家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

東京に行ってきた  の2

2010-06-30 06:41:33 | Weblog
渋谷ハチ公交番前で次男の嫁と合流した。

ライブ会場まで歩き始めた。

嫁が笑いながら私のサイフを渡してくれた。

青山通りを少し登って路地を入ったところに会場があった。

嫁はライブハウスの人たちとは顔なじみだった。

名古屋で次男たちのバンド演奏を聴いて以来のライブだった。

本日3回目のビールを飲んだ。

メンバーの顔には、その頃の子供っぽさは失せているように感じた。

演奏は確実に上手くなっていた。

狭い空間で聴く大音量の音楽。

眼球や前頭葉まで通して音が体内に沁み込むのを感じた。

ある音程のところでズンと共鳴するところがある。

一瞬失神するかと感じた。

何度も同じ感覚に襲われたから私に危ない周波数があるのだろうと思う。

揺れる女性たちのシルエットが見える。

音に支配され身を任す心地よさを感じているのだろう。

「音の切れ」「叫び」

ギターも充分打楽器だと感じる。

息子のドラムスは心を揺す振るエネルギーの震源地。

これ以上大きな音は身体が受け付けないほどの音量の中で脳はむしろ覚めていった。

静かに思考していた。

身体の自分と脳の自分の二人が交代で私を使っていた。

嫁も母親も息子がカッコイイと言った。

楽屋からタオルで顔を拭きながら息子が現われた。

冷めた表情は興奮の後だからか獲物に集中しすぎないオスの警戒なのか読み取れなかった。



東京に行ってきた   の1

2010-06-29 07:14:42 | Weblog
東名用賀から環八通りに出て息子のアパートに到着したのは予定時刻にピッタリの9時半であった。

車を置かせてもらって電車で築地市場駅に下りた。

築地場外市場で昼食にした。

やはり築地だから寿司それと昼間からビール。

美味しいよ。

でも市場という所は忙しなく働く場所だし、また観光客も多い。

列で並んでいる店を避けて入った寿司屋だったが私たちが入店するや否や混み始めて食べているときには既に店内の椅子で待つ客はおろか店の外に人が並び始めた。

そんな所で落ち着いて食事するなんてことは無理だ。

落ち着いて食べることは美味しいこと以上に自分にとって大切だということを痛感した。

市場というところは蒸し暑くて、いろいろな臭いに充ち、男たちがタバコをすいながら大声で話す。

忙しそうな人と暇そうな人その中を、いろいろな乗り物がかき分けて走る。

「混沌」を味わう場所か。

ホテルに行きチェックインできない時刻だったので荷物を預けた。

ここでサイフを車の中に置き忘れたことが判明した。

すぐに次男に電話を入れた。

サイフは、あとで渡すということになったが「車の屋根が開かない」と言われた。

少し不安になったが、たぶん故障ではないと思う。

先日の社会人大学で教わった吉原の昔ながらの道路区割りなどを見に行った。

地図や本を持たずに行ったが分かることは分かった。

今も男にとって大切な場所であるようだった。

吉原大門で見返り柳を撮った。

路線バスで雷門に行き、人ごみを避けて、そのままカッパ橋へ。

続いて都営バス(100円均一)で上野に行き車中で長男のメールを受けて夕食の予定を入
れた。

上野から池袋に移り妻の好きな東武デパートへ。

私は椅子を探して休養、妻は獲物を探しに猟に出かけた。

今夜は次男のバンドの出演するライブがある。

次男の嫁と渋谷で待ち合わせをしている。

その前に軽く夕食をとることにした。

明るいうちに2度目のビール。

今度はエビスの黒をブーツ型のグラスでいただいた。

ここも混んでいた。

「春野に行きたい」と感じた。

「静かになりたい」

自宅よりも春野であった。



東屋にも水

2010-06-25 08:05:58 | Weblog
東屋に水を引いた。

長く雨が降り続いたため農業用水路は水を遮断されていた。

沢の水量が多いときには沢から水路に泥や小石が流れ込む可能性が高いのだ。

雨が上がり久しぶりに水路に水が流された。

仕掛けは先週できていたが実際に水が出るのを見るのは、これが初めてだ。

敷地内に引いた筧よりも高低差が大きいので水圧が高いようだ。

全長50メートルとちょっとのホースの25メートル地点が最も低い。

この地点にホースとホースをつなぐジョイントを取り付けた。

ジョイントは水が出なくなったときに詰まりを探すためだ。

そこでホースから出てくる水は、ちょうど水道の蛇口を大きく開いたくらいの勢いがある。

残念ながらジョイントはホースよりも若干細くなっているため、ここで水の勢いは少し衰えることになる。

そこから更に25メートル以上引っ張り少し高度が上がるので勢いは再び落ちる。

だが筧に比べると全く違うと言っていいほど吐出量が多い。

流れ出てくる水を受けるために当初は池を造る予定でいた。

近くに鹿やイノシシのヌタバ(水や泥を浴びる場所)がある。

「ここもそうならない?」

という妻のアドヴァイスで池はやめて水瓶にした。

これなら獣たちは入ろうとしないと思う。

今まで東屋は使わずにいた。

ただ周りの草刈りをするのみで、どのように使ったらよいのか分からなかった。

だが水が来たおかげで、ここで弁当を広げたり読書をしたりという具体的な行動が見えてきた。

水があると、こんなに嬉しいものか。

水その物だけでなく発生する音や雰囲気も変わるからなのだろう。

とにかく嬉しい。

床にツバメの巣

2010-06-23 08:36:40 | Weblog
雨の止んでいる間にホームセンターに行った。

買い物を済ませて駐輪場に向けて歩いているとツバメが私の前を横切った。

目の前だったのでツバメを目で追った。

するとコンクリート床の上にダンボールが敷かれ、そこには3羽の子ツバメが居た。

床で子育てをするツバメを初めて見た。

その珍しい光景を写真に収めようと思った。

すると親ツバメが私の周りを飛び始めた。

私を警戒しているのだ。

こんなに多くの人の出入りがある場所に巣を作るほうが間違っているのだと思った。

だが親ツバメは私の周りを飛ぶ。

私はバッグからカメラを出して急いで写し早々に立ち去った。

「ネコでも来たらどうするのだろう」という心配が脳裏をよぎった。

だが考えてみるとホームセンターに巣を作ることは意外と頭の良いことかもしれないと思い始めた。

ダンボールが敷かれているということは従業員の誰かが気付き世話をしたということだ。

このホームセンターにはペットなども売っている。

その売り場担当者は、きっと動物好きに違いない。

彼らは当然ツバメの親子を守る行動をするであろう。

また、このホームセンターの周りにはネコを飼っているような住宅は見当たらない。

仮に猫が入り込んだら従業員に追い出されるであろうし猫の遊びたくなるような場所もない。

ヘビも居そうもない。

ツバメは、けっこう安心して巣を作ったのではないか。

ただ私のような者が、たまに写真を撮る程度のことはあるかもしれない。

しかし私が見た限りでは私のようにツバメに気付いた人は全く居なかった。

売り物に糞さえ落とさなかったら居心地は良さそうだ。




邪魔したね

2010-06-20 09:32:49 | Weblog
木の植え替えをしようとして穴を掘った。

掘り終えて水を入れていたら中で何か動くものが。

つまみ出してみるとイモリだった。

「何でこんなところにいるんだ?まさか、まだ越冬の続き?・・・・・・」

「普通に寝ていただけか」

開放する前に写真を撮らせてもらった。

赤に近いオレンジ色の腹。

その中に背中からの色が入り込む。

手がかわいい。

逃げよう逃げようとして動く。

「じゃ、さようなら」

地面に下ろして置いておくと、しばらくジットしていたが次に見たときには消えていた。

東屋に水を引く準備をしていた。

枯葉を掃きホースを引っ張った。

25メートルの長さのホースの先に行ったり元に戻ったり何度も繰り返した。

「あれ?」

今度はヒキガエルが居た。

「なんで邪魔するの?」といわんばかりの風情でコンクリート壁を見ている。

というより、どこも見ているわけではなくボーッとしている方向がコンクリート壁だったようだ。

私がカメラを向けても動かない。

一旦母屋に道具を取りに行って戻ると居なくなっていた。

やはり私が邪魔だったのだと思った。

邪魔ばかりする作業だった。


長井好弘 講師

2010-06-19 07:43:03 | Weblog
東京深川に生を受けた講師から落語と川柳を中心に江戸の話を聞いた。

江戸時代人々は毎日5合の飯を食ったそうだ。

朝食 炊きたてマンマに香香(こうこう)御御御汁(おみおつけ)

昼食 冷や飯に魚(主にイワシ)

夕食 残り飯を茶漬けで

今と比べると何とも貧相な食事内容に思える。

人間、こんなもんで充分生きていけるらしい。

でも日に5合の飯はきついかもしれない。

ウナギはぶつ切りにして串に刺し塩を振って焼く。

それが蒲の穂に似ているところから蒲焼と言われるようになったらしい。

これは油っこくて塩辛くってマズイのだそうだ。

でも滋養強壮のために喰った。

それを薬食いという。

今のウナギ蒲焼は、とても美味しいのでペロッと食べてしまう。

どうしても食べ過ぎてしまうわけだと感じた。

400年前 安楽庵策伝の醒睡笑という本が出た。これが落語のルーツ。

300年前 面白く話せる人に話をさせようということになり江戸 京都 大阪に生まれたのが落語家のルーツ。

200年前 その話の場所である寄せ(寄席)ができた。

100年前 名人が生まれて近代落語が完成された。

まとめてある話をテンポ良くされると「なるほど」と感心させられる。

これが2時間続いても、まったく飽きないし、もっと聴いていたくなった。

生きた話を聴いたが、これが粋ではないようだ。

さっぱりとして垢抜けしていたが粋には色気が入らなくてはいけないらしい。



新しい乗り物

2010-06-18 08:00:23 | Weblog
我が家に新しい乗り物が来た。

と言っても中古車だが。

マジェスティーを出した代わりに、これにした。

ジャイロキャノピーだ。

ピザ屋の配達に使われているのをよく目にする。

ただし私のは、ミニカー登録車だ。

これだと水色ナンバーが付き普通の原付とは区別される。

原付の時速30キロ制限や2段階右折が適用されないし、ヘルメット着用義務もない。

自賠責保険料は原付だから5年間で14070円だけ。

マジェスティーに乗って春野に行ったときバッテリーが弱っていてエンジンがかからなくなったことがある。

キックもないしオートマチックだから押し掛けもできない。

しかたなくY爺さんに来てもらった。

今度はキックがあるからバッテリーが弱っても大丈夫だ。

実際に乗ってみると前1輪 後2輪 の3輪車だから「ケッタイ」な動きをする。

2輪では考えられないほど寝かさないと曲がっていかない。

サイドカーとは違って左右対称だから、どちらかに舵を取られることはない。

さすがに原付だからパワーがない。

でも走り始めれば普通に走行するから交通の妨げにはならないようだ。

荷物の多い私は後にあるボックスが重宝だ。

鍵も掛けられるし。

当面磐田市に週2回ほど吹矢の練習に行くときに利用しようと思う。

ピザ屋のおにいちゃんはビュンビュン走っているがヤクルトおばさんも似たような物に乗っているから私でも乗りこなせるはずだ。

ちょっとした雨なら屋根とワイパーで何とかなるはずだ。

楽しみだ。


ウメノキゴケ

2010-06-17 09:15:55 | Weblog
知人が春野にやってきたときエゴノキを見て言った。

「ああ。これもやられてるなぁ。これは悪質のカビだから取らなくっちゃだめだよ。専用の薬があって掛ければ取れるよ。あぁ、あっちにも移ってる」

そう言われれば、あちらこちらに似たような物体がある。

私は心配になり早速帰宅して調べた。

カビ取り剤を調べていったが、それらしい物はない。

いろいろ調べていくと、どうやらウメノキゴケという物らしいことが分かった。

でも悪質なカビではない。

排気ガスに弱いところから大気汚染の指標にされている。

地衣類といって苔に似ているが植物ではなく菌類であるらしい。

むずかしいことは分からないが植物に寄生して、その養分を吸い取っているわけではない。

空気中から水分や養分を摂取しているようだ。

だから石の表面にも生えて生きていけるわけだ。

敷地のあちこちに在ることで不安になっていたが急に嬉しさに変わった。

妻に言ってみた。

「ウメノキゴケって知っているかい?」

「知っているよ。草木染めで使うやつでしょ?」

おや。そうなのかい。

再度調べなおした。

地衣染めとして出ていた。

ピンクや紫が出るらしい。

また盆栽などには風格を演出できるため珍重されているようだ。

カビ取り剤を掛けなくてよかった。

N爺

2010-06-16 07:29:01 | Weblog
N爺が1年ぶりでやって来た。

抗ガン剤治療を終えると「どうしても浜松に行く」の一点張りだったと奥さんは言う。

妻はガン患者に、どのようなものを食べさせたらいいのか心配した。

私は、どんな話をして、もてなしたらいいのか悩んだ。

東京のU氏に応援を頼んだ。

奥さんの運転で現われたN爺は、見たところ元気そうであった。

少し瘠せてはいるが、いつもの笑顔を見せてくれた。

N爺とU氏と私は、早速モーガンの話をした。

楽しくて大きな声を出して笑いあった。

妻の出した料理も箸が進み皆が驚き心配するほど食べた。

N爺の行きたがっていた春野にU氏のジャガーで行った。

翌日は私たち夫婦の毎月の予定である岩水寺フリーマーケットに連れて行った。

体力の衰えは仕方ないが病を忘れて行動できたと思う。

事前に「N爺はえらいなぁ。病気に負けていない。自分の道を失うことなく進んでいるなぁ」と考えていた。

死ぬことは誰でも同じ。

後か先かの違いだけだ。

そう心から思っているつもりだった。

だがいざN爺との別れが近づいていると感じ始めると少し涙が出た。

本番では本人を前にして冷静でいるフリをすることが出来た。

最後の旅先に我が家を選んでくれたことを光栄に感じている。

立ち去る前に助手席から「またお邪魔します」と言ってくれた。

約束は私たちのもてなしを誉めてくれたようにも感じられたしN爺に希望が湧いているようにもとれた。

何とか病の奴をやっつけてやりたい。

N爺が気弱になったころを見計らって愛媛を急襲してやろうと思っているところだ。



位田隆久講師

2010-06-11 08:36:21 | Weblog
少林寺拳法との出会いが位田隆久氏の一生を決めたと言った。

その出会い以後40年以上ずっと丸坊主にしているという。

私の息子たちも小学校入学以来数年間少林寺拳法を習った。

彼らの心にも位田氏ほど強烈ではないにしても入り込んだ思想があるのかもしれない。

相手と対戦するという武道を通して培った教えを伝えてくれた。


昨今絆(きずな)という言葉が使われるようになった。

それは人間関係が希薄になってきたからであろう。

ただ絆という言葉は「家畜をつなぎとめておく綱」のことであり、うっとうしいという感覚も持つ。

だから「間合い」という言葉に置き換えて使いたい。

近付き過ぎないで離れ過ぎない。

程よい距離を見つけて保つことが良い人間関係を育てる。

近付く間合いを学ぶのが夫婦関係。

離れていく間合いを学ぶのが親子関係。

なるほどと思う。

世間 空間 時間 そして人間

すべて 間 で成り立っているではないか。

私に当てはめて考えてみると、それは比較的うまく出来ているように思えた。

良い仲間に恵まれた私は本当にシアワセだと確信できた。