家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

我が家の地震対策

2011-03-31 07:14:18 | Weblog
もう5年以上も前になるだろうか。

我が家の耐震を考えて設備したことがあった。

大きな家具を倒れないように固定したり各部屋に懐中電灯を置いたり。

また防災用のグッズを袋詰めにして枕元に置いたし1週間分の水も用意した。

TVを見ていたら家具の上に置いた「耐震用のツッパリ棒が役立たない」という事実を知った。

「これは見直さないといけないな」と確信した。

その番組では「ツッパリ棒が長すぎると効果がない場合がある」とのことだったが我が家のツッパリ棒も、それに当てはまるかもしれない。

テレビの買い替えに伴って家の中に置いてあるテレビの入れ替えをした。

このように以前行った耐震設備の時とは状況に変化が出ていることに気がついた。

まずは設備し直し及び新規に設備する箇所を洗い出してみた。

30箇所以上出てきた。

その後も「あっ。そうだ、ここも」と増えている。

それらを書き出し一つ一つ安価で確実な方法をもって処理し始めた。

高価なタンスも「より確実な方法」をとるために思い切ってビス留めした。

タンスにビス穴を空けるなんて考えられなかったが、しかたない。

キャスター付にして動きをよくするための改造したTV台については、その動きを止めることなく限定的な動きで収まるように工夫した。

納戸(タンス室)に入った。

置いてある洋服や物をどけて壁とタンスをビスで留める。

全部のタンスをやり終えて出てくると納戸の中は地震後のような有様になっていた。

掃除担当の妻には申し訳ない。

まだやるべきことは、いっぱい残っているが徐々に処理していこう。



ドブ掃除の後の掃除

2011-03-17 07:41:46 | Weblog
町内のドブ掃除があった。

下水道は完備しているので雨水の流れ込むドブの掃除だ。

我が家の隣に小学校が出来てから「通学路」として整備されコンクリート製のドブ板がきっちりはめ込まれた。

網目のような鉄製の点検口のところだけが、かろうじて開けることができる。

上から見てみただけで相当量のドロが詰まっているのが分かる。

バールで点検口を持ち上げて外した。

小ぶりのスコップで土を持ち上げては道路の隅に出す。

四角く形作られた土は四角のままに出てくる場合と崩れてしまう場合がある。

なんとなく四角の形のまま掬い上げると気持ちが良い。

小学校の運動場の土が大半で、あとは堆積した枯葉が土になった物だ。

どこから侵入したのか空き缶やビンそしてお菓子の袋なども出てくる。

気が付けば積み上げた土は、けっこうな山になっている。

「今夜だけ雨が降らなければいいが」と思いながら終了した。

翌朝まで良い天気だった。

朝刊を取りながら我が家から見渡せる範囲を見る。

ドブ掃除したのは我が家を含めて3軒のみ。

9時過ぎにドロ回収のトラックが回ってきた。

運転手とシルバー人材の二人。

スコップ一丁で掬い上げては荷台に放り上げる。

道路に置かれた土の山は、いとも簡単に取り去られる。

ホウキを使って掃く必要がないほどきれいに掬い上げていく。

昨日スコップを使ったけれど少なく、まとまっていない土ほど掬いにくい。

スコップを差し込むスピードが違うのか、はたまたスコップの進入角度が良いのか。

単純な道具だが奥が深いことを知らされた。


脳震盪(ノウシントウ)のヤマガラ

2011-03-16 08:05:39 | Weblog
山の中で作業していると

「おーい」と妻の声が聞こえた。

「はーい」と答えた。

私の姿を認めた妻は

「ヤマガラが落ちていたの」

包むように持った両手を見せた。

「ヤマガラ」って、あの野鳥のヤマガラのことだけど「落ちていた」?

まるで「吸いがら」でも落ちていたみたいだなと感じた。

近くに行くと紛れもなく小鳥だった。

大事そうに持った掌を、そっと開けてみせてくれた。

ヤマガラはジットして逃げない。

別に怪我をしているようでもないし勿論病気でもないようだ。

カメラを取り出して写真を撮る。

ヤマガラは私の動く方向に向きを変える。

カメラ目線を続ける。

頭から背中にかけて撫でる妻。

嫌がらないヤマガラ。

写真を数枚撮って私は山に戻り作業を再開した。

妻はしばらく持ち続けた後そっと下に置いた。

離れたところから観察していたら無事飛び立っていったという。

飛行中に木の枝にでもぶつかってノウシントウでも起こしたのであろうか。

しばらくするとエサの取り合いをしている姿が見えた。

元気は戻ったようだ。


杉の根取り

2011-03-11 07:04:50 | Weblog
森林組合に伐採してもらった木だが、その根はそのまましっかり残っている。

この根っこ取りは意外と手間を食う仕事だ。

チェーンソーでギューンと切り取れるのは、ほんの一部分だけ。

あとは少しずつ土を掘り浮き上がった根を切り取る。

「こんな時ユンボがあったらなぁ」とため息を吐きつつ根の周りの土を掘る。

先日自分用ユンボを持っているDOC氏と会った。

蓼科にある別荘の木の根をユンボで掘り起こしたという。

次の時行ってみたら、その掘れた穴に水が溜まっていたとのことだった。

樹木の根は水を求めて地中深く進み成長する。

水の供給は生きていくための大きな要素だ。

その根が到達した水源から湧き上がった水が水溜りとなっていたというわけだ。

「根こそぎ」の弊害もあるのだと知った。

土に隠れる程度に根を切り取って、あとは土を被せておくことがベストかなと思った。

さて根は四方に延び深く食い込んだり岩を避けて細くなり、迂回後が再び太くなったりと、その地中の姿は驚くものがあった。

本体が切り落とされて無くなっても根自体はまだ活き活きと水を吸って生きているようだ。

その大地を掴む力は尋常ではない。

人間が引っ張ったところで微動だにしない。

作業を少し進めたところでY爺さんがやってきた。

友人から借りているハスクバーナの威力を、その根っこで試していた。

長年使い続けているだけあってチェーンソーを使うのも堂に入ったものだ。

「こりゃ重いなぁ」と言い残して去っていった。

のべ何日掛かっただろうか。

チェーンソーのガソリンが余ったときには根切に使った。

時間が余ったときにはカナヤとカケヤで叩いてみたりバールでテコを使って掘り起こしてみたり。

やっとある程度の深さまで根を取ることができた。

掘ったときに出た土を使って埋め戻した。

まるで何も無かったかのような平静な地面になった。

やれやれ。

同じような木の根が、まだあと三つ残っている。

その内一つは巨大だ。

気長にやるしか手はない。

これを根気というのだろうか。


84歳の誕生日

2011-03-10 07:40:14 | Weblog
母の84歳の誕生日が来た。

朝早くから活動している私は8時半が過ぎるのを待ちわびていた。

あまり早くケータイが鳴ると何かあったのではないかと心配するだろうから世間が動き始める時刻を待っていたのだ。

日が出ていても進まぬ時間は少し遅く動いているように感じた。

誕生日おめでとうのメールを送った。

ほどなくして母から返事のメールが届いた。

自分の掌を見ると形や静脈の走り方が父にそっくりだ。

咳払いなど、ふとした時に出てしまう声もまた父によく似ている。

だが考え方そのものが父とは違う。

そこが違うものだから父とは全く行動が違う。

しかし考え方は目に見えないし、また変わってしまうこともある。

ところが母の兄弟姉妹を見ていると私の考え方の根源がここにあると実感するのだ。

またそれは身長にも表れている。

私は大正生まれの父よりも6センチも背が低い。

母方は総じて身長が低い。

そこが私に遺伝したのだと思う。

この年になって身長の低さなど取るに足りないことだと実感している。

むしろ低いという個性を楽しんでもいる。

低い身長が父との違いの証明のような気がしている。

母にこのことをメールした。

「嬉しい」との返事だ。

妻から母へのプレゼントはタマネギの皮で自分で染めたスカーフ。

私は何も用意していなかったので近所のコンビニで咳止めの飴を買って持っていった。

毛糸の帽子にマスクを掛けてコンビニに入ると従業員が「ドキッ」としたようだった。

私が飴の袋を2つ持ってレジに行ってもしばらくの間誰もレジに来ない。

どうやら強盗か何かと間違えられたようだ。

「今そこのコンビニで買ったばかりだから、まだ暖かい」と言って母に渡した。

笑いながら「ありがとう」と言った。

小さな母の背中が少し曲がって益々小さくなった。

だが家族に与えている影響は大きなままだ。



ナタの柄

2011-03-07 08:59:33 | Weblog
薪割りをするときナタを使ってみた。

妻の父親から譲ってもらったナタだ。

ナタの刃の背をハンマーで叩く。

木に食い込むが食い込むだけで木は割れないしナタも抜けない。

しかたなくいろんな箇所を叩いてみた。

ナタの柄が折れてしまった。

妻がどこかで拾ってきたサクラの枝を使ってナタの柄を作ることにした。

私の握り易い太さの部分だけを枝全体から切り出した。

その木片に刃の刺さる隙間を作る。

ノコギリやらナイフ、ヤスリなどで少しずつ隙間を広げる。

金属のリングをはめるように先端を円状に削る。

金属リングをはめた後で刃を挿入するとピッタリになった。

あとは刃をリベットで留める。


いままで使用していたリベットは柄の厚さが変わったため使えない。

いろいろ考えた挙句釘を使うことを思いついた。

柄の厚さを考慮して釘を切り先端を尖らす。

柄に予め穴を空けておく。

勿論それは刃に開けてある穴と同じ位置である必要がある。

柄の穴は柄を貫通してはいけない。

リベットと違って片側には何も出ていないようにする。

柄の穴の空いている側から釘を打ち込み刃の穴を通過してからは普通の釘のように柄の中に差し込まれる。

柄を少し磨いてみた。

柄の鞘に収めると全く違和感のない物になった。

妻の父親も、これならOKを出してくれるであろう。


電動チェーンソー

2011-03-06 08:32:29 | Weblog
実家のナンキンハゼの枝払いをした。

道路際に生えていて、しかも信号機があり実家の前は信号待ちの車が繋がる。

1人が車や自転車そして歩いている人の見張りをして、もう1人が枝に結んだヒモを敷地側に引っ張って待機する。

交通が途切れたところでチェーンソーで枝を切る。

街中での切りくずは目立つこと。

風に乗ってバラバラと散り回る。

上に伸びた枝が地上に降りてくると、それは大きい。

道路側に落ちたらイチダイジだ。

敷地の中ほどまで枝を引きずっておく。

次の準備をして人の途切れるのを待つ。

「いいよー」の合図でチェーンソーが活躍する。

道路側が終わると今度は隣の家に落ちそうな枝を切る。

やはり同じように枝にヒモをかけて隣の車を直撃しないように注意する。

それが終わると自宅敷地に落とす分を切る。

すべて枝を切り終えると今度は枝を小さくして我がヴィッツに積み込む。

小学校3年生の虎太郎君にも電動チェーンソーを操作させた。

安全装置のボタンを押してからアクセルを握ると「シャー」とチェーンが回り始める。

太い枝を切り落とすと、それを弟の光君が持っていく。

お兄ちゃんは弟が自分の近くに寄って来ると「あっちへ行ってろ」と命令する。

電動チェーンソーが危険である事を教えているのだ。

とは言っても弟もやりたくて仕方がない。

「よし。じゃぁ交代だ」と私が宣言して虎太郎君から光君に交代した。

嬉しくてしかたがないのだが。まだ小学校に入れない年齢では切れるものも切れない。

あまりにも力がなくて刃先が枝の上で滑っているだけだ。

私が少し力を貸して1本切り終えて満足させた。

私と姉が枝をさらに小さく刻んでいる間子供達は棒切れでちゃんばらをやっていた。

時代劇など見なくてもヒモを胴に巻き、そこに2本棒切れを挿して「二刀流だ」とやっている。

一旦ナタもやらせてみたが、こちらは力だけではなくコツも必要なので全く使えなかった。

危なっかしいので、すぐにとり上げた。

時代が変わっても刃物は男のDNAを刺激するらしい。

生活の中で刃物とふれあうことの少ない現在。

こうして私の出番もあるなと思って子供達を眺めた。


夜の神社の境内

2011-03-05 07:28:29 | Weblog
子供達が、まだ小さかった頃私の実家で夕食を食べて帰ったことがある。

「さあ帰ろう」と言うと

「歩いて帰ろう」という。

明日私が歩いて出勤すれば今夜歩いて帰ってもよい。

息子二人を連れて3人で歩いて帰った。

神社の前に到達した。

「あの社殿まで行ってこられるか?」と聞いてみた。

「行けるよ」と言って夜の松林の境内の中の社殿まで1人で歩いて行ったのを覚えている。

それはたぶん長男だったと記憶している。

だが年齢は思い出せない。

その話を虎太郎君にしたことがある。

ピアノ教室の帰り道車の中で急に私に

「あのお宮、行ってこれると思う」と言った。

けっこう長い間私の話した事を気にしていたのだなぁと感じた。

「よし。それじゃあ行ってみようか」と答えた。

「この道じゃあ神社に行けないよ」と虎太郎君。

「分かっているよ。ケーキ屋のところを曲がればいいでしょ」と答えた。

私が本当に神社に行く気でいることを確認した。

その後寡黙になったので、いろいろ考えていることが見て取れた。

「でも怖いな。行けると思うけど」

素直に自分の心の中に浮かび上がる恐怖心との闘いを口にした。

だが最終的には「行ける」ことを言葉にする。

いよいよケーキ屋の角を曲がった。

大きく深呼吸した音が聞こえた。

日も暮れて車はライトを付けて走っている。

神社の前に停車した。

トリイから社殿まで20メートルはあるだろうか。

途中に蛍光灯が青白く冷たい光を放っている。

私は一緒に車を降りてトリイの前で止まった。

虎太郎君は一目散に掛けだしていった。

彼の後姿を見ながら当時の自分と息子のことを思い出していた。

社殿に到着した虎太郎君は「おーい」と声を出して私を呼んだ。

「おーい」と手を振りながら答えた。

自分の足で恐さを乗り越えた。

やり終えてみると当初の思いの通り「たいしたことではない」ことを実感していたようだ。

一歩男に近づいたように見える。


ワンルーム入居者募集

2011-03-03 07:31:33 | Weblog
ワンルームの住宅を2棟作った。

入居者募集中。

入居費用なし。

食料無料。

軒先とベランダ付き。

濡れずにベランダに乗り、そのまま家の中に入れます。

もし今の場所が気に入らない場合は移動も可能です。

1棟目は奥行きが長い。

家族が増えても大丈夫です。

もう1棟は奥行きは短いが、その分天井が高い。

どちらも好みに合わせて快適に過ごせます。

キッチンは別の場所。

我が家から出入りが見渡せる場所にありますからセキュリティーは抜群です。

ヤマガラの夫婦を希望しています。



一閑張(イッカンバリ)

2011-03-02 07:28:14 | Weblog
薪ストーブの焚きつけ用として毎回杉の枯れ枝を拾いに行く。

植木鉢の水受け皿を持っていくのだ。

それがどうにもカッコ悪く思える。

用は足りているのだが、いかにも実生活染みている。

もう少し優雅に「火を楽しむ」風にしたい。

それで一閑張を思いついた。

竹製石箕をベースに、それに紙を貼ればよい。

石箕は軽くて杉の枯れ枝を集めるのには最適だ。

だが杉の枯葉は枯れているだけに細かく砕けてしまう。

その粉や切れ端が竹の隙間に入り込んでしまいそうだ。

それを避けるには一閑張にしておけばよい。

竹製石箕はホームセンターで890円で購入してきた。

大き過ぎず小さくもなく丁度程よい。

それに韓国旅行で購入してあった韓紙を貼る。

裏は別の韓紙を貼った。

取っ手は、またまた別の紙にした。

それに柿渋を塗る。

こうしておけば丈夫になるし風合いも良くなるってわけだ。

仕上げとしてその上にニスを塗った。

それでカサカサした杉の枯れ枝をたくさん乗せても破れることなく、また隙間に入り込むこともなく済みそうだ。

何より最も求めていた優雅さがある。

今から燃してしまう物を集めるために、いちいち作るかなと言うかもしれないが。

そこが楽しいところだ。

プラスティック製のトレイのほうが機能的かもしれない。

だが何か別の美意識を求める私が、それを許せなかった。

機能性は必要であるがそれと同じほど形や材質などの美が欲しい。