家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

母の誕生会と葬式

2013-03-29 07:55:20 | Weblog
母の86回目の誕生日が来た。

現在日本の女性の平均寿命は86・35歳。

母の母親は88歳に少し足りないくらいで亡くなった。

つまり、いよいよ近づいてきたわけだ。

今まで「壊れ物」という意識で母を大切にしてきたが、それと共に時間的余裕もなくなってしまった。

家族で母の誕生会というしっかりした会を設けようと思い立った。

私の声かけで本当の身内だけを集めて行った。

東京に暮らす子供たちはお祝いの花と電話をくれたり動画を送ってくれた。

母を座らせて、その横の椅子にそれぞれ出席者が小さい順に一人一人座り母へのお祝いを継げた後これからの自分の生きる方向性などを伝える。

すると母がこれに答えるというようなやり取りをし、それをビデオに収めた。

最後に私が母に質問をする。

「自分の葬式に関してなにか希望はありますか?」

母は驚きもせず、きちんと答えた。

「最後に、今あなたの葬式に皆さん集まってくれています。その人たちに一言どうぞ」

母は素直に私の言葉をうけてカメラに向かって礼を述べた。

そんな母の姿が、とても誇らしかった。

このようにして私たち家族は暮らすのだよと姪の子供たちにも見せることが出来た。

母を大切にするということは次の世代である私たちを大切にしてもらうということでもある。

自分の葬式で自分が礼を言えるというすばらしさを感じて母は、もっともっと長生きしてくれると思う。

「これから毎年これをやります」

と言った私の言葉に不満を言った人はいない。

母の母は「まじめにやっていれば何とかなる」という言葉を残した。

母は「あくせくせず自分を強くもって生きて欲しい」と言った。

少し気が楽になって私も寿命が延びた気がする。


合同ピアノ発表会

2013-03-25 08:23:49 | Weblog
妻と数人のピアノ講師が集まって合同ピアノ発表会を催した。

私は妻と近所の講師一人を乗せて会場に送っていった。

終わるまで、そこに待機するのだが会場関係者でもなく講師でもない。

「あれ誰?」的な視線。

知り合いの写真屋さんの隣の席で静かに本を読んで過ごした。

写真屋さんが演奏中の姿を撮るのなら私は挨拶する姿を撮ろうと思った。

それを写真屋さんに伝えてみると「なかなか難しいですよ」との答え。

果たしてオジギしている演奏者の頭頂部だけ撮れたものの多いこと。

「だめだ」の連続だ。

隣に座った女の子が私のカメラに浮かび上がる頭頂部を見て「あ~ぁ」という目をした。

その子も出番が近づくとスカートの上で必死で指を動かしていた。

「かわいいなぁ」と感じる。

プログラムに私の感じたことを短くメモしておいた。

あとで妻と会話が弾むように。

それを隣の女の子は読もうとする。

「自分のところに何か書いてある」といったところか。

だが読めるわけがない。

書いた私が読めないのだから。

演奏が終わって講師たちが前に並び花を受け取った。

一人一人を撮った。

「目をつむりました」という表示がカメラの画面に現れた。

慌ててもう一枚撮り直した。

パソコンに映し出してみると目は開いていた。

「失礼だろカメラ」






怪しみ怪しまれる

2013-03-23 08:18:40 | Weblog
春野にある100円風呂に立ち寄る回数が増えた。

あるとき入っていくと派手なパンツの爺が着替えていた。

「私が出れば、おたく一人だけで貸切ですよ。楽しんでください」と機嫌よくかなり饒舌であった。

私も嬉しくなり「ありがとうございます」と言って湯室に入っていった。

しばらくすると少し心配になってきた。

私が嬉しくなるようなことを、あまりに多くしゃべりすぎたような気がしたので、こんどは、それが疑わしいことのように思えてきたのだ。

実は今日はロッカーに貴重品を預けずに入ってしまった。

ジャケットのポケットの中には財布が入っているのだ。

途中で湯船から上がって確かめた。

ちゃんと有った。

だれも客がいなくて自分で電灯をつけてから入室することもある。

どのスイッチがどこの電灯か分からずに入れてみたら部屋が明るくなったので着替えることは出来る。

湯室は、まだ日が出ていて明るいので問題ない。

今日は貴重品はロッカーに入れてある。

ロッカーの鍵は着替えの籠の中に入れて、その上から脱いだ洋服を重ねてあるので問題ない。

私が湯船にいるとき一人のオヤジが入ってきた。

残りの電灯をつけて入ってきたので、かなり詳しく知っている人だ。

ところが私が出洗いしている間にさっさと出て行った。

時間にして5分か。

なんだかまた不安になってきた。

「なんであんなに早く出て行くのだろう」

私も早風呂だがカラスの行水とは、このことだ。

湯室から出て真っ先にロッカーの鍵を確かめたのは言うまでもない。

またちゃんと有った。

でも鍵を使って開けて、また戻す時間は充分にあった。

ロッカーの中を確かめるまで落ち着かなかった。

私の不注意にせよ世の中は疑い出したらきりがない。

その逆のこともあった。

私が着替えている時オートバイ乗りらしい人物が入ってきて洋服を脱ぎ始めた。

私は、もうすぐ着替え終わる。

彼は皮パンツのポケットに何か重要なものが入っていたことに気が付いた。

私の視線を気にしながら、それでも何もなかったかのようなふりをして湯室に消えた。

私が退出した後湯室から戻ってきて確かめたかもしれない。

山を直線的に登った

2013-03-22 07:52:29 | Weblog
山の上の道路まで直線的に登った。

地図の縮尺からいうと実際の3.4cmが地図上では100mにあたる。

地図の上を測ると10.5cmあるから距離は308.82mだ。

何年か前に一度やったことがあった。

また最近道路を歩いて我が家から真上に位置する場所まで行った。

我が家の敷地内が最も急斜面で四つんばいにならないと登れないところもある。

そこを抜けると他人の土地になる。

獣道が縦横に出来ている。

間伐がされていて明るい林もあれば雑木の生い茂る暗い林もある。

帰りに迷いそうな箇所には落ちている木切れを拾って地面に突き刺しておく。

また通り抜けやすいように切り落とした枝は目印のためにまとめておいた。

とにかく登っていけば道に迷うことなく道路に出る。

右側は谷だ。

何かが動いた。

私より低い場所でカケスが枝から枝に移っている。

私を警戒することがない無邪気な姿すぐに「かわいい」と口を付いて出た。

道路に出る寸前に「グクククー」と鳥が逃げた。

ヤマドリのオスだった。

道路に出ると今度はキジのオスが道路を渡り山側でキジのメスが茂みに隠れた。

結局30分間で登りきった。

今度は下る。

見覚えのある岩や大木であっても逆側から見ると確信をもてないこともあるので通り過ぎてから振り返り自分の記憶と照合した。

めったに見かけない形で根の盛り上がった箇所は間違いなく来た道であることを示す。

自信のあるところまで降りてくると心に余裕が生まれる。

道路と違って何故かシカやイノシシと遭遇する気がしない。

急斜面でズルッと一度だけ転びそうになったが後は安定して歩けた。

帰路は10分程度で戻れた。

これを獣だったら、その10分の1程度の時間で走ることが出来そうだと感じた。

我が家を通り越して下の道路も越えて気田川まで下りた。

昨日の雨でさすがにカラサワという名の沢であってもザーザーと水が流れていた。

この沢で水の通り道を作る「沢遊び」に少しの間興じた。

汗ばむ体に冷ややかな沢の水が夏のように心地よかった。

久々に午前様

2013-03-21 07:52:16 | Weblog
「いやあ楽しかった」

久々に午前になるまで呑んでいた。

午後7時から呑み始め気が付けば午前1時を回っていた。

約6時間呑み語ったわけだが全然足りない。

足りないのは時間で酒ではない。

急に彼から電話が入り「それでは」とすぐに店を予約した。

彼はメキシコシティで勤務していて今は実家に帰省しているのだ。

インドネシアからアフリカのマラウィに赴任し現在はメキシコだ。

勤務地での話や自宅のある千葉の話そして家族の話。

4人がそれぞれ思いつくままにしゃべるので話はあっちこっちに飛ぶが、それもまた楽しい。

1軒目の居酒屋が看板になってしまったので2軒目に移動した。

2軒目はギネスビール専門店だ。

薄暗い店内だが明るい話をした。

すでに生ビールと日本酒で胃袋を満たしたせいなのかギネスが、さほど苦くない。

食欲のみならずアルコール摂取欲も満たしたが、話したい欲求だけは時間切れとなり次の機会を待つことになった。

深夜の帰宅に麿チンは健気に起きて来てくれた。

明日は皆で寝坊しようと言って麿チンの今の寝床である押入れに送っていった。


夢が

2013-03-17 08:27:49 | Weblog
自宅近くを歩いていると、どこからか歌声が聞こえる。

橋の横に作られた歩行者用通路の反対側からやってくる少年の声だと分かった。

大きな声で歌っている。

顔を見るとダウン症であるらしい。

とにかく上機嫌のように見えた。

私とすれ違うその瞬間「夢が」という歌詞のところになった。

もう一度「夢が」と歌詞は繰り返されるらしく、その時私を指差して「夢が」とやった。

私と目が合った。

というより彼の右手の人差し指と私の目が合った。

至近距離で、ここまであからさまに指差されたことの記憶がない。

だが合っても私に何かを言いたかったわけではなかったようだ。

たぶん歌を教わった時に「夢が」の部分で誰かを指差したのだろうと想像した。

なおも大きな声で歌いながら通り過ぎる男の子。

夢はないがシアワセな私。

でも夢を持たなきゃと思った。

彼のおかげで夢を持てば今なら叶う気がするから。



挨拶は気持ちの表れ

2013-03-15 08:33:40 | Weblog
繁華街を歩いているとビルの中を車椅子が移動している。

私の歩みよりは、よほど早く移動している。

そのビルをよく知る私は、その行く手にドアがあり、それが自動で開かないことも知っている。

案の定車椅子はドアのところで止まっていた。

私は近寄り「開けましょうか?」という仕草をして見せた。

車椅子は中年の女性が乗っていた。

女性は「うん」と合図した。

私はガラス製の大きなドアを開け彼女を通した。

少し後ろから老年夫婦がやってくる。

そのまま締め切るわけにも行かずドアを開けたまま彼らを待った。

車椅子の女性は「ありがと」と言うやさっさと前に進んでいった。

老夫婦に「ついでにどーぞ」と笑いながら言うと「どうも」と言って笑顔でビルから出て行った。

車椅子の女性よりも後から出てきた老夫婦の方が、よほど感謝の気持ちが表れていた。

ドアを開ける行為は当然のことだ。

だが「ありがとう」の言葉をもう少し丁寧に言って欲しいと思うのは変か?

いろいろな人がいるからな。

たまたま車椅子を利用していたが車椅子とは無関係。

車椅子に乗っている、その人の問題だなと思う。

後味のあまり良くない出来事だったが老夫婦の笑顔で救われた。


乗りたいオートバイ

2013-03-14 07:34:23 | Weblog
最近久しぶりに「乗りたい」と」強く感じさせるオートバイと出逢った。

点検やら車検やらの用事で出入りする車屋さんのショールームに,ある日突然BMWのスクーターが4台展示されていた。

本で見たことはあったし実車が走っているのを遠くから一度だけ見たことがある。

それが目の前にあるのだ。

少し興奮気味になった私。

写真をあらゆる角度から撮る。

座らせてもらう。

「その赤にはシートヒーターとグリップヒーターも付いていますよ」

と私があこがれている部分を指摘する声が掛かった。

スクーターなのにシートベルトが付いている。

これなら安全度が増すのだろうか。

125CCだから別個に保険に加入しなくてもよい。

だが買えない家庭の事情は自分がイチバンよく分かっている。

貧乏な家庭に育った私は「あきらめる」ことの達人だ。

何の悔しさもなくあきらめることが出来る。

図書館に本を受け取りに歩いて出た。

ついでにお世話になっているオートバイ屋さんに立ち寄る。

店先に変わったオートバイが置いてある。

スネークモータースという所ジョージとビートたけしの関係する仮想会社が作ったオートバイだ。

形がすばらしい。

必要最小限の物で成り立ったオートバイこそ「乗りたい」という感覚を呼び起こすものはない。

「これでいいじゃん。これ最高じゃん」

必要最小限といっても一つ一つは、ちゃんと考えられ、おしゃれに作られている。

クラシックな感じがありレーサーの雰囲気も持つ。

好き者のオジンには、もってこいだ。

オートバイ屋さんに言った。

「本当は乗りたい。問題は一つだけ。ありがとうございました」

写真を撮らせてもらって散歩に戻った。

「いいね」とfacebookやmixiなどで自分の意思表示をする。

ただ「いいね」と言うだけの空しい記録。

その「いいね」と似た実際の「いいね」の感覚。

御殿場に行ってきた

2013-03-13 08:17:07 | Weblog
急に御殿場に行くことになった。

暇な私も少し戸惑う。

しかし気の置けない友人たちと顔を合わせるのに決断が遅くなることはない。

「行くよ」と答えて電話を置いた。

妻に話をした。

「行きたい」

妻も即答。

モーガンは車検のためベンツAで行く。

これなら妻も行きたくなるはずだ。

妻と妻の友人を御殿場駅で下ろし私は集合場所へ。

モーガン ジャガーEタイプ スーパー7 ユーノスロードスターそして私のベンツ。

太っちょで非力の私(の車)が皆と一緒に走れるわけがない。

一人だけ少し遅れて付いていく。

「面白くない」とつぶやき終始面白くない運転を続けて、ただ皆のあとに続く。

コーヒータイムをとり変わった車を扱う修理屋さんに立ち寄り、そしてランチする。

皆と一緒にいて皆とご飯を食べて。

「いいなぁ、この感じ」

それぞれに、それぞれの持ってきた話をする。

笑いあい、ときには馬鹿にして相手との距離を測る。

距離が近いことを実感して安心して次の話題に入っていく。

露天風呂でのんびりしゃべる。

裸の付き合いとなれば、もはや仲間との距離は全くない。

手がふやける。

風が出てきて雲が立ち込めてきた。

ぬるめの湯は出る時の判断が付かない。

ぬるい関係の私たち。

ぬるさの心地よさを熱く感じた。

雨が少し降ってきた。

私の車は雨でも関係なく快適だ。

だがなぜか私も雨に濡れたかった。

カラスはクロ

2013-03-08 09:18:15 | Weblog
カラスはクロ。

私が下した判断だ。

カラスは元々黒いが、そのことではない。

久々に暖かい日だった。

車検の近づいたモーガンを洗車していた。

カラスが2羽私の近くに舞い降りた。

見ていると道路に落ちているキャラメルを食べに来たようだ。

だまってしたいようにさせておいた。

裏の車庫に物を取りに行って戻ってくると我が家の敷地内から一羽が飛び立った。

水鉢の周りに水草が落ちているのは知っていた。

妻が腐った水草を水面から外し、あとで回収しようと思っていて忘れてしまった物と思っていた。

洗車を終えて車を裏の駐車場に移し拭いていた。

妻がやってきて「金魚がいないよ」と言う。

妻と一緒に玄関側に周り水鉢を見た。

先ほどよりも多くの水草が落ちていた。

「この水草どうしたの?」と聞く。

私は妻がやったものと思っていたと伝えた。

「私じゃないよ」と聞いて不振な行動を取るカラスがいたことを伝えた。

金魚は水鉢の底に置いた植木鉢の下から隠れていた一匹が見つかった。

水鉢の水位が下がり中に入っても溺れないことが分かっていたようだ。

妻は早速水の補給をし金魚の隠れ場所を作った。

その話を小学校一年生の光君に話した。

「見たの?」と聞かれた。

はっきり見てはいない自分に気が付いた。

「見てもいないのにカラスの仕業だと決め付けるのはどう?」と言われている気がした。

金魚は、よほど怖かったようで今も隠れたままだ。