家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

東北旅行

2006-06-25 09:45:54 | Weblog

東北旅行に行ってきた。

 総走行距離1792.1キロメートル総ガソリン量193.2リットル使用車320TE

宿泊場所 

第1泊目松島センチュリーホテル http://www.centuryhotel.co.jp/

第2泊目元湯くらぶ  http://www.motoyukurabu.com/flame.shtml

第3泊目マルコーイン新潟  http://www.courthotels.co.jp/niigata/index.html

第4泊目かやぶきの郷 旅籠 http://www.yakushi-hatago.co.jp/

旅の中身は追ってHP「うたかたの宴」内紀行文に載せる予定です。


不意の涙

2006-06-18 10:34:12 | Weblog

今日も1日よく遊んだ。
帰宅してありあわせのもので夕食を済ませた。

妻が1月誕生日の人が多いと言う。
「A山さんご主人でしょ。その翌日がA山さん。同じ日がK林さん。あなたと私。でIW君」
私は妻の言葉にハッとなった。
IW君は妻の元彼氏である。
「IW君まで覚えているの?」と言うと
「うん。ちゃんと誕生日おめでとうって言ったよ」と言う。
「へぇー、すごいじゃん」と言いながら妻のやさしさを改めて痛感した。
楽しく話しながらテレビを見ていると妻が、ある新聞記事を読んでくれた。

児童文学作家 内田麟太郎  「母の愛に飢え続け」
5歳で生みの母と死に別れ父の再婚相手は自分に愛情をくれなかった、というものだ。

聴いているうちに涙が出てきて泣き出してしまった。
何故泣いているのか自分でも分からない。
彼に同情しているわけではない。
彼の生い立ちと私のとでは全く違うので私の過去を思い出しているのでもない。
ただ共通しているのは妻に出会って自分が変わったということだけだ。
極度に疲れているわけでもなし、酔っ払っていたのでもない。
ただ涙が出てきてしまった。
近くに置いてあった台拭きで目を覆った。
妻の前でかっこ悪いなと感じたが涙は止まらない。
「ほら、麿ちゃんが心配しているよ」と言われて膝に座っている麿君を見ると私を見上げて確かに心配していてくれた。
私が頭を撫でると麿君は安心して目を閉じた。
しばらくの間涙を流して収まった。
自分の中のどこかに忘れられていた傷を見つけたのかもしれない。

布団に入って妻は私の手を握って「今日は楽しかったよ。お休みね」と言ってくれた。
「お休み」と私も答えてテレビを見ていた。
すると妻は私の手を結構強く握っているにもかかわらず、いびきをかき始めた。
このおおらかさで私は助けられているのだなと思うと、また少し涙が出てきた。
手を離すと妻は一瞬気付き「オヤスミ」と言って本格的な眠りに落ちた。

2006-06-14 08:16:30 | Weblog
蛍を見に行った。

暮れなずむ景色に闇が恋しい。

せせらぎの音とカエルの合唱が聞こえる。眠りに就く前の感謝の祈りか。

見え始めた暗がりの中の青白い光の明滅は淡い。

だが単なる交尾目的の信号とは思いたくなくなる。

はかなさがロマンティックであり幻想的でもあるからだろう。

小川に密集した草の中で光る。
大きな木から垂れた枝にとまって光る。
空中を浮遊しながら光る。

弱弱しい光だとは思うが、それでも50メートル先の地点からでも視認できる伝達力を持っている。

隣人の顔が判別できないほど暗くなると一点の光は自己顕示力を増す。

それが同時に10も光ると、私の視覚は刺激から感激という域に達する。

自然の中に生きている生物としての私は身体のどこかに充足感を蘇えらせ人間の作り出した便利という不自然な世界に戻って行くのをしばし拒んだ。


水道管破裂

2006-06-12 09:17:59 | Weblog
散歩の途中水道管らしいパイプから水が噴射されているのを目撃した。
帰宅して市の水道課に連絡した。
まだ誰からも連絡は入っていないようだった。
「すぐに確認して修理します」とのことだった。

修理が終わる前に、もう一度現場に行って写真を撮っていた。
通りかかる人が皆怪訝な顔をして私を見る。
「もう連絡してありますよ」とか「私が連絡しました」とか言う必要があった。
ただの野次馬が写真を撮っているように思われたようだ。

人を見掛けで判断しないで欲しい。
怪しげな顔をしていても、やることはやっているよ。

今朝はプラスティックゴミの収集日。捨てに行く途中で落ちていたプラスティックを一緒に捨て自宅回りに捨てられていたゴミを拾い集め、その後市役所に連絡し、それから写真を撮っていたのだから。

海岸

2006-06-09 10:01:57 | Weblog
自宅から自転車でたった30分で海に出る。
妻と弁当を持って遊びに行った。

飲料水の蓋を開けると吹き寄せる風でボトルが鳴った。
一口飲む毎に音程が下がっていった。

釣りをしたりサーフィンを楽しむ人達がいた。

幸せだなと思う。

海風は身体に心地よい疲労感を与えてくれる。

帰宅して昼寝した。

カエル

2006-06-06 08:22:29 | Weblog
朝呼び出しベルの音がした。
妻はゴミ出しに行っているので私が応答した。
妻だった。
「ちょっと来てみて」
何事かと急いで出て行った。

妻は裏口に案内した。
車庫のシャッター前に大きなおーきなカエルがいた。

裏口から出て行った妻だったが帰ってきてからカエルに気が付き、その前を通って家に入れなくなってしまったのだ。

以前使用していた黒いゴミ袋と手袋を用意してお引取り願おうと思った。

準備して現場に戻ってみると彼がいない。
残念ながら一歩踏み込んでいた我が家に。
彼の一歩は1メーター。立ち幅跳びで進むから。
当初目論んでいた箒の柄でつついて袋に入れる方法は断念した。
「狭いところに入り込んでしまう前に彼を掴むことが最も確実で最善策」と瞬時に決断した。

覚悟して近づくとピョンと跳ねた。
力強いピョンを見ると少し産気づく。いや怖気づく。

石臼だの植木鉢だのをいっぱい置いてあるので掴みにくい。
またそれは彼にとってピョンしにくいということでもある。
勇気を出して、というより怖くなる前に「エイヤッ」と掴む。
両手で持ち上げて妻の持っている袋に入れた。
重い。結構な重量だ。筋肉がしっかりしていて固太りである。
袋に落とすと中で跳ねた。黒いビニール袋がバサッと音を立てた。
しかし袋の入り口を閉じてしまうと大人しくなった。そうするために黒色を選んだのだが。

「堤防で放そうか」と言うと
「うん」と言って妻が付いて来た。

私の運ぶ黒い袋。大きくはない。下だけが膨らんでいる。中に何かが入っていることは明確。片手で持つことが出来る重さ。夫婦で大切そうに運んでいる。あまり良い中身ではないと想像するであろう。猫の死体とかヘビとか。
堤防まで歩いていく途中で近所のおばさんと出会った。
「お早うございます」と言うと、はっきり「お早う」を言わずチラチラと袋を見ていた。

堤防で袋を逆さにして彼を草の上に落とした。
彼はその場にしばらくじっとしていた。

くらふてぃあ杜の市

2006-06-05 11:13:12 | Weblog
今年はミノオカ氏が松本のクラフトフェアに出店しないということなので、こちらだけ見に行った。去年に続いて見に行くこと二回目だ。

 まだ雪が残っている中央アルプスを間近に見る景色の中で行われる杜の市はとても爽快な気分にしてくれる。大田切川に架かるつり橋から駒ケ池の周りにも600店以上出店される。
林の中に通る木製の歩道の下にはゴウゴウというまるで地下鉄の騒音のような響きがある。それは大田切川や駒ケ池にも流れ込む膨大な量の雪解け水の音だ。
それぞれのテントには目新しい物やひらめきを感じさせる物などが連なる。

手作り笛の音、店番をする犬、見て回る観光客と共に出展者たちも楽しんでいる。

連れて来られなかった猫の写真を見つけて話しかけたら長話になってしまった。
フランスから日本に嫁いで26年になるという。昨夜は露天風呂に入った後地ビールを楽しんだと言っていた。

いつか私たちも泊りがけで来ようと思った。

音から逃げた

2006-06-02 09:28:30 | Weblog
隣接する小学校の運動会があった。
朝から気忙しい音楽がこだまし駆けつける父兄の車の音がひっきりない。
たまらず郊外のショッピングセンターに避難した。

駐車場から一歩入れば空調が効きさわやかだ。
しかしここも音に関しては喧しいといえる。
館内全体に音楽が垂れ流され、それにテナント毎の音楽が合流する。
子供服屋さんとアジアングッズの店では当然流す音楽は変わってくる。
隣の店の音楽にかき消されてしまうことは許されない。
客引きを担っている音楽はボリュームが落とされることはない。

エスカレーター脇のベンチに腰掛けた。
「エスカレーターにお乗りの際は足元に充分お気をつけください。黄色い線の内側に・・・・。お子様連れのお客様は・・・・・。エスカレーターにお乗り・・・・・・」
何度も何度も注意事項は止むことなく告げられている。

館内の最も喧しい場所は子供たちの遊び場のゲームセンターである。
店の外に置かれたTV画面からアニメの映像と共に子供の声で「ねぇねぇ遊ぼうよ」という誘いが聞こえてくる。
中に入ると、いろいろな大きさのTV画面があり、それぞれからそれぞれの音が、結構な音量で放出されている。
パンチやキックの効果音。レーシングカーの排気音。銃撃戦の音。怪物をやっつける電子銃の音。
まるで滝壺に居るときのように音の出所が多すぎて特定できない。
身体をすっぽり音に囲まれて逃げられず、あちこちから音が体の中に攻め込んで来るような気がして恐怖心すら覚えた。

実際の滝壺では恐怖どころか大いなる安らぎを感じるのに。
オーケストラのフルボリュームは鳥肌が立つほど感激するのに。
耳が拒否した音は暴力だ。