家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

朝の散歩再開

2012-09-29 06:45:30 | Weblog
最近は朝の散歩が再開出来るほど気温が下がってきた。

夜の散歩も楽しいが、やはり朝の方が好きだ。

慌ただしく過ごしている通勤通学の人たちには申し訳ないが贅沢な時間を過ごしている。

季節の雑草を楽しみ昆虫や鳥達を見ながら45分間歩く。

散歩中数匹の犬たちともすれ違う。

活き活きとした姿も老人と老犬のノンビリコンビの姿も微笑ましい。

猫を見つけた。

何かを狙っているらしい。

身体を低くしている。

私たちは邪魔をしないように立ち止まって様子を見守る。

猫は足を折りたたんだような格好をして、そのままの姿勢で小走りに走る。

ずいぶん器用なことが出来るものだ。

そのまま草むらに飛び込んだ。

いっせいにカワラヒワが飛び立っていった。

カワラヒワは枯れたヒマワリに群がり、それを狙って猫が近づいたのだ。

私たちが通り過ぎようとしたとき草むらに隠れているはずの猫が見当たらない。

暇に任せて、もう一度戻って猫の位置を確認した。

「居た」

私に気付いた猫は駆け出して逃げた。

朝食にありつこうとカワセミが美しい姿で飛翔する。

鵜が羽を広げて背中を陽に当てる。

幼児を集める幼稚園バス老人を集める介護施設のバス。

洗濯物を干し布団をベランダに広げる主婦。

シアワセな一日の始まりだ。



拾い食い

2012-09-28 07:02:27 | Weblog
我が家で飼っていたシュナウザーは散歩の途中で道に落ちている何かを拾って食べようとする。

見つけ次第「コラッ」と言う。

犬も慣れたもので「ホッ」と吐き出し何食わぬ顔で歩き続ける。

最近私は道に落ちている物を拾って食べようと思っている。

イチョウの下にはギンナンがイッパイ散乱している。

散歩には袋を持っていく。

イチョウの下に来ると座り込み一目散に拾い集めて袋に詰める。

そのニオイたるや。

「クッセー」

既に誰かに踏まれて種子だけになっている物もある。

種子は堅いから踏まれても潰れることはない。

近くの公園の水道で手を洗って散歩の再開だ。

膨らんだレジ袋の中のギンナンが透けて見えるので拾ってきたことは丸分かり。

このギンナンを水道代の安い春野に持って行って洗う。

臭い元のギンナンの皮も山にそのまま捨てる。

堅い種子をそのまま地面に植えればイチョウの芽が出る。

既に数年前に発芽した物を成長させて何箇所にも植えてある。

今年は、たぶん全部食べる。

よくサプリメントとして売っているのはイチョウの葉っぱ。

ギンナンはサプリメントとしては聞かない。

だが漢方薬として利用されているようだ。

効能として「肺の働きを高め喘息を止める。尿のコントロール、乾きを止める、体を温めるなど夜尿症の薬」と書かれている。

ただし「銀杏は生で食べたり、一度に沢山食べたりしますと、食中毒や呼吸障害を起こします。」とも書かれている。

気をつけて拾い食いすることにする。




シイタケの棚

2012-09-27 07:19:59 | Weblog
北遠椎茸株式会社でシイタケ菌1000個を購入したのが今年の1月6日。

翌日に、その菌をコナラのホダ木に打ち込んだ。

その後ホダ木を積み重ね、その上から枝やら葉を掛けて養生させた。

先日その覆いを外した。

Y爺さんが見て「おお。良さそうだ」と言った。

Y爺さん自身も今年シイタケ菌を打ったホダ木を寝かしてあり時々様子を見ては私に報告してくれていた。

菌がホダ木全体に充満するというか蔓延するというか、それがほどよい状態になるのを見守っていたわけだ。

ホダ木を立てかけるための棚を作った。

と言っても、やはりY爺さんの独り舞台だった。

私が春野に到着した時には3割程度作業は進んでいた。

大急ぎで着替えて地下足袋を履き走って現場に到着した。

Y爺さんはカケヤで杭を打っていた。

私と違って「上手」。

杭は地面に真っ直ぐに刺さり、いとも簡単に深く入っていく。

カキーン パキーン ガツン ゴク

音と共に杭は揺るぎのないものになっていく。

1本より2本、2本より3本。

さらに針金で固定すると堅固にして簡素な建造物となった。

そこにホダ木を太い順に立てかけていく。

寝かせておいたホダ木は、お互いにくっついてしまっている物もあった。

シイタケ菌を打ったホダ木は全て並び終えて、ナメコの菌を打った物は枕を敷いて地面に寝かせた。

これで作業は終わりだ。

「あとは収穫を待つだけです」とY爺さん。

「そうですね。肥料など撒く必要ないですもんね」と私。

笑顔の会話で暑くも寒くもない午前の作業が終了した。

昼食には、まだ少し時間がある。





絆を書いた人

2012-09-22 09:00:08 | Weblog
今回の講師は今年の漢字で「絆」という文字を揮毫(きごう)した清水寺の貫主である森清範氏だ。

森清範氏は職を越えていろいろな場所で公演をされることが多い。

デパートの売り場で話をしたりフラメンコの後に講話をしたりすることもあり、たいへん話し辛かったという話題で、まずは我々の注目と笑いをとった。

枕草子や源氏物語、平家物語など古典文学にも登場する清水寺についての話をされた。

世界遺産登録された清水寺であるが新世界七不思議の候補に挙がり77箇所から21に絞られた中に入り最終的には選ばれなかったという事実を教えてくれた。

歴史的にも世界的にも、なんと規模の大きな内容の話が多いことだろう。

だが森清範氏は責任の重さなどのオーラを一切感じさせない。

552年の仏教伝来の前に神道が古来からの信仰としてあり日本人が、よその国の宗教を受け入れ、さらに神仏習合という形をとって両方を生かすという知恵を誉めた。

たしかに日本では宗教対立が一神教の世界に比べれば圧倒的に少ないように思える。

「死んでも魂はなくならない」というのは日本人の宗教観だという。

私も、そのように思っているし、それらが私を守ってくれているのだと想像する。

また、その魂が見ているから、いつでも恥じるようなことは出来ないと自己を戒めている。

森清範氏の話は流れるように進む。

何をメモすればよいのか分からないほど進行が円滑だ。

立派なことを自然に難しいことを平易に話してしまう。

オーラを消した姿こそ偉大なる宗教者という感じがした。






92歳の太鼓判

2012-09-20 06:54:42 | Weblog
92歳のオバアサンを見舞った。

今は無くなった妻の実家の隣に住んでいた人だ。

その娘さんと妻が出会い入院していることを知った。

妻の実家の植木の苅込などをしている時に私も話をしたことがある。

オバアサンは一人暮らしをしていて私が虎刈りにした槙の垣根を誉めてくれた。

そのオバアサンは庭師に依頼していたが法外とも思える値段に苛立ちを覚えていて只で行う私のにわか庭師を「それでいいのよ」と認めてくれた。

母親の介護をする妻に「あんたは天国に行けるよ。私が太鼓判押す」と言ったことは記憶に新しい。

当時から耳が遠く大声で話さなくてはいけないので話の内容は隣保一帯に聞かれてしまっていた。

さすがに病院内では大声で話すことは出来ず電話機のような形の携帯補聴器を利用していた。

電話機のように耳に当てていれば音量調整ができて話し声も大きくならず話せる。

初めて普通の音量でオバアサンと話した。

オバアサンが妻に聞く。

「子供さんたちは東京かね?」

「はいそうです」と妻。

「そりゃあ寂しいねぇ」と続けた。

「いいえ。ゼンゼン寂しくないです」と妻は、あっけらかんと答えた。

すると「ホッ」という音と共に口を大きく開けて、そのまま2秒ほど経った。

その後笑い始めて「そりゃあ、あなたたちは仲がいいからねえ」とまた笑い出した。

下の歯が少しだけ残っていて上の歯は無かった。

話が出来ないことが辛いと言う。

「やっぱり昔の人と話をするのがイチバン」だと言う。

病院の中には人が大勢いる。

しかし知り合いはいない。

一人暮らしを長くしていても近所の友達とはよく話をしていた。

食べ物は生きていくうえで欠かすことの出来ない物であるがコミュニケーションも同じように生きていく糧となっているのだ。

雑誌を読むしテレビも見る。

しかし話をしたいというオバアサンの希望は心底からの願いのように感じた。


友人は作曲家

2012-09-19 07:08:29 | Weblog
第16回 信愛コンティヌオを観にいってきた。

浜松学芸高等学校芸術科(音楽)職員による演奏会だ。

第一部の終わりに鳥山妙子さん作曲の作品集が演奏された。

「こどものうた」と「音楽劇”銀河鉄道の夜”」より

NHK番組の「こどものうた」を思い出させる楽しくて夢のある曲だ。

解説によれば彼女自身が子育てをしている時期に作ったものもあるらしい。

毎日毎日が子育てを実践している日々に出来た曲なので、それは説得力のあるものに仕上がっている。

子育ての疲れとか不安とか不満とか子育ての副産物は微塵も感じさせない。

またそれらを聞いて育った彼女の子供達が立派に育ったことを知っている者として「この親だからこの子たちなんだね」と才能溢れるご家族を思いながら聴いた。

「こどものうた」といっても立派とも豪華ともいえる伴奏があって一層素晴らしさを感じた。

子供達も受け入れるが決して子供っぽくはない。

作曲家としての腕を見せつけられた感覚だ。

鳥山さんと同じ世代を生きた私たちにも、そろそろ老化が始まってきた。

だが彼女の曲は生まれてきた子供たち何世代にもわたって聴かれることになる。

たぶん、どの世代にも楽しく夢を湧かせてくれることになるであろう。

またゲーム音楽のような電子音で育つ今の子供達には、是非とも聞かせたい音楽でもある。

作曲家という職業を少し羨ましく感じた。

ピアノ2台にサクソフォンと3人のソリストの作り出す優雅な作品集であった。

この曲のCDを買って我が子供達の未来に生まれてくる子供(つまり孫)に聞かせたいと思った。

途中で歌詞とメロディーの調和に思わず涙がにじんだことは彼女に黙っておくことにする。



カタルーニャの知人

2012-09-18 07:33:21 | Weblog
楽土舎で田中泯さんの公演を待っているとき外国人親子がやってきた。

英語ではない言語を話していたのでブラジル人なのだろうと思っていた。

私が住む町の近くに住む東洋人以外の外国人はブラジル人がイチバン多いからだ。

たまたま私の隣に座った。

しばらくすると知り合いの女性が私に挨拶にきた。

そして、その外国人を「夫です」と言う。

スペイン人だった。

彼女とは私の友人宅で知り合った。

彼女は、その日帰宅して私のことを夫に話したと言う。

私の車の話そして私のしている結婚指輪の話。

彼は言葉のハシハシでうなずいて見せた。

「ああ、この人が例の人か」というように。

彼の職業は指輪など装飾品を作る職人だ。

残念ながら彼は日本語を話せない。

そして私もスペイン語を話せない。

彼女が通訳となって少し話をした。

我が妻は彼を去年も、この会場で見たと言っていた。

私は、まるで記憶に無い。

彼はイケメンだから妻は見逃さなかったのだろう。

カタルーニャ出身なので息子はトリリンガルだそうだ。

カタルーニャ語スペイン語そして日本語。

彼の両親とはスカイプというパソコンを使った無料のテレビ電話で話しているので極度のホームシックは無いという。

建築家ガウディ 画家ピカソ テノール歌手ホセカレーラス等ここ出身の有名人だ。

今後面白い話が聞けると思うとワクワクする。

力強い握手をして出会いを感謝した。

10月21日から楽土舎で彼の作品展とカフェを始めるらしい。

是非行ってみようと思っている。

三回祈った

2012-09-17 08:16:18 | Weblog
田中泯さんの独舞公演を見に行ってきた。

袋井の楽土舎で19:30から野外舞台で行われた。

舞台といっても通路に急ごしらえされたトタンの壁と鉄鍋で熾された炎そしてその鉄鍋の前に掘られた穴それにつながるロープ。

観客は、それらが見えるトタン葺の屋根の下に長椅子を置いて観る。

もうすぐ公演というときになってトタンがコン コンと鳴り始めた。

雨が降ってきたのだ。

実は主催者も私も雨を期待していた。

去年の公演時も大雨が降り、それはそれは思い出に残る一夜となったからだ。

サクソフォンによるバッハの無伴奏チェロ組曲が聞こえてきた。

炎の向こう側に田中泯氏が帽子を被って座っている。

ゆっくりと暗い空を仰ぎ見て祈る。

いや怖れを表現していたとも思えた。

炎が照らした泯氏の横顔に驚いた。

先日逝ってしまった伯父にそっくりだったのだ。

頬の高さと鋭い目。

泯氏は座っていた木の椅子を炎の中に、そっと置いた。

椅子からも炎が立ち始めた。

両手を合わせて炎に祈る。

雨は益々激しく落ちてくる。

炎は負けずに立ち上がる。

千切れた炎は火の粉となって舞い上がる。

穴からドロだらけの泯氏がロープを伝わって目の前までやってきた。

あの鋭い眼からは正気が失せていた。

助けを求めるようにも見えた。

鉄鍋の向こう側に戻っていった泯氏は年老い小さくなって背の丸みが哀れにも感じた。

だが再びたくましさを増した泯氏は水を鉄鍋の中に投じた。

一瞬にして炎は消え大量の水蒸気が空に向けて解き放たれた。

闇に白い物体が力強く上がって広がり消える。

その水蒸気に祈りを捧げる泯氏。

森羅万象に対して素直に受け入れ怖れをなすが立ち向かう。

自然に対して敬虔な信者であると確信した。

「場踊り」が終了すると空には星が光っていた。

泯氏が育てたジャガイモ「みんじゃが」を買って帰路に着いた。


勢いを利用する

2012-09-15 08:58:15 | Weblog
2・3年前から、はびこり始めたリュウキュウアサガオ。

隣家で植えたものだが当の隣家では早くから刈り込み、もうほとんど見られない。

我が家では物置の下に枝を伸ばし手の届かない場所に根付いてしまってお手上げだった。

物置の中にまで魔の手が入り込んでいる。

「こうなったら、これを利用するしかないな」

私の案に妻も賛成した。

アサガオは物置の外壁に這い上がり、なおも増殖したがっていることは一目で分かる。

上に伸びたいが掴まる物がなくて溜まり、そこから行き場を失ったツルが下方向に伸びているからだ。

まずは外壁に網を固定しツルを、そこに絡ませて上に誘導する。

それが出来たら今度は屋根に網を貼り上がらせる。

網は春野の斜面の土留め用に使っていて一部はがした物を利用する。

キッチリとした形の網ではないがカマワン。

どうせアサガオの下に入って見えなくなるのだから。

8月4日に網を貼り終えて8月27日には外壁を登り屋根に到達した。

残った網を今度は屋根に貼る。

以前屋根に農業用の遮光ネットを貼って物置内の温度を下げるはずだったが季節外れの台風で一部剥がれてしまったので取り外しておいた。

今度は網だから風の抵抗が少なく、もしもアサガオが損傷を受けても、またまた旺盛な再生機能で蘇えってくれるだろうと読んでいる。

もう今は気温も下がり始め物置内の温度も下がり始めた。

だがリュウキュウアサガオは11月頃まで咲き続けるというから、まだまだ活躍してくれそうだ。

何年かしたら物置を全て覆いつくし隣家にまで枝を伸ばしていくであろう。

「困ります」と隣家から苦情をもらうかもしれない。

8月31日に屋根の一部に網を貼った。

今日は屋根できれいに花を咲かせている。

ジャイロキャノピー復調

2012-09-07 06:49:09 | Weblog
90%復調の走りであることは信号で並んだ原付3台と一緒に走ってみて感じた。

私だけ一瞬遅れて発進するが加速は同じだから僅差のまま付いて行く。

あとは45Km/hあたりでの息つきについて解決すれば終了だ。

こうなればキャブレターの分解掃除かなと思った。

しかし掃除すると不調になるケースがあり、できるだけ手を着けないほうがよいという意見もある。

「それではキャブレターの調整だ」

手始めにエアースクリューを調整してみる。

キャブレターがむき出しになるようにエンジンカバーを取り外した。

マイナスドライバーを持ちエンジンが暖まるまで走行する。

ところが50Km/hまですんなり出た。

「あれ?直ったのかな。ガソリン供給パイプの詰まりでも取れたのかな?」

帰宅してエンジンカバーを取り付けて走り直した。

するとググッと息つきが出た。

「まてよ。エンジンカバーが原因か?」

エンジンカバーを外すと加速も良いし吹き上がりも良いし息つきもない。

エンジンカバーに着いているエアー取り入れ口が良くないようだ。

雨が降ってもエアークリーナーに雨が浸入しないために取り着けられたカバーが災いしているようだ。

その部分のみを外してみると快調に走る。

これで走りは100%近く回復した。

あとは、このエアー取り入れ口をどうするか。

①そのまま放置

②大きなゴミが入らないように網を被せる

③外見上元通りにカバーを被せるがエアーの取り入れ量を多くするために工夫する

③案が現実的だと思われる

私のジャイロキャノピーはミニカー登録なので時速60キロで走ることは合法なのだ。

私の普段使う道は50キロ制限のところが多い。

やっと法的許容範囲近くまで使用することが出来て嬉しい。