家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

鉄大鍋の移動

2011-11-30 07:03:07 | Weblog
ケヤキの下に置いてあった鉄の大鍋を移動した。

鉄だけあって錆だらけになり中に棲むメダカを中心とした生き物たちが迷惑しているのではないかと思った。

夏の間はカエルの産卵場所ともなったしカラスの行水姿も見た。

秋になって動物たちの鉄鍋の活用範囲が少し狭くなったところで住民を移動させてから処置を始めた。

まずは錆を落とす。

ドロのような錆のような、ぬめりと錆が渾然一体となっていた。

それらをキッチリはがした後錆転換剤を塗布した。

これで錆ない。

夏の間に別の鉄鍋に錆転換剤を塗った後メダカを入れて毒性が出ていないか確認済みだ。

錆取りの時には何とか独りで転がして鉄鍋を移動させたが今度は、そうもゆかない。

鉄鍋を二輪車に乗せて現場まで持って行き思案した。

「妻では力が足りないな」と考えていた所にY爺さんが登場した。

すかさず「これをここに乗せたいのですが」という具合に事情を話すとすぐ了承してく
れた。

こうなると主役の入れ替わりがあり今度は私がアシスタントになる。

「まずここまで上げて、それから場所を移道して上げるか」と決まった。

Y爺さんの指図は的確で、すんなり設置できた。

「この下の土管も水平出してあるか?」と聞かれ「出してあります」と答えた。

「50センくらい埋めてあるか?」

「45センチ埋めました。いままで35センチで大丈夫でした」

「ならいいな」

監督のOKをもらい水を入れてから植物を戻した。

底まで透けて見えるのが気持ちよい。

カラスは水浴びが、し易くなるかもしれない。

モリアオガエルは、こちらに移ったことをいつ知るだろうか。

隣にある小さな桃の木に卵を産みつけるだろうか。

設置場所が変わり中が錆びない。

この二つだけで私の気分は、ずいぶん良くなった。


可睡斎へモーガンで

2011-11-29 07:41:18 | Weblog
可睡斎という曹洞宗の寺で自動車趣味人の集いがあり参加した。

受付を済ませ、そこでトレイを受け取った。

オイル漏れを起こす車が多くトレイをエンジン下部に置くように配られたのだ。

私の車は問題ない。

確かこの寺には高校生時代合宿しに来たことがあるはずだ。

駐車してから歩いてみたが全く思い出せない。

境内にある様々な建物の横に、紅葉している木々の前に駐車している車たちは舗装された道路に佇むときとは別の趣きがある。

玉砂利を踏みしめて次々と世界の名車がやってきた。

寺関係者が働き一般客が拝観する中配置されたクラシックカーは何故か溶け込んだ良い雰囲気を醸していた。

精進料理をいただく前に座禅を経験した。

椅子に座ったまま行うものであったが少し後に反らせる姿勢は私の腿の付け根の関節を痛めるのには充分な長さがあった。

長く辛い10分間だった。

精進料理をいただいた後トイレに入ってみて思い出した。

鏡張りのトイレだ。

便器こそ新しいものに替わってはいるが「ここは来たことがある」という感覚になった。

その後僧侶の案内で寺の中を回ってみたが私の記憶がトイレだけという寂しい結果だった。

知り合いと久しぶりの再会を楽しみ新しい友人もできて満足した集いであった。

時の経過が生み出す美しさは同時に古さとして敬遠されることもある。

だが大木を見上げたときや数え切れないほど多くの人たちに踏まれて削れた階段の石を見たとき、その価値が分かったような気がした。

古い車をかわいがる、いわゆる変人たちは、より便利なものへと変化している時代に抗い不便な美しさを楽しむ。

まだ帰宅には早すぎる時刻だったので近くでケーキにコーヒーと考えたが思いつく店がなく断念した。

物足りないくらいが適度ということかもしれない。


ジビエを食す

2011-11-21 07:39:30 | Weblog
春野産業祭りを見に行った。

会場に到着すると、まだ設営している店が大半だった。

手もみ茶の店に通りかかった。

白い帽子をかぶった二人が手もみの実演をしている時もう1人の爺さんが容器の中にブラシを入れて登場した。

これは何か「秘伝のタレ」でも混ぜるのだろうかと思い見ていると、その茶葉を乾燥させるための暖められた和紙と枠組みの木に、ほころびがあり、それを貼り付けるためのノリだった。

手もみの台の下から熱をあてて和紙を暖めて、そこで茶葉をもむのだ。

「倉開流の秘伝のタレを茶葉に混ぜるのかと思いました」と言うと「あんたもやってみな」と言うことになった。

さっそく手を洗ってやらせてもらった。

茶葉は、まとまりがよいようでもあり、またバラバラにもなる。

力を入れる加減と転がす方向が、やはりベテランは違う。

私は腰が痛くなってきたので止めた。

手を前に伸ばすときに腰に負担が掛かったようだ。

薄っすら掌に茶葉の香がした。

説明と実技指導をしてくれた爺さんがお茶を入れてくれた。

小さな紙コップに香ばしいお茶が注がれた。

私に渡すと、また手もみに戻っていった。

さて会場には美味しそうな匂いや煙が何箇所も立ち上っている。

ジビエ料理と書かれた焼きそばを買う。

鹿肉とイノシシ肉が使われているという。

また子持ち鮎の塩焼きと里芋の田楽そしてなめこ汁も一緒にいただいた。

まだ10時にもなっていない。

だが空腹とは、ほど遠い胃袋にも美味しく感じられた。

ジビエ(狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣)は春野では当たり前のことだ。

冷蔵庫のない時代運送業の未発達の時代から地で獲れた物を食していたのだから。

遠くからでも物資の供給ができる時代だからこそ地の物が注目されるというのは皮肉なことだ。

野菜やこんにゃくなどを買い込んで春野の家に到着した。

我が家の柿は、やっと一つ熟した色になった。

家でできた柿を食べるのは子供の頃以来だ。

渋柿だが熟して甘い部分を食べさせてもらった。

妻は残りの少し渋みのある部分を食した。



市街地の弱肉強食 の2

2011-11-18 07:11:46 | Weblog
結局持っていたケータイで何枚か撮った。

通りすがりの人たちに何回か説明をしたが皆「怖い怖い」と言うだけで直視せずに去っていく。

薄暗かった景色は、もう夜と呼んでも大げさではなくなっていた。

私のケータイ撮影画像は、ほとんど鳥らしき物体は確認できない。

時刻の経過は16:45着水16:48水路に上がった16:49羽をむしり始めカラスが去った。

17:01大きく事態が動いた。

ネコが現われたのだ。

タカが羽をむしりあらわになった肌を、ついばみ始めていたとき背後にネコが身をかがめて前進していた。

タカは、まだネコに気付いていない。

全身が白いネコで耳だけが少し茶色がかっている。

気配を消し去ったネコが飛び掛るのか?

突然タカが飛び上がり川の横に植えられたサクラの木に留まった。

私は移動を決心した。

川の反対側の現場に到着して忍び足で覗き込む。

ネコは水路を覗き込んだまま動かない。

タカを探した。

もうどこにも居なかった。

せっかく捕らえた獲物だが腹いっぱい喰うことはできなかった。

ネコは周囲の警戒を怠りなく臭いを収拾する。

目の前の餌が先ほどまで飛んでいた鳥である事は血や羽の臭いで分かったと思う。

だがこのネコにしてもタカとの遭遇は初めてであり事態の把握は困難を極めていただろう。

水路に下りることなくウロウロして臭いを嗅ぎ続けた。

目は獲物から放すことはない。

カメラに写せる明るさの限界と次のスケジュールの関係で私も自宅に引き上げた。

学童たちは家路に急ぎ主婦は夕食の支度に忙しい。

市街地で行われた弱肉強食の現場にも普通の夜が訪れた

翌朝カメラを持って水路に行って見た。

シラサギは、そのまま横たわっていた。

ネコはタカの残したエサを食うことはなかった。

水路は2段階になっていて少し傾斜の緩くなった所で食してあった。

まだほとんど残っていた。

捕まえるエネルギーを補てんするには、ほど遠い量と思われる。



市街地の弱肉強食

2011-11-17 07:53:02 | Weblog
午後4時半頃近所の川沿いを散歩していた。

シラサギが川面に飛来した。

続いて、その背後からシラサギより少し大きめの鳥が追いかけるように飛んでいった。

あっと言う間にシラサギを捕らえて川の中に着水した。

「おお。すごいすごい」と発しながら15メートルほど走った。

タカがシラサギを仕留めた瞬間を見たのだ。

水面に一羽の大きな鳥が浮かんでいるだけように見えた。

「なにがすごいのですか?」

私とすれ違ったオヤジが私のあわてブリを見て追いかけてきたのだ。

「あれはタカの類で水の中にシラサギを捕らえているのですよ」と教えた。

しばらくすると、それは証明された。

タカが獲物を持ったまま川に流れ込む水路に上がったのだ。

「本当だ」とオヤジも興奮気味だ。

「まだ生きていますね」

「そうね。頭を持ち上げているものね」

カラスが20羽ほど飛来して騒ぎ立てる。

一部は電線に留まり一部はタカの頭上を回る。

カラスの叫び声と数に「何事だ?」と犬の散歩の人たちは不思議がるが水路の出来事は見えていない。

タカが次の行動に移った。

シラサギの羽をムシっては吐き出した。

まだどうにか頭を持ち上げていたからシラサギは生きてはいた。

「あーあ。残酷だなぁ」とオヤジは言う。

「タカは、あれが生きる道ですからね。この町でそれが見られるなんてすごいですね」と私。

羽をむしられた直後シラサギは動かなくなった。

タカはシラサギの身体の掴み具合で死の直前のタイミングを感じ取っていたのかもしれない。

「逃げない」というより「喰える」瞬間を待っていた。

水路は滑りやすく何度も獲物ごと上に引き上げた。

そのころカラスは一羽もいなくなって現場は静かなタカの食事タイムとなっていた。

「いやー、いい物見せてもらった」と言ってオヤジは去っていった。

私はなおも見続けた。

目と鼻の先である自宅に戻ってカメラを撮ってこようと何度も考えた。

しかし目を離せない。


続く

二匹の女王アリと働きアリ

2011-11-16 06:55:20 | Weblog
妻の友人宅の庭木の剪定をした。

といっても余分な部分を切っただけだが。

電動チェーンソーと庭木ハサミ3種類とナタと電源コード2種類そして手袋にタオルにブルーシートを車に積み込んだ。

用意万端だ。

彼女の家に到着して「どのようにします?」と聞く。

「そうねえ、もうさっぱり切ってもらおうかしら」と答える。

3本の木が剪定対象であった。

「じゃ、まずこれから切って次にこちらにしますね」と言って取り掛かる。

娘さんや孫娘も見に来た。

脚立に乗って作業を開始する。

目立てを済ませた電動チェーンソーだが木を横向きに切るため力が入らない。

そのうえ脚立に乗っているので足で踏ん張るわけにもいかない。

いちばん手ごわかったのは樫の木だ。

固い固い。

何度も休みを入れては切った。

ほんの1センチしか残っていない幹でも倒れない。

約20センチのミキがメリメリという音と共に落ちると急に日差しが眩しくなった。

あたり一面が明るくなった。

作業している私を二人の女性が見守り支えてくれる。

私は働きアリで、この二人は女王アリかなと脚立の上で考えた。

働きアリは働くための筋肉と脳を持ち働いていれば満足する。

働く量には個体差がある。

などと考えつつ作業する。

切り落とした枝葉は女王たちと一緒に処分した。

顔に降りかかった木の切りくずが首に入り少し痒く感じる。



晴天の山梨

2011-11-15 06:55:06 | Weblog
「朝食は7:40からで館内放送します」とのことだ。

岩風呂は6:00から6:30まで。

大急ぎで岩風呂に入った。

「岩風呂?」

「絵じゃネーカ」

すぐに出て、そのまま露天風呂へ。

おや混浴だ。

夫婦で入っている。

「大丈夫。女性は何か着て入っているから」

何が大丈夫なのかは自分自身でも不明だが安堵感はあった。

自分は隠さなくてもOKだが見たくないということか、まあいいや。

鉄分の多い温泉で、まるで赤錆の中に入っているようだ。

露天は星空もいいが景色がはっきり見えるのもよい。

徒歩10分と書かれた看板を見て妙蓮の滝を見に行った。

片手に濡れたタオルもう一方はカメラを持って涼しい川風の中を浴衣のまま歩きにくい旅館のサンダルで滝を目指す。

途中で川原に降りるし急勾配の鉄製階段や歩幅を無視して造った木製階段を通っての歩行だ。

到着すると絶景の眺めであった。

この旅館には来なくてよいが、この滝は、また見に来たいと思った。

さて増穂にある造り酒屋の春鶯囀(しゅんのうてん)に寄った。

http://www.shunnoten.co.jp/index.htm

時間前に開けてくれて中に入ると私好みの店内でとても嬉しくなった。

奥の部屋に案内されて酒を仕込むときの水で出したコーヒーをいただいた。

美味しいコーヒーを飲みながら、そこで合流したジャガーO氏の話を聴く。

むかつくほど楽しそうな当たりクジの話。

聞いていられないが聞いてみたい。

同じく合流したロマックスK氏も加えて6台でのツーリングとなった。

スーパーセブンS氏の先導で赤沢宿へ。

許しを得て他人の庭を通り干された洗濯物の横を抜けて宿場の雰囲気を味わった。

南アルプスがきれいに見えた。

ここを通って身延山にお参りした昔の人々は、この景色を見て空気を味わって彼らの旅を満足したのだなと分かる。

それは今になっても同じように感激できる自然の心地よさなのだ。

帰り道の途中で富士インター組と富士川SAスマートインター組に分かれた。

私の組はロードスターO氏の先導だ。

道の選択は正しかったが開かずの踏切がある事は、どのナビにも出ていない。

若干の課題を持ち「ただいまー。楽しかったよー」と言って無事帰宅できた。

頼まれていた渋柿を3袋妻に渡した。

あまりにも多くの楽しさが湧き出してきて何から伝えてよいものか分からなかった。



一周忌のツーリング

2011-11-14 09:43:39 | Weblog
中さんが逝って丁度一年が過ぎた。

私は彼と一緒に一泊の旅に出た。

まずはHillman’sでランチ。

店主は合掌してから料理を作った。

赤石温泉という秘湯の宿に到着して間もなく夕食までの間に露天風呂に入った。

薄暗い夕暮れ時涼しい風に吹かれてあったまる。

横に流れる川の少し上流に堰堤があり、そこから流れ落ちる水の音が心地よい。

紅葉の始まっているもの、いまだに青々としているもの、既に落葉してしまったもの。

それぞれに輝く。

歩きにくいサンダルで凸凹道を歩いて旅館に戻る。

立て付けの悪いふすまをガタガタと途中まで開けて運び込まれた夕食。

これまた盛り付けをやり直したくなるような皿に乗せられた山の幸。

みすぼらしくても心は最高に喜んでいる。

4人で夕食を食べ始める前に中さんの名前を出し一緒に乾杯に加えてもらった。

中さんは、いつも「ブレーキを踏む回数が少ないね」と私の運転を評した。

今日も同じような運転の癖を出していたに違いない。

増穂の市街地を過ぎると適度な山道になり飛ばせるところもある。

道路工事があったり対向車とのすれ違いがあって、なかなか思い通りにはゆかないがけっこう楽しめた。

ビールを飲み干しワインを飲んで語る友人との会話は珠玉の時間だ。

部屋にトイレがあろうハズもなく増築を繰り返したであろう旅館のクネクネと繋がる廊下を段差に気をつけながらトイレに向かう。

寒々しいトイレで用を足してそれぞれの部屋の前に脱ぎ捨てられたスリッパを踏まないようにして歩いた。

不便である事が秘湯に来ていることの楽しみを増すような気になった。

こうして一周忌を過ごした私はシアワセに床についた。

中さんのイビキで起こされることがなかったことは彼がいなくなって、たった一つの喜ばしいことだと分かった。

白い頭のスズメ

2011-11-11 08:19:40 | Weblog
天浜線敷地駅近くに白壁館という地元産物を売る店がある。

店の裏にある駐車場に車を入れた。

車から出た瞬間変わった鳥を見つけた。

スズメの群れの中に頭の白い鳥がいたのだ。

白い頭の鳥は、あたかも自身がスズメであるかのように群れと行動を共にしている。

大きさも同じくらいだ。

私を警戒して群れごと少し離れたところに移動してしまったが白い頭は、はっきり分かる。

スズメ語を話しているのか別の言語かは、分からない。

言語がなくても通じ合えているのかもしれない。

かろうじて写真は小さく撮れた。

こうまで違うと別種類の鳥だと思うのだが、その正体を探し当てていない。

ネットでは白い頭のスズメを見たという報告もあるようだ。

また先日我が家の横の道路に落ちていた鳥がある。

横になって死んでいるのかと思いきや息をしていた。

道路から花壇に拾い上げて置いた。

すると立ち上がった。

触ろうとすると「うるさい」という仕草をする。

小さいくせに誇りは高いようだ。

写真を撮っておいた。

ウグイスの様でもあるが身体つきが丸っこいし目の上の白線も、はっきりしないし尾も短い。

勿論スズメではない。

「白い頭のスズメ」も「ウグイスもどき」もなかなかのイケメンだ。

世の中変わり者が居てもおかしくない。

妙な連帯感を持つ人間は私以外にも多いと思う。




拾ったサクラ

2011-11-10 09:05:24 | Weblog
10月中旬いつもの散歩道に桜の木が山積みされていた。

春には、きれいな花を付けるサクラだが枝が増えすぎて街灯を暗くしてしまっていた。

その枝を市から委託された業者が切り取って置いてあったのだ。

夜のうちに少し失敬しようとも考えたが「待て待て誰が見ているかも分からない」と思いとどまった。

誰に話せばもらえるのかと思案していた。

翌朝幸運は訪れた。

作業員達が片づけを始めていたのだ。

遠くに、その姿を見つけると、もう散歩の気分はどこかに消え去った。

複数の作業員達の中で責任者らしき人物に声を掛けた。

「この枝を少し分けてもらっていいですか?」と。

すると「残してもらっても困るものだから」と答えた。

「いえいえ少しだけですし邪魔にならない所で作業しますから」と言って承諾してもらった。

散歩を途中で中止し車を取りに帰った。

彼らが作業している少し先に車を止め後席を倒して積み込む準備をした。

まずは太い物で薪にちょうど良い長さに切ってある物を探した。

「なもんあるわけなかった」

重すぎて持てない。

長すぎて車に入らない。

細い枝を手で折って捨て中くらいの枝を捻り切って外した。

イチバン欲しかったのは絶対に人間では持てない大きさの切り株だった。

さて春野に運び込み適度な太さの枝でエモン掛けを作ってみた。

当初汚かった枝も金属タワシで擦ると見事に美しい肌が浮かび上がった。

灰色がかった肌は細かな削りクズを落として黒っぽい赤色に「ヘンシーン」した。

枝の真ん中に穴を空けて、その中に少し細い棒を通し、その上下にサクラの枝をくっ付けた。

上の枝はエモン掛けだからフックになっていなければいけない。

それらしいY字型を逆さにして使った。

ずいぶん無骨なエモン掛けの出来上がりだ。

枝だけ長めに切って磨いただけの物も作った。

妻が藍染めの展覧会にでも利用するだろう。

機能的にはプラスティック製の物に敵わないけど雰囲気だけは良い。