家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

麿チン

2006-01-30 16:54:03 | Weblog
前回常滑の猫を載せたが、その写真を見ていると我が家の麿チンにそっくりだと分かった。写真では一番左側の猫。この猫たち大中小に分かれています。左が小。中2匹が中。右が大。年齢は左1歳。中2匹3歳。右5歳といったところかな。右が左3匹を生んだ親。残りは兄弟だと現場で断定しました。

今回は我が家の麿チン。
テーブルの上で妻がビーズ作業をしている。使っているテグスが気になってしかたがない場面。

名刺

2006-01-23 11:59:58 | Weblog
新しい名刺を作成した。
無職になってから名刺は不必要だと思い持っていなかった。
しかし1昨年の12月に友人から、ある有名人であり偉人を紹介してもらった。
彼はカロッツェリアを経営する人物だ。
名刺交換になった。
私は名刺をいただいたが彼には私を覚えていて欲しかったにもかかわらず私からは渡すものがなくて困った。
無職でも名刺は必要なのだと実感した。

自分で無料の名刺作成ソフトをダウンロードして使い、少数しか作らず、何度でも作り替えようということにした。

「名刺に職業が無くてもいいじゃないかな」ということで
肩書きを 家訓は「遊」 として食堂で撮った私の写真も入れて作ってみた。
今いちピンとこないまま使っていた。
いざ渡してみると職業が書かれてないので相手から「で、何をされているのですか?」という結局は職業を聞かれる質問が出てしまい、この肩書きではだめだと思った。

次に肩書きを 愛妻家 として作ってみた。
これには妻が反対した。妻と一緒に居るときに愛妻家という名刺を渡されると恥ずかしくて仕方がないというのだ。
しかしこの 愛妻家 という肩書きは効果絶大であった。
「おお、こう書きますか」とか「ええ、こんなこと書くの、恥ずかしくもなく」などと一発で私を覚えてくれた。これは受け取った相手方が愛妻家であるかどうかという自問に矛先が向くため職業を聞かれることもなく話が進む。

今回作ったのは私の所有する車に乗っているところの写真を使おうと思っている。
めずらしいオープンカーなので話はそちらに向くと思われるが、金持ち風に見られたり、ただの自慢と勘違いされたら嫌なので、ひょっとしたら短命に終わるかもしれない。


テーブルに乗った猫

2006-01-22 11:06:54 | Weblog
テーブルの上に猫が乗っている

普通は「食事するところに猫が上がるなんて、とんでもない」となりそうである。
事実我が家も当初は「テーブルの上に上がってはいけません」と躾をしていた。
しかし突然その掟を止めた。

1 夜中にはテーブルから飛び降りる音がしている
2 テーブルの上に足跡が着いている
3 麿君は家の中でだけ生活しているから外の汚れは拾ってこない
4 テーブルの上の物を食べようとしない
5 猫かわいがりをしようと思った(猫は自立させることを目的とした子育てとは違う)
6 全てOKにしてしまうと気が楽になる

等の理由で私は妻に許すことを進言した。ついに認められて晴れて麿君はテーブルに堂々と乗ることが出来るようになった。

しかし今でも妻は人が来たりすると「あなたは、ここに乗らないの」などと言って麿君を下に下ろす。また食事の支度をしている時麿君が匂いを嗅いでいると「止めなさい」と言って下に下ろす。一部許せないところとか他人を不快にさせてはいけない思うところがあるのだろう。

私はテーブルに乗っている麿君を見るのが好きだ。
テーブルの上にあるメダカの入った水槽の水を飲んでいるときメダカも嬉しそうに泳ぎ回る。
妻の読んでいる新聞の上にゴロンと横になり、ちょうど読んでいた部分を隠してしまう。
私の飲もうとしている酒類の匂いを嗅ぎにくる時コップを差し出して匂いを嗅がせる。
すると呑みもしないのに舌をペロペロとやって「ごちそうさま」みたいにして去っていく。
妻の縫い物用の小物をテーブルから落とす。

どれをとっても安らぎを覚える。

あぁ かわいい。

私の膝

2006-01-21 17:37:44 | Weblog
幼い頃ステテコ姿でくつろぐ父のあぐらの中に入りたかった。
気難しくて気分やの父は、なかなか入れてくれなかった。見かねた母が父に頼むのだが、それでも父のあぐらには入れなかった。
少しファザコンの私の辛い記憶である。

私も人の親になり、その欲求は、あぐらに入れることで満たされていった。
長男が入り、次男が入り、カイザーが入った。
あぐらに子どもや犬を入れてみて、とても安らぎを覚えるのであった。
入れている私が。
子どものぬくもりが伝わり、呼吸が分かり、重さを感じ、声が振動する。

今麿君が私の膝に乗りたがる。
椅子で生活をしている私は左足を曲げて「半分あぐら」状態を作り、その中に入れる。
朝ストーブが点いているのに私の膝に来る。
妻の外出が分かると私の膝に来る。私を確保しておこうと思っているらしい。
夜私の膝で丸くなって真剣に眠り、その後自分の寝床にノソノソと引き上げていく。

完全に警戒心を解いている動物が自分と接していると私の親としての男としての大人としての存在が確認できる気がする。

なぜ父は、この幸せを拒否したのか、余計に理解できなくなった。



条件反射

2006-01-19 16:47:09 | Weblog
もうかれこれ25年ほど前になるが犬を飼った。
ミニチュアシュナウザー犬のメス。名前はカイザー。
私はカイザーを呼び寄せるとき指をパチンと鳴らして教えた。カイザーはほどなく、その合図を覚えた。家の中で「パチン」と鳴らせば、
どこからともなく出てきて私に飛びついてくる。

やがてその「パチン」はカイザーだけでなく家族4人皆の合図となった。
書店で、そろそろ帰ろうかという時「パチン」と鳴れば皆見ていた本をサッと置いて集合する。


先日妻とイオンに買い物に行った。
3階からエスカレーターを下っているとき2階の「無印」に居る妻を見つけた。
店頭にあるシャツを広げて見ていた。
とっさに指をパチンと鳴らしてみた。距離が相当離れているので、どうかと思ったが
妻は気になる音を聴いたようなそぶりを見せた。
もう一度「パチン」
明らかに聴こえたという仕草で妻は音の出所を探している。
更に「パチン」
とうとう音の出所を突き止めた。
エスカレーターを下っている私を見つけて不満そうな顔をした。
「おう」と言って私は妻のところに行った。
「私ゃ犬か?情けないよ、あの音に反射してしまうことが」と妻が言う。

カイザーが亡くなってからもう10年になる。今飼っている猫には、この「パチン」は通用しないが妻には有効であった。

お宝 本編

2006-01-14 11:04:12 | Weblog
昭和9年。私が生まれる約20年前。
ウィキペディアによればアメリカで「ボニーとクライド」が警官隊の待ち伏せで銃殺されたとある。日本では美智子皇后、藤子不二雄A、石原裕次郎、が生まれた。 
その年の教科書が出てきた。
私の母方の祖母の甥にあたる人物の本だ。

タイトルは 實業學校新修身教科書
吾等は望みどほり・・・・・。これを思ひ・・・・。発達してゐる。
などの仮名遣いが気になるが何とか読めることは読める。
内容はともかく。

昭和13年 新制国語讀本
むずかしそうだ。

尋常小學圖画 第一學年児童用 
これは、あまりにも稚拙すぎる絵で面白くない。

新制三角 伊能忠敬の写真から始まる。三角法だ。sin cos tan これらの記号を見ただけで「ついていけない」と条件反射する。

The CHOICE READERS は英語の教科書。これは辞書を引きながらなら理解しやすそうだ。

やれそうなのが外国語というのが情けない。

興味深いのは落書き。
当時のことだから戦闘機の絵が描いてあったり敵味方に分かれて戦いの陣地が描いてあったりする。

また保護者が和紙に墨書きで「足凍傷につき下駄の使用を許可願いたい」という書付が入っていたりする。当時は下駄を履くのも大変だったようだ。

つくづく今の時代で良かったなと実感する。

私の使った教科書は全く残っていない。


お宝 焼物編

2006-01-13 10:10:49 | Weblog
知り合いの骨董屋で江戸時代の蕎麦猪口を1つ買ったのがきっかけで焼物が大好きになってしまった。以来積極的に買い集めていた。もう20年以上になる。

ところが、こんなこと有るのだろうか。友人からごっそりと貰い受けることになった。
友人宅では全く使用する気は無いという。もちろん奥様も、承知だ。

染付けの大皿中皿小皿、馬の目皿、湯のみ茶碗、などなど。

私の車に無理やり積み込んだ。乗用車に乗せるのはリスクが高い。シートは平らじゃないし、中は狭いしドアは中途半端にしか開かないし。
絶対割れないようにそうっと運転した。

15分ほどのところにある自宅に帰るのに、うまい具合に青信号が続き。昼時で道路が空いていて右左折時に止まりそうな速度になっても何ら支障はなかった。
木箱に入れられた焼物は新聞紙や広告用紙で包まれていたようだ。しかしゴキブリが、その紙を食べたようで粉々になったそれらの紙片がクモの巣やゴキブリの卵と一緒に入っていた。
掃除機でゴミを吸い取ってから台所のシンクに入れ、お湯で洗う。
ある程度力を入れて洗わないと汚れが落ちない。もう手が痛くなるほど洗った。

気に入った物もそうでない物も有る。

約150枚有った。

お宝 木編

2006-01-12 13:37:29 | Weblog
縁戚の友人宅の物置を解体することになった。
母方の祖母の実家である。
その家は河口に近い水田地帯で昔は半農半漁だったという。去年までは農家だったが友人の父親が亡くなり不要になったのだ。
「何でも欲しい物は全部持っていって」と言われて物色した。

ワラの山をどけて。肥料の袋をどけて。発泡スチロールの容器をどけて。

野良猫と出会った。逃げるでもなくニャーと、か細く鳴いている。
ヘビも出そうだ。

物を一つどけると大量の埃が舞い上がる。

「あるある宝の山だ」
田舟、臼、杵、各種桶、魚釣り用の餌箱、水筒、釣竿、ムシロ、大八車の車輪と胴体、農機具などなど。
彼所有の軽トラックに積み込み2回運び込んだ。

さすがに、かなりの年月を経過しているだけあって虫が喰っている。割れている。
腐っている。タガが外れている。

しかし、それぞれが何とも「いい味」を出している。

屋号が焼印されている。手で触る部分がつるつるになっている。よく使った部分が削り取れている。

今年は少しづつきれいにしたり、手直しをしたり、柿渋を塗ったりして自宅に飾ったり使用したりするつもりだ。

とりあえず水筒といわれている桶は中に炭を入れてトイレに消臭剤代わりとしてかけておいた。

誕生日

2006-01-09 17:41:57 | Weblog


妻と浜名湖を見ながらランチした。湖面は静かで細かな波を見ていると視線が岸まで押し流されてしまう。船はほとんど往来していない。
カモメが1羽だけ水に潜ったり飛んだりしていた。

「あれも変わり者なのかしら」と妻が私に言う。
「・・・・・・・・」
今日は変わり者の53回目の誕生日。
食後海岸に下りて散歩した。潮の香りが心地よい。昨日までの寒さとは打って変わって暖かい。
「あなたを生んだ日は寒かった」と今日の朝78歳になる母からメールをもらった。
心も暖かくなっていた。

今年も良い年になりそうな予感。
もう既に二つも三つも良いことが起きた。何か違うぞ今年。