家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ハッサクは11個

2019-01-24 08:12:42 | Weblog
ハッサクは全部で11個なった。

私の口に入ったのは1個だけ。

あとは全部食べられた。

最初1個食べられていることに気がついた。

落ちていた1個を見つけたからだ。

その1個を拾って辺りを見回して食べられていることが発覚したのだ。

食べられなかった、その1個を自宅に持ち帰った。

しばらくして全てが喰われた。

サルが食べたという目撃証言があったから無銭飲食者をサルと特定した。

30匹ほどの集団がやってきて喰ったそうだ。

犯行現場は「人間じゃないの」と思われるほど上手に食べてある。

皮をむいて一つを剥がし取り実だけを食べてフクは捨ててある。

それがあちらこちらに散乱している。

木に腰掛けて食べたらしい場所。

下に見える川を見ながら食べたらしい場所。

全く隠れることなく空腹を満たすというより景色と味覚を楽しんだようにさえ見える。

「これはバンペイユが危ない。次にやられる」と思い全部採って持ち帰った。

全部といっても4個だけだが。

1個食べてみた。

妻が剥いてくれて実だけもらって口に入れた。

酸っぱいの何の。

思わず目をギュッと瞑る。

唾液だけでなく涙まで出た。

思い出しても唾液が出る。

バンペイユは皮から実までが厚いので、それでサルが敬遠したのかと考えていたが酸っぱいから食べようとしなかったのかもしれない、と思うようになった。


コナラの引き上げと玉切り

2019-01-19 13:15:34 | Weblog
去年末に切り倒したコナラを玉切りすることにした。

その前に別の木に引っかかって立ったままになった木を倒す。

倒れてはいるが半分以上中空に出ているものを切りやすいように地面上に引っ張る。

その二件をするのに利用する道具は、いただいた古いロープ、いただいた滑車、いただいた年代物の木枠の滑車、2000円程度で購入したハンドウインチだ。

もう3回試してみたが体中の筋肉痛を起こしただけで、うまくいかなかった。

4回目の試行で今度こそうまく出来た。

滑車とロープの使い方はyoutubeを参考にした。

滑車の作用については定滑車と動滑車があり、ちょうど2個の滑車があるのでそれでやるのだ。

だが机上の滑車の理論とは違って現場は、いろんな限定がある。

結論的に私が気づいたのは、滑車の留める位置や引っ張る方向そして、その為の手袋などつまらないことが重要だということだった。

薄手の手袋は細かな作業はしやすいがロープを引っ張ろうとすると手が痛くなる。

だから薄手と厚手の2種類の手袋を持っていく必要がある。

そんなことは滑車の理論ではないので机上では分からない。

滑車がうまく利用できるようになっても問題は起こる。

重すぎる木を少し切ると木全体の重さのバランスが変わり木が逆さまに落ちてしまったりする。

そのあたりは経験の無さがしみじみ感じられる。

ことの後になって「そうだよなぁ」と気づくのだ。

チェーンソーで切っている途中で木が下に移動してしまってチェーンソーが木に食ったまま中空に行ってしまうこともあった。

重さのバランスでチェーンソーが木に食われたように刃が木にめり込んだまま、ニッチモサッチモいかなくなること3回。

youtubeを見ていると失敗は少なくスムーズに成功した例が多い。

すると楽に終えたい私は「これ欲しいな」となり「これを買えば」とかの気持ちがムクムクと起き上がる。

だが「いや、今のままの道具だけでやる」と思い直し現場に向かう。

するとうまくいかなくて疲れただけで戻ってくる。

試行錯誤の結果はありがたいが同じ作業は、だいたい一年に1回だけ。

忘れた頃なのだ。

作業終了後すべての道具を持って急坂をズルズルと滑りながら20メートルほど登る。

何も為さなくても精一杯やった満足感だけは脳に刻まれる。



66歳になった

2019-01-09 07:58:45 | Weblog
66歳になった。

まだ11月末に亡くなった猫のことを引きずっている。

年賀状も出すのを止めてしまった。

猫だから喪中ハガキを出すまでもないが、それでも家族を失った感覚はある。

でもフォーレのレクイエムを聴いても泣かないから、かなり回復していることを実感する。

昨年は多くの親戚知人、また同級生が亡くなった。

というより年々増えている。

自分の年齢からすれば当たり前のことだが、その都度ショックがある。

昨年亡くなったのではないが友人の父親の洋服をたくさんいただいた。

着てみたら、なんとピッタリだった。

私のような特殊に近い体型の人がいたことに驚いた。

よく言われる「ズングリムックリ」。

ブレザー スーツ スリーピース 喪服 モーニング バーバリーのステンカラーのコート2着そしてウォーキングシューズ。

帽子だけは私のほうが頭が大きくて入らなかった。

帽子好きの私は残念でならない。

彼は私とは体型は似ているが、中身は違って東京大学卒で日本国のために働きイギリスに家族で住んでいた人だ。

そんな立派な人の物をいただけるなんて、ありがたい。

私も見かけだけは紳士になってしまった。

春野に木を切りに行くときにも生地と仕立ての良いブレザーを着ていっている。

到着してから作業着に着替えると本来の自分に戻る。

地下足袋を履いて山で作業をする。

スパイクの着いた地下足袋であってもズルッと滑る。

クタクタになって部屋に戻りスカっとした服に着替えて帰宅する。

何と幸せな生活であろうか。

おかげで具合の悪いところはない。

薬も飲まないし食事も美味しい。

過去を振り返って「あの頃は良かった」と思ったことがない。

現在がいちばん良いからだ。

43年連れ添った妻は今だに美しいし毎日が楽しい。

この先も失っていくものが増えていくことだろう。

だが当たり前のことに一喜一憂しないで生きていく。

泣くことはあるけど。