家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

孫がやって来た

2024-07-29 11:10:29 | Weblog

本当は25日に妻が連れに行き一緒に戻ってくる予定だった。

だが予期せぬ発熱で来られなくなった。

仕方なく妻は当日のみ有効の新幹線に乗って横浜に遊びに行ってきた。

さて翌日親に連れられて行った病院では扁桃腺の腫れによる発熱とのこと。

孫が通い始めた剣道場での練習と、その後の先輩たちの試合を見ていて道場の冷気にやられてしまったらしい。

さて27日は一人だけで新幹線に乗ってやって来るのだ。

新横浜の駅まではお父さんが重い荷物を運び本人を乗せてくれた。

その連絡が我々に届いたら我々は動き出した。

駅前の駐車場に車を置きホームに迎えに出るためのチケットを購入して待つ。

少しでもホームに近づきたくて改札から入る。

だが暑い中で1時間も待ちきれずクーラーの効く部屋に入って大相撲を見て過ごす。

相撲が頭に入ってこないことには驚いた。

その内にお母さんから「停電らしいですよ」という連絡が。

「駅にいるけど何もアナウンスが無いよ」と返事をした。

ずいぶん経ってから「停電による遅れが5分ある」ということが判明した。

駅に居れば何でも一番先に分かるいう時代ではなく職場を出られない人が一番早く情報を手にしたという時代なのだと感じた。

ホームのアナウンスでは「どこそこの停電によって5分程度の遅れが生じているが列車は今どの辺りを通過している」とお知らせしてくれる。

最終的には5分遅れできっちりやって来た。

10号車のドア窓には孫の姿があった。

ドアが開くと同時に孫が出てきた。重い荷物はグリーン車の客室乗務員が持ってきてくれた。

孫は、おばあちゃんに抱き着き涙を流して孤独からのそして極度の緊張状態からの解放を受け取った。

さて妻は私と二人だけの生活での妻の役割から母性本能をむき出しにしたおばあちゃんに変身した。

それを見ていた私にも男の守りたい欲のホルモンがレッドゾーンにまで達する勢いで全身を駆け巡っていたに違いない。

平常血圧に戻った3人は駅で少し買い物をして自宅に戻ってきた。

我々の立てた計画に高い気温を加味して無理のない緩やかな生活を送る予定だ。

猫は居ないし、よく言うことを聴く子供一人が加わっただけなのだから、と思うが我々の老化現象を忘れていた。

足手まとい位の行動が、この気候の時期にはちょうど良いのではないかと思う。


足の不調

2024-07-26 16:10:22 | Weblog

左足のかかと辺りが痛い。

少し前からの傾向で歩き初めに、かかと辺りが吊る感じがあるが歩き始めれば即座に消える。

2022年の6月から毎日1万歩を目指してきた。

今年になって4月からは春野に行く度に現地を1万歩くことにした。

5月からは少し暑くなってきたので作業の前に歩き、その後作業するようになった。

現地は坂が多いから平地の1万歩とは違う。

6月からは暑すぎて自宅の散歩は早朝にした。

だが早朝に歩ききることはないので午後から続きの歩きを始める。

すると1万歩どころか2万歩に近くなることも増えた。

7月から1万歩の歩行はやめた。

Youtubeで調べると、どうやらアキレス腱炎であるらしい。

その夜からかかとを冷やし、なるべく歩かないようにした。

今まで1万歩を義務としてきたのに今度は歩かないことを義務化した。

それでも7000歩くらいはすぐに歩いてしまう。

「いかんいかん。これじゃあ何にもならない」と思い直し「絶対歩かないように」と誓う。

少しずつ歩かないことに慣れてきた。

すると心なしか左足のかかとが軽く感じられるようになってきた。

「おおこれならすぐに治るかもしれない」と感じた矢先今度は右足の足の平に痛い箇所が出てきた。

アキレス腱炎と同じかかとの骨に腱が繋がっているが、それは指の方向からのもので足底鍵盤炎だ。

冷やす箇所が左足かかとに加えて右足の平も増えた。

歩くのを止めるとあちこちガタが来るような気がする。

だが今が正念場だと思ってじっと耐える。

歩こうと思えば歩ける段階なので、そこが危うい。

性根を入れて涼しい場所でビデオを見たりビールを呑んだりしようと思う。

 


ガス台交換

2024-07-13 16:37:45 | Weblog

妻の長年気になっていたガス台の交換を済ませた。

元々はシステムキッチンだったのだがガスレンジだけ不具合が出た。

それだけでシステム全体を交換するほどのお金はない。

で配管屋の友人にガスレンジの部分だけを切り取ってもらった。

切り取られた空き部分にガス台を入れ込んだ。

それを何年も使っていたのだが、またその交換時期が来たというわけだ。

どれも同じような形で同じような機能だし値段もほぼ同じ。

気にしたのはガス台の幅だ。

システムを切り取った幅が60㎝。

今まで使っていたガス台が56㎝。

その差4㎝は木材でスペースを埋めておいた。

今回は出来るだけ同じ幅がいいと思っていたので59㎝の物を選んだ。

今回スペーサーは要らない。

だがピッタリではないのでアルミテープでガス台とキッチンを貼り着けておいた。

こうしておけば物や汚れが下に落ちにくい。

古いガス台を外した時にも少し汚れが落ちて固まっていた。

ガス台交換には配管はない。

所定の場所に設置したら新しいガス管を繋ぐだけ。

後はもう妻に引き渡し、そこから出来てくる物をいただくだけだ。

 


春野の草刈り

2024-07-09 09:16:32 | Weblog

この時期の昼間に草刈りをしたと言うと驚く人がいるかもしれない。

史上初の高温を記録しただとか、こんな場所でこの気温だとかTVではうるさいぐらいに報道するから。

そんなもん承知しているよと言いたい。

草は雨が降り日が照れば大きく育つ。

草が木になってしまわない内に刈り取るしか対処法はない。

妻の提案で午後から春野に行こう、ということになった。

午後2時半を回るとグッと気温が下がり作業しやすくなる。

私の住む住宅地では、その時刻は酷暑であるし、もっと気温は上がり続ける。

だから想像しにくいかもしれないが春野では作業しやすい時刻になっているのだ。

それでももちろん自分の年齢の事も考慮するし水分補給は絶やさないし一人での作業は控えている。

作業の前に偶然地域住民が遊びに来た。

「今から作業する」というと、「今からならいいな。俺は午前から今までだった。もうシャワー入りてぇ」と答えた。

現場に降りて行った。

すると妻が「あれ聞こえる?」と問う。

私の聞こえにくくなった聴力を気に掛けてくれる。

「アカショウビンだな」さほど遠くない場所でさえずっている。

独特の声のおかげで良いスタートが切れた。

作業は1時間で終わった。

私が刈り払い機で草を切り倒した後、妻が熊手で刈り取られた草をどけていく。

畦畔なので隣の地主も使うことがある。

その人から「草を刈ったらうちの敷地に捨ててくれ」と言われている。

お互いにうまく歩けるようになっていたほうが得策なのだ。

草むらを隠れ場所とする獣に対する処置でもあるから後回しにはできない。

ここが住宅地と大きく違うところだ。

私は刈り払い機を持って妻は熊手を持って急坂を50m登り家に戻る。

途中一旦休憩が必要な時もある。

キレイになった満足感と、苦しい坂登りの終わった達成感と軽い疲労感がやってくる。

登り切った私が妻の持っている熊手の柄を持って妻を引き上げようとしたら妻は熊手を私に渡した。

「意味ないじゃん。俺がこの柄で引っ張り上げようと思ったのに」と言って二人で笑った。


またまた便座交換

2024-07-07 16:00:34 | Weblog

前回の便座交換の後7月の3日に不燃物ゴミとして前便座を捨てた。

少し心配だったので写真を撮っておいた。

確かに自治体が持ち去ってくれたらしく午後にはゴミ集積場は空になっていた。

それを確認したので次の便座を発注した。

次は1階の便座も交換するのだ。

もう慣れたものでダンボールを開けると、どのように梱包されているのかも分かっている。

で、替える古いほうも見てあるので、不安は一切ない。

今度は狭くない所に右手が十分使えるように設置されているし便座の固定用ボルトも普通に見えている。

急ぐことはないので9時過ぎに手を付けた。

水道の元栓は閉めることをせずに便器の手前の栓を閉めるだけで行った。

途中で妻から「水道使ってもいいの?」と質問が来たので「いいよ」と答えた。

こちらの問題は、というより何故替えなくてはいけなかったのかということなのだ。

随分以前から便座本体からグリースのような物体が流れ出ていたのだ。

これが何でどのように使われていたのかは分からない。

外していくと、やはりグリースで便座が便器とべったり貼り付いていた。

便座を持ち無理やり剝がしてみると厚さのあるグリースがへばり付いていた。

これをスクレーパーで剥がし残りはアセトンで拭い取った。

さてこれで問題は解決した。

あとは組み立てていくだけだ。

気温は30度を優に超えているのでトイレの窓を開けドアを開けて固定し、外から扇風機の風を流し込みながらの作業だ。

作業を終了しても、さすがに感動は少ないが、それでも達成感は充分にあった。

妻からの感謝も以前と同じほどもらった。

機械音痴の方が感動も、より大きいらしい。

今度は捨て方も分かっている。

何から何まで楽ちんだ。