志のみで昨日のコースをもう一度走ろうということになった。

私を含めて6台7名の参加だ。

駐車場に行くと屋根や窓を取り外して干し、そのかわりレーシングスクリーンを設置しトノカバーを張りフロントガラスを取り外したモーガンもあった。

まさに晴天仕様に換装できるモーガンならではの変身だ。

今度の案内役は気楽だった。

信号に邪魔されることなくオレンジロードは思い切りすっ飛ばすことが出来た。

ただし後から来るU氏のザガートが吠えるし、その後からのA瀬氏のモーガンも私を追い立てる。

私は追い込まれたキツネのように夢中で決められた道を逃げた。

その後無理だと思っていた「うなぎ」にありつき知り合いとなったベルナール氏のケーキ屋さんに寄って解散した。

中さんのモーガンをレストアして参加したK氏からは夜無事帰宅したという電話を受け取った。

イマイチのコンディションにも拘らず参加してくれてK氏には頭の下がる思いだ。

「お金で変えないものが尊いものだ」というのがK氏の持論。

持論通りの行動を見せてもらった。

この次は中さんのような走りのできるモーガンに仕上がっていて欲しい。

首領のA氏にはスケールの違うモーガンの、いや人生の楽しみ方を教わる。

あの「ガルルーン」という咆哮を聞くと年齢と関係なくカッコ良く生きる方法があるのだと実感する。

ミの出来事

2012-04-12 06:58:44 | Weblog
天竜川の堤防を走っていた。

一団となった車は10台ほどもいたか。

急に速度が落ち次々と対向車線に出て走るのが見えた。

一団の先に黒い車が止っていた。

それが邪魔で、こういう流れになったのだ。

私も近づき、あと3台で私も車線変更という距離になった。

車はファンカーゴ。

路肩とは、とても言いがたい場所に止めている。

しかも車の左側横に、かがんだ人間がいるようだ。

「吐いているのか?」

いよいよ私の番だ。

しかし私は何か変だと思い自分の車をその後に止めて降りていった。

「どうかしましたか?」と声を掛けてみた。

かがんだ人間は吐いているのではなくケータイで喋りながら車の下を覗き込んでいたのだった。

私が話しかけてもなおケータイで喋っていた。

私も車の下を見てみた。

革の良いジャケットを着ていたので道路に肘は着かないようにした。

道路と車の下に農業用のミが挟まっていた。

草取りをした時に取った草を入れるプラスチック製の道具だ。

風で飛ばされて下に入り込んでしまったらしい。

ガリガリと大きな音がして驚いて車を緊急停止させたようだ。

手を伸ばしてミを取り除こうとしてもミは動かない。

「何か棒のようなものを持っていますか?」と訊いてみた。

にやっと笑って「あります」と車内からスコップを出した。

なぜこの場に相応しすぎるほどの物を持っていたのかは分からない。

「おおいいじゃん」と言ってそれで車の下のミを叩いてみた。

ミは車の最下部と道路にしっかりと挟まってびくともしない。

「ほんの少し車をバックさせてミを外しましょうか」と言うと

「はい」と言って助手席側から乗り込み少しバックさせた。

助手席側から運転席に移動するのが簡単に出来る車だった。

車の位置は変わったがミは相変わらず叩いても外れない。

運転手は、まだ若い女性だった。

ミニスカートであっても思いっ切りしゃがんで覗き込む。

後ろにいる私は、その姿を見て必死さが伝わってきた。

私が次にとった策は車を前に移動させて道路のくぼみを利用することだった。

「ガリガリ言っても車は傷つきませんから、そのまま移動させてみてください」と伝えた。

「そんなにうまくいくでしょうか?」と言いつつも彼女は車を前の左側に向けて動かし始めた。

「ガガー」というプラスチックのミが舗装道路と摩擦を起こす音が聞こえた。

だが次の瞬間その音が止んだ。

「ストップ」と言って車の下を覗き込むとミが道路と車の橋渡しをやめてポツンと何事もなかったかのように佇んでいた。

スコップで引き出した。

一件落着。

「良かったね」と言ってスコップとミを渡した。

彼女はミを道路脇に置いてケータイで連絡し始めた。

私は車に戻り走り始めた。

「あなたは、いつも誰かを助ける運命なのね」と助手席の妻が言う。

ケータイで喋る女性の目が私を追い、その歯の隙間が目立った。

タラの芽の天ぷら

2012-04-11 08:03:23 | Weblog
タラの芽の天ぷらが食べたかった。

今年は寒いからか、それとも例年通りなのか、はっきり分からないがタラの芽吹きが遅く感じられた。

やっと喰えるほどに芽が伸びた。

私がハサミで切って挟み、そのまま妻の持つカゴに落とす。

妻はもう熟練しているから私との間隔のとり方がうまい。

高枝切りバサミの長い柄を縮めずに下ろすとかごが待っているという寸法だ。

遠くから見て「食べごろ」と判断しても近くでしっかり見ると育ち過ぎもあるし、まだ喰えない大きさの物もある。

ハサミの柄をいくら伸ばしても届かない物もたくさんある。

これらは芽を取るのにちょうどよい位の長さで茎を切ってしまおうと考えている。

切った枝は刺しておけば、そこからまた木が伸びていくらしいから。

植えて育てたわけでもないのに、こんなに美味しいものを食べられるなんてありがたいことだ。

ついでに敷地に生えているユキノシタ、お茶の葉、ヨモギと、そして予め茹でておいた筍も一緒に揚げた。

お茶の葉は苦くてヨモギとユキノシタは味がない。

やはりタラの芽がイチバン美味しい。

芽の先端あたりはパリパリとしていて茎に近い部分はモチモチしている。

何といっても新鮮なとりたての野菜をその場で食べられる喜びは大きい。

ヤマガラとシジュウカラも鳥のエサを食べにきている。

金魚やメダカも食事中だ。

彼らはペットショップで買ってきたエサ。

私たちは自然の恵。

逆さ?



器の交換

2012-04-10 10:37:13 | Weblog
甲府に行く用事があったので、ついでに小淵沢アウトレットに寄った。

以前ここで買ったマグカップが壊れた。

前回訪れたとき、そのことを話すと交換してくれるとのことだった。

マグカップは木製でウルシが塗られている。

http://www.kiso-nakamura.com/cup/2008/08/24/1219512889539.html

4個購入したうちの2個の取っ手が取れてしまった。

まさか交換してくれるとは思わず接着剤を塗って使用していた。

だが素人ゆえに新品のように修復できず再び外れてしまうこともあった。

カウンターで「以前この店で購入したカップが壊れたと言ったら交換してくれると言われたので持って来ました」と言って袋から出した。

「ああそうですね。どうも済みません。同じ物と交換でよろしいでしょうか」と私を気遣ってくれる。

「勿論いいですよ」と私は得した気分で答えた。

「愛着がおありだったでしょうに」と更に私の気持ちを察してくれる。

同じ型の物数点をカウンターの上に並べて選ばせてくれた。

どれも同じように見えてもプロの目には発色の違いなどの個性がはっきりあるらしい。

私は底のいくぶん深い2個を選んでさし出して梱包してもらった。

店員は工作過程の中で、こういう結果になってしまう物がたまにある事を教えてくれた。

物を売るだけでなく使う者の身になって考えるというこの店の方針はありがたかった。

妻は知人にあげる物を自信を持って買って帰った。

木製漆塗りの容器は軽くて暖かいものが冷めず持ちやすいなど利点は多い。

しかし取り替えてくれることが分かると「次もここで買おう」という気になる。

店の選択によって利点が増えることも学習した。

八ヶ岳リゾートアウトレット内「風の唄」。

http://www.yatsugatake-outlet.com/public/shoplist.php

テナガエビ

2012-04-03 11:25:25 | Weblog
夕食のテーブルに手長エビの刺身と焼いたメヒカリが乗った。

手長エビはイセエビにもひけをとらないほどの大物だ。

お祭りでもないし何かのお祝いでもない。

妻の習う藍染め教室は舞阪という浜名湖の漁港近くにある。

教室そのものが元牡蠣を剥く家だったのだから、いかに海に近いかがうかがわれる。

魚市場に漁船が戻ってくる時刻が午後2時頃。

そして妻の教室の終了時刻が4時。

教室を出て地元の魚屋に寄る頃ちょうど新鮮な魚類が届いているのだ。

だから月に2度ほど妻の習い事に合わせて食卓が豪華になるというわけだ。

入荷物は、その時の上がった物による。

早々にテーブルに着いた麿君も美味しそうな香がたまらないらしい。

エビの刺身のコリコリ感とヤワラカ感が一気にシアワセ感を呼ぶ。

エビの尾を手で持って歯で挟む強さを調節して最後の部分まで残さず食べる。

続いて流し込むアルコールが倍も美味しく感じられる。

味噌汁に入った長い手も頭部も、そのままガリガリと食べた。

野菜にしても教室の先生が目の前の畑にある物を採ってきてくれたものだ。

先ほどまで海で泳いでいた物と、ほんの少し前まで大地とつながっていた物という贅沢極まりない食卓。

かくして妻の習い事が美味しい物とごちゃ混ぜになってありがたいものとなっているのは妻の戦略ではない。

妻には「また習い事に行ってきてね」と思うのだが、それは私の強い運であると思うことにしている。