家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

月に二度の旅行

2024-05-31 08:38:23 | Weblog

以前乗っていた車のクラブ旅行に参加した。

もう手放して1年以上経過したが仲間として遠慮なく入っていく。

私の車を購入してくれた人も参加している。

久しぶりに元の私の車と出会い買主と話す。

「これどういう風に使う?」

「これをこういう形でここを留めてこういう具合に使用します」

「おおさすがオーナー」

買主としては一年のオーナーだが25年のオーナー歴の私に敬意を表してくれる。

朝皆がまだ寝ている時刻から起き出し、朝風呂を済ませ散歩に出る。

奥飛騨温泉郷は少し肌寒く気持ちがいい。

旅館前の道を何があるのかも知らずにただ下ってみた。

帰路は上り坂だぞと思いながらただ好奇心のままに下る。

写真を撮るのは標識や看板そして植物などだ。

散歩途中の犬に好かれて寄ってくる犬を撫でさせてもらうのはいつも通りだ。

その2週間後妻と旅行に出た。

オクシズの「うつろぎ」という店で「さび定食」を食べた。

ゴーゴーと豊富で透明な、たぶん冷たいであろう水が流れる横で食べる。

水の音が大きすぎて話声が聞こえないほどだ。

さて小春荘に到着したのは4時頃だ。

5時半からの夕食は食べきれないほどの魚介類。

今日だけはアルコールは控えめにして食べるほうに集中する。

満腹でそのまま部屋にこもるのはもったいないので散歩に出た。

堂ヶ島を散歩したことはあったが夕焼け時に歩いたことはなかった。

海に浮かぶ島の後ろの空が少し赤いだけでも気分というものは良い方向に急速に変化するものだ。

歩いて住宅街を宿の方向に移動すると仁科港があり船が何艘も停泊している。

その脇を1メーター程のエイが泳いでいる。

追いかけて写真や動画を撮るのだが、なかなかうまく撮れない。

だが大興奮は収まらない。

波よけの門を抜け路地を歩いて宿まで戻る。

翌朝7時半の朝食の前の6時25分のラヂオ体操に間に合わせて散歩から戻る。

チェックアウトしてからは枯野公園や安城岬ふれあい公園を歩き道の駅天城越えで踊り子歩道を30分歩いて今日も1万歩達成だ。

妻は自宅の空っぽになった冷蔵庫に収める物を買うために、これから作る梅干しを買うために安価な梅を探し出してご満悦だ。

イソヒヨドリのさえずりが私の遠くなった耳に何度も届き嬉しかった。


散歩の途中は夢の途中

2024-05-15 10:52:41 | Weblog

最近散歩の途中で楽しい思いを何度かした。

まずはヤギ。

幼稚園で飼っているヤギだが毎回草を食んでいる。

だが今朝見た時には草の中に突っ伏して居眠りしていた。

まだ朝なのにうたた寝している。

それはそれで私には幸せ感が押し寄せてきた。

次はイヌだ。

犬の散歩など珍しくはないがプードルらしいその犬はサングラスをしているのだ。

水中眼鏡のようにゴムで後頭部に留めてある。

なかなかよく似合うし嫌がらない。

写真を撮っているときは大人しかったが撮り終えて立ち上がったら吠えられた。

あれでも撮影中はポーズをとっていたのだろう。

今朝は別の犬だ。

たまに私と遊んでくれる犬で黒いチワワだ。

どうも遠くから見てそうだと思ったが、やはりそうだった。

堤防の上でカメと遭遇したようだ。

持ち主によれば初遭遇らしい。

しばらく大人しくしていた亀はイヌにどれだけ吠えられようとお構いなしに行きたい方向に動き始めた。

私が散歩を継続させても、しばらくは吠え付く声が響いていた。

あれだけ亀に集中して吠え、近づいたり遠のいたり、たまに私を気にしたりすれば体中の細胞が活き活きするのではないかな。

たぶん今日の昼寝は長く深いものになるだろうな。

散歩のついでに金融機関に寄って、いつもと違う道で帰ろうとしたとき、ツタに覆われた家を見た。

何年掛かってここまでの姿になったのだろう。

このツタのおかげで真夏でも涼しいのではないかな、でもひょっとするとムッとした空気が家中に充ちているのかもしれない。

昆虫などはどうなのだろう空き家らしいから、そこら中に巣を作り生活しているのだろうな。

ネズミや蜂、ゴキブリやヘビなど人間の不得手な動物たちも多く居そうだな。

朝から私の頭の中は夢の中のように次から次へ想像が浮かぶ。

ほんのちょっとしたことで幸せになれるものだなぁ。

 


古いタンスに新しい引き手

2024-05-01 17:35:01 | Weblog

我が家の家宝と言っても良いぐらいのタンスを持っている。

長さは一間半という尺で、メートル法でいうと一間が180㎝だから、それに半つまり90㎝を足すと270㎝の長さになる。

種類は水屋ということなので食器棚である。

上下が二つに分かれる仕組みになっているので巨大に見えても窓からスイっと入った記憶がある。

それは引き戸や引き出しを全て外しておけば軽い物だ。

材質はケヤキで上に漆を塗って在り鋲が打ち込んである。

元は京都の老舗料亭に在ったものだと骨董屋さんから聞いている。

私の手元に来てからだけでも38年になる。

購入した時点でも100年経っていると聞いている。

最近引き戸の取手が剥がれ始めて邪魔で仕方がなかった。

そして多分当時は在ったはずの引き戸の取手が一つ無くなっている。

それらを直そうと思った。

剝がれかけた取手を見ると以前にもその兆候があったようで一部を釘で打ち付けてあった。

「じゃあ元のように素晴らしい細工にしなくてもいいや」と単純に即決した。

まずは紙で取手をサイズ通りに作ってみた。

簡単にできた。

それを金属で作るには、と考えるとできるだけ薄い金属にしようと思った。

今までの物と同じ銅を使うことにした。

銅は柔らかい金属で、しかも極薄い物を使用したのでカッターで何度も擦って切った。

内側になる物は少し長めに切って先端を折り曲げて外側と接着した。

半田ではなく接着剤だ。

そしてこともあろうに木の扉に接着した。

少しでも浮いていると引き違いの扉に接触してしまうから浮かせられない。

そして見た目がよくて細かな細工が要らないから。

本来はもっと厚い金属を使い半田で留めて一ヶ所の釘穴を作ってそこに釘を打ち込むらしい。

そうすれば他の扉の邪魔にはならないし見た目も美しい。

さて出来上がってみると銅板らしくピカピカなのだ。

長年使いこんだくすんだ色になるまで相当な時間が必要だ。

だがそれもまた良しとする。

丸一日接着のために扉を2枚外しておいたのだが、そうしておくとネコのマロ君が中に入ってしまうと亡くなっても、まだなお気が気ではなかった。