家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

酒飲みランチ

2011-01-31 07:00:52 | Weblog

良いことがあったので酒付きランチをすることにした。

 

寒い中を歩いて出かけた。

 

途中で酒蔵で催される個展を見て、ついでにトイレに寄った。

 

虎太郎君の絵が市の施設に展示されているので、それを見に行った。

 

その施設の近くでランチにした。

 

赤ワインをグラスでもらった。

 

料理はフレンチだった。

 

昼間の酒もいいものだ。

 

良いことについて乾杯しその話題で盛り上がった。

 

少し赤い顔をして街中の店をぶらつく。

 

手芸屋さんに付き合う。

 

デパートを見た後高架下のカフェでケーキとコーヒー。

 

まるでダイエットにはならない。

 

その後カナダ人の絵描きと駅前で話した。

 

少しの英単語とほとんどの日本語。

 

彼の話は効果音付きだ。

 

「私の息子日本語ジョーズ」親指を立てる。

 

「私の日本語 ウィーン」親指を下げる。

 

「天国に興味ありますか?ちょっとだけ?1ミリ?」

 

私のヒゲとハットを誉めてくれた。

 

歩いて帰宅した。

 

10時過ぎから5時までたくさん歩いた。

 

自宅でも「どぶろく」で再び乾杯した。

 

さすがに今夜の歩行は止めにした。

 

体重計には変化がなかった。

 

酒付きランチを定期的に行うことで意見が一致した。


炭の火

2011-01-30 07:48:23 | Weblog

姪の子供の虎太郎君が妻のピアノの教え子になってから、しばらくになる。

 

最近彼の弟である光君も来るようになった。

 

私が彼らの送り迎えをする「ジージ」だ。

 

虎太郎君がピアノのレッスンを受けているときに光君は私の部屋で遊んでいる。

 

手あぶり以外火の気を断った私の部屋は家の中では特別寒い。

 

屋外と同じ服を着て遊ぶ。

 

手あぶりの中の炭火に息を吹きかける。

 

もうもうと舞い上がる灰。

 

「もっとそっと吹かないと灰が舞い散るぞ」と言ってもまだ子供で息の加減ができない。

 

「火箸で掴み上げて吹けよ」と言った。

 

何度も掴むが落ちてしまう。

 

「出来ないよ。銀のギザギザのヤツ貸して」と言う。

 

火バサミのことであることは、すぐに分かった。

 

火箸は、それ自体が重くて子供の握力では使いにくいようだ。

 

火バサミを渡すと、それで炭を掴み上げフーフーと息を吹きかける。

 

パチパチッと火花が散る。

 

「センコ花火みたい」と喜んだ。

 

落としても火鉢の中という空中で炭火を扱うのは教えてもいないのにエライ。

 

炭の黒い部分が赤い火となるのが嬉しいようだ。

 

まだ火の放つ熱さは怖いらしい。

 

炭火の上に掌をかざし熱さを我慢する遊びは私と虎太郎君しかできない。

 

コントロールすれば火は役に立つ。

 

そんなことを教えたいわけじゃない。

 

単純に火は楽しいから。

 

子供がやりたがるから。

 

ちょい悪ジジイと思われる所以である。

 


婚外子

2011-01-29 07:27:12 | Weblog

婚外子が母方にいたらしい。

 

おじさんと母の話を聞いていた。

 

墓参りにいって来た、とおじさんが話している。

 

私は聞き耳を立てて運転していた。

 

母の祖父は役場務めをしていて、その連れ添いは寺子屋で教えていたそうだ。

 

その二人が恋愛の末養子になる形で婚姻した。

 

明治7年生まれの祖母の親は当然江戸時代の生まれ育ちだ。

 

おじさんの小学校の父兄会には、その祖母が来たそうだ。

 

「皆の親と違って後で見ているじゃねえだ。オレの横に座って教えるでぇ。先生なんか無視だよ。女だてらにキセルでタバコ吸って」

 

その人が産んで育てた子供達は、それぞれ個性的に育ったという。

 

その中に、つまり母の親の兄弟の中に、婚外子を産んだ人がいる。

 

母の親は長男なので百姓を継いだ。

 

そこに毎年集まって来るおじやおばたち。

 

夜の明けるまで議論をしていたそうな。

 

そこに嫁いだのが母の母つまり私の祖母だ。

 

自分の婚姻と期を同じくして嫁ぎ先の母の出産があった時代の嫁さんだ。

 

そして祖母より3歳上の小姑が婚外子を産んだというわけだ。

 

そうとう辛かったであろう祖母の生活は想像に難くない。

 

話を戻そう。

 

その婚外子は戦死したという。

 

現在の墓に名前がなかったらしい。

 

ひっそりと生まれ戦死して墓に名もないというと気の毒に思えるが実は彼の人生は楽しかったのだろうと想像する。

 

明治時代に婚外子を産む母親だから、きっと強い意志の人で、ものごとの本質を教えたに違いいない。

 

哲学のしっかりした人は苦しい中でも人生を楽しいものにしていったであろうと思うのだ。

 

それに引き換え戦争もなくバブルも経験した私の人生。

 

子孫達は私の評価をどのように下すのだろうか。

 

「能力はなかったがノウノウと楽しい人生を送ったようだ」

 

ぐらいかな。


大声の内緒話

2011-01-28 07:56:13 | Weblog

「男の道具がなぁ」

 

突然の言葉に「うっ」となったが男の道具とは、やはり男の道具のことであった。

 

88歳になるおじさんが私に話す。

 

耳が遠いため必然的に声も大きい。

 

いくぶん小声で言っているようにも取れた。

 

寒くて男の道具が小さくなっているということを言うのだが話の内容は全く別のことであった。

 

今日はオムツをしているとのことだ。

 

男女兼用のオムツを買ってあって、それを最近試しているという。

 

オシッコの切れが悪くて終わった後にも染み出すことがある。

 

それをオムツは吸い取ってくれる。

 

その吸い取った水分を感じさせないので快適だ。

 

肌触りもよく、この季節はパンツよりも暖かいそうだ。

 

臭いも消してくれるから安心感もある。

 

老人にとっては、ありがたい物だという。

 

ただしお金がかかる。

 

そんな内緒でなくても、おおっぴらに言えないことを教えてくれた。

 

私がオムツの世話になるのは、もう少し先の話であろうと高を括っているが、もしそうなったとしても安心して利用できそうだ。

 

おじさんの結婚式当日の写真を見せてもらった。

 

おばさんは面影があり、すぐに分かったがおじさんは顔が変わってしまっている。

 

「これは、おばさんの前の夫ですか?」

 

と言うと、ひときわ大きな声で笑った。

 

私の生まれる数年前の写真だった。

 


吹きこぼれた

2011-01-24 07:37:24 | Weblog

我慢に我慢を重ねた。

 

だがとうとう爆発。

 

あわててフキンで出口をふさいだ。

 

傍らの妻は、なすすべもなく見ている。

 

私は「ああー」と言いながら下からあふれ出る白い液体を飛ばさないようにする。

 

それでも湧き上がる液体はフキンをすり抜けて下に落ちた。

 

妻がボウルを持ってきた。

 

その中にボトルを置く。

 

吹きこぼれた濁り酒。

 

落ち着いたボトルを持ち上げてみると1合近くがあふれ出てしまった。

 

ボウルに溜まった濁り酒から飲んだ。

 

キャップを開けると、とたんに底からアワが湧き上がる。

 

アワと沈殿物と澄んだ液体が混ざり合いボトルの中は混沌としている。

 

キャップを開けては閉めるを続けた。

 

アワが落ち着くまでツマミを食べて待つ。

 

15分以上攻防を続けた直後の、ほんの少しの開栓での出来事だ。

 

知り合いのブログを見て飲みたくなった酒だ。

 

酒蔵のホームページを見て取扱店を探し電話して購入した。

 

妻のためだけでなく麿君も舐めるから家族皆で楽しんだ。

 


ウエイトのウエイト

2011-01-20 07:17:12 | Weblog

トレーニングの一つとして錘をつけている。

 

妻の買ったリストウエイトと息子が高校生の時に使用したアンクルウエイトだ。

 

息子のウエイトは旧式で足首にフィットしないため歩きにくく別の物を購入した。

 

リストウエイト1個が200g アンクルウエイト1個が350gの重さだ。

 

リストは腕の関節からアンクルも股関節から離れているため、たとえ重さが控えめだとしてもズッシリ感じる時もある。

 

朝の着替えの時に両方装着する。

 

夜あるいは作業するときには外す。

 

外すと腕も脚も、すこぶる軽く感じ思いのほか高く上がってしまう。

 

片側550g両側で1.1Kgは忘れているときが多い。

 

装着直後だけが「重い」と感じる。

 

体重としての1.1Kg程度は、つねに変動している。

 

体全体で受け持つため、あまり変動を感じないだけだ。

 

錘を外したとき身体に散りばめられた脂肪分の重さから解き放たれる喜びを味わうことが出来る。

 

たった1.1Kgされど1.1Kgと体が自覚する。

 

錘を装着したまま階段の上り下り、散歩、縄跳びなどを訓練として行っている。

 

現在体重は59.8Kgとついに60Kg代を割り込んだ。

 

これは35年ぶりだ。

 

だがその原因の中に占めるウエイトのウエイトは、どの程度か分からない。

 


雪と氷に変化した

2011-01-17 07:35:56 | Weblog

朝刊を取りに外に出ると玄関前の水鉢に氷が張っていた。

 

中の金魚は水草の下でジットしている。

 

昼過ぎになっても、まだ氷はそのままだった。

 

春野に向かった。

 

どの対向車のフロントにも雪がへばりついている。

 

ナンバーが全く読めない。

 

だが道路は湿っているだけで凍ってはいない。

 

いよいよ最終の山道に差し掛かる。

 

一旦停車の標識で停まる。

 

だが停まらない。

 

ズズーッとずれた所でやっと収まった。

 

少しバックしてハンドルを切り発進した。

 

多少滑るが何とか走り出す。

 

我が家に着いた。

 

雪に覆われていた。

 

車はスリップしてきっちりと車置き場に置けない。

 

一歩一歩気を張って歩く静かな世界。

 

「ギシッギシッ」

 

融ければ水なのに雪は乾燥した音を立てる。

 

「ジージッ」

 

こんな日なのにヤマガラがエサを求めてやってきた。

 

また雪が降り出した。

 

「帰れなくなりそう」

 

ヤマガラにエサをくれて急いで来た道を帰る。

 

自分の走った跡が白い道路に黒く付いている。

 

その黒い所にタイヤを入れて走る。

 

バックミラーを見ると、ほぼその通りに走ることが出来ていた。

 

気を抜けない道路。

 

鳥達が道路上に降りている。

 

キセキレイ ツグミ ルリビタキ ホオジロ。

 

私が近寄ると飛び立つ。

 

山も川も写真を撮っておきたい衝動が起きる。

 

だが雪道に慣れない浜松っ子。

 

恐々逃げ帰った。

 


生活の合格通知

2011-01-16 07:59:14 | Weblog

10月29日に受けにいった検診で「太りすぎ」を指摘された。

 

翌日から減量を始めた。

 

11月1日から記録を付け始めた。

 

検査結果を12月9日に聴きにいった。

 

それまでに1.5kg体重を落としていた。

 

医師から「循環器内科に掛かる必要があります」と言われた。

 

承知はしたが、その際に説明できるように血圧 体温 体重などと共に運動時間やその内容そして食べ物などの記録を追加することにした。

 

血液検査の結果計測された H の文字が生活を一変させた。

 

さて12月10日から取り始めたデータが約1ヶ月分溜まった。

 

循環器内科に行った。

 

1029日のデータを見て参考にできるところと全く参考にならないところがある。

 

憎たらしいことに血圧を測定すると144-100と安定して低いはずが、またまた高いのだった。

 

聴診器による心音の聴音そして心電図をとった。

 

一応異常なしだが少し不安材料が残ると説明を受けた。

 

翌日は自転車を漕いで、その際の心電図をとった。

 

上半身に心電図用の端子を貼り付けて機械を腰にベルト固定した。

 

自転車にまたがり医師と看護師の見守るところで計測開始となった。

 

まずは3分ウォーミングアップだ。

 

その間に血圧の計測をする。

 

3分が過ぎるとペダルに負荷がかかった。

 

少し重くなったが50という数字を目安にペダルの回転を続ける。

 

ピッピッピッと機械が秒単位で音を出し続ける。

 

その音の通りにペダルを回すと少し回転数が多すぎるようだ。

 

2分経過すると更に負荷が増えた。

 

なおも漕ぎ続ける。

 

血圧の測定が入る。

 

「血圧197-98です」

 

脈拍145という数字が画面に出ると機械が自動で運動をストップさせた。

 

「はい終わりです。お疲れさまでした。ベッドに横になってください」と看護師さん。

 

横になると心臓がバクバクしていることがわかり自然に深呼吸を繰り返した。

 

医師が心電図の波形を注視する。

 

心電図をプリントして計測は終了した。

 

次に心臓のエコー検査をした。

 

電極を両足首と右手首に着け胸にゼリーを塗って左を向いて寝転ぶ。

 

右側から医師が覆いかぶさるように位置して機械を当てる。

 

「はい終了です」

 

洋服を戻して医師の説明を聴いた。

 

「心電図の波形は心筋梗塞を起こすような形ですが、それは波形だけのことでありエコー検査で確認したところ動きも良いし問題ありません」ということだった。

 

また昨日採取した血液の結果も出ていた。

 

全ての項目が正常だった。

 

生活の合格証書をもらったようで嬉しかった。

 

このまま今の生活を続ければよいのだと思うとずいぶん気が楽になった。

 

たまたま今夜は休肝日ではない。

 

濁り酒で乾杯した。

 

その分体重は増加した。


無料の枝払い

2011-01-15 07:06:33 | Weblog

去年の9月のことだ。

 

私が春野の家に到着する寸前に一台の軽自動車を見つけた。

 

我が家の前を行ったり来たりしている。

 

何かをメモしているようだ。

 

「怪しい」と感じた。

 

私が庭にいると声を掛けてきた。

 

電線に差し障りのある木や枝を取り除く仕事の人だった。

 

全く怪しくなかった。

 

我が家のケヤキも電線に接触していて少し心配だったところだ。

 

先日電力会社に電話をしたら「ご自分で処理をお願いします」との答えだったので弱っていたところだ。

 

ケヤキの木は既に脚立では手に終えないほど成長してしまっていた。

 

この怪しくない御仁は「無料で伐採します」とのことだ。

 

私が飛びついたことは言うまでもない。

 

その後何も起きない日々が続いた。

 

シビレを切らした私が電話をすると

 

「書類を作成して回し、それからになります」とのことだった。

 

と、先日私が、またまた春野の家に到着する寸前。

 

それらしい作業員とクレーン付きトラックと普通トラックの3台が止まって作業していた。

 

やはり庭で作業していると、さきほどのクレーン付きトラックがやってきた。

 

我が家のケヤキを切りに来てくれたのだ。

 

クレーンを伸ばし電線を潜り抜け、また伸ばして更に器用に内側に回りこむ。

 

枝払いをするのに安全でやりやすい場所を瞬時に選ぶ。

 

カッコ良いし嬉しくて写真を何枚も撮った。

 

切り取った枝を下に落とすと別の作業員達がナタで細かく切って捨ててくれる。

 

慣れた人たちの作業は見ていて飽きない。

 

無駄がないしテキパキとしていて、それでいて落ちがない。

 

電線とは無関係の所も切ってくれた。

 

樹形を整える意味もあるのだろうが作業員の趣味もあるのかもしれない。

 

「これで終わったら形が良くない」というように職人的に見逃せないような。

 

あっというまに終了して次の場所に移動していった。

 

もう一箇所我が家の敷地内で切ってもらう場所があった。

 

道路にはみ出した枝が大型トラックの走行のたびに邪魔になるだろうなと困っていたところだ。

 

見に行ってみると崖から伸びていた木々が、きれいさっぱり切り取られ裁断されて我が家の敷地に捨てられてあった。

 

道路は何の障害もなく通行できるようになった。

 

明るくなった道路のように私の心も明るくなった。

 

遠くで作業員のチェーンソーの音が聞こえてきた。

 

「おー。次の所始まったな」

 

離れたところから応援した。


今年の10件2010

2011-01-13 07:21:30 | Weblog

毎年「今年の10件」というその年の主な出来事をあげている。

 

自分に対して強い影響力を与えたものと言い換えることができる。

 

例年人間関係が多い。

 

誰それと知り合ったとか、あるいは誰かが亡くなったなど。

 

ところが今回は私自身の身体に関係することが多かった。

 

もちろん次男が結婚したことにより我が姓を名乗る女性が家族となったことは、とてもありがたいことで同時に身が引き締まる思いだ。

 

しかし彼らは長年お付き合いをしていたし既に一緒に暮らしていたから届出をして正式になっただけだということもあってこれは2番だ。

 

我が身に起こることこそイチダイジという感覚を何度も強く持った。

 

10月末の健康診断でいろいろな悪い点を見つけた。

 

「寝耳に水」という状態で自分の生活について、いかに高を括っていたかということが判明した。

 

それにより生活はガラッと変わらざるを得なくなった。

 

①ダイエットにより5キロの減量に成功した。

 

最低週3日はアルコールを抜いている。

 

その他減塩 野菜料理中心 脂抜きを徹底している。

 

健康診断とは別に身体的に変わったのが左足の親指の爪だ。

 

③陥入爪(かんにゅうそう)が50年ぶりに治った。

 

小学校の低学年の時すでに学校近くの外科で診てもらった記憶がある。

 

それが突然完治したのだ。

 

地下足袋で山を歩き回ることが良かったのかもしれないと思っている。

 

長年爪切りと、その後のヤスリ掛けに気を使ってきたことが嘘のようだ。

 

50年経過していても新品交換してもらったようで嬉しい。

 

④それから、これも長い間患ってきた「咳」。

 

少し気温が下がると必ず出たのが今は出ない。

 

何がどうなっているのかちっとも分からない。

 

呼吸器内科を受診したこともあるが答えは出なかった。

 

呼吸法が大切な吹矢で冬の間困ることが多かった。

 

⑤また目には見えないが忘れ物が増えた。

 

ATMの上に現金の入った手帳を置き忘れたことは、まだ記憶に新しい。

 

最近老眼鏡の置き忘れもあった。

 

施設に届出したが実は春野に置き忘れてあった。

 

後日当該施設に行って「有りました。お騒がせしました」と言ってきた。

 

これは加齢による集中力の衰えだと思うが、そのせいにしてあきらめず「確認する」という行動で対処したい。

 

新しい経験も多々あったし予期せぬ事柄は、あちらからやってくる。

 

その時の対処方法によって人生が大きく変わろう。

 

ここに書けないことも含めて今は人生の修行中であることを痛感する。

 

2011年の「今年の10件」が素晴らしいものであることを期待して立ち向かう。