家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

大晦日にも春野

2008-12-31 16:37:21 | Weblog
大晦日にも春野に行ってきた。

長男は帰省しないが代わりに長男の同級生(女性)が遊びに来てくれて一緒に行った。

チェーンソーの使い方を手ほどきし杭打ちを体験させた。

落ち葉の林をガサガサ歩くだけで都会の汚れが浄化される気がして連れて歩く。

倒れそうに斜めになった木に登っていた。

川原で流木を拾った。

猪の足跡や鹿のフンを見せた。

何の役にも立たないかもしれない。

だが便利な都会にはない物だらけだ。

春野では至るところにある苔を大事そうに持って帰って行った。


餅つきコンサート

2008-12-31 08:44:25 | Weblog
友人が毎年開催してくれる餅つき会に参加してきた。

14家族で7臼搗いた。

搗いてみたら以前よりも自分の体力の向上していることが分かった。

回数も搗けるし交代してからの回復も早い。

「へっぴり腰じゃない」と妻から褒められた。

春野で野良仕事しているおかげだと実感した。

餅つきを終了して、今度は部屋の中でコンサートが始まった。

リコーダーとヴァイオリン2本そしてヴィオラダガンバが1本。

テレマンやバッハなどお馴染みの曲だった。

適度な疲れと腹具合それに薪ストーブの暖かみが加わって、とても癒された。

友人の人徳で集った人たちとは、やはり馬が合う。

杉の雨

2008-12-27 09:41:29 | Weblog
あと数100メートルで春野の我が家というところで徐行運転を余儀なくされた。

道路一面に枯れた杉の葉や枝が落ちているのだ。

葉は踏ん付けても構わないが枝は床下に挟がるかもしれない。

ガサガサ バキバキ 音を立てながら家に辿り着いた。

家の中に居たら突然突風が吹き荒れた。

風速20メートルくらいだろうか。

杉の枯葉が空中を舞いまわり屋根にバラバラと落下した。

10秒から20秒程度だったと思う。

カメラを取り出しているうちに治まった。

杉は常緑樹というが、このようにして古い枝を落とすことによって新陳代謝しているのだなと理解した。

from  タンス to タンス

2008-12-23 09:26:27 | Weblog
タンスが1さお増えたのに伴ってタンス本体と中身の移動が必要になった。

夕食を終えてからの作業と相成った。

本体の移動の前に引き出しを外す。

引き出しの無くなったタンスは軽くなり移動が楽だ。

妻は妻で私は私で中身の整理やら処分をする。

部屋中に中身が散乱し掃除機が音を立てる。

分別しながらゴミを捨て中身をこちらからあちらのタンスに移す。

麿君も何かお手伝いしたくて引き出しの中に入ってみる。

匂いをかいでくれるが、それだけで満足げだ。

「ねえ。こんなの出てきた」と妻の寄り道。

私はVHSテープの処分を担当した。

TV番組を録画したものが多い。

10時で今日の部は終了した。

晩酌以外にもう一度乾杯した。

足立典正氏個展

2008-12-22 10:16:04 | Weblog
足立典正氏のアトリエで開かれている個展に行ってきた。

今回は奥様の文章に典正氏が絵を付ける形での合作が中心になっていた。

奥様の思い出が綴られていて、それを読むと自分のことではないにもかかわらず涙が出てきそうになった。

典正氏の暖かい絵が、よけいに郷愁や哀愁をそそるのだろう。

彼らとは結婚の経緯が似ていることや家との出会いが似ていることが判明した。

話してみないと分からないものだ。

もっとじっくり話そうということを約してお別れしてきた。

来年1月5日の彼らの結婚記念日に足立典正氏のホームページが立ち上がるというので、それも楽しみにしている。

パーティーマスク

2008-12-17 11:48:47 | Weblog
吹き矢の忘年会があった。

会長から幹事に指名されていた。

ビンゴの用紙を100円ショップに買いに行った。

パーティーグッズのあたりを物色していると面白そうな物があった。

パーティー用のマスクだ。

アヒル パンダ コアラ ペンギン の4種類を購入した。

さて当日会場で私はパンダのパーティーマスクを被って集金してみた。

すると会長がやって来て

「どうした?頭を怪我した?」と言われた。

なるほど顔にすっぽり包帯を巻いているようにも見える。

これはまずいと思い次にアヒルのパーティーマスクに被りなおした。

次にやってきたおばさんが「あらー。タヌキ?」

絶句してパーティーマスクを脱いで集金した。


音色は人を捉える

2008-12-14 15:54:04 | Weblog
短期居候していたヴァイオリニストのヒナはコンサート出演を終えて帰っていった。

コンサート会場を前日に見に行った時のこと。

ホール管理人が楽屋からホールの裏側を案内してくれた。

ヒナは舞台に乗るとすぐに手を叩いて歩いた。

お払いや呪いの類ではない。

音の反響を調べているのだ。

「ちょっと音を出させていただいても良いですか?」と伺いを立てると

「いいですよ」との答え。

早速ケースからヴァイオリンを取り出した。

私は音の響きの違いをみるため客席に移り前席から後の席まで移動して聴く。

ヒナは音階をザッと弾いた後和音を出してみた。

不完全ではあったが響きと立ち位置の関係がある程度つかめた。

帰ろうとすると管理人が

「いいもんですねえ」と感激を口にする。

柔らかくて艶やかな生ヴァイオリンの音色が、この管理人たる中年男性の心を瞬時に捉えていたことを知った。

音楽ではない段階でも、すでに人の心は喜びの反応をする。

音楽家がなぜ身を粉にして練習に打ち込むのか、その答えを少しだけ垣間見られたような気がする。

松井冬子展

2008-12-12 09:29:09 | Weblog

平野美術館で催されている松井冬子展に行ってきた。

 

遠州森町の出身の東京芸大で日本画を学び博士号を取得した女性だ。

 

絵を見て解説を読む。

 

解説は、まるで医学書ばりの細かな説明書きのようだ。

 

解説を読んでから、もう一度絵を見ると解剖図に見えてくる。

 

表面は内側の表れでもある半面、内面を隠すためのものでもある。

 

そこを開いて見せているかのようだ。

 

それは精神という最も分かり辛いものも曝け出そうとする。

 

普段見えないものに焦点を当てて描くと表面の事実が分かる。

 

死臭のするような絵を描くのにとても美人。

 

想像以上に大きいそのギャップが印象を深くする。

 

「この美人が、なぜこのようなものに興味があるのだ」という要らんことを考えるのは私以外にも多いと思う。

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短期居候

2008-12-10 13:35:33 | Weblog
短期居候が居る。

ヴァイオリニストのヒナ。

他人が家庭に入るということは、お互いのスケジュールが変更され制約を受ける。

だがプラス面が多いから歓迎だ。

麿君も滞在を許したようだし。

娘のいない我々夫婦には特に嬉しい出来事だ。

さっそく妻は代理母を楽しんでいる。

夜駅まで迎えに行くのは、代理父の役割。

会話も楽しいしヴァイオリンの音が我が家の隅々にまで響き渡るのも心地よい。

部屋に急に入れない。

トイレを開け放してしない。

自分の家でありながら気を使っている私。

不便が楽しい。


ヤマドリ

2008-12-09 09:18:19 | Weblog
Y爺さんがやってきた。

「キジが死んでいる。どこも傷がないから剥製にしたらどうだ?」と言う。

「写真に収めるだけにします」と言って見に行った。

口からわずかに血が出た形跡があった他はきれいなものだった。

ガラスに衝突して即死したのかと想像した。

曲がって固まった首が、その証拠に思えた。

キジではなくヤマドリの雄だった。

美しいまま亡くなることは、ある面望ましい形かもしれない。

ただそれを望むこと自体が自然を冒涜している気もする。