家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ふたりだけの法事

2010-11-30 06:58:26 | Weblog

義母の命日が来た。

 

法事とは仏教の儀式であり無宗教である私には関係がない。

 

だが家族の命日がくると何か、それらしいことをしたくなる。

 

だいたいは墓参りと会食が定番だ。

 

誰と一緒にするかということが次に関係してくる。

 

電話をくれた妻の幼なじみもいたし分かっていても参加できない息子たちのこともある。

 

妻と私の二人だけで行った。

 

義母の最期はシアワセだったであろうという話。

 

感情的で子供好きユーモアがあって利己的で動物嫌い。

 

義母にまつわる独特の話題は尽きない。

 

弱ってから連れて行った緑化センターにも最近訪れた。

 

近所のファミリーレストランで二人だけの会食をした。

 

ダイエット中であったが今夜だけは思う存分飲んで食べた。

 

義母が入院したら家中を走り回って喜んだ麿君にも報告した。

 

私達がシアワセであれば義母の希望は叶えられることを知っている。

 

それだけは自信を持って報告できた。

 

義母の葬儀を終えた直後から始めたブログ。

 

当初の日記にも義母のことが何度か出ている。

 

まだ一緒に生活しているのである。

 


遠州森町 町並みと蔵展

2010-11-28 07:28:59 | Weblog

遠州森町の「町並みと蔵展」に行ってきた。

 

見慣れた町並みに今日は店が並んでいる。

 

知り合いも焼き芋を売ったり竹とんぼを売ったりしていた。

 

残念ながら道路は車を遮断できないので時おり通る生活者たちの車が邪魔だった。

 

私の興味は蔵や狭い路地。

 

つまり昔ながらの森町の風情。

 

妻は古布であったり食べ物であったり。

 

友人とすれ違った。

 

民族衣装的な洋服を着ていたので

 

「どちらの国の方?」と言うと

 

「そちらも、どこの国の方?」と言い返された。

 

蔵の有る家が、あちらこちらに点在している。

 

麹屋や和菓子屋がありコンビニがない。

 

神社につながる整備された路地。

 

やっているかどうか分からない建具屋。

 

ブラリと寄れる、お寺さん。

 

朽ち果てそうな家の隣には庭木まで手入れの行き届いた豪邸。

 

路地の彼方に見える太田川の堤防。

 

それらの混在する町。

 

やはり自分の足で見て歩くというのは軽い疲れも手伝って気分が良い。

 

昼食には出店の韓国料理でトッポッキとチヂミそして焼き芋とトン汁。

 

通りに椅子を出して食べている私たちを見て

 

「いやぁ美味しそう」と言うおばちゃん。

 

隣の店で古布を見ていたお姉さんが小声で

 

「お腹すいた」と言った。

 

森町という名前だが森は見当たらない。

 

暖かな日の、のどかな田舎の普段着の賑わいだ。

 

今日の活気は森町の、その昔の賑わいと比べたら、どうなのだろうか。

 


職人願望

2010-11-25 06:57:31 | Weblog

「これで作業は終了です」

 

森林組合の作業員が私に告げに来た。

 

「ご苦労さまでした。ありがとうございました。無事でなによりでした」と礼を述べた。

 

その後質問してみた。

 

「チェンソーの目立ては、どの程度でやります?」

 

答えは非常に感覚的なものであってマニュアルに書いてあるような使用時間などは全く無関係だった。

 

また砥ぎ方も作業員は皆千差万別でやっているという。

 

砥ぎの仕上がりは左手の親指に刃を刺してみて決めるという。

 

私の期待していた参考になるような答えはなかった。

 

「私も新品の時の状態を覚えておいて切れなくなったら砥ぐというようにすればいいと思うんだけど、なかなか新品の状態を覚えておけなくて」と言う私に

 

「新品は切れないという感覚です自分は。新品は、まず砥いでから使います」というので次元の違いに恐れ入ってしまった。

 

たまたま彼は以前の職業として、我が家の電気と水道の配管に携わったらしい。

 

この家を建てた大工さんは男として尊敬に値するのだという。

 

「自分も職人になりたいと思います。5年や10年やっても、まだひよっこで、まずは20年はやらないと・・・。切り倒す木が思った方向に倒れなかったときは、その夜悔しくて眠れないほどです。翌日こそは、きっと良い仕事をしようと思う」と恥を披露するような照れ笑いをする。

 

しかしそれは希望に満ちた笑顔であり、その気質の高さを感じさせた。

 

仕事中には気難しそうで話しかけられないほどのオーラを放っていた青年は聞けば私の息子よりも年下だ。

 

私は春野に於いて自然の良さや恐さを53歳になって知った。

 

というより自分という動物が自然の一員であることをこの歳にして知ったのだ。

 

彼は春野に生まれ育ち、それらの感覚を、その歳で既に充分知っている。

 

ある意味大先輩と話すような感覚であった。

 

「何かあったら連絡ください」と言って住所氏名電話番号を書いてくれた。

 

彼の言葉に重みを感じた。

 

子供の頃から何かを作ることが遊びであった彼と何かが欲しければ買ってきた私の差は大きい。

 

「子供が生まれたら春野で育てたい」と言った彼の気持ちが今は充分に分かる。


たちばな

2010-11-24 07:02:17 | Weblog

間伐をしている森林組合の作業員が我が山を見て「きれいにしてるじゃん」と独り言を言った。

 

私は聞き逃さなかった。

 

それは私の作業への賛辞にほかならない。

 

去年から今年の冬の間ひとり山に入って下草刈りと雑木切りをしたからだ。

 

1000坪に及ぶ下草刈り作業だった。

 

今度は道路下の林を間伐する。

 

もう一度きれいに下草刈りと雑木切りをしておこうと思った。

 

そうすれば作業員が安全に楽に作業できる。

 

傾斜に足を取られながらも草刈り機を動かしていた。

 

イノシシの集団が、この一帯の土を掘り起こしていったため滑るというよりズルズルと崩れる。

 

「あれ!」

 

ミカンがなっているではないか。

 

林の中で日の光もまばらにしか当たらない場所なのに。

 

これは切り倒すのは止めた。

 

写真を撮っておいた。

 

特徴から見て、たぶん野生のタチバナであると思う。

 

酸味が強く食用に向かないがマーマレードなどの加工品にはなると書かれていた。

 

嬉しかった。

 

サルやイノシシや鹿にやられないで残っているのだから。

 

タチバナという木の名前は知っていたがミカンの類だとは知らなかった。

 

だが説明を読んで、なるほどと思った。

 

だいたいカンキツルイという言葉の中のキツとは橘(タチバナ)と書くではないか。

 

苗を買ってきて植えて実を収穫するという過程が当たり前のことになっている昨今。

 

野生で残っているということにも感謝だ。

 

まるで自然からのプレゼントだ。

 

私からのプレゼントは日差しだ。

 

間伐によって、もっと日が当たるようになるはずだ。

 

もっと伸び伸び育ち多くの実を付けてほしいと思う。

 


焼きイモで涙

2010-11-23 06:56:23 | Weblog

母の妹(おばさん)を見舞いに行った。

 

母の兄(おじさん)が焼き芋を作って持っていった。

 

私が母と、おじさんを迎えに行ったときには、まだ出来上がっていなかった。

 

「お待たせ」と言って出てきたときには湯気が上がっていた。

 

それを持っていったのだ。

 

おばさんの部屋に入ると出来立ての焼き芋の良い香が部屋に充満した。

 

さっそく皆でいただいた。

 

おばさんは「お嫁さんが作ってくれたの?」と聞く。

 

「そうじゃないよ。兄さんが作ってくれただよ」と母が説明する。

 

おばさんは私の顔を見て涙が流れる合図をした。

 

私に遠慮しなくても普通に涙を流せばいいのにと思った。

 

涙を我慢させていると思うと申し訳なく思った。

 

掘りたての芋で焼き立てなのだからホクホクで美味しい。

 

「栗みたいで美味しい」と私が言うと

 

「まずい栗ぐれーのことはあるな」とおじさんは答えた。

 

兄と妹二人の会話が始まる。

 

オムツの話 大小便の話 物忘れの話

 

どれも私が聞いておきたい話題だ。

 

話題が、そんなんで私に申し訳ないと言う。

 

「明日は我が身だから勉強になるよ」

 

と言うと困った場合のことや辛かったときの話を続けた。

 

耳の遠いおじさんに質問するときには隣に座る私が通訳のように大きな声で伝える。

 

すると的確な答えが返ってくる。

 

頭の冴えた人たちだから聞いていても飽きることはない。

 

施設の昼食の時刻が近づいて部屋を出た。

 

私が、おばさんの車椅子を押した。

 

廊下を思い切り速く走ってみた。

 

「恐い怖い」と言うので止めた。

 

「嘘だよ」と言われた。

 

食卓に車椅子をセットするとき隣に歩行器で歩く女性がいた。

 

私が椅子を移動していると話しかけてきた。

 

話しながら、おばさんをテーブルに着かせていると名前を聞かれた。

 

「○○と申します」と言うと

 

「何かとお願いすることが、あるかもしれませんがよろしくお願いします」と言う。

 

「はい。分かりました」と答えた。

 

そんなたわいない会話が好きだ。

 


はるの産業祭り

2010-11-22 06:44:02 | Weblog

はるの産業祭りに行った。

 

気田川の河川敷に特設された駐車場に車を止める。

 

川原を走ってくる車の巻き上げる埃を避けながら会場に入った。

 

会場は本部前広場とテントに分かれている。

 

広場には何故かオートレース用のオートバイが並んでいた。

 

浜松市と合併したのだから変ではないが「山あいの春野にオートレース」とは違和感が残った。

 

テントは毎年同じ顔ぶれで珍しさに欠ける。

 

恒例行事として少し飽きた感覚が湧いてきた。

 

まだ10時だったが急に空腹を覚えて、とても早い昼食にした。

 

焼きアマゴ 焼き鳥 焼きサトイモ そして寿司。

 

食べているときスピーカーから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

政治家は、こういう機会を見逃さない。

 

市長、市議会議員、国会議員たちの売名行為としての祭りは成功だ。

 

舞台では子供たちによる太鼓が披露されていた。

 

まばらな観客の横には健康相談コーナーが設けられていた。

 

血圧測定をしている。

 

今測ったら高いだろうなと自分の不機嫌を推測した。

 

もっと何か斬新なアイデアがないものか。

 

気田川はカヌーや鮎つりで有名なのだから、それを活かす。

 

カヌークラブが会員募集することでもいいし川原でのデモンストレーションもいいだろう。

 

狩猟関係も街では見られないから、それを見せる。

 

猟銃を展示したり猟師たちの装束も見てみたい。

 

彼らに質問することだってあるだろうに。

 

かろうじて鹿の角を売っていたが、とても地味だった。

 

鮎つりグッズも高いものは数十万円すると聞いた。

 

ぜひ見てみたいものだと思う。

 

定年退職した若いお爺さんたちが、たくさん来ているのだから彼らにアピールしたらどうなの。

 

薪ストーブの良さもイマイチ伝わりにくい。

 

地球環境が叫ばれている中もっと力を入れなよ。

 

食い物にありつき野菜や果物を購入して、さっさとお暇した。

 

一緒に見て回った友人たちに申し訳ないような気持ちになった。

 

晴天で暖かく気田川は澄んでいる。

 

私の心は曇り。


間伐 その2

2010-11-21 07:51:35 | Weblog

対象範囲が決まり二人の作業員は別れて、それぞれの区域で伐採に入った。

 

チェーンソーの音が静かな村に響き渡る。

 

片方を見に行ってみた。

 

道路や電線が邪魔になって思うように倒せないようだ。

 

それでも倒す方向を指差したり実際に移動してみたりして慎重に進める。

 

木にロープを巻きつける。

 

そのロープを縄跳びの後回りをするときのように両手で上に上げる。

 

するとロープは今までよりも高い位置に留まる。

 

それを繰り返して3メーター以上も上に留めた。

 

根元付近を予め切ってあるので、後はロープを引いて、そちら側に倒す。

 

たいして太くない木であったが、それでも倒れると長い。

 

あわや道路に、はみ出るかとヒヤッとした。

 

若い作業員は熱くなったようで腕をまくった。

 

腕には木の根のような静脈がクッキリと何本も見えた。

 

やがて、もう片方の作業員がやってきた。

 

そちらも電線や道路が邪魔になって思うように切り倒せないようだ。

 

午後からは二人で作業していた。

 

1人がチェーンソーを担当し、もう1人がチルホールという器具で引っ張る。

 

倒れる方向を確実に決めないと惨事を招く。

 

連携作業は見事なものだった。

 

片方の作業を見つつ自分の作業を進める。

 

ボワ ブォー ブォーン ブォーンとチェーンソーのエンジン吹け上がりを確認して木を切り始める。

 

まるで豆腐に包丁を入れているかのようにチェーンソーが食い込んでいく。

 

ただ木の切れ端が粉となって吹き出てくる。

 

ギシギシギシ とチルホールでワイヤーを絞る。

 

木は バキッ と音を立てて亀裂が走る。

 

チェーンソー担当者は具合を見て高回転で回る刃を押し当てる。

 

そしてワイヤーが引かれる。

 

木に角度が付き上部が他の木と接触し始め枝と枝がパチパチという音を立てて折れ合う。

 

根元が バキバキ メリメリ と発しながら木は倒れていく。

 

一瞬の静けさの後ドドーンと着地する。

 

着地後少し飛び跳ねた木は地面に静かに横たわる。

 

上から千切れた枝や葉がパラパラと降り注ぐ。

 

危なくない所で見ている私にも地響きが伝わってくる。

 

しばらくすると製材所の前を通ると匂う、あの木の香しい香りが漂ってきた。

 

私は家に戻り部屋の中から危険と隣り合わせの豪快な仕事の無事を祈った。

 

キンキン カンカン コンコン コーンコーン とクサビを打ち込む音が聞こえてきた。

 

クサビの音は次第に低くなり打ち込む速度もゆっくりになる。

 

やがてバキバキ ドドーンという音になる。

 

間伐によって我が家の山が明るくなり残った木々や草が活き活きと生長することができる。

 

倒された木がもったいないことに放置されるだけだ。

 

それをどうにか使うことを考える。

 

それが今後の私の目標だ。

 


間伐 その1

2010-11-20 07:13:21 | Weblog

森林組合が間伐に来てくれた。

 

820 気温3度 吐く息が白く空中に漂う。

 

私が敷地を案内する。

 

前所有者が一度間伐を行ってあるので森林組合担当者は私よりも敷地内をよく知っている。

 

地境には杭が打ち込まれている以外には境の木に標が描いてある。

 

杉の木の皮をむき、そこに標を入れる。

 

皮をむいた反対側が自分の地所だという標になっている。

 

それらが見つけにくいこともある。

 

木に付けられた標が経年変化で読み取りにくくなってしまうのだ。

 

すると近くの切り株をみて「この木はこちら側に倒してあるから」ということや、この木とこの木は何年生だとか現場で参考になるいくつかの要因を証にして境を見つけていく。

 

道なき道を行く。

 

登りは私もなんとか付いていけるが下りは全く付いていけない。

 

なんと鹿の道をそのまま下りていく。

 

鹿もすごいが人間もたいしたものだ。

 

私も所有者としてついて行くしかない。

 

ズルズルと滑りながらおっかなびっくり下りる。

 

フリースを着た上に更に作業用のベストを着ていたので熱くなって汗が出た。

 

目印としてピンクのテープを木に巻きつけていくので、どこからどのように我が家の所有地なのかが、はっきり分かる。

 

飛び地もあり所有地の中に他人の土地が在ったりで、境の確認にたっぷり2時間近くもかかった。

 

プロットと呼ばれる枠をブルーのテープで作成した。

 

20メートル四方の枠だ。

 

それが基準となって何割間引いたかが算定される。

 

出発地点に戻り、打ち合わせをしてた。

 

呼吸困難になりそうな私を尻目に作業員たちは余裕のタバコをふかして聞く。

 

私は「写真を撮らせていただきます」と言っておいた。

 

監督が「充分に気をつけるように」と指示した。

 

それぞれの持ち場に散っていった。

 


我が家の紅葉

2010-11-19 06:59:36 | Weblog

春野の我が家の彩がイチバン鮮やかになる季節になった。

 

濃い赤 薄い赤 黄色 茶色 黄緑 緑一色だったのが嘘のようだ。

 

暑かった時期を越えて葉を落としきる前の一時期の祭典だ。

 

樹木によって差があり同じ種類でも個体差があり一本の木でも場所の差がある。

 

今年生えた小さな苗木も真っ赤に燃え、相当な樹齢の大木も色が付く。

 

ヒメシャラ  ヤマボウシ  ハナミズキ   イタヤメイゲツ   モミジ   ケヤキ   カシワバアジサイ  ナンキンハゼ  ブナ  コナラ  ツタ 

 

時おり持って帰りたいほど見事な赤色も見つける。

 

どれもこれも素晴らしい個性だ。

 

早いものは落葉も、し始めている。

 

庭一杯にそして道路にも散らかる落ち葉をほったらかして、それを楽しむ。

 

堆積し始めた落ち葉も、これはこれで楽しめる。

 

地面を彩るのだ。

 

グレーだった舗装道路も濃い赤 薄い赤 黄色 茶色 黄緑。

 

踏めばガリガリと硬い音を発する。

 

広葉樹が寝静まる時は、もうすぐだ。

 


笑いながら独り言

2010-11-17 06:59:12 | Weblog

ドラッグストアーに行った。

 

妻とは別行動で春野で必要なインスタント味噌汁を探した。

 

それらしい売り場で専用台に乗って棚の上に商品を陳列していた店員のおばちゃんに聞いた。

 

「インスタント味噌汁はありますか?」

 

「はい。ちょうどこの裏側になります」

 

私は裏側に移動して、よく似た商品の中から目当ての物を探した。

 

「ふりかけ」「スープの素」読まなければ中身が分からない商品の多いこと。

 

「もっと右です」

 

突然棚の裏側から声が聞こえた。

 

さきほどのおばちゃんが棚の隙間から私を見て誘導してくれたのだ。

 

私は、おばちゃんの言うように左に移動して探した。

 

すると「もっと右です」と再び言う。

 

もっと左に移動した。

 

見当たらない。

 

「お客様から見て右です」と言う。

 

「あそう。私から見て右ね」

 

右に移動した。

 

「ありましたか?」  「見つかりましたか?」

 

「ちょっと待ってね」

 

と言って矢継ぎ早に聞いてくるおばちゃんの親切心を笑いながら商品を探している所に妻がやってきた。

 

「何しゃべっているの?笑いながら」

 

私の行動が、どう見ても変だ。

 

独り言にしては声が大きい。

 

誰もいない棚の前で笑っている。

 

少しおかしくなったと勘違いするのも当然だ。

 

「あっ、ありました。ありがとう」と言うと

 

「はい。ありがとうございました」と棚の反対側から声が届いた。

 

「ああ。向こう側と話していたのね」と妻も納得した。