家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

枯れ葉集め所から新芽が

2021-09-26 11:13:19 | Weblog
枯れ葉集め所から新芽が出てきた。
7月初めの事だった。
枯れ葉だけ集めたのであれば、そんなことはないはずだ。
そこにコンポストに捨てた野菜等が土になったと思って、その土を入れたのだ。
その土の中に何かの種が混じっていたというわけだ。
新芽はツル性で枯れ葉の上をのたうち回り遂にはフェンスを利用して上方向に活路を求めた。
複数発芽した中の別のツルは石垣を登った。
それぞれが黄色の花を咲かせて実のなる予感を与えてくれた。
それぞれのツルを追いかけてみると一つの実が成っていることに気が付いた。
7月の終わりの頃だ。
葉や花そして実を観察しても何のツルなのか分からなかった。
キュウリの葉に似ているしカボチャの実に似ている。
しばらくそのままにしておいて実が大きくなれば分かるだろうと思っていた。
だが当てが外れた。
いつまで経っても大きくならなかった。
結局大きさは、そのままで実を採った。
自宅に戻って実を割ってみた。
中身を見ても何の実なのか分からない。
二つ割りしても四つ割りしても、同じ。
ワカラナイ。
いったい何だったのか分からないまま実を捨てることになった。
今もすっきりしないまま過ごしている。
この種のどうしても発芽したいという思いの強さは、すごいと感じる。
また他の部位が土に戻ってしまっても種だけは土に戻らない抵抗力の強さを実感した。

片道2時間

2021-09-23 07:37:56 | Weblog
曇りで少し風があるから絶好の散歩日和だ。
リュックサックを背負い散歩に出る。
リュックサックの中身はタオルのみだ。
老眼鏡とカメラはリュックサックの横のファスナーの中に入れた。
実は先日妻と歩いた時に馬込川の河口付近でボラらしき魚が飛び跳ねているのを見ていた。
それがもっと多く見られるかもしれない、と思って出てきた。
それからもう一つ。
馬込川河口では津波対策として水門を造っているのだ。
その状況を間近に見てみたいと思っていた。
結局2時間歩いてボラは1匹も見なかった。
その代わりに水底から三角形の金属が水面に突き出ていて、それがサメの背びれのように見えていた。
水門は遠くの橋の上から見るのと変わらず、まだ土を入れている段階で、いったい何の工事なのか全く分からない状態だった。
今河口は狭められて船は通過できない。
海から河口をさかのぼっていたのはサーファーだった。
釣りをしている老人が二人いたので観察させてもらった。
2時間ぶりの水分補給をするのにちょうどよかったし。
水筒に入れてもらった冷めたコーヒーが心地よかった。
その時片方の爺さんに魚が掛かった。
しなる釣り竿を持ちながら器用にタモで魚を掬い上げた。
「持ってくか」と私に聞いてくれたが2時間持って歩けないのでお断りした。
爺さんが水に入れてあったヒモを上げてみると6匹の魚が掛かっていて、もう1匹を追加して海に落とした。
クロダイだという。
自分で捕まえてきたカニがエサだった。
帰路は休憩も入れて2時間はかからなかった。
往路で撮った草がもう品切れ状態になったからだろう。
毎日1万歩ずつ歩いていると2万歩以上歩いても疲労はどうということはない。
ただ興味を持つものが減ってしまうと面白くない。
帰路を変える必要があるのかな。
もしもこの川に津波が押し寄せたら私が徒歩2時間かかって到達した河口から15分位で我が家の辺りを通過していくのだろうか。
そう想像すると河口の水門を一刻も早く建設してもらいたいと実感した。

少年と黒猫

2021-09-21 06:59:43 | Weblog
いつもの川沿いを歩いていた。
ポツポツと雨が降っていたので傘を差していた。
たいして強くない雨は音を立てることもなく傘の上で重なりまとまった水滴のみが傘の骨の先端から落ちていった。
私の歩く堤防の反対側の河川敷に黒ネコを見つけた。
たまに見るネコで橋を越えてこちら側に来たり橋の下のコンクリートで日向ぼっこをしているのを見たことがある。
そのネコが何かに興味を持っていることが、その姿を見て分かった。
凝視しているのみならず少しそちらに歩き始めた。
その先が樹木を通り過ぎたら見えた。
少年が居た。
小学校の低学年か。
その少年の動きに興味を抱いたらしい。
河川敷には虫取り用の網と虫かごが置かれていた。
こんな雨の日に河川敷に居るのは少し怖いなと思った。
もう少し歩いていくと、その少年は河川敷から一段下の石の積まれた場所に降りて石を「ガシャガシャ」動かしている。
益々危険に近いので散歩の予定を変更して橋を渡ることにした。
橋を渡っていると少年は自分に興味を示した黒ネコを見つけた。
今度は少年がネコに興味を奪われた。
石積みの所から這い出て、いきなり黒ネコを追いかけ始めた。
私が橋を渡り終えて反対側の堤防を歩いていくと少年だけが見えた。
少年が追ったネコが桜の木の下に逃げ込み、そこにあったゴミ捨て用の枠に隠れたのだ。
少年の思ったままの行動に私は笑みがこぼれてしまった。
笑って近づく私に少年が「ネコ」と言った。
「黒ネコだろう?」と答えた。
こんな少年にネコが捕まるわけはない。
少年は「カニを捕まえていたの」と傘を持たない私の左腕の肘辺りをそっと掴んだ。
それで石をガシャガシャやっていた分けが分かった。
少年が「あれが僕のお母さん」と言って3階建てのアパートを指さした。
そちらを見るとアパートの3階の外階段の踊り場に居て何かを言っている女性が居た。
会釈して私は「虫網と虫かごを持って帰んな」と伝えた。
そのお母さんにとって息子が知らない爺さんと話していること自体も恐怖に近いであろう。
少年が道具を取りに行ったことを確認して散歩の続きに戻った。
一時間後再び同じ場所を通ってみると道具はなくなりネコも姿を消していた。

ショウルーム後日談

2021-09-19 07:26:28 | Weblog
トイレ修理がうまくいったものだから気をよくしている。
これはLIXILショウルームに行ってお礼を言おう、と思った。
いつ行くか、あまり期間を空けないほうがいいな、その程度に考えていた。
保険屋さんが急に自宅に来ることになり、その時にマスクをすることになり、そのマスクが5分で捨てるにはもったいないからと、行くことにした。
ショウルームには結構な数の車が止まっていた。
これは忙しそうだなと感じた。
入っていくと前回担当してくれた女性は接客中であった。
入り口でアルコール消毒していると別の女性が来てくれた。
事情を話していると、担当の女性が空いた。
私は受付カウンターに行き直接担当者と話をすることができた。
思い出せば、前所有者が残しておいてくれた取扱説明書を見ると10機種の番号が書かれている。この中でどれが自分のトイレの番号に当たるのだろうか、というところから始まった。
「門前払いかもしれませんが」と少し恐れながら入っていった私にちゃんと接客してくれた担当者。
これから家を建てる人とか機器を替える人とか新品の導入を考えている人が行く店だと思われるので私の来るべき店ではないと思っていたのだ。
担当者には何の儲けにもつながりにくい私の話なのだ。
新品に替えるわけではなく、しかもDIYする、というのだから。
だがちゃんと聞き参考になる資料を渡してくれた。
その時の資料が基になって、そこからは一気に修理がはかどった。
そのことを話してお礼を言おうと思っていた。
初めに、先日トイレの修理の件でお邪魔した者です、というとすぐに思い出してくれた。
「やりましたか?」と向うから聞いてくれた。
「はい。やりました。成功しました」と答えた。
横から拍手が聞こえた。
先ほど私に接客してくれた若い女性が、その話を一緒に聞いていて拍手してくれたのだ。
お礼を伝えたくて来たのに拍手を受けるとは。
益々気をよくして帰ることができた。


こんないいとこあったんだね

2021-09-17 07:15:12 | Weblog
浜松市の北部に森林公園という静岡県立の公園がある。
もう何度も訪れている。
だが最近新聞にも出ていた「シラタマホシクサ」という話題の草は知らなかった。
新聞を読み返してみたり森林公園の地図を探したりして「この辺だ」ということを突き止めた。
何度も訪れていたが舗装道路の上を歩いていただけだった、ということが分かった。
実は広大な敷地なので舗装してあるのは、ほんの一部分だけであった。
肺機能の少し弱い妻がちょっとだけ心配であったが現実的には、のんびり歩けば何ということはない歩行であった。
グーグルマップに慣れてしまった私には細かな地図がないことが不安であった。
グーグルマップは車の屋根にカメラを着けて走って記録するので、車の入らない場所の地図はないのだ。
だが現地には略図の看板はあるし、そのうえ手作りの張り紙はあるし至れり尽くせりで迷うことはなかった。
舗装していないといっても手入れはきちんとされているから不自由なことは全くなかった。
私は堤防の無い水路をたいへん好む。
透明で冷たそうな流水の上に木の簡素な橋が架かっていたら、もうサイコー。
シラタマホシクサは、水路脇の湿地に簡単に見つかった。
シラタマホシクサだけでなく、大きな木や実をつける木など、いろんな木が在って嬉しかった。
いちおう目指してきたことは完了したが、まだ見てみたい場所が豊富にあって帰る気がしない。
森林の中とは思えない清掃の行き届いたウォシュレットのトイレを済ませた後うぐいす谷親水広場に向かってみた。
山奥とは思えない石畳の通路だった。
センスの良い超お金持ちの人が大枚はたいて築いた巨大な日本庭園の中を無料で歩かせてもらっているようだった。
そうなってくると普通に飛翔しているオニヤンマまでもが上品に見えてしまう。
何の説明が無くても分かったのはイノシシのほじった地面だ。
ミミズを探して掘った跡が、そこここにある。
これは都会に住むだけの人は気付かないはずだ。
私たちは少し物知りのような感覚になった。
駐車場の近くの東屋で持ってきたコーヒーを飲んで汗ばんだ背中に心地よい風を感じた。
ここの1時間35分は妻に自信を与え私も自宅から30分で味わえる環境に感謝した。
森林公園の地図を見て「次はどこに行こうか」と心がはやる。

トイレ修理

2021-09-12 08:31:20 | Weblog
妻がトイレから出てきて、しばらくしてから気が付いた。
水の出ている音が消えない。
見に行くと、やはりチョロチョロと流れ出ていた。
手洗いとなっている便器のフタを開けてみた。
「こ、これは」と驚いた。
トイレタンクの内側に結露防止用のシートが張ってあり、そのシートが剥がれているではないか。
その結果流れ出る水を止めるための装置やタンク内に入ってくる水を止める装置を妨害したりしている。
これは根本的に治す必要があると直感して水栓弁を止めた。
それからは修理の情報集めをした。
Youtubeを見ることやLIXILのショウルームに行くことで、ずいぶん参考になった。
LIXILのホームページで、この便器の交換部品の番号や値段を知ることができた。
ただネット注文して取り寄せる前にLIXILの店であるスーパービバホームというホームセンターに行ってみた。
「有った」
しかもネットより少し安価だ。
そして流出水を止めるための装置をアッセンブリーで交換ではなく、その一部分であるフロートゴム玉のみの」交換となった。
これはこれで私にとって喜ばしいことだ。
安価になることは大賛成。
さて最終まで迷うことがあった。
結露防止のシートについてだ。
これを修理して元通りに直るだろうかということだ。
シートの裏側にまで水が回り込んでいる現状と再びシートが剥がれてきたことを想定すると「はがしてしまおう」という結論に至った。
シートの裏側に水が入っているということは完全にシートの役割を果たしていない。
それでいて結露は見られないから「シートは無くてもよい」と決心した。
現場は狭くて手がうまく入らないし写真に撮ろうとしても光がうまく届かない。
なんとか装置を付けて水を流入させ何度か試してみた。
ただ水を流すのはもったいないので無理やり放尿して流してみた。
「よし」これで完了だ。
トイレ内にバケツに汲んだ水を用意しなくてもよい。
元に戻っただけではあるが元通りの素晴らしさを感じた。