家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

秋田は遠い

2015-07-30 15:24:13 | Weblog
春野からの帰り道突然ダッシュボードの中に赤いランプが点灯し同時にアラーム音が鳴った。

道路脇の危なくない場所に車を停めた。

警告は「タイヤの空気圧」を確かめろということだった。

車から出てタイヤを目視で確認した。

どのタイヤも空気は入っていて空気圧の低下が見て取れるものはなかった。

無事帰宅した翌朝後ろの右側のタイヤの空気が明らかに減っていた。

自分で適正圧まで空気を入れて近所のオートバックスにパンク修理に持ち込んだ。

修理スタッフから声がかかった。

「釘などが見つからなくて、まさかと思ってこの砕石を外してみたらシューッて。一応修理はしましたので近場乗りでしたら問題ないと思います」とのことだった。

冗談じゃない。

来週秋田まで走るのだ。

そのタイヤ1本だけは新品と交換した。

秋田に行くには、いろいろな行き方がある。

だが今回は川崎で一人拾うため東名高速を選ばざるを得ない。

そして首都高速を通過して東北自動車道を選ぶのが最適のようだ。

普段渋滞に慣れない私が東京の軽い渋滞にハマった。

川崎で拾った人は都内をトラックで何度も走っていて首都高の渋滞など気にもしていない。

上機嫌で喋り続ける。

そして右側が入り口になっている大橋ジャンクションについても教えてくれない。

大急ぎで右側車線に変更した。

大橋ジャンクションを超えナガーイ長いトンネルの中で多くの車がスピードを出して走ると閉所恐怖症になるんじゃないかと怖い思いがした。

まだガソリンの残量は随分在ったが早めに補充することにした。

鶴巣PAで入れた。

645Km走行し41.33L入ったのでリッターあたり15.6Km走ったことになる。

帰路東北自動車道で追い越し車線を時速120キロで走行中再びアラームと同時に警告ランプが点灯した。

運良くSAが近い。

ガソリンスタンドに入れてタイヤの空気圧を調べると、どれも同じくらい在る。

まあ実質タイヤに空気が入っているのだからセンサーの誤作動だろうということで、そのまま無事帰宅した。

後日ヤナセで警告をリセットしてもらった。

5秒で普通通りに戻った。

パンクを探し当てた時には「素晴らしい」と絶賛したが誤作動を起こされると肝を冷やす。

地図を見ると「遠いところまで行ってきたなぁ」と思う。

天気予報もまだ秋田が気になる。

鬼籍にいる両親4人を連れて行った気がしていて彼らが守ってくれた気もしている。






秋田に行ってきた

2015-07-26 15:28:54 | Weblog
秋田に行ってきた。

7月23日 午前3時20分出発

商用8 墓参り1 観光1という割合の旅だった。

商用で妻のいとこ二人と会う必要があり、そのうちの一人を川崎で拾っていった。

乗せたいとこと話すために妻は助手席で少し後ろを向いてしゃべる。

それは私の左耳に向かってしゃべることだ。

急に車内がやかましくなった気がした。

前日まで快晴だった秋田は雨。

ときに大雨だったり小雨だったり。

途中中尊寺に寄った時には曇となり傘は持っているだけで差すことはなかった。

初日の宿泊はホテルプラザアネックス横手で露天風呂付き客室だ。

フロントで宿帳に記入を終えると「女性の方のみ、お浴衣が選べます」という。

「せば、こちらにどうぞ」と妻を誘導する。

この「せば」を聞いて「ああ秋田に来ているな」と実感した。

さっそく露天風呂に入ろうとするがお湯が熱くて入れない。

だが水温をうめるための水道がない。

「おーい。ちょっとフロントに電話して聞いてみて」と妻に言う。

妻がフロントに電話する。

源泉かけ流しなので、シャワーを利用してお入りくださいと言われた。

無理して入ったアツーイ風呂は慣れれば快適。

夕食はホテルの隣の焼き鳥屋。

地酒がこれまた疲れを癒してくれた。

距離817Km時間にして9時間35分の走行だったのでベッドに入って数秒で眠りに落ちた。

24日は商用が10時から。

約1時間、緊張したものの終始明るく和やかに行われた。

これが終わると商用0 墓参り2 観光8というにモードに激変する。

あとは佐藤養助のうどんを食べて墓参りに。

墓を3軒ハシゴする。

次の宿泊場所に移動する。

観光10割で、その上商用を済ませてあるので皆上機嫌。

小安温泉の阿部旅館に到着して、まずはビールで乾杯。

この温泉は川の中にも湯が沸いている。

というより川底が熱いので流れているのは、ほとんどお湯。

熱くない底を求めて川の中を裸でウロウロさまよう。

夕食はまさに一つの仕事を終えた者たちの打ち上げ状態。

吹っ切れた精神状態の者たちが一緒に飲み私も危うく失態を見せてしまうところだった。

この夜も寝つきが良いを通り越して、いつ寝たのか分からない状態だった。

さて25日は帰宅する日だ。

早朝から土砂降りで山道が閉鎖になるかと思うほどだった。

川には濁流が流れ今なら水温は下がっているだろうなとは思うが入れるはずもなかった。

9:30山越えをして宮城県の古川ICに向かう。

道路は空いていてスイスイ走れる。

秋田から緯度が下がってくると気温が上昇し始め車の中にいても、その気温差が感じられた。

東京に近づくと車の数が増え、その走り方もせち辛くなってくる。

首都高は土曜日ということもあり、ほとんど渋滞はなかった。

川崎でいとこを下ろし、これまた渋滞のない東名高速を走る。

予定よりも2時間早く帰宅できて留守番をしてくれたマロちんと再会した。

部屋の中から聞こえたマロちんの優しい鳴き声が心を暖かくした。

732Km 8時間36分の走行は首筋の凝りは残したものの心の疲れは「ニャー」という声で消えてしまった。

巣の内側

2015-07-21 09:19:31 | Weblog
ミツバチの巣の一部を開けてみた。

「巣の中は清潔にしておかなくちゃだめだよ」と聞いていたからだ。

恐る恐る入口の反対側の背板のビスを外す。

何本かのビスを緩めたが外れない。

雨によって板が膨張しているのだ。

あり合わせの金具を隙間に入れてこじてみる。

開いた。

そーっと板を外すと、その板に数匹のミツバチがくっついていた。

刺激しないように板を地面に下ろす。

もちろん私は麦わら帽子に防虫ネットをすっぽり被っている。

箱の中は独特の唸りが響いている。

1匹1匹の出す羽根音が増幅されて全体で一つの音となっている。

少し薄気味悪いし威圧感がある。

巣箱の底にはスムシと呼ばれるウジ虫がいた。

ブラシではいて下に落とした。

地面に落としておけば再び這い上がってくることはない。

はいた祭、一部のミツバチが一緒に落ちてくることもあったがミツバチは羽根があるので巣に舞い戻ることは容易い。

底が綺麗になったところで鏡を差し込んでみた。

だが暗くて何も見えない。

とは言え、せっかくだから諦めない。

カメラを挿入して上向きにしシャッターを押した。

一瞬ストロボが巣全体を真っ白にしたがミツバチは落ち着いている。

写ったものを見ると十字型の針金が見えた。

これは巣が落下するのを防止するものだ。

巣箱は3段。

上二つの箱に針金を設置した。

十字の針金が見えたということは最上段の箱に巣があり、まだ2段目には巣はない。

定期的に掃除と点検を繰り返してミツバチに清潔で快適な生活ができるようにしたい。





それでも咲くササユリ

2015-07-15 08:02:17 | Weblog
ササユリが一輪咲いていた。

別に今の季節珍しいということはない。

あらゆる場所で自生している。

だが、この一輪は違う。

ひと月ほど前Y爺さんから「昨日はサルの集団が出たぞ」と聞いた。

「ここに2匹座っていて奥の方にもたくさん居たえ」と場所を教えてくれた。

私もいつもと少し様子が違うことに気づいていた。

私が刈った斜面のウバユリが1本茎が折れていた。

「ちゃんと残したはずだけど草刈り機のヒモが当たったかな」という状態のウバユリの茎だった。

刃物でスパッと切ったのではない切り口がバラバラに裂けている。

Y爺さんから話を聞いて、なるほどと思い敷地内を歩いてみた。

別の斜面に残しておいたササユリが全滅していた。

花芽を食べられ引っこ抜いたあとに球根を食べてある。

20本くらいやられていた。

シカがササユリの花芽を食べることは知っている。

しかし根まで抜いて食べるのはサルだ。

イノシシは花芽は食べず大胆に根を掘り出して食べる。

人間が茎を持って引っ張るのと同じように地面は、たいして掘れない。

中に1本だけ花芽が残っているものがあった。

みずみずしい花芽だが茎の途中は折れて球根は無かった。

それでもひょっとして花が咲くかも知れないと思って水鉢の中に入れておいた。

何日見ても枯れた様子はない。

「強いもんだなぁ」と思いながら見ていた。

そのうち茎の一部と葉が下から順番に枯れ始めたが、それでも生きていることは分かった。

そして最終的に花を咲かせたのだ。

このユリが子孫を残すことは絶望に近い。

メシベが種子を形成するまで茎が持たないと思われる。

だが最後まで生を全うする力強さは感動的だ。

オシベは、別のユリに運ばれているかもしれない。

何事もなかったかのように咲くササユリの花が神々しく見えた。