家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

洗面所のプルスイッチ

2024-12-31 16:08:24 | Weblog

「これ、取れっちゃったの」と言って妻が持ってきたのは洗面所にある電灯のプルスイッチのヒモだった。

大昔のガイシでできたスイッチから出ている鎖を引っ張るための物だ。

ただのヒモでは面白くないので、どこかネパールとかインドあのあたりの民族土産物的なテイストの茶と緑色の球を糸に通した物だ。

スイッチの鎖には細いワイヤーを通し、そのワイヤーに球を通してある。

ワイヤーが細すぎて15年に1回ぐらい切れてしまうのだ。

もっと太いワイヤーにすればよいのだが鎖が細いので、どうしても細くせざるを得ない。

またスイッチから出ている鎖は短くてスイッチの外に長く出ていれば簡単なものを短ものだからスイッチ内に戻ってしまわないように細いドライバーを鎖に刺して戻らぬ細工をして作業する。

風呂栓チェーンを利用することを思いついた。

鎖からは丸かんと呼ばれる金属の輪っかを繋いだ。

風呂栓チェーンに民族土産の球を通そうとしたら、ほんのちょっと穴が狭くて通らない。

しかたなく玉の一つ一つをドリルに通して穴を広げた。

ドリルをゆっくり回すが、ふとした拍子にドリルビットの回転が「グイーン」という音と主に力強く回るので、かなり注意した。

なにせ指先で小さな球を持っているだけなので握力が無くなってしまうほど力を要した。

それが出来たら、今度はひとつ一つをチェーンに通す。

緑 茶色そして 緑 茶色また 緑 茶色と交互の色になるように通した。

途中で外すとバラバラと音を立てて落ちてどこかに転がってしまうだろうから神経を使うところだ。

全てを通し終えて球が抜けないようにストッパーを付けたら作業完了だ。

これなら20年以上持つに違いない。

だが91歳以上で同じ作業はしたくない。


台所換気扇

2024-12-25 08:55:35 | Weblog

11月のはじめ妻が「台所の換気扇が回らないの」と言ってきた。

レンジフード内の電灯は点灯するのだが肝心な換気扇が作動しない。

換気扇に油が付着して、それが気温の低下で硬くなり換気扇のファンの回りを阻害しているのかと思った。

もう新築以来故障こそは無かったが掃除もしていないので作動しなくなっても不思議はないと思った。

何でも相談する友人に話してみた。

彼はいつものように、その場で電気屋さんに電話してくれた。

翌日その電気屋さんが我が家に見に来てくれた。

換気扇の位置が高い所に在って、それを外すには高所作業車が必要だという。

我が家は2階に台所があり、それが外に繋がっているのは地上から5メートル以上の場所だ。

そして現在の台所レンジフードを外して新しいレンジフードを取り付ければ修理完了ですという。

修理内容に問題はいくつもあった。

現在のレンジフードを取り付ける時に事前にタイルを貼ってありレンジフードを取ってしまうと後から付けるレンジフードとの整合性が合わなくなってしまう。

現在のレンジフードもきれいで取って捨てるにはもったいない。

現在のレンジフードの中に換気扇を取り着けれないかを聴くと「無理だ」と応えた。

自分としては何とか自力で換気扇を取り付けようと思い電気屋さんには現在の換気扇を取り外すことなく処理できる方法を聴いてお帰り頂いた。

それからは頭の中で換気扇を取り付けることに没頭したりホームセンターに出向き新品ののレンジフードを見たり不燃材料を探したりしていた。

ある時youtubeを見ていたら我が家と同じようなケースの作業を見つけた。

便利屋さんが「これは換気扇の問題ではなくてスイッチの不具合です」と言って新しいスイッチを別口で取り付けて直してしまったというものだ。

ひょっとしたらと思ったので、もう一度換気扇のスイッチ辺りを外して掃除した。

それは知り合いの電気関係の仕事をしている者にスイッチを修理してもらおうと思ったからだ。

ところがスイッチを入れたら何と作動してしまった。

原因はスイッチの汚れっだったようだ。

今までの下準備や脳内作業は無駄に終わったが何より無料で解決したことがありがたかった。

 


病歴等

2024-12-17 16:04:34 | Weblog

若い頃から記録に残すことが好きだった。

自分の記録なんて何の価値もないけれど残す行動が好きなのだ。

何かの参考になるのかもしれないくらいに考えて進めていた。

何年か前に病歴を書いておこうと思って書き始めた。

これは私の子孫が見たいと思う事柄があるかもしれない。

それにもう少し書き足したら面白いかなと思い始めた。

どういうことが自分の体に強い影響を与えているか分からないから、その辺りの事だ。

先日の特定検診についても、当日高い値の血圧が実際に出ていたが、先生は私の言葉を信じて「この科にかかりなさい」とかは言わなかった。

それは私の話に信ぴょう性があったからだと思う。

病歴なんてほんの少ししかないから体調に関わりそうな出来事を書いておいた方が役に立つかもしれない。

家族のことは私にとってかなり大きな出来事なので欠かせない。

イヌやネコとの同居も大きな出来事だ。

だって私の給料の配分の仕方にネコやイヌの存在も関わってきていたし。

オートバイや車が好きで、それらの乗っていた履歴なども載せるようにした。

ジムに通っていたことも載せた。

古い手帳を引っ張り出してその記述を参考にした。

すると思いもよらないことが書かれてあった。

41歳の7/14に400mクロール   7/28 800mクロール

42歳でジムを移り10/14に1100mクロール 12/2 1500mクロールと書いてあった。

70歳で再び始めた水泳のモチベーションアップに自分で期待している。

63歳の8月に良性頭位性突発性めまいを発症したが、これは今でも続いているが怖くはない。

若い頃から長く続く下痢に悩まされていた。

過敏性腸症候群という診断名ついていた。

65歳にひょっとして乳糖不耐症ではないかと思いつき乳製品を一切やめてみた。

するとそれ以降は一回も下痢したことがない。

妻がB型肝炎のウイルスのキャリアーであることを承知して結婚した。

私も感染したが無症状であった。

そして70歳になって妻のウイルスが消えてしまった。

担当の医師が「教科書では習いましたが実際に消えた人を初めて見ました」と言った。

遡れば遡るほど記述が少ないことが残念でならない。

交通事故の記録や足の巻き爪が完治した事実も、どこにその記録を保管したかが思い出せない。