家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

お互いに好きなことを

2009-09-30 07:35:55 | Weblog
お互いに好きなことをして過ごす。

妻は金魚の飼育。

大きな鉄鍋で飼っていた金魚の数が減ったので、残りの金魚を救い出した。

死因が鉄錆によるものか鳥に食べられたのか、また別の原因なのか分からない。

金魚を別の鉢に移してから水の入れ替えをした。

私は最後の水を捨てるときに力を貸した。

重くて持ち上げることは出来ないので斜めに保持しているところに妻がホースで水を掛けてきれいにした。

その後鉄鍋が水平に置かれているかどうか水準器で測る役目も果たした。

4箇所ほどの水平を確認して設置OK。

私の作業は自分で丸太を削り杭にした物をトーチで焼いた。

どの程度深くまで焼いたらよいのか分からないが、表面は黒く炭化した。

もっと深くまで火傷状態にした方がよいのかもしれない。

こうしておくと腐りにくいということだ。

傾斜だらけの我が家だから杭は至るところに必要だ。

手すりがあれば少しは安全になる。

トーチを離しても、まだ煙がくすぶっているので水を掛けた。

たわいもないこれらの行動が我々には必要不可欠だ。

小さくても確かなシアワセ。


積志リコーダーカルテットコンサート

2009-09-28 08:01:53 | Weblog
積志リコーダーカルテットコンサートに行ってきた。

メンバーのほとんどが知り合いだ。

私がリコーダーを仲間と一緒に吹いていた頃から既に上手な人たちだと思っていたが、今はもっとうまくなっていた。

創立38年というからナガーイ歴史を持っている。

曲目解説を読んで笑ってしまった。

舌が痙攣しないか  指がもつれないか 気持ちを入れすぎて破綻しないかがポイント と書かれている。

名前にしても積志はセキシと読み、町名なのだが響きがセクシーと似ているということもあって急遽決めたにしては気に入っているようだ。

ルネッサンスからバロック 童謡 行進曲 武満徹から久石譲とかなり広範囲の曲を披露してくれた。

プロに匹敵もしくは、それ以上の時もあるかなと思う。それ以上があれば。

「北の宿から」は阿久悠作詞小林亜星作曲都はるみのヒット曲だが、間(ま)が絶妙だった。楽譜に表せないほど微妙なタイミングを掴んでいる。

プログラムが数ある中で何も演歌を誉めなくてもいいのにと自分でも思うが、とにかく細かなニュアンスが伝わってきたのがこの曲だったのだからしかたがない。

だから彼らはうまい。

ただアマチュアなので?表情が堅い。

演奏家が楽しんでいるかどうか聴衆は聴いているが見てもいるのだ。

演奏が良いのだからにっこりしてくれれば「いやぁー最高に良かった」となるのだが。

あとは演技を磨けばバッチリ。

浜名湖アートクラフトフェア

2009-09-27 12:31:58 | Weblog
浜名湖アートクラフトフェアを見に行ってきた。

炎天下で日差しは暑かったが時折海から吹き抜ける風が心地よかった。

犬を抱っこしている人が目立つ。

この暑さで芝生の上を歩かせるのは酷というものだ。

例によって「自分で作るとしたら」という目でザザッと見て回った。

やってみたいものとして「イラスト入りはんこ」を作る。

帆布と革を合わせてモーガンのトップを作る。

発泡スチロールと砂を使ってアルミ無垢の置物を作る。

木の箸や鉄筋細工など計画倒れになっているものを無視して新たにこれら3つが「作る物リスト」に加わった。

しばらくすると大人に連れてこられた子供のように飽きてしまった。

時計を見ると、まだ1時間に満たない。

少し日陰のベンチで休んでまた歩く。

真っ直ぐに歩けないほど混み合っていることは当たり前だが日傘で頭を突かれるのは参った。

やはり車に戻ることにした。

ドアを開け音楽をかけて本を読んでいた。

妻たちが戻ってきたのは、それから1時間以上あとだった。


怪しい奴

2009-09-26 07:46:49 | Weblog
15:10春野の家の裏で木工作業していた。

偶然表に回って行くとフェンスのところに男が立っていた。

「はい」と言ってその男に近づいた。

男は無言であった。

トイレでも借りたいのかなと思ってもう一度「はい」と言ってみた。

すると男は「きれいな家だったものですから」と言った。

それだけ言ってケータイを見ながら我が家の敷地から出て坂を下りていった。

「なんだ!変な奴」と思った。

作業に戻ろうかと思うと先日作ったばかりの郵便受けの扉が開いていることに気が付いた。

まだ奴の姿は見えていた。

パタンという音を立てて私が閉めた。

「あいつが開けたしとか考えられないよなぁ」と思いつつ作業を続けた。

17時過ぎそろそろ自宅に帰ろうかと車に乗った。

すると奴が坂から上がってきた。

そのまま我が家を通り越していく。

バッグからカメラを出して車の中から一枚映した。

「今からここを離れることを知られてしまった」と思い奴が戻ってきたらまずいなと考えた。

17:11一旦車で走り去り別の道からここに戻ってみようと考えた。

坂を下りて自宅には帰らず別の道を回った。

ゆっくり走行して我が家に繋がる道に出た。

奴を発見した。17:17

知り合いの家の前を歩いていた。

奴が我が家から、そのまま歩いてきた時間であることを知った。

少し安心できた。

今度は顔の特徴をしっかり記憶して記録した。

170センチ 痩せ型 30歳代 顔ににきびの跡がある あごひげだけ伸ばしている 黒いキャップを深く被っている 黒い半袖Tシャツ 紺色のズボン 黒いナップサックを背負っている ナップサックのヒモに柄物のシャツをしばっている アイフォンのようなケータイを持っていた  

武相荘に行ってきた

2009-09-25 08:58:04 | Weblog
白洲次郎という本を読んであった。

白洲流ダンディズムが強調されていて世界一流の車 バッグ 時計 ライターなどが載っていた。

その頭で武相荘に行くと少し違和感がある。

実に質素なのだ。

当たり前だ。

農家なのだから。

それは私には、とても好ましく思えた。

お金を出せば買える物など何だというのだ。

そんな物より彼自作の棚や自筆された木札の方がよほど尊かった。

今はショップとして使われている場所は元は納屋だったらしい。

今も「がけの納屋」と書かれた木札の付いた鍵が使用されている。

その鍵の置かれている足元のコンクリートの床にはAPRIL1953と手描きされていた。

そんなものにこそ彼の存在を感じた。

庭や竹林また小高い丘に置かれた石の置物を見ると親しみを感じる。

下草を刈り込み樹木の枝を落とし置物の位置を考えたに違いない。

そんな時には野良着に長靴だったかもしれない。

そんな格好でもキチッと決まるDANDYな白洲次郎が目に浮かんだ。


奪う

2009-09-23 07:48:34 | Weblog
シチリンに火を起こそうとした。

ハチがブンブンと私の回りを回る。

巨大なミツバチのような形の奴だ。

攻撃はしてこないようだが油断は出来ない。

あまりにも頻繁に出没するので巣のありかを確かめた。

悪いことに最も使用回数の多い場所に近かった。

巣に2匹のハチが丸太の割れ目に入る所を確認して殺虫剤を吹き付けた。

殺虫剤が乾いてから出入り口をコーキング剤で固めてしまった。

何となく気が重かった。

妻が私の顔色を見て「夫婦だったのかねぇ」と言った。

「新婚家庭をぶち壊したみたいで嫌な思いがしているよ」と答えた。

すると即座に「そうじゃないよ。不倫だよ」と妻が言った。

妻は私がそう思えば重かった気が軽くなるのだろうと思ったらしい。

だが複雑に感じた。

不倫のバツは厳しいということを私に言いたかったのかもしれない。

そうではないとしても人間の倫理で虫を殺すのは、やはり気が重い。

その後落ち葉を集めて火をつけた。

落ち葉を拾っていると、その下から隠れていたコオロギやクモが逃げてゆく。

顔に触るクモの巣がうっとうしいので棒で巣ごと切り落とす。

木の椅子の上に置いてあった鉢をどけるとシロアリが巣食っていた。

チンチンに沸かした湯をかけて退治した。

余った湯を塀代わりにしている枕木にかけるとムカデが出てきて熱死した。

いったいどれだけ住み家を奪い殺戮するのか私。

だが彼らの思いのままにしておくと「幽霊屋敷」と呼ばれることになる。


ドングリと栗

2009-09-22 07:57:48 | Weblog
春野で妻と散策していた。

草刈り機のエンジン音が谷にこだましている。

誰だろうと思って近づいていった。

S坊だった。

あちらこちらに土地を持っているので彼はいつでも草刈りに追われている。

「ご苦労様です」と話しかけ、しばらく談笑した。

S坊はコナラを植えたいので我が家の山のコナラの種を拾わせて欲しいと言った。

もちろんOKした。

私が作業をしていると妻が敷地内の植えてあるコナラの種を拾って見せに来た。

私も拾いに行った。

探してみると面白いように落ちている。

ドングリも少し小さめな物 まだ青い物 丸い形の物 いろいろだ。

「キツネドンベイ」の空きカップに半分以上溜まった。

それをS坊にあげるつもりで家まで行ったが留守だった。

しばらくするとS坊がやって来た。

「分かった?」と言うと

「分かりましたよ」と言った。

留守でも分かるように玄関先に置いてきたのだ。

「これ食べるかね?」と言って袋にいっぱい栗をくれた。

エビで鯛を釣る話と似ているなと感じた。


花の香楽会 稲刈り

2009-09-21 08:46:46 | Weblog
花の香楽会稲刈りに参加した。

鷲山学長も地下足袋姿で参加していた。

私はイネを刈らず、その後の宴の支度を手伝った。

といっても料理屋の大将が作る横でつまみ食いをしていた程度だが。

でも揚げセンベイの塩降りは私がやった。

先日お亡くなりになった波瀬正吉杜氏の遺影が掲げられていて、その前で約80名が集い作業の後、酒と食事そして音楽を楽しんだ。

大鍋 サンマの塩焼き 花の香のお酒 それぞれの美味しい香のたちこめる中で皆の笑顔が輝く。

働く者も、いただく者も一様に上機嫌だ。

収穫は春の期待に対する答だ。

だが、その収穫の中にも次への期待が生まれている。

トヨタ博物館に行った

2009-09-20 07:43:11 | Weblog
トヨタ博物館に行ってきた。

モーガンO氏のSクラスAMGでスイッと行くつもりが往路は大渋滞であった。

普段あまり車というものを考えないで使用している私だが「比較」できる環境におかれると、それでも違いの分かる男に少しだけなった。

で、ホーンを付けたくなった。

今も当然付いているがゴムの玉を押すと「パフー」と音の出る奴だ。

どうも限定的に車を見ているらしい自分を見つけた。

セドリックという車がある。

これは父が乗っていた。

あるとき父の仕事に母と私が付いていった。

何故か父は車の鍵を掛けていった。

そこに雨が降ってきた。

私はトランクを開けてもらい、そこで雨をしのいだ。

ついでにトランクを閉めてもらって、その感覚を楽しんでいた。

それを見た誰かが通報した。

母は警官に職務質問を受けた。



野ウサギの屍

2009-09-19 07:41:49 | Weblog
水撒きをしていた。

少し遠い所に飛ばしていた。

水の着地地点にスズメバチが見えた。

目を凝らすと何やら毛皮のような物が見えた。

歩いて近寄ってみた。

野ウサギの屍だった。

複数のハエと1匹のスズメバチが来ていた。

このまま置いておくと次々とスズメバチが集まってしまうかもしれない。

急いで片付けることにした。

だがスズメバチが忙しそうに仕事中だ。

「長い棒でつついてみるか」

棒を持って近づくと「ブーーン」

と大きな音を立ててスズメバチが飛び上がり私の回りを回ってどこかに飛び去った。

ビー玉ほどの大きさの肉のダンゴを重そうに抱えていた。

「しめた今のうちにやろう」

火バサミで野ウサギ君の後ろ足を掴み持ち上げた。

重いし大きい。

上半身は食べられていたが下半身はまだそのままだ。

道下の我が家の山に捨てて戻った。

現場には、まだ大腸らしき物があったし、また前足も片方見つかった。

現場の様子から察する。

たぶん私が来たから食べるのを止めて隠れていたというところかな。

死後硬直もしていないし下半身には手を着けていないし。

物置の下に隠れ入る猫を見たので、たぶんホシはノラネコ。

バラの葉っぱが食われてしまうのでウサギが居るなとは思っていた。

住宅街では教えてもらえない「生きる」の片鱗を見たかな。

生きるってたいへんだ。