家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

雨はSLKで

2011-05-29 15:56:33 | Weblog
旧車を好む会の宿泊ミーティングがあった。

出発前から2日とも雨だと分かっていた。

迷わずSLKで行くことに決めた。

雨の高速道路に入る。

次のインターチェンジまでにはSLKのリアガラスは晴れの日ように乾いた。

室内は勿論空調が効いて音楽も聴けて快適だ。

モーガンで走ると、そうはいかない。

「普通の車っていいね」と新しいBMWで駆けつけたDOC氏と笑いあった。

富士吉田で昼食ということになった。

ただの民家に人が集まり、うどんを食べている。

メニューもないし「いらっしゃいませ」もない。

食べる人のいる空間と作る人のいる空間があるだけ。

注文方法は「暖かい」か「冷たい」かだけ。

値段は一律350円。

だからメニューは要らないらしい。

カウンターで「あたたかいの4つと、つめたいの1つ」と頼むと金属製のお盆の上に乗せられて、それらが届く。

それらを食べた後それぞれ350円を支払って出る。

何もかも今までの常識を覆す店だ。

今回の宿は大菩薩峠の麓 裂石温泉 雲峰荘だ。

我々の泊まる別館の下には露天風呂がある。

到着直後と翌朝の2回入った。

雨の露天風呂は風流だと思っていた。

しかし実際には雨は邪魔者であった。

身体中濡れているのに、それでも顔や頭に降り注がれる雨粒が気になって仕方がない。

巨大な石の屋根の下に避難した。

風呂は身体を洗う所でもあるが、それより話を楽しむ場所であることを確認した。

風呂の下を曲がりくねった渓流が騒ぐ。

どこからか大量の水がやって来て大急ぎでどこかに去っていく。

空から落ちてくる水も、あらゆる所でポタポタと音を立てる。

アルカリ性の湯は身体を温かく包み皮膚をすべすべにする。

秋にも素晴らしい景色を見せてくれるであろうことは想像できた。

混浴であったが女性は誰一人入ってこなかった。

混浴を楽しむには、まだ若輩者であると思う。

食事の会場で出会う御婦人方を見て、まだ一緒に入る気持ちになれない。


KANスタジオ

2011-05-26 07:32:05 | Weblog
O氏と共にKANスタジオに着いたのは1時半を回っていた。

住宅街にある個人宅だ。

いつもはスバル360を駐めている駐車場に私のSLKを入れた。

ブラックベリーの枝に注意が必要だった。

家に入るとショウケースが置かれていて中にはミニカーなどがひしめいている。

小学生の時からのコレクションだという。

私はケースの中にサイドカーを見つけ

「珍しいですねサイドカー。私もサイドカーに乗っていたのですよ」という話をした。

サイドカー以外にもオートバイがたくさん並べられている。

壁の棚に置かれているオートバイはタイヤが、まん丸ではない。

「その方が躍動感があるでしょ?」

O氏も私も驚いた。

それらは買ってきたプラモデルではなく、ほとんどが自作された世界で唯一の物だったのだ。

しかも木工細工である事を知ると、その精密さと技術の高さに我々のテンションは上がる一方だった。

自然に質問が増え、それに淡々と答えるKAN氏。

「作りました」

と簡単に言うが、その出来具合によって超絶技巧とか職人技というような尊敬に値する言葉が浮かんだ。

作業は物を採寸し図面を起こしてから取り掛かるという。

しかし物は平面ではない。

その曲面を削りだすのはKAN氏のイメージや癖が入り込むものらしい。

それが全く違和感がない。

才能というものなのだろう。

「オートバイのフォークは細くて折れ易いから中に金属を通しています」

「スポークは1本1本ワイヤーと真鍮のパイプで作ります」

「車のエンブレムはアルミを切り、そこにエナメルで・・・・・」

これらを、こともなげに言う。

ミリより細い単位の仕事であり、どれだけの時間を費やせば完成するのか分からない。

「良い仕事」とはこの人の作ったものをいうのだと感じる。

O氏のモーガンも近々採寸するらしい。

たぶん素晴らしいKANモーガンが出来上がることであろう。

モーガンは元々手作りの車だから、いわばここにある模型に乗っているようなものなのだなと思った。

実車から模型ではなく模型を見て実車の存在が素晴らしく感じた珍しい体験であった。

O氏ファミリーと

2011-05-25 06:43:28 | Weblog
O氏ファミリーとミニツーリングを楽しんだ。

O氏のモーガンとO氏弟君のジャガーそして私のモーガンの3台だ。

O氏の隣には長身イケメンの娘婿殿が同乗した。

3台で、まずは佐々木氏経営の「ぬくもりの森」へ。

気温の上がり始めた午前の終わりごろ薄暗いクーラーの効いたガレージの中でコーヒーを飲みながら車談義。

至福である。

先日O氏と一緒に行ってきたKANスタジオの話をする。

KANスタジオにはプラモデルがずらりと展示されている。

と誤解した。

実は、ほとんどKAN氏が自作した物ばかりであった。

レジンや木またアルミなどを利用して気の遠くなるほど細密に製作されているのである。

ことに木で作ったとは思えない車の曲線美は手を抜くことのない傑作だと感じた。

浜松の名所とも言える場所が、こんな身近な所にあったとO氏も私も感激した。

浜松北部にあるオレンジロードというミカン農家用の農道を走ってバラで有名な「ローズデヴァン」で時間調整をした。

バラの良い香りに囲まれて、バラの数ほど多いおばさんたちで賑わっていた。

ランチはボンベイ庵というカレー屋さん。

奥浜名湖を見渡せる山の中腹には気持ちの良い風が吹いていた。

さてカレーの刺激で調子の上がった私は皆を無視して一人過激走行に。

適度な道の曲がり具合と、きれいな路面は私を勧誘する。

その挑発とも言える勧誘に乗る。

久しぶりのレーシングスクリーンは気分も上々だ。

この時ばかりは帽子を取って助手席トノカヴァー下に投げ捨てて走った。

時折すれ違う走り屋オートバイに気をつけて存分にエンジンを回しタイヤをいじめた。

「今は景色を楽しまない。道路を、そして操作を楽しむのだ」

後輪が飛び上がって横にずれる。

モーガン独特の走行が、よく晴れた今日は心地よい。

ジャガーは調子が悪いらしく気の毒だった。

O氏の娘婿氏の運転は、さすがに義父の車だけあって大人しい走りだ。

真面目なインテリ風なので元来飛ばさないのかもしれないが。

曇りになりレ-シングスクリーンでは湖岸の風が少し寒く感じられたがジャガー氏はタオルで汗を拭いていた。

国1の交叉点で先頭の私だけ直進。

O氏ファミリーは市街地方向に。

手を上げて後の人たちに別れを告げる。

ジャガー氏も窓から手を出して答える。

娘婿氏は、にこやかな顔で手を振った。

助手席で手を振るO氏も満足げであった。

「別のコースでまた走ろう」

O氏からメールが入ったのは翌日の朝だった。



材木が出て行く

2011-05-24 09:22:32 | Weblog
我が家の山から材木が出て行く。

森林組合が、ある事業の一環として無料で運び出してくれることになった。

私の手元には一銭も入らないが、それでも山がきれいになる。

一も二もなく「お願いします」と即答した。

監督と助監督以外は新人ばかり総勢7名体制で作業が始まった。

山のそこらじゅうに切り倒されたままの杉やヒノキ。

それらの枝をチェーンソーで払い4メートルに裁断する。

すると樹木は材木という役立つ物に変わる。

長さが揃った材木は鳶口を使って同じ場所に集められる。

集積された材木をラジキャリーという機械が吊り上げて山の下に下ろす。

ラジキャリーは山の上と下の2台のリモコンで操作される。

チェーンソーの音 鳶口が材木に刺さる音 ラジキャリーが移動する音。

我が家の山は、いろいろな音が響きあい活気に満ちている。

ラジキャリー用のワイヤー設置から始まった作業はとても興味深い。

山の男達は山の起伏や樹木の隙間をたくみに見極め、それを利用できる最善の場所を決める。

材木を下ろすとき他の樹を傷つけないように山に落ちている枯れ枝やロープを器用に利用して養生する。

倒木と枝を利用した長いハシゴも作った。

そんな昔からのやり方を近代的な機械が補助する。

そういう手馴れた作業は、とりもなおさず自分達の安全の確保に繋がっている。

たとえ無料であっても、この材木たちが世の中の役に立つほうが私は嬉しい。

使い物にならない材木が私の薪用として残されるようだ。

既に取り去られた倒木の跡は垢を落とした山肌のように見えて清清しく感じる。

1ヶ月に渡って作業は続くようだ。



パトカーは味方?

2011-05-17 10:44:55 | Weblog
妻が交通違反で切符を切られた。

一旦停止のしかたが悪かったと言われたらしい。

状況としては小学校の近くの道を走っていた。

後からパトカーがついてきていることは承知していた。

学校廻りには子供達がたくさんいて徐行して走っていた。

また横断歩道では、きちんと止まり児童達を横断させて安全を確認してから走り出した。

そして一旦停止をして走り出すとパトカーが「止まれ」と指示をした。

「私ですか?」と、自分しか走っていないから止まるのは自分だと思って妻は自発的に車から下りてパトカーに。

友人二人を車の中に残し歩いている児童がたくさん見ている中でパトカーに乗せられ説明を聴く。

一時停止の仕方が悪いと言われたという。

「停まりましたよ、私」と言うも

「3秒停まらなくてはいけないのです」という説明を受けた。

警察官は妻の車のタイヤがすぐに動き出したから止まったことにはならない。

3秒間停まり続けなかったから罰金を払えというのだ。

私は妻の話を聞いて腹が立った。

「3秒間停まったかどうかストップウォッチで測ったか?」

「その確かな証拠はあるのか?」

と私なら食ってかかってしまいそうだ。

妻の走行は、いたって真面目で一旦停止を無視したことはないし、当たり前だが停止線前で停まっている。

また、やたらと遅く走れば安全だと思い込んでいる輩とも違う。

そして自分も小学校の隣に住んでいるのだから児童の歩く様子はよく見ている。

そんなところでスピードを出したり一時停止を無視したりしたら子供が飛び出てきそうで自分が怖いのだ。

だからスピードを出して走ってきて停まったかどうか分からないで発進したというような状況ではなかったのだ。

警察官もプロならドライバーの走り方を見て「まともか、そうでないか」の総合判断をせよと思う。

走行を後から見ていて運転中の妻の気持ちの中に事故に繋がる何かを見つけたのなら分かる。

だが現実的には「捕まえたかった」としか思えないではないか。

「事故じゃなくてよかった」と気持ちを切り替えて罰金を払い込んできた。

しかし警察官に対して自分の味方であるという認識は変えざるを得ない。

支払った7000円も痛いがパトカーが「違反を犯すのを待っている」のではないかと思う自分の変わってしまった心が痛い。


滑車の利用

2011-05-15 14:55:04 | Weblog
野地板(屋根の下地板)を貼り終えた段階で変更が出た。

もう一本丸太を追加することにした。

早速丸太を切り出してきた。

太い所で直径14センチ長さ4メートルの丸太は思いのほかズッシリと重い。

皮むきをした場所から建設現場まで滑りやすい丸太を抱えてヨタヨタと歩いた。

一度地面に置いて息を整えけなければ、とてもじゃないが1回では運べない。

さて、この丸太をどのようにして適当な位置に組み入れるか、それも1人で。

野地板と骨組みの丸太の間に、うまく組み込めるだろうか。

「滑車だ。それしかない」と思いついた。

軒下の2本ある内の片方の木に、この丸太を立てかけた。

丸太の下にロープを巻きつけ滑車で吊り上げる。

物理の本に出ていた絵をそのまま現実化したようだ。

滑車に巻いたロープを引く。

「あらあら。見事に丸太が持ち上がる」

物理の本は嘘じゃなかった。

あんなに重かった丸太が、たった2個の小さな滑車のおかげでスルスルと持ち上がるのだ。

上に上がると同時に支点となった木の方向に丸太は移動する。

一旦そちらの方向に丸太を上げてしまってから次に手前の木の方向に丸太を下ろしながら木の下に通し最終的には真っ直ぐにする。

ちょうどカタカナのノの字を①左から右に書き次に②左に戻して少し長めに書き最後に③真っ直ぐに左から右に書く。

そんな3段階のイメージで作業を進めた。

ノの字の②段階のところで作業が止まった。

困っていたところに神様じゃなかったY爺さんが通りかかった。

「おーい。ちょっと知恵を貸して」

笑いながらY爺さんが現場を見に来た。

「ほう。どうやってこの丸太を上げた?」

「滑車を使ってここまでやったのだけどニッチモサッチモ行かなくなっちゃって」

「こりゃだめだ。入らんぞ」

Y爺さんの見立てで間違っていたことはない。

足場に乗って、やっとのことで吊り上げた丸太を二人で下ろした。

次にY爺さん主導で作業が始まった。

丸太を回しながら木と野地板の間に滑り込ませる。

次に私が支えているところをカケヤで叩き込んだ。

午前中掛かった作業を御破算にしてから40分で仕上がりの形になった。

大胆なやり方をするが足場に関しては細かく固定しなおして作業に入る。

この無理をしないで最大の力を出せる下準備が私のやり方とは違うと感じた。

あと少しだと思うと私は無理に続けてしまうし充分な力を出し切れない場面もある。

だが丁寧に仕上げたかったら、それではいけない。

正午のチャイムが山に鳴り響いてから30分以上も経過してから作業を終えることが出来た。

Y爺さんが帰りがけに滑車を見つけた。

「これで何かを吊るのか?」

私の話は聞いていなかったことが判明した。


探していない物が見つかった

2011-05-13 07:33:27 | Weblog
先日長男が帰省した折に「探し物がある」と言った。

高校生の時に使用した歴史の本を読み返してみたくなったらしい。

息子達の使用した本やノートはできる限り保存している。

自宅になければ春野だ。

春野にあるなら物置の中だ。

というわけで3人で物置の中を探すことになった。

物置の中に物を入れたのは私だ。

「たぶん有るならこの辺りだと思う」

というイイカゲンな記憶を基に探し始める。

「これとこれををまず外に出して」

長男と二人で外に出し外で妻が受け取る。

バケツリレー方式だ。

「そしたらこれをこちらに移動する」

こんなことも有ろうかと思って重い物はキャスター付の台車に乗せてある。

ゴロゴロと物置の中を物が行き来する。

「はい。じゃぁこの辺を見てみて」

長男は、はやる心で見始める。

「おっ。懐かしいな」

私たちも期待して「あった」の言葉を待つ。

「なんだ。弟のだ」

兄弟揃って同じ小学校 中学校 高校 だったから同じような物が出てくるのだ。

結局彼の探している物は出てこなかった。

「俺の使ったものは弟に行き、その後誰かにくれてやったという公算が高い」と言った。

参考書のような物としては、それが考えられる行方であり妥当とも思える無くなり方だと思った。

さて彼が一生懸命に探し物をしている時に私たちは別の物を偶然発見してしまった。

大きなブリキの入れ物の中から竹製のザルが出てきたのだ。

これを仕舞うときには非常に慌ただしく行動していたことを思い出した。

空き家になった妻の実家を物置代わりに使っていて、その家を取り壊すことになり急遽春野に物置を建てて、そこに運び込んだのだった。

ドタバタしていたので何をどこに入れて、それをどの辺りに仕舞ったのかうろ覚えになっているのだ。

自分達の物を入れてあるのに、まるで骨董屋の蔵を漁っているかのような、ちっちゃな喜びがあった。

そして好きなものが出てきたのだから、とても嬉しかった。

少しほつれた竹を木工ボンドで修整して使用可能になった。

残念ながら麿君の入れる大きさの物は出てこなかった。



水鉢の移動

2011-05-08 09:09:47 | Weblog
力持ちが帰省している間に水鉢の移動をしておこうと考えた。

まずは大き目のバケツに水鉢の水を汲みだす。

ドラム缶用のポンプを使用した。

緑色をした水が半透明の蛇腹のホースを通ってバケツに落ちていく。

黒色をした水草の破片も流れていく。

1杯目は捨てた。

捨てた水の中から金魚の死骸が3匹出てきた。

死んで間もないのか目が、まだ変色していなかった。

2杯目は残しておくことにした。

水草の植えてある鉢を取り出すと水面は一気に下がった。

そのあとは真っ黒い水となった。

メタンガス発生の元になるので網ですくって黒や、まだ少し茶色の残る枯葉を捨てた。

網ですくっている間に1匹の金魚が逃げ惑うのが観察された。

手で水の中を探ってみる。

残っているのは小砂利だけのようだ。

「これなら持ち上げられるだろう」

二人の意見が一致した。

簡単に持ち上げて移動できた。

予め掘っておいた穴に置いてみる。

少し不安定なのでフカフカの土を入れて置きなおす。

水準器で水平を確認して土を戻す。

鉢の周りに土を置き足先で踏み固める。

庭石を戻して終了した。

水草の鉢を戻し汲み取ってあった水を戻し残りは新しい水を入れた。

翌日生物担当者(妻のこと)に見せた。

「あら少し低くなったのね」

「高いところにあった物を低い所に移動して今度は、さらに土に埋めたからね」

移動場所については既に合意していた。

妻が早速金魚のエサを撒いた。

ほどなくして金魚が浮き上がってきてエサを食べ始めた。

「あれ?5匹いる」

衝撃を受けた。

「世の中全て信じられなくなった」

と大げさな言葉を声に出したが、その時は実際その通りに感じた。

ほんの少しの水の中に5匹も残っているようには思えなかった。

網ですくったし手も入れたし二人の目で確認してあったのだから。

妻は移動の現場を見ていないので

「残り5匹くらいはいると思うよ」と簡単に言う。

現場と施主あるいは現場とデスクの違いが、こんなところにも。



長男帰省中

2011-05-05 09:34:40 | Weblog
長男が寄生虫・・・じゃなくて帰省中だ。

職場の同僚と彼の長男も一緒だ。

まずは春野に連れて行ってバーベキューランチを楽しんだ。

3歳になったばかりの光君から目が離せない。

誰かが付いていないと大怪我させてしまう物だらけだと改めて感じた。

私が得意の「火と刃物を体験させる」というわけにはいかなかった。

帰宅すると今度は麿君が被害を受ける。

彼らが入浴しているときにソーット隠れ家から出てきた。

光君が近寄るとソソクサと隠れる。

光君は3歳にしては驚くほど聞きわけがあるし理解力は大人並だ。

なんでもよく食べて食事にも困らない。

だが3歳児中心となる生活自体に慣れていない。

私たち夫婦も麿君も彼らが寝てからグッタリ疲れが出た。

翌日は中田島海岸に行って初めての砂丘と海を体験してもらった。

初めて見る海からは恐さを感じたらしい。

海の広がりは見渡す限り果てしない。

絶えず大きな音で近寄ってはサッと消える波。 

風の音で自分の声が響かない。

自然の力の前に非力な自分を感じ取ったのかもしれない。

波打ち際で拾った巻貝のカラを3個与えると砂で山を作って、そこに飾っていた。

たくさん食べるだけあって体力もある。

父親とジャンケンをして何とか彼の背中におんぶしようとするが駐車場まで歩ききり、その後も公園内を走り回っていた。

「おじいちゃま」と呼ばれた私が振り向くと松ぼっくりを手渡された。

皆に小分けして車まで運ばせていた。

駐車場では必ず運転席に座りハンドルを握ってから後の席に戻っていく。

「浜松に来たのだから」と今日の昼食はギョウザにした。

「ふくみつ」の駐車場は他市や他県ナンバーがずらりと並んでいた。

店の入り口には入店待ちのお客さんが列をなして並んでいる。

車の中から注文しておいたので妻は、ほどなくして80個の包みを抱えて戻ってきた。

食べている人の時間がかかり席が空かないだけでギョウザは次から次へとドンドン焼けるのだ。

モーガンとSLKの試乗をした後16時台の新幹線に乗るため浜松駅に送っていった。

「また来るからね」

嬉しい言葉がまだ心に残っている。


建前で一時休止

2011-05-01 08:58:43 | Weblog
外の水場に屋根を付けることにした。

ついでに屋根を少し広めにして中にテーブルでも置こうかと考えた。

材料は山にゴロゴロ転がっている丸太だ。

まずは太さが13cmくらいの丸太を切り出す。

3m70cmを8本4m50cmを4本。

山で皮むきをした後敷地内に下ろす。

同時進行で沓石という基礎になるコンクリートのカタマリ3個を地中に固定する。

縦 横 高さ を合わせる難しさ。

安価な赤外線を利用した水準器とピンク色の糸を使う。

Y爺さんに手伝ってもらった。

彼は、ほんの1ミリの誤差を調整する。

私が作るのだから1センチ違っていてもOKなのに。

柱になる3本はきれいに磨きをかけた。

枝の跡のある物を角に使うことにした。

磨いた丸太を沓石に乗せてみた。

真っ直ぐに立たない。

Y爺さんが丸太を転がして見て「5ミリ違っている」と言う。

5ミリの所に印をして「立てて様子を見ては倒して削る」を繰り返した。

結局Y爺さんの言ったとおり5ミリ歪んでいた。

立てた柱の先端にくぼみを付ける。

そこに横方向の丸太が乗るのだ。

次に、その横方向の丸太にもくぼみを付けた。

チェーンソーで根気よく削るのだ。

オガクズだらけになって、そのくぼみをガストーチであぶり炭化させておく。

丸太同士をカスガイとバンセンで結ぶ。

いわゆる建前の状態になった。

ここまで来て小休止することにした。

連休でホームセンターが込み合うからだ。

屋根には土を乗せて芝生のような植物を育てようと思っていたが

「水やりが難しくない?」と言われて

「それもそうだ」と、どうするか考えることにした。

屋根の下に入ることになる石垣の隙間もモルタルで埋めておかないとヘビが入り込みそうだ。

水瓶も移動する必要がある。

照明器具も付けたい。

床は三和土(タタキ)にするかコンクリートかレンガを敷き詰めるのか。

楽しい悩みが頭の中を占領する。

Y爺さんは米作りが始まって忙しくなってしまった。